第125話 知りがたきこと陰の如く

 古来、君主の怒りというものは、焔や雷に例えられる。

 それはその君主が怒ると魔術で焔や雷が起こった訳でなく、背後に焔が燃え盛ったり雷が落ちてる幻が見えるくらいのお怒りぶりを例えて言ってるだけのこと。


 「……の筈なんですが、君は物理的にもブリザードが起こるんですね。以前から兆候はありましたが、私たちの予想以上の早さで魔素神経の発達や強化が起こっているようだ」

 「うー、コントロールには自信があったんですけど……」

 「そのコントロール精度をもってしても、押さえられない感情の触れ幅があったということでしょう」


 静かにソーサーに紅茶のカップが戻る。

 ロマノフ先生はサンドイッチの時は紅茶を飲むのを基本にしていて、それはお弁当でも変えたくない派だそうな。

 緑の繁る中庭で、持ってきた敷物にお弁当を並べているのを見ると、ピクニックに来た見たいな気分になるけど、実はまだ砦。


 「怒って物を凍らせるとか、物凄くヒステリックで恥ずかしいんですが……」

 「そうでもないと思いますよ。寧ろ私はよい傾向にあるとさえ考えてます」


 なんでやねん。

 明らかに感情駄々漏れで良くないじゃん。

 思わず眉を潜めると、出来た眉間のシワを目ざとく見つけたレグルスくんに伸ばされる。

 因みに、今日のレグルスくんのお弁当は、丸く成形したバターライスに、とろとろのオムレツを重ねて、煮詰めたトマトソースでお絵かきしてひよこに見えるようにしたキャラ弁で、ほくほくしながら食べていた。

 それをちょっと羨ましそうにしてたヴィクトルさんは、今頃物資調達でこき使われてる気がする。

 話が逸れた。

 「何故?」と込めた視線に、ロマノフ先生が頷く。


 「怒るというのは非常に熱量を消費します。まあ、疲れるんですよ。そのくらい体力やら気力を使うんだから、生きるのが大変だと怒りに回す熱量なんかなくなってしまう。去年の君は怒りに回す余分どころか、生きていくのに必要な分の熱量すら危うかったから厄介な持病に罹ってしまった。でも最近は怒りに回す分も、それに伴って魔術が無意識に発動してしまうくらいの量が確保されてる訳ですから。悪いことばかりではない、かな」

 「そう、ですかね……。去年に比べて短気になったとか……」

 「いや、君は火が付くと凄まじいけれど、火が付くまでの猶予期間は恐ろしく長いですよ。今回のも積り積もっていたものが小爆発しているだけのようですし」


 小爆発でブリザードって、やっぱりヤバいんじゃん。

 気を引き締めなきゃ。

 モソモソとサンドイッチを食べていると、下からひょいっとオムライスの乗ったスプーンが差し出される。


 「にぃに、あーん!」

 「え? レグルスくんが食べようよ」

 「おいしいよ?」

 「うん、だからレグルスくんが食べ……」

 「あーん!」


 ぐっと押し付けられるスプーンの圧に負けて、食べるとそりゃあもう美味しくて。

 ふわっと幸せな気分になったところで、ぬっと影がさす。

 トパーズの眼に、燃えるような赤い髪。鍛え上げられた直刃すぐはの刀を思わせるような、しなやかな体躯。

 改めて見れば隊長は結構男前。

 なんだよ、菊乃井。

 領主一族以外、顔面偏差値高めかよ。


 「どうしました?」

 「お邪魔しても?」


 異存はないので頷くと、廊下に敷かれた敷物の上に、隊長はどかりと座る。

 お茶を出すように言うと、エリーゼが背筋正しく、紅茶をカップに注いで隊長へと差し出した。

 ぎこちなく礼を言って、隊長は紅茶を口に含む。それから口を開いたり閉じたり、何度か迷って話をし出す。


 「御曹子は……先ほど、自分やこの砦の兵に対して、内心第一級戦闘配備くらいの警戒をしておられたと仰いましたね」

 「はい。私は父の悪い面しか知らないので、その父の腹心であるならそれ相応のひとなんだろうと……。まあ、決めつけていたと言いますか。自分が悪いことをしてないんだから、あっちが悪いって極端に走ってたと言うか」

 「しかし、それにしてはこの砦の現状に、随分お怒りになっていらした」

 「そりゃそうですよ。貴方が父の腹心であることと、この砦が不当に冷遇されているのを見過ごすのは関係がない」


 これが逆で、この砦だけが異様に金回りも良くて……とか言うなら、また話は違うんだけど。

 事実は腹心であるひとすら、父は冷遇する愚か者だったと言う。


 「なるほど、御曹子は君主でいらっしゃる」


 冷めたトパーズの眼に、僅かに嘲りが浮かんだことに、ロマノフ先生が眉を寄せ、エストレージャがざわめく。

 かちゃりとレグルスくんがスプーンを皿においた。


 「にぃにはぷんぷんしないよぉ?」

 「そうですね。わざと怒らせようとするのはお止めなさい。真意が知りたいと言うなら、きちんと説明しますから」

 「…………っ!」


 じっと睨み合う。

 周囲すべてが、私と隊長のにらみ合いを、固唾を飲んで見守るなか、先に目を逸らしたのは隊長のほうで。

 まあ、私だけじゃなくレグルスくんに「なんで? どうして?」なんて顔で見られたら、折れざるを得まい。ひよこちゃんの魅力を思い知るがよいわ。


 「……では、お聞かせ願えますまいか」

 「簡単な話です。私のやりたいことは領民がそれなりに豊かで、学問も芸術も楽しめる状況下にないとやれないってだけのこと。そしてこの砦の兵士も私の領民だ。勿論貴方もですよ」

 「領民が豊かでないとやれないこと……」

 「そう。だから経済を活性化して、領地を潤し、強い兵を養い、領民に学問を奨励して、安心安全安楽な生活を送ってもらうんです。豊かさと平和と言う土壌がなければ育たないものを、私は育てたい。そして菊乃井に住まうものは全て私の領民。兵士も隊長も商人も農民も、老いも若きも男も女も、全て」


 でも豊かさや平和だけでは、実際足りてないんだよね。だけど先ずは平和と豊かさ。

 その二つを充足させてこそ、次のステップに進める。

 そして平和には、この砦の隊長や兵士がいないと、話にならないわけで。

 サンドイッチの最後の一口を口に収めると、少し温くなった紅茶を一気に呷る。

 それからパンパンと手を払うと、丁度レグルスくんも食べ終わったようで、宇都宮さんに顔と手を拭かれていた。


 「さて、隊長。兵士全員揃いましたか?」

 「非番で街に繰り出したもの以外は」

 「結構。非番でいないひとは防具だけを誰かに持って来て貰えば良いかな」


 立ち上がると、同じく食事を終えた先生たちも立ち上がり、案内してくれる隊長の後に従う。


 「坊ってさ、本当に六歳なのか?」

 「らしい、ですよ。私、去年からの記憶しかはっきりしてないので」

 「ああ……ロッテンマイヤーさんだったか、あの引っ詰め髪の姐さんから聞いたけども」


 何故か声を潜めて尋ねるジャヤンタさんに頷く。

 するとその声が聞こえたのか、首だけで隊長が振り向いた。


 「御曹子が六歳なのは自分も保証が出来ます。御曹子は赤子の時に、先代の伯爵夫人・希世様に連れられてここに来られてますから」

 「そうなんですか!?」


 どういうことだ。

 首を捻っていると、それがおかしかったのかクッと隊長が笑みを噛み殺す。

 悪い笑いではないようだったけど、すぐに元の仏頂面に戻った。


 「貴方は父が連れて帰ってきたと……」

 「左様です。菊乃井から帝都へ行き、そこで騎士になることが出来ましたが……まあ、体のいい首切りですな」

 「んん? 父の腹心だったのでしょう?」

 「上っ面だけで唯々諾々と命令に従うのが腹心であるならば、そうでしょう。もっとも、伯爵は美辞麗句を並べられればあっさりと心を開かれる方のようですが」

 「あなたが美辞麗句を並べたんですか?」

 「まさか。自分の首を切りたかった輩ですよ。そいつから私が伯爵を慕っていると並べられて、その気になったようですな」


 なんとまあ、周りの人間に恵まれないひとだ。

 本当に軍人として有能なんだろうか。

 私の表情から思っていたことを察したのか、仏頂面のまま隊長は言葉を紡ぐ。


 「個人的な武勇は勿論、小隊を率いた戦績はかなりのものです」

 「……私はまだ軍事に触れたことはありませんが、伯爵家の婿養子とはいえ一応当主が、小隊の運用しかさせてもらえない程度の能力、という解釈でよろしいか?」

 「自分にはなんとも」


 兵の運用には個人的な武勇よりも、必要とされる能力が多々ある。

 現状を正しく把握し、人の三手先、四手先まで読めなければ、将官としては大成しないとも言う。

 翻って菊乃井を一年放置する人に、そんなものを期待するのが悪いか。

 しかし、それでも軍事については父の方が一日の長がある。

 その経験と知識を十二分に振るわせないようにするのが私の戦いかただ。同じ土俵には上がらないし、上がってやらない。

 「こちらです」と通されたのは、どうも食堂らしく、草臥れた木の長机がいくつも並んでいて、その上にどっかりと兵士の装備が並んでいた。

 それにしても兵士の人数が少ない。

 二千人規模の砦なのに、非番のひとがぬけてるとしても、今いるのは五十人に満たないんじゃなかろうか。

 がらんとした食堂なのに、兵士の不平不満が満ち満ちていて。

 赤ら顔をした、鬼瓦のような顔と巌のような身体の兵士が叫ぶ。


 「俺ァ、隊長がなんつっても、菊乃井のお貴族サマなんぞに頭ァ下げねェかんなァッ!」

 「そうだ! そうだ!」


 追従した他の兵士の声と合わせ、ぶんッと風を切る音がして、此方に金属の兜が飛んでくるのが見えた。

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