第105話 石橋も叩きすぎたら壊れる
「……なんか、ごめんね?」
「いやー……そのー……大丈夫です……はい」
茜差す、西日も眩しい闘技場の玄関で、私はロミオさん・ティボルトさん・マキューシオさんに頭を下げた。
結論を言うとエストレージャは勝った。
勝ったんだけど、その……勝ち方がちょっと。
「若さまやっちゃったな……」
「う、うん。反省はしてます、本当にごめんなさい」
「れーもごめんするから、にぃにをおこらないで?」
「や、本当に大丈夫です……はい……えっと次もありますし!」
ロミオさんたちは恐縮しきりだけど、レグルスくんも私の真似をしてぺこりと頭を下げる。
奏くんも何だかんだ一緒に謝ってくれたんだけど、本当に何か申し訳ない。
ロマノフ先生なんか、笑いが噛み殺せてないし。
「いやぁ、まさかあんな結末になるとはねぇ!」
「試合開始後数秒で決着とか、あれは歴史に残るよ」
歴史に残る。
ラーラさんのその言葉に私も三人も思わず遠い目になるんだけど。
試合開始を報せる銅鑼の音が、コロッセオの空気を震わせ、奴等が一歩脚をエストレージャに向かって踏み出したその刹那─────
「いきなり足元に黒いもやが出てきて、それに巻かれてふらついて、勝手にマキューシオ兄ちゃんのムチに足引っかけて、よけようとしたロミオ兄ちゃんのたてで頭打って、ティボルト兄ちゃんのヤリにズボンが引っかかってやぶれるし、転んだひょうしに当たりどころが悪くって、お尻まる出しで気ぜつとか、呪いってえげつないな!」
「……うん、呪われるように仕込んだのはこっちだったけど、あれはえげつなかったね」
いや、本当に。
闘うどころか、勝手に自滅した奴等に男爵も悲鳴をあげていたけど、「月桂樹の葉は飲み込むなと伝えておいたのに!」とか叫ぶから、観客からはブーイングの嵐を食らってた。
もうきっと明日には帝都はおろか、貴族社会に男爵の醜態が拡がるだろう。
身代は兎も角、面子も丸潰れだ。
社交界ってのは恐ろしいもので、これでバラス男爵はもう当分は浮かび上がっては来られない。
反対に菊乃井の株は上がる……といいな。上がらなくても「菊乃井に喧嘩を売るな」的なナニかが広まってくれたら御の字だ。
ともあれ、エストレージャと奴等の戦いは終わって、次は私の戦い。
そっと目配せすると、ラーラさんがレグルスくんを抱き上げて、奏くんと手をつないだ。
「にぃに?」
「若さま?」
「先に帰っていてください。私にはやることがありますから」
告げると、レグルスくんも奏くんも、静かに頷く。
するとラーラさんが何事か呟き、その姿が光に包まれて消えた。
ここでエストレージャとも暫しのお別れ。
泊まっている宿屋に帰る背中を見送ると、私はロマノフ先生と共に再びコロッセオのエストレージャの控え室だった部屋に入る。
そこにはルイさんが待っていた。
「お待ちしておりました、我が君」
「お疲れ様でした、ルイさん。あの後、男爵には何か言われましたか?」
「
「こうなることを予期して、貴方にはあえて教えませんでしたからね。貴方には同情的だったのでは?」
「はい。伯爵から私に叱責があるのでは……と言っていましたが、私に同情することで伯爵に取りなして貰いたかったようです。しかしこれでは敵意の行き先が私から我が君に向かってしまいます」
「それで良いのです。私が蒔いた憎悪の種ですから、私が刈り取ります」
僅かにルイさんの眉間にシワが寄る。少しばかり不穏な気配が空気を澱ませた。
それに首を振る。
「貴方を信用しないのではないのです。私は屋敷の奥にいれば安全ですが、貴方まで守れるほどの力がまだ私にはない。貴方にはもっと働いて貰わねばなりません。その貴方をこんなくだらない事で恨みを買わせて、危険に晒したくはない」
「承知致しました。ですが、私がいても我が君が居られねば策はならぬのです、お忘れなきよう」
「ありがとう、肝に銘じておきます」
頷くと、ルイさんが仄かに微笑む。
短い付き合いではあるけど、この人が冷たい人でないのは知っている。表情も変わらないように見えて、実は結構豊かだ。
その人がふっと表情を改めると、私に向かって箱を差し出す。
首を傾げると「ロッテンマイヤー女史からです」と言われた。
受け取って中を確かめると、青が美しい蝶の羽を模した様な形のケープと、黒地に鮮やかな青の刺繍が入った先生たちの肋骨服に似たコートとウエストコート、それから半ズボンが。
驚いていると、控え室の中が光ってラーラさんが表れた。
「間に合ったね、まんまるちゃん。さて、やるよ」
「あ、はい」
とりあえず服を着替えてしまうと、ラーラさんに去年から切らずに放置して長くなった髪を弄くられる。
右側だけを長いまま下ろし、左は全て編み込んでしまうと、目元に僅かに魔除けの化粧を施された。
「まんまるちゃんは眼に力があるからね、思いっきり睨み付けてあげるといいよ」
「鳳蝶君は痩せてから目力が強くなりましたもんね」
「はぁ、そうですか……」
その辺はよく解らないけど、武器として使えるなそれでいい。
私はこれから、ロマノフ先生を護衛にして、バラス男爵の縁戚である公爵・ロートリンゲン家の帝都屋敷へ乗り込む。
そこで今回の賭けのけりを着けるのだ。
あらかじめヴィクトルさんが手配をしておいてくれたそうで、菊乃井の家紋の入った馬車が私とロマノフ先生の前に止まる。
この服にしろ馬車にしろ、勝負の先行きを予想したロッテンマイヤーさんが密かに先生方に頼んでおいてくれたのだ。
「これから先は、こういうことを自分で予期して準備しておかなくてはいけないんですよね」
「その責任は発生するでしょうが、適したところに適した人材を当てはめて働かせるのも君の役目になります。人を頼り、上手く使うこと・使われることを考えていきましょう。なに、君は独りじゃありません」
「はい」
石畳を走る馬車の振動が止まったのは、それから漸くしてからだった。
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