第184話 喪われたモノを求めて
人は二度死ぬ。
その言葉に目を反らしていたことを突き付けられた気がして、動悸が酷い。
レグルスくんは自分のお母さんを、どこまで覚えているんだろうか。
冷や水を浴びせられたような感覚に、内心震えあがる私を他所に、ソーニャさんはそっと目を伏せた。
「レーニャのこと、私はあまり知らないの。私はお役目を拝する前で、あっちふらふらこっちふらふらしてたから、中々アリョーシュカにもレーニャにも会いにいかなかった。だからレーニャの思い出をあの子たちと少ししか共有出来なくて……」
思い出を語り合うことで悲しみを癒すどころか、このままではレーニャさんが三人の記憶以外のどこにも存在しなくなる。
今は辛うじてロッテンマイヤーさんが、三人とレーニャさんを繋ぐ糸になっているけれど、悲しいかな、ロッテンマイヤーさんも人間だ。エルフより遥かに寿命は短い。
そういうことを、小さな声で話すソーニャさんに、私はなるほどと思った。
「私達に会いに来たのは、私達だって人間だから遥かに先生達より早くいなくなってしまうから、ですか?」
「……」
ソーニャさんがきゅっと形の良い唇を噛む。
それが答えだ。
ロマノフ先生たちは私達をとても可愛がってくれている。
でも私達は人間だから、どうしてもロマノフ先生達を置いて逝ってしまう。
その時に、ソーニャさんは私達のことをきちんと知っておくことで、ロマノフ先生たちと思い出を共有して、それを癒しにしようとしているのだ。
「ごめんなさいね。貴方達はまだ小さいのに、ずっと先の話なんてして……」
「いいえ……その……なんて言えばいいのか……」
「これから、貴方達に沢山会いに来て良い? レーニャの時は、子供から一足飛びに大人になってしまった記憶しかないの。でも、本当なら子供って急に大人になったりしないわ。一日、一ヶ月、一年、十年、少しずつ大人になる筈なのに、レーニャのそんな記憶が私にはないの。だから……」
「いいよー!」
レグルスくんが軽やかに明るい声で返事するのに、一瞬唖然として、私も奏くんも顔を見合わせて頷く。
帝都にはおいそれと行けないから、会いに来てもらう分には全然構わない。
構わないけども。
私は早かったら、あと十五年後くらいには死んでしまう。
どうしたもんだろう。
先のことを考えていると、奏くんの手がぽんっと肩に触れて「な?」と言われた。
「へ?」
「あ、若さま聞いてなかったのか?」
私の生返事に、奏くんがちょっと唇を尖らせる。するとレグルスくんも唇を尖らせた。
「もー、にぃに! だいじなおはなししてたのにー!」
「ああ、ごめん。なんだっけ?」
「だから、若さまはちょっと身体弱いから、長生きするにはけんこうに気をつかわないとなって。みんな、若さまのこと心配してるんだから」
「え……?」
思いがけない言葉に、きょとんとすると、同じく奏くんもきょとんとする。
「心配してるって、なんで?」
「は? そんなん、みんな若さまが好きだからじゃん」
「へ?」
「いや、そこ、びっくりするとこじゃないし」
心底から出た驚きの声に、奏くんからも同じようなトーンで返ってくる。
ああ、そうか。
奏くんのいう「みんな」っていうのはお屋敷のひとだったり、先生達のことか。
そりゃ嫌われてるとは思わないけど。
納得していると、奏くんがなんだか微妙な顔をする。
その表情のまま、ぼりぼりと頭を掻いた。
「若さまっておれらが若さまのこと好きっていうのは、あんまり信じてないのな」
「え、いや、そんなことはないけど……?」
「けど? けど、なに?」
う、追求が今日は激しい。
ちょっと睨むように強い奏くんの視線に目を伏せる。
だって。
前世の親は『俺』がどんなに反抗期でも、変わらず愛情を注いでくれた。そんな記憶が、思い出が沢山ある。
だけどそれは私が与えられた愛情じゃない。
私を作った人たちが私にくれたのは明確な敵意と嫌悪だ。
実の親でさえ好きになれない、愛せない生き物を、誰がどう愛せるんだろう。
私には解らない。
解らないものは信じられない。
信じられないものを信じようとすれば不安になる。
不安になって疑うくらいなら、最初からそんなことあり得ないって思ってる方が楽でいい。
信じて期待して、やっぱり違ったら傷つくのは自分なんだから。
とんだ臆病者だ、嗤うしかない。
でもそれを説明したら、もっと嫌われるような気がして、それは嫌で口に出せなくて。
押し黙っていると、小さな手が私の眉間に触れた。
ソーニャさんの柔らかな声が降る。
「かなちゃん、少しだけ待ってあげて?」
「え?」
「あっちゃんは今、心の中のすり減ってしまった部分を、作り直している最中なの」
「心の中のすり減ってしまった部分?」
「誰かの『好き』を受け止めるのには、そのすり減ってしまった部分が必要だから……。それが元に戻るまで待ってあげて?」
ソーニャさんの穏やかな言葉におずおずと顔をあげると、奏くんと目が合う。少しの間見つめ合うような状況になったかと思うと、にかっと奏くんが笑った。
「わかった! まってる!」
奏くんは鼻の下を指で擦って、それからゴクゴクとレモン水を飲み干す。
競うようにレグルスくんも私の眉間のシワを伸ばしてから、レモン水を飲む。
「ありがとう」
小さく呟くと、二人は笑ったまま席を立って舞台の方に行ってしまった。
残ったのは、私とソーニャさんの二人。
「私は……あっちゃんにもれーちゃんにもかなちゃんにも、出来るだけ長生きして欲しいわ。息子達のためにも、私のためにも……」
「はい」
そう返すのが、今の私には精一杯だった。
開演前の劇場には、尚も歌声が響く。
一曲終わったようで、レグルスくんと奏くんの拍手を受けた六人がゆっくりとお辞儀した。
ラ・ピュセルの五人は腰を屈め、シエルさんは男性がするように胸に手を当てて。
それが終わると、また違う曲が流れてきたけど、それには聞き覚えがあった。
年の瀬によく聞く、去年の大晦日に私が氷輪様のお力を借りて歌ったあの──
舞台ではブンブンとユウリさんが手を振る。
それに促されてソーニャさんと近付けば、ラ・ピュセルとシエルさんが歌い出した。
「歓喜の歌……」
「そ。年の瀬って言ったらこれだからな。五人に聞いたら、去年の大晦日にオーナーが歌ったの聴いたっていうからさ」
頷く。
ユウリさんも「懐かしい」と、口の端を仄かにあげた。
そして私達を見ると、視線だけで「誰?」と問う。
奏くんは私達兄弟と、ヴィクトルさんやラーラさんに連れられてラ・ピュセルのコンサートに何度か来ていて、ユウリさんやエリックさんと会ってるから知ってる。
この場で「初めまして」は、ソーニャさんだ。
ユウリさんにソーニャさんを「ロマノフ先生のお母さん」と紹介すると、彼の目力溢れる目が点になった。
「は? じゃあ、ヴィクトルさんより歳上?」
「ヴィクトルさんはソーニャさんからしたら甥っ子さんですし」
「うわぁ……あの人の事も大概、若年寄って自分で言うのは詐欺だと思ってたけど、これはまた……」
驚愕するのは私も解るし、奏くんも頷いている。
ソーニャさんは興味津々でユウリさんを見てたから、正直に渡り人だと伝えると、ユウリさんの方で「演劇以外なんにも出来ない」と付け加えた。
「演劇の専門家なのね?」
「それ以外のことは本当にからっきしですよ。ああ、でも、家事は出来るかな」
「そうなの」
なんでだろう?
二人とも顔は笑ってるけど、その下ではジリジリとした応酬がある気がしてならない。
でもそこは突っ込んじゃダメな予感がする。同じことを感じたのか、奏くんが二人から一歩静かに下がった。
私も静かにラ・ピュセルとシエルさんの歌に集中する。
歌はいい。
歌は心を潤し……と思った所に、劇場の扉が開きウェルカムベルがカランカラン鳴った。
振り替えると、人影が四つ。
「戻りました」
決して大きくはないけれど、よく通る声が歌に紛れて聞こえた。
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