第352話 平穏、戻る……?

 行啓(ぎょうけい)は行幸(ぎょうこう)より遥かに掛かる費用負担は少ないが、それにしたって全くお金が掛からない訳じゃない。

 それでもまだ立太子も済んでない皇子殿下二人であれば、さほど仰々しくなくていい筈だ。

 でもなぁ……。

 お茶会は無事に乗り切った。

 今後私がぶつかりそうな家門の見定めは出来たわけだし、ゾフィー嬢のお蔭で近隣の男爵・子爵・伯爵家、ないしは同年代の離れた領地の人達とも顔つなぎが出来た。

 なんかちょっとビビられてた節はあったんだけど、話してみると中々面白い子が多くて、中には文学に興味があって、自分でも詩作してたり物語を書いたりしてる子もいて。

 今度書いた物語を見せてくれるそうだけど、そういう子は菊乃井歌劇団に興味津々で緊張が解けたら色々語ってくれた。

 うん、その調子で沼って私に萌え語りを聞かせてほしい。

 で、だよ。

 長く領地と帝都を行ったり来たりして、領地の事が疎かになってる事を理由にして、私達は空飛ぶ城と共にお茶会が終わった後、レグルスくんのお母さん・マーガレットさんのお墓参りをしてすぐに帝都を辞去した。

 菊乃井のお屋敷に戻ったあと、私はさっさと服を普段着に着替えて寝ちゃったんだよね。

 辛うじて先生達には「殿下方から避暑のついでに訪問したい旨を打診された」ってのは伝えたんだけど、それだけ。

 ロッテンマイヤーさんに着替えを手伝ってもらいながら、私は寝てたらしい。

 朝凄く早く起きて、ぬぼーっとしてたらロマノフ先生に抱えられお風呂に漬けられて、ラーラさんに前日分のマッサージをしてもらって今ここ。

 朝ご飯の食卓にいる。

 心配そうに、私の顔を見つつレグルスくんが口を開いた。


「にぃに、もうだいじょうぶ?」

「うん、もう大丈夫だよ。昨夜は一緒にご飯食べられなくてごめんね?」

「うぅん。ぬむいときにねるのがいちばんはやくげんきになるって、まえにひめさまがいってたから」

「ありがとう。もう元気だし、暫くはゆっくりできるからね」

「うん!」


 にぱっとひよこちゃんが笑う。はー、癒されるぅ。これがあるから私、あの魑魅魍魎共と戦えてるんだろうな。

 元気に、でもお行儀よくもりもりご飯を食べるレグルスくんを見てると、心底からそう思う。

 けど、その癒しに浸ってられもしないんだ。

 今日のスープは空豆のポタージュ、一口飲むと仄かに甘い。


「皇子殿下方の事ですが……」


 はい、来た。

 ロマノフ先生が穏やかに、私を見てる。


「えぇっと、来るのは菊乃井家としては問題ないよ。けーたんに確認したんだけど、お忍びに近い形の訪問にするから盛大な歓待とか必要ないって」

「費用に関しても、接待費として幾許か支給するって。あと梅渓のご令嬢は日帰りで……だって」

「日帰り?」

「うん。これは僕が面倒見るから大丈夫だよ」


 ヴィクトルさんとラーラさんの言葉に私は小さく頷く。

 先生達は私が限界で寝た後、殿下達の言葉の意味を確かめてくれたんだな。助かる。

 それなら、返事は「どうぞお出でください」としようか?

 そう言えば、ロマノフ先生が頷いた。


「ではこの話はこちらでロートリンゲン公爵も交えて進めておきますから、一旦忘れて大丈夫ですよ」

「はい、よろしくお願いします」


 そんな訳で問題は一つ解決。

 いや、持ち込まれた皇子殿下達の話は終息でいいだろう。

 他に今ある問題は威龍さん率いる教団のお引っ越しと、ベルジュラックさんの件だ。それについてどうなってるのか尋ねれば、ロマノフ先生とヴィクトルさん・ラーラさんが顔を見合わせる。

 そしてラーラさんが私を見た。


「アースグリムのギルド長覚えてる?」

「はい。ベルジュラックさんを庇ってたご婦人ですね」

「うん。今度のルマーニュ王都のギルド長は彼女だそうだよ。もう早速着任してて、シラノを嵌めた連中もお縄にしたって。賠償金をきちんと用意しておくし、ギルドとして謝罪したい旨の連絡がきたよ」

「そうなんですね」

「でも謝罪はシラノが『不要』って断ってたし、賠償金はアースグリムに寄付するって。あそこの人たちが匿ってくれてたから、そのお礼に使ってほしいそうだよ」

「そうですか。彼がそう決めたなら、私はそれで構いませんよ」


 火神教団が出て来たせいで大幅に予定が狂ったけど、ベルジュラックさんの復讐もなんとか落とし前が付いた。

 彼は今回の顛末を報告するため、一度一族に帰るそうだ。必ず戻ってくると何度も言ってたけど、それはでもやりたいことがあったら二の次で良いっていってある。

 火神教団については、各国の調査団がその跡地に調査に入っている。

 今回不届きものに歴代の教主のご遺体を好きに使わせてしまった反省から、霊廟をどうするかって話になったんだけど、その話の途中に霊廟に雷が落ちて火災が起こった。その火は不思議な事に、燃え盛る様相を見せたけど霊廟以外の建物に燃え移る事はなかったそうな。

 まあ、つまり、火神の思し召しなんだろう。

 自身の名前も仲間の名前も記憶から消され、周囲は彼らを番号で呼び、何一つ彼ら自身の存在に関する記憶は渡さない。彼らから彼ら自身を消去させる、形を変えた抹消刑(ダムナティオ・メモリアエ)を受けた罪人たちは、然るべき場所に送られ然るべく罰を与えられた。

 そして冒険者ギルドは粛々と監査を受け始めている。

 ヴィクトルさんが眉間にしわを寄せて。


「菊乃井のギルドも指導が入るって、サン=ジュスト君が言ってたよ。皆働きすぎって」

「おのれ、人員不足……!」


 お金もなければ人も足りないのが菊乃井だ。

 ぐっと握りこぶしを固めて、諸々を呪っているとロマノフ先生が首を横に振った。


「それだけじゃないですね。最近ギルドがごった返してて、建物自体を変えないとかなり狭そうですよ。あれじゃ人員を増増やしたら業務を行う空間が狭くなるだけです」

「そんなに繁盛してるんですか?」

「ええ、とても」


 なんてこった、次から次に頭が痛い。

 その辺のことも何とかしなくちゃ。

 でもそう言う事を一人で考えるのは効率が悪い。

 何事も解んない事は聞く、或いは相談するのがいいだろう。

 という訳で、久しぶりに街に視察に行きがてらルイさんに現状を聞きにいくことになった。

 颯に乗ってぽくぽくと。

 轡(くつわ)は相変わらずロマノフ先生が取ってくれるんだけど、レグルスくんの乗るポニ子さんの轡はラシードさんが取ってくれている。

 イフラースさんが最初申し出てくれたんだけど、ラシードさんが「俺がいく」って押し切ったんだよね。だから彼はラシードさんの後ろで、アズィーズとガーリーをまとめて連れてる。

 宇都宮さんは今日はエリーゼとアンジェちゃんと、必要物の買い出しだ。

 うちは相変わらず出入り業者を置いてない。菊乃井の経済を盛り上がらせる一環として、商店街全てのお店をうちの御用達商人にしてるから。

 この商店街に商業ギルドも参入したいらしいんだけど「ギルドを置くことは許しても、菊乃井の商店街のお店全てに加入の強制は許さんよ?」って申し渡してから、その話は棚上げ状態になってる。

 モノの値段を談合で決められて、それを強制されるのは困るからなんだけど、痛いとこでも突いたんだろうか?

 今のところ商業ギルドに加入してなくて困った事ってないから、別に良いんだけど。

 商業ギルドに加入してる商人が菊乃井にきて商売する分には、何にも咎めないし拒んでもないんだから。


「ところで、絹毛羊の毛刈りどうすんの?」

「ああ、うん。どうしようね? アースグリムに行って星瞳梟の翁さんに都合を聞いてみた方がいいですかね?」


 何の気なしにラシードさんが絹毛羊との夏の約束の事を口にする。それはレグルスくんからも言われて気になってる事だ。

 ロマノフ先生に尋ねると「そうしましょうか」と返って来る。

 ならそうして貰おうかと言いかけて時だった。

 前方で大きな荷物を背負った男の人が、大きく目を開いてこっちを見てることに気付く。

 浅黒い肌のオジサンで、ブンブンとこっちに手を振ってかけてくる。


「坊チャン、オ久シブリネ! ナンデコンナトコイルノ!?」


 帝都のマルシェでスパイスを売ってもらってからのお付き合いな、商人のジャミルさんだ。

 手を振り返そうとすると、隣でラシードさんが手を振る。


「ジャミルのおっちゃん! おっちゃんこそ何で!?」


 ん? んん? どうことかな?

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