第66話 何処の芝生も同じ色

 麒凰帝国の皇位は基本的に皇妃の長子相続。

 皇帝は側室を持つことも許されてはいるが、側室の子供は庶子扱いで、皇位継承権はない。

 皇妃の同腹の弟であるなら、皇位継承権を持ちはするが、基本は兄が継ぐものだから、余程のことがない限り兄弟仲良く育てられる。

 が、今の麒凰帝国の皇子兄弟はちょっと事情が違う。

 兄も弟も皇妃の子供。しかし同腹ではない。

 それは何故かと言うと、第一皇子の生母だった皇妃ソフィーナ様は、産後の肥立ちが悪く身罷みまかってしまわれたのだけれど、遺言として当時陛下の側室だった妹を皇妃に格上げするよう願ったのだそうな。

 つまり、皇妃と側室は姉妹で、姉は後事を誰より気心の知れた妹に託したのだ。

 そして喪が明けて皇妃に立后されたのが、現皇妃のエリザベート様。第二皇子はエリザベート様が立后された後に出来たお子だったため、皇位継承権が発生するのだ。


 「なんてややこしい……!」

 「あー……ただねぇ、妃殿下は基本的に第一皇子を立てておられるし、第二皇子には兄君をもり立てるよう教育なさってるんだよ。だけどこういうのって、周りの思惑も絡んでくるだろ?」

 「当事者は仲良くしたいのに、外野が騒ぐなんてことは、何処にでもあることですがね。しかし、火消しが上手くいかないのも問題です」

 「第二皇子は兄と対抗しないと表明しているのに火消しが上手くいかないとなると……兄側に何か?」

 「素行が余りよろしくないのですよ」


 「ああ」とため息混じりに頷く。

 ようは出来の悪い兄が廃されて、弟が立太子すれば都合が良い人がいるわけだ。声が大きくて、それなりに罰しにくい地位と権力の持ち主の。

 どこの世界にも子供を食い物にする大人はいるもんだ。

 嫌悪感丸出しで顔をしかめていると、ロマノフ先生に頬をふにふにと揉まれる。その顔には苦い笑みが浮かんでいた。


 「でね、今日は第二皇子主催のお茶会があったんですが、何をどういう不手際をしたらそうなるのか、第一皇子主催のお茶会と重なってしまったのですよ」

 「うわぁ……」


 第一皇子からの茶会の招きがあったなら、例え同日に第二皇子から茶会の招きがあったとしても、皇位継承順を考えたなら、第一皇子を優先するものだろう。しかし、ここで第二皇子の茶会を選ぶものがちらほら大貴族にも出てきたそうで。

 お茶会は旗色をはっきりさせる踏み絵の役割を果たしたそうだ。

 そんなとこに妃殿下への謁見が目的とは言え、ノコノコ出掛けていたら菊乃井は第二皇子派と目されたことだろう。

 それはちょっとマズい。

 だから風邪を引いたのはタイミングとしては良かったのかも。


 「それにこれは二人の皇子は知らないことだけど、それぞれの派閥の末端の下級貴族同士がいざこざを起こしたんだよね。偶々僕とアリョーシャが通りかかって話を聞いたんだけど、こっそり陛下に報告しちゃった」


 しれっと「陛下」とかヴィクトルさんの口から出てきたけど、陛下って。


 「陛下って……皇帝陛下ですか!?」

 「うん。妃殿下に拝謁しにいったら陛下もいらしたんだ」

 「まさかいらっしゃるとは思ってなかったんですが、妃殿下の欲しがっていらしたアクセサリーがどんなものかお知りになりたかったんだそうです」


 なるほど。陛下は本当に妃殿下を大事にされていらっしゃるんだろう。

 だけど、妃殿下がつまみ細工を欲しがったのは立法のためじゃなかったっけ?

 そう尋ねると、ロマノフ先生が口を開く。


 「それがね、立法の材料にしたかったのもあるそうですが、本当に個人的に欲しかったんだそうですよ」

 「マリア嬢が付けてるのを見て素敵だと思ってたんだけど、マリア嬢が誰に貰ったのか中々教えてくれなくて……って。マリア嬢はマリア嬢で、僕たちがあーたんの情報を結構隠してたから『やんごとないお方』から名前を売るのを止められてるって判断して、目茶苦茶濁してたらしいよ」


 因みにマリア嬢も第二皇子のお茶会にいて、拝謁した後に会いに行ったら、それはもうげっそりした顔で「どこまで話して良いか分からなかったから、必死で濁しておりました」と言われたそうだ。

 さて、妃殿下にはことのほか「シシィの星花」をお気に召して頂いたとか。

 一緒に添えたつまみ細工の作り方の手順書は、陛下のお手に渡り、法律が施行された際にはそのマニュアルも一緒に公開される手筈になっている。


 「後ね、妃殿下が『カレー粉』も法律の対象にするからって。詳しくはこれ」

 「はぁ……」


 そう言って、封筒を渡された。上質の紙で出来たそれには、便箋が二枚。差出人は名前ではなく「次男坊」とある。

 豪快なペン使いで、協力へのお礼がこちらの言葉で一枚目に、それから「カレー粉」のお礼が日本語で二枚に書かれていた。

 「二度と食べられないと思っていたけど、もう一度食べられるなんて夢のようだ」と言う文章の終わり、インクが滲んでいるように見える。

 それから「カレーをいつでも食べられるように、カレー粉を売って欲しい」とも。

 これはイゴール様からこっちが会社をやると聞いたから、取引だと思って構わないそうだ。

 手紙を折り畳んでベッドサイドの引出しにしまうと、ふぅっと長くため息をつく。

 次男坊さんは日本人だった。

 そして、おそらく私と違って彼はこの世界に馴染めていない。

 でなければ、前世のクオリティには至らないカレー粉で作ったカレーで涙を流したりはしないだろう。

 独り、誰も知るひとのない世界に放り出された孤独を抱えているのなら、それを分かつことは出来ないだろうか。

 いつか、直接会えればいい。

 その時まで出来ることをしよう。

 それには、壁がある。


 「カレー粉、売って欲しいって言われても、どこの誰かも解んないんですが……?」


 首を傾げると、ヴィクトルさんが手を打つ。


 「あ、それなら妃殿下に納品したら良いって」

 「ふぁ!? 何でですか!?」

 「妃殿下も陛下も、カレーがお気に召したそうですよ」

 「次男坊さん、陛下と妃殿下にカレー食べさせたの!?」


 何してくれてるんだ、次男坊さん。

 前言撤回。次男坊さん、この世界にめっちゃ馴染んでるやん。ビックリするわ。

 とりあえず、カレー粉を販売する件に関しては、価格とか含めてちょっと検討するとして。

 ロマノフ先生とヴィクトルさんを労うのと、おやつの時間合わせて、アフタヌーンティーの準備を宇都宮さんが運んでくる。

 サーブされた紅茶の香りを楽しんでいると、一息ついたヴィクトルさんが、じっとラーラさんを、正確に言うとその首についたネックウォーマーに固定されていて。


 「なんだい、ヴィーチャ。ボクになにか?」

 「あー……ラーラって言うか、その首のやつ」

 「ネックウォーマーだよ。出来上がったから着けてみてる」

 「うん、それは解ってるんだけどね。相変わらず【氷結無効】とか【保温】とか。で、あーたん」

 「はい」

 「【幻灯奇術ファンタスマゴリア】ってどんな効果なの」

 「幻灯奇術……?」


 なんじゃそりゃ。

 首を捻ると、ヴィクトルさんがラーラさんに手を差し出す。するとラーラさんは首からネックウォーマーを外して、出されたヴィクトルさんの手に乗せた。

 受け取ったヴィクトルさんは、しげしげとネックウォーマーを眺めた後で「ああ」と呟く。

 そしてネックウォーマーに何やら呟くと、真っ白いシルクのような毛糸をスクリーンにして、キラキラと美しい様々な花の映像が浮かび上がった。

 それからスライドショーのように、次々と花の映像が変わっていく。

 つまり幻灯奇術って言うのは「幻灯機」のことか。


 「また変わった魔術を作りましたねー……」


 ふへっと笑ったロマノフ先生の目が、何か死んだ魚っぽくて、思わず私は明後日に視線を飛ばしてしまった。

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