第220話 兄弟子との早すぎる邂逅

 解っちゃいたけど、皇宮は広い。

 前世だったらベルサイユ宮殿とかエカテリーナ宮殿とか、そんな宮殿を彷彿とさせる並木や彫像の飾られた噴水、整えられた庭園。

 本当ならお上りさんらしく見て回りたいところだけど、宰相府にお勤めのお役人さんに案内されて、いざ宰相執務室へ。

 お役人さんが扉をノックすれば、話は通っているらしく「お連れ致しました」だけで、特に何もなく室内に招かれた。

 中にいらしたのは長い眉毛に長いお髭、真っ白な髪を後ろで結わえた、前世で言うところの仙人みたいなお爺さんで、身につけた漢服がそれっぽさを助長している。

 そのお爺さんが髭を扱きながらふぉっふぉっと笑った。


「遠方からようこそ、菊乃井伯爵」

「お召しにより参上致しました……が、伯爵?」

「うん? ああ、隠居届と養子縁組届は昨日付けで処理しておるよ。まだ内々ではあるがね。よって卿が正式な当主だ」


 木目もピカピカなデスクに着席したままで、宰相閣下は「かけたまえ」と、革張りのソファを勧めてくれた。

 それに一礼すると先生方と一緒に掛ける。

 宰相閣下が興味深げに先生方を、白眉の下から見ていた。


「ショスタコーヴィッチ卿には、サン=ジュスト卿の件で随分骨折りいただきましたのう」

「僕は彼を匿っただけで、彼を政治家として再起させたのはあーたん……いや、菊乃井伯爵だよ」

「よう存じておりますぞ。バラス男爵の件も伯爵には尽力いただいたのう。外戚にあのような男がいては憚りがあるゆえ、除く手間が省けた。コーサラでも良く働いてくれたこと、この爺めも忘れておらぬよ」


 こくりと先生方と宰相閣下が頷く。

 すくっと椅子から立ち上がった姿勢は良くて、とてもご老人とは呼べない威厳があった。

 食えないなと、思う。

 雰囲気は本当に柔らかくおおらかで優しげなのに、真っ白で垂れた眉の奥に隠された目は鋭く私を見定めていて。

 国が富み、民が潤うことこそ私の望みへの近道だから、そのために働くのを嫌がったりはしない。

 しないけど、便利に使われたりするもんか。

 そんな気持ちを視線に込めていると、何やら肌がざわざわしてくる。

 猫じゃらしで皮膚を撫でられているような感覚をはね除けるようにイメージすると、宰相閣下が「ほっ」と声を漏らした。


「なるほど、聞きしに勝る腕前のようだの」

「……私はここに試されに来たのではないのですが?」


 ムッとしたけどそれは出来るだけ表に出さないように尋ねれば、宰相閣下はまた顎髭をしごく。

 それから腕を後ろ手に組むと、悪戯を見破られた子どものような顔をした。


「いや、すまんね。前途の有望な若者を見ると、試したくなるのは老人の悪い癖だな。失礼した」

「いえ……」


 宰相閣下の鋭かった眼光が一転、穏やかな光を宿す。

 その変わりように私は内心ため息を吐いた。

 やりにくい。

 上位の貴族って、こんな腹の底が読めないひとばっかりなんだろうか。

 もう早速疲れていると、ほんのりと宰相閣下が口の端を上げた。


「さて、遅くなったが自己紹介と参ろうか。吾は│梅溪〈うめたに〉│契沖〈けいちゅう〉だ。梅溪公爵家の当主にして帝国宰相の位を預かっている。卿のことは、吾が師であるそこな宮廷音楽家殿より聞き及んでおるよ」

「吾が師……?」


 和菓子じゃなくて吾が師。

 意味を理解するまでの僅かな間、沈黙が部屋に降る。

 ギギギと錆びたように動きの悪い首を巡らせてヴィクトルさんを見ると、本人は明後日の方向に顔を向けていた。


「同門の弟弟子が使える奴だと聞けば、試してみたいと思うのは人情よな。面白い子で何よりだ」


 唖然としている私に宰相閣下が追い打ちをかける。

 これってロートリンゲン公爵がロマノフ先生のこと怖い先生だって言ってたのと同じやつじゃないの!?

 ぐぬぐぬしている私を他所に、宰相閣下は笑いを収めて。

 私も表情を改めると、胸に手を当ててお辞儀する。


「改めまして。お初にお目にかかります、菊乃井家嫡男・鳳蝶です。お目通りが叶いましたこと、恐悦至極にございます」

「うむ。いずれそう遠くないうちに会うことになるとは思っていたが、まさか斯様に早いとは思わなんだ。苦労されておるの」


 労るような声音だったが、視線も表情もその響きに同調していたから、恐らく本心で仰ってくださっているんだろう。

 なんと答えても複雑な気分になるだけだ。

 それが解っているから、宰相閣下も私の答えを待たず、革張りの椅子へと戻る。

 帝都は菊乃井より南にあるからか、あまり雪が積もらないようで、宰相執務室の窓から見える生け垣は緑が濃い。

 宰相閣下がゆったりと飴色の机に組んだ両手の上に、豊かな髭の付いた顎を乗せた。


「此度の代替わりのことだが……」

「はい」

「卿には本心から不本意だと思うが、帝国には都合が良い」


 にっこりと好好爺の顔をして宰相閣下が告げるのに、私は小首を傾げる。

 そわりと肌に何か触れるものが、執務室の外から入ってきているように思えて、視線だけで宰相閣下を伺うと、唇だけで「そのままで」と言われた。

 外に何かいる、或いは父が来たのか。

 兎も角言われるままに続ける。


「都合が良い……ですか?」

「うむ。サン=ジュスト卿に問い合わせたのだがの。菊乃井が提出したダンジョンからのモンスター大発生に対する対策は、そもそもサン=ジュスト卿が着任する前から細々と行われていたと言う」

「確かに彼が着任する以前から、僅ながら初心者冒険者に対する取り組みは行って来ましたが……」

「こちらでも裏付けのために調査を行ったが、菊乃井伯爵夫妻が領地に戻った記録は五年のうちに僅か五回。しかもどれも数週間の滞在に満たない。これで二人が領地を治めていたなど、とても信じられん。代官にしてもサン=ジュスト卿の前の輩は横領の罪で牢獄だ。では、その細々とした取り組みは誰が行っていたか……」

「……」


 まあ、隠してないし、私が何かしてたのは菊乃井の出来る文官の人達は皆調べて知ってたってルイさんも言ってたしな。

 でも私だけの成果って訳じゃないし、そこには先生方や冒険者ギルドのマスター・ローランさんの協力があったからであって。

 私一人が何かした結果だと、言うのも言われるのも違う気がして黙っていると、くふりと宰相閣下が声だけで笑った。


「両親に成り代わって対策を講じたことを、越権と謗られる心配なら無用のことよ。領主はある程度ならば自治は認められておるし、税さえ帝国に滞りなく納めてくれれば特段罪を犯さねば口出しはせぬ。まして両親があれではの、聡明な卿が口出ししたくなるのも無理なかろう」

「お察しいただいてありがとうございます……とお礼を申し上げた方が良いのでしょうか?」

「まあ、のう。苦労をみかねてサン=ジュスト卿を紹介した甲斐があったものよと答えておこうか」

「う……その節はまことにありがとうございました。有能な代官のお陰様で領地の安全保障方面での、私のやりたいことの半分ほどは叶いました」

「半分ほどかね?」

「はい。まだ避難訓練や救助訓練など領民の安全面まで手を伸ばすには費用も時間も足りていません」

「なるほどのう……」


 これは本当のこと。

 あとは医療保険制度とか義務教育制度とかもあるんだけど、それらを支える財政基盤が心許ない。

 税収をあげるためには、もっと領民にお金が回ってくるようにしないと。

 当主の座のいざこざなんかに時間を割いてるのは、本当に勿体ないことなんだよね。

 うっかりため息を吐きそうになって、それを飲み込む。

 すると宰相閣下が「それよ」と、私を顎で指した。


「卿の前でなんだが、現行卿の両親は帝国に対して貢献しているとは言い難い。だが卿は違う。ダンジョン対策をきちんと行い、人が集まるよう取り組み、領地を潤すよう積極的に働きかけておる。領地が潤えば、卿が帝国に支払う税も増えるであろうから、それとて十分な貢献よな」

「畏れ入ります」

「つまるところ、何の貢献もせぬものに、危険はあれど旨味ある領地を任せるよりは、卿にさっさと代替わりさせて帝国に貢献してもらう方が、こちらとしては万事都合が良いのだ」


 おぉう、大人の事情をぶっちゃけすぎで私もだけど、扉の外にいる誰かさんもドン引きしている雰囲気が伝わってくる。

 それは宰相閣下にも伝わったようで、ニヤリと私に笑いかけると、ごほんっと咳払いを一つ。


「さて、聞いていたなら入ってきたまえよ。菊乃井……いやバーンシュタイン卿」


 重苦しい音を立てて開いた扉から、一年半ぶりに見る弟と似ているように見えて全く似てない顔つきの男が姿を現した。

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