第222話 離縁だよ!菊乃井家(親子)解散! 二幕目

 なんだこれ。

 突然ばたりと白目を剥いて倒れた父を、唖然として見ているとふぉっふぉと宰相閣下が笑う。


「見事よの。一喝だけで卒倒させるとは」

「え? これ、私のせいですか?」

「そうとも言えるし、バーンシュタイン卿の肝っ玉が小さいせいだとも言えるの」


 どういうことなの?

 予想外の展開に先生方の方を見ると、先生方も唖然としていて。

 視線で父と先生方の間を往復していると、ロマノフ先生が肩をすくめた。


「予想外でしたね。こんなに力の差があるとは」

「あーたんの父上ってこんなに弱かったっけ?」

「計算外だね。これじゃ、弱い者いじめだ」


 えー、なんなのー!?

 ヴィクトルさんとラーラさんから出た不穏な言葉に眉を下げると、宰相閣下が首を横にゆるりと振った。


「吾が師よ、らしくもなく相手を過大評価しましたのう?」

「いや、だって……! あーたんの父上だよ、そんなに弱いはずないじゃん?」

「子が優れているからと言って、その親が優秀とは限りますまい。まして精神的な強さは、血の濃さなどに左右されたりせぬものです」

「う、まあ、そうなんだけど……」


 宰相閣下とヴィクトルさんのやり取りに、結局どうなんだろうとソワソワしていると、宰相閣下が笑う。

 曰く、父が倒れたのは私が【威圧】した結果だったらしい。

 私ってば【威圧】のスキルを生やしてたのか。

 【威圧】ってスキルは相対した敵に恐怖心や何かを植え付けるものだけど、使用者と対象者間の実力差があり過ぎると対象者が気絶してしまうとか。

 つまり私の方が父より遥かに強くて、意図せず父の意識を奪ってしまったらしい。

 おうふ、確かにそれは弱い者いじめだ。危ない危ない。

 ほっと息を吐いていると、ヴィクトルさんが悪戯っぽく笑った。


「まあ、でも、あーたんの魔力制御はかなりの精度に達してるっていうのが確認できたから、良いんじゃないの?」

「そうですね。怒りで沸騰しても、以前はブリザードを起こしていましたが、今回はきちんと制御して魔術を発動させてませんからね」

「【威圧】で卒倒させちゃったけど、それはまた別でコントロールを考えないといけないね」


 ロマノフ先生とラーラさんも加わってる辺り、私が感情制御と魔力制御をきちんと出来てるかが今回の先生方の試験だったのか。

 それで私が怒るかもしれないよう、色々と仕掛けをしていたのに、こんな処で終わっちゃった……的な?

 先生方の協力者である宰相閣下を見れば、「モノのついでだの」と頷かれた。


「本当の所を知りたいのは真のこと。その過程で怒らせることもできようからと頼まれてのう」

「ははぁ……」

「悪趣味だとは思ったが、感情の高ぶりで魔術が発動するというのは、社交界に出るならば治しておかねば卿が困ろう。大人の代わりを年端もいかぬ卿にさせるのだから、出来うる手助けは全てしてやりたいと陛下も仰せでな。それで企てに乗ることにしたのよ」

「それは……そんな所までお気遣いいただきまして、ありがとうございます」

「ここで礼を言われるか……。かえって申し訳なくなるのう」


 むむむと唸る宰相閣下は、けれどそれ以上は何も言わず、椅子から立ち上がると倒れた父に近づく。

 そうして白目を剥く父の額をコツンと指でつついた。

 ぶるりと父の身体が震え、その目に光が戻る。

 何が起こったのか理解が及ばないのか、ぼんやりと辺りを見回して、ようやく状況が解ったのか憤怒の形相になった。


「おのれぇ……!」


 がくがくと震える父の手が、腰の剣にかかる。

 宰相閣下の目付きが険しくなった。


「剣に手を掛けて何をする気だね?」


 ピシピシと部屋が冷気で満ちて、徐々に壁や調度が氷に被われていく。

 強烈な冷気は父の足元も凍らせていて、その冷たさの発生源は父が起きる間に椅子に戻った宰相閣下だった。


「よもや栄えある帝国軍人が、年端もいかぬ子供に卒倒させられた挙げ句、その腹癒せに剣を抜こうというのではなかろうな?」

「っ!? そ、その……これは、じょ、条件反射のようなもので! し、失礼いたしました!」

「ならばよろしい。菊乃井伯も驚いた事だろうが、粗忽者のすることだ。勘弁してやるがよい」

「いえ、私こそ声を荒らげるなど……。失礼致しました」


 慌てふためいて謝罪する父を尻目に、静かに深々と頭を下げれば、宰相閣下が呵々大笑される。


「齢三十を越えても感情制御がろくすっぽ出来ぬ者のいる。卿は中々に自身を律している方だと思うがのう」


 父の足元も、調度や壁の氷も瞬時に消えてなくなる。

 これは意図的な感情の発露ってやつなんだろうな。

 兎も角、父も起きたようだし、宰相閣下は私に誓紙を下さった。

 なので斯々然々とこの正月に菊乃井家を見舞った、呪いに関する話をする。

 途端に父が寒さと諸々で青くしていた顔色を、赤へと変えた。


「言い掛かりにも程があるぞ! さては本家の連中がレグルスに対してしたことを、別邸のメイド長に擦りつけるつもりだろう!?」

「なんで本家の人間が弟にそんなことするんです? 私が跡継ぎなのは小揺るぎもしないのに」

「それは……この父に可愛がられる弟が妬ましくてお前が命じたんだろう!」

「一年半も手紙を出すことも、顔を見に来ることもせず、養育費すら滞り、放置されている子どものどこに妬む要素が?」


 これはな、私も悪いんだ。

 この人がレグルスくんと屋敷に来た時、レグルスくんを見つめる目には確かに愛情があった……と思いこんだのが、そもそもの間違いだったんだよ。

 この人の愛情は、その場しのぎでしかないものだったんだから。

 真にレグルスくんを想うなら、あの屋敷がいかに針の莚でも、父は滞在し続けるべきだったんだ。

 だって彼処は間違いなく、私や屋敷の人たちがどんだけ頑張っても、レグルスくんには敵地だったんだもん。

 長く気づかなかったせいで、私はあの子に悲しい思いをさせてしまった。

 やるせない気持ちでため息を吐くと、宰相閣下が眉間にシワを刻む。


「ふむ。弟というのは今度菊乃井の籍に正式に入る子だの。たしか一年半前にメイドと二人で菊乃井家の本家に置き去りにされたと聞いておるよ」

「置き去りにしたなどと……!」


 心外だとばかりに父が声を上げた瞬間、ぎっと宰相閣下の眉がつり上がった。


「黙らっしゃい! 卿は先程、弟を妬んだ菊乃井伯が騒動を仕組んだというたな!? そんな弟に危害を加えるような兄のいる屋敷に、ようも三つの幼子をやれたものよ! その時点で卿に菊乃井伯を疑う資格などないわ!」

「……ぅ、そ、それは……」


 誰が聞いてもそうなるわな。

 私はあの子をいじめる気なんか最初から無かったけど、世間一般の見方からしたら、私がレグルスくんをいじめると思われても仕方ない。それこそ心外だけど。

 と言うか、あのぺかっとした笑顔みたら大概の人間は、レグルスくんを可愛がると思うよ。私の弟は世界一可愛いんだ!

 そんな私の萌えを感じ取ったのか、先生方が生温い目で私を見てる。

 ロマノフ先生が肩をすくめた。


「此度、レグルス君を菊乃井の養子にと言い出したのは兄である菊乃井卿ですよ。何せ父親がレグルス君の実母の周辺に嫌われ過ぎて、彼の命が危険に晒された」

「菊乃井家に正式に入って、次期当主……いや、現当主の弟として立場を強化してあげないと、いつ同じ事が起こるか、僕らも気が気じゃないからね」

「渡りに船って言い方は悪いかも知れないけれど、前伯爵夫人が病で気弱になって菊乃井卿と仲直りしたいって言ってきたから、レグルス君を菊乃井家の養子にすることを条件に和解したんだよ」


 ロマノフ先生の説明に、ヴィクトルさんとラーラさんが補足してくれた。

 頷く宰相閣下に、父は唇をギリギリと噛み締める。

 それぞれの反応を見ながら、私は口を開いた。


「事を急ぐ気はありませんでした。私が当主を継いだときに、レグルスを菊乃井の籍に迎えることは簡単ですから」


 けれど状況が変わったのは、父があまりに社交界で下手を打ってくれたせいだ。

 このままでは家名の重要性を知る母が、いつ離縁を言い出すかハラハラしていたところに、デミリッチ騒動が起こった……と、順序だてて説明すれば、宰相閣下は所々で相槌を打ってくださって。

 本当を言えば、母は離縁よりえげつないことを考えてた訳だけど、それを正直に話すつもりはないし、あちらは制裁を十分に受けている。


「……なるほどのう。弟を狙った犯人が菊乃井家別邸の者と判明したゆえ、バーンシュタイン卿と別邸のメイド長の処遇について母御と話し合うために帝都邸に赴けば、丁度母御も卿に話があった、と」

「左様です、閣下」

「証拠は!? 別宅の者がやったという証拠はあるのか!?」


 白く長い眉を八の字に垂らして、気の毒そうな顔をする宰相閣下とは対照的に、父が激する。

 誰ともなくため息を吐く音がして。

 私だってもう終わりにしたいよ、結論は出てるのになんでこんなに足掻くかね?

 致し方ないから、打ち合わせ通りに先生方に例の布を広げてもらうと、私は魔力を通して幻灯奇術を発動させた。

 布には呪具を売る商人と、別邸のメイド長・イルマの企みが全て写し出される。

 最初は唖然としていた父の顔が、イルマと商人のやり取りを目の当たりにして、やがて蒼白になった。

 宰相閣下が顎を一撫でして口を開く。


「なるほど、メイド長の本来の狙いは金の着服に、少しばかりの嫌がらせ。しかしながら、買った呪具に憑いてたものが悪すぎるのう」

「デミリッチだもんね」


 ヴィクトルさんが肩をすくめる。

 すると悪足掻きなのかなんなのか、父がぼそりと「本当にデミリッチだったのか」と呟いた。

 知ってるか?

 エルフって、地獄耳なんだぜ?

 ヴィクトルさんがピクリと耳を動かしたかと思うと、冷ややかな笑みを浮かべた。


「状況報告に言った帝都の屋敷でも同じことを言われたよ。実に失礼な。そんなだから、年端もいかない子どもに一喝されて気絶なんかするんだよ」

「……バーンシュタイン卿、無礼をお詫びせよ。この方は遥か昔デミリッチを向こうに回して、帝都の臣民の全てをお守り下された方だ」

「ぐ……ご無礼をお許しください」

「嫌だね」


 ぴしゃりと言い切るヴィクトルさんに、父の顔面が蒼白になる。

 もう、ぐだくだで話が終わらない。

 なので、手を上げると、宰相閣下が目線で「何か?」と尋ねてくださって。


「兎も角ですね、私は父と別邸のメイド長・イルマの処遇を母と相談するために、帝都の屋敷に赴いたのです」

「そして伯爵夫人が質の悪い風邪に罹って気弱になって、和解を持ちかけられた、と?」

「はい。最初は本心だとは思わなかったので、母に弟を養子にするなら考えないこともないと持ちかけたのです。矜持の高い母のことだから、絶対に飲むまいと……」


 そしたら飲んだ。

 これだけでも驚きなのに、出家して今までの行いを反省するとか言い出して、隠居とか離縁とか諸々の手続きをしたいと言い出して。

 気が触れたのかと思いつつ、ガタガタ言われるのも鬱陶しいのでとりあえず手続きやったら、なんとその日のうちに容態が悪化してしまったのだ。


「病の床で母が今までの懺悔をしたいというので、丁度桜蘭の巫女様とご縁をいただいたので、その方においでいただいたんです」


 っていうシナリオなんだよね。

 ブラダマンテさんは腐肉の呪いを受けた人を看病したことがあるそうで、丁寧にやり方をセバスチャンに教えてくれてたっけ。

 それでなんだったか……。

 孝行する理由だ。


「飲まぬと思った条件を付けた辺りでお分かりかと存じますが、正直に言えば私は別段母と和解する気も孝行する気もなかったのです」

「ほほう?」

「しかし、相手は病人。それも質の悪い風邪に罹って、本人が死ぬ前に詫びたいというものですから。受け入れなければ、世の中の人は、私が親にどんな扱いを受けていたかを差っ引いて、非難がましいことを言うでしょう。私は雑音を聞く耳など持ちませんが、私の周りにいる人が非難の対象になるのは私が嫌なので」


 そうなんだよな。

 世の中にはどんな親でも親は親、子供を愛さぬ親などいないって幻想が蔓延ってる。

 かく言う私だってレグルスくんにそれを押し付けてた所はあるんだよ。

 だって前世の両親は優しかったもん。

 だから「俺」も子供を愛さぬ親などいない幻想の持ち主だった。

 でも実際違う。

 父も母も私を嫌い抜いていた。

 オマケに世間様には、謝ったら許されるのが当たり前のような風潮もある。

 それが合わさると「どんな酷い親でも親は親なんだから、詫びたらそれまでの非道を許すべし」ってなちゃうんだよ。

 そうすると今度は「許さない」って姿勢の私が悪くなる。

 でも私だって被害者、表立って指差すのは気が引ける存在だ。

 となると、誰を非難するかって言えば私の周りにいて、私の教育に携わっているひと。

 本当のことが表に出せない以上、きちんとした形式は必要だ。その形式を整えるシナリオの中で、ちょっとでも誰かに付け入らせる隙を与えたくないし、ロッテンマイヤーさんや屋敷の人や先生たちを守りたい。これは本当のこと。


「名ばかりの親がどうなろうとも構いませんが、私の乳母で守役や先生方が悪く言われるのは嫌なので、最低限のことを渋々やっている……というのが現状です」

「なるほどのう。しかし、それにしても使用人を守るためにしては大層なことよな」

「それは……」


 少し考える。

 神様が教えて下さったなんて言ったら、面倒くさいことになりそうだ。ここは渡り人の存在を借りておこう。

 私は「菊乃井に滞在している渡り人さんから聞いたのですが」と前置きして。


「赤ん坊というのは衣食住が足りていても、抱っこされたり話しかけられたりしないと、2ヶ月ほどで弱って死んでしまう生き物なのだそうです」

「ふむ」

「私は最近まで両親の声も顔も名前も知らなかったんですよね。抱きしめられたり、話しかけられたりしないと育てない生き物なのに、私は両親を知らない。変ですよね?」


 宰相閣下が口にされてたけど、両親はこの五年で五回ほど、数週間ほどしか菊乃井にはいなかったらしい。

 それで私を育てるって無理でしょ。

 つまり両親の他に私を育てた人がいたってことだ。

 それは祖母が存命だった頃は祖母だったろうし、祖母が亡くなったあとは、彼女の遺志を継いでくれたロッテンマイヤーさんや屋敷の人たちだろう。

 それが私の家族。

 そして今はそこに先生方やレグルスくん、宇都宮さんや奏くん、沢山の人が加わった。


「私は私を育て、守ってくれる人を守りたい。そのためなら嫌いな人間にだって、最低限の事はする。単にそういうことです」


 私に名ばかりの親は必要ない。

 そう言いきると、何故か父が傷ついたような顔をした。

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