第369話 光があれば当然影も出来る

「妾が……?」

「はい」


 翌朝、奥庭。

 本日の歌は「夏は来ぬ」っていう童謡でした。

 日本の古き良き初夏の情景を歌ったもの……らしいけど、この辺、菊乃井の風景もこんな感じなんだよね。

 で、それが終わった後に、昨夜氷輪様としたフェルト手芸の事をお話した訳で。

 私が差し出した道具を見て、姫君が眉を僅かに動かされる。


「えんちゃん様は姫君様や氷輪様を大層慕っておられます。ですからそのお二人から手作りのお品を贈られるって凄い事なんじゃないかと……」

「ふむ、一理あるのう」


 姫君様は私の見せた道具に興味を示されて、しげしげとご覧になる。

 そうして団扇を一振りされると、私の手から道具がフヨフヨと姫君のもとに跳んでいった。

 専用の針とフェルトを暫く眺められると、姫君はゆるゆると首を横に振られる。


「……妾は最近艶陽と共に過ごして居るゆえ、こういう物を作っているとすぐにアレに悟られる。それならアレと共にできる事の方が良かろう。これはいささかアレの手には危うい。もう少し大きなものであれば出来ぬことはないじゃろうが」

「ああ、たしかにそうですね。考えが足りませんでした」

「いや、其方が詫びる事は何もない。そなたはこういう物をよくするゆえ、其方にとっては危ない訳ではないのじゃろう。構わぬが、それであればアレにも出来る物を考えるがよい」

「はい。何か考えておきますね」

「うむ」


 そうだな、フェルティング・ニードルってぶすぶす刺すから、手が滑ったら指に刺さったりしちゃうんだよな。

 えんちゃん様はレグルスくん位の大きさだから、上手くさせなくて怪我をしちゃうかもしれない。

 そう言えばレグルスくん、剣の稽古をするようになって手の肉刺を潰すことがちょいちょいあって、それも痛々しいんだけども。

 ラーラさんが作ってくれる軟膏のお蔭で、治りはいいけど痛いには違いないよね。

 ともあれ、この話は何かできる物を探すって事で今日の所はお終い。

 朝のお歌が終わったら次は菜園のお世話、その後動物のお世話って感じで時間が流れていく。

 午後からはお勉強の時間があった訳だけど、そこで私はロマノフ先生にある物を見せた。


「これは……?」

「書斎にあったんですが、祖母の日記の一部のようです」

「鳳蝶君のお祖母様の?」

「はい。隠してあったというか?」


 斯く斯く然々。

 これが見つかった時の話と、それを読んでしまってレグルスくんや紡くんがダメージを受けてしまった事。そう言ったことを素直に話して、内容を知りたいにしても、私もダメージを受けてしまうかもしれない事を考えると、誰か一緒に読んでくれる人が欲しい。

 そう言えば、ロマノフ先生は少し考えて、言葉を紡ぐ。


「私で良ければ、読ませてください。でもロッテンマイヤーさんの方が、とは思わなくもないんですが」

「私もそう思ったんですが、なんとなく止した方が良いような気がして……」


 いや、ロッテンマイヤーさんだって祖母の日記を読んだそうだから、薄々自身の娘に執着も持たないで姑に盗られっぱなしの情の薄いタイプだったって事には気が付いてるんだろう。 

 それでも祖母はロッテンマイヤーさんには尊敬できる人だった。それは紛れもない真実なんだろう。

 レグルスくんのお母様のマーガレットさんが、父をレグルスくんに「立派な人」と教えたように。

 つまり、私にはこの日記に、ロッテンマイヤーさんが知ったらショックを受けそうなことが書いてある予感がするんだよね。

 私のこういう予感は残念ながら外れないんだ。

 それを解っているからか、ロマノフ先生も真摯に頷いてくれる。


「解りました。一緒に読みましょう」

「お願いします」

「もしも辛い事が書いてあったら、ラーラやヴィーチャにいい香りのするお香を焚いてもらったり、気分が解れる曲を弾いてもらいましょうね」

「先生は?」

「私は……そうですね、昔話でもしてあげましょう」


 穏やかに頭を撫でてくれる手が優しい。

 隣に座る先生にも見えるようにして、まずは表紙を捲る。

 最初の一頁目に、几帳面そうな尖った筆跡で書かれていたのは祖母の名前・菊乃井(きくのい)稀世(きよ)という文字だ。

 それから、珍しくも生年月日。帝国では皆一斉に新年とともに歳をとるんだから、生まれた日付なんて覚えてる人は少ない。さほどに重要じゃないからだ。

 なのに、祖母には大事なことなのか書き記してある。帝国の価値観から少しずれた人だったんだろう。

 ロマノフ先生もそう感じたのか、目を見ると好奇心が刺激されたよな表情だ。

 読み進めるために次のページを捲る。

 その日の読書は、ロッテンマイヤーさんが食事の時間だと呼びに来るまで延々と続いて。

 私とロマノフ先生は、ロッテンマイヤーさんにはあまり話さない方がいい事を一つ、共有することになった。




 緩やかに、穏やかに、同じように日々が静かに過ぎて行く中、報告が色々上がって来た。

 建て替え工事中の冒険者ギルドが、街の人や冒険者、威龍さんの所の信者さん達の協力のもと、出来上がったそうな。

 新しいギルドは二階建て別棟ありで、一階は冒険者ギルドの業務用。二階はギルドマスターの執務室、別棟は初心者講座専用教室と救護室、緊急宿泊施設にするんだって。

 敷地も倍くらい広くして、戦闘訓練や魔術訓練ができる運動場も出来た。

 お金は大丈夫なのか尋ねたんだけど、元々のプール金と菊乃井からの補助金ではやっぱり足りなかったらしく、残りの資金は冒険者さんや菊乃井の住人さん達が「これからの若手のために」って少しずつ寄付してくれたらしい。

 バーバリアンや、エストレージャ、晴さん。それだけじゃなくベルジュラックさんや威龍さんも、それに参加してくれたと聞く。ありがたい事だ。

 威龍さんの所も、ほとんどの信者が移住を終えたと連絡をもらってる。

 彼らは上層部の腐敗や日和見には全く気付かなかったことをとても悔いていて、それで本拠地を喪うことになったこともとても悲しんでいる。

 だけどそんな彼らを引き取って、偏見を持たないどころか「一生懸命修行してたのに大変なことに巻き込まれてしまった人たち」と遇されるように配慮したこちらに、とても感謝の念を持ってくれているらしく、冒険者ギルドの工事に凄く積極的に協力してくれた。 

 その副産物というか、私的にはこっちの方が狙いだった訳だけど、この工事中菊乃井の住人達と親しく交わることがで来たとか。

 皆、彼らに優しかったみたいで、信者の皆さんは菊乃井の住人のためにも、修行とモンスターの間引きを頑張ろうって士気が上がってるて。

 それからベルジュラックさん。

 皇子殿下の行啓の話が色々伝わったらしく、里帰りからすぐ戻ってきてくれた。

 と言うか、多分意図的に巷に流布されているのを、狙い通り聞いたみたい。

 この意図って言うのが、また微妙。

 考えられるのは、皇子殿下方と私がプライベートで会うくらいに親密な仲だというアピール。

 他には見回りをしてくれる冒険者が増えるように。

 あとは、この期に私の失態があれば広く周知させるため。

 勿論集まって来る冒険者にも思惑があるだろう。ここで働きが皇子殿下方の目に留まれば、取り立ててもらえるかもしれないもんね。

 暫くはタラちゃんやライラ、アメナの蜘蛛ちゃん軍団に、街の観察を頑張ってもらうことになるだろう。ダンジョン行ってご飯とって来ないとな。

 考える事もやる事も、日々が穏やかで緩やかでも、なくなったりはしないんだよね。




 それから数日後、皇子殿下二人がロートリンゲン公爵家へとお入りになった。

 で、だ。

 そこから更に二日後、二人の殿下方の連名で「そっちに来週行きたいんだけど、いいよね?(意訳)」って手紙が届いたのには、遠い目をするしかなかったっていうね……。

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