第52話 友あり、塩を贈られる?
「拝啓、菊乃井鳳蝶様」と流麗な文字の書き出しから始まったその手紙は、時候の挨拶を経て、あれからのマリアさんのことを教えてくれた。
あの後もやはり、嫌がらせ的なことはあるけれど元気にしていること、私が差し上げた髪飾りが社交の場に出ると話題になること、他にも色々。
「『あの頂いた
「うん、それは僕見てた。っていうか、魔術でもう一度凍らせてあげたの僕だし。きゃっきゃしながら食べてた辺り、マリア嬢も年頃の普通の女の子だったよ」
「ヴィーチャ、それは違うよ。マリーは特に可愛い年頃の女の子だ。訂正してくれたまえ」
「……でたよ、師匠バカ」
呆れたように肩を竦めるヴィクトルさんに、ふんっとツンツンするラーラさん。雰囲気は柔らかいから仲は悪くないなんだろうけど、それよりも気になる言葉が出た。
ラーラさんを見ると「それは後から」と、片手を上げられて、私は手紙の続きを読む。
すると、ヴィクトルさんから色々と私の事を聞こうとしたけれど、元気にしてるくらいしか教えて貰えない、とあった。
だから余計なことかもしれないが、自分のお世話になった先生を紹介したい。その名は───
「『イラリオーン・ルビンスキー。イラリヤ・ルビンスカヤと名乗ることも、ごく稀にあるそうです』……って、ラーラさんはマリアさんの先生だったんですか?」
「そう、マリーはボクの可愛い生徒の一人だよ」
まあまあ、凄いご縁だこと。
しかし、ラーラさんはマリアさんの何の先生だったんだろう。
家庭教師ならロマノフ先生がいてくださる、音楽の先生はヴィクトルさん、じゃあ私にマリアさんが紹介したい先生とは?
しぱしぱと瞬きをしていると、にゅっと伸びてきたラーラさんの指が、いきなり頬っぺたをもちりだす。
「ああ、懐かしいな。このもちもち具合。マリーも昔こんなもちもちぶりだったよ」
「まりあひゃんも?」
「そう。キミと同じくらいのまんまるちゃんでね。それはそれでふくふくしくて可愛かったのだけれど、健康には余り良くないだろう?」
「そーれすにぇ」
「うん、だからボクの出番」
なんのこっちゃ。
そう思ってると、横にお利口に座ってたレグルスくんが、急に立ち上がってラーラさんと反対側の頬っぺたに自分の頬っぺたを押し付けて、すりすりもちもちしてきた。
「れーもする! もちもちするぅ!」
「ひょ!? しょんなもひもひしゃれひゃら、のびひゃう! のびひゃう!」
なんなんだよ、美形はもちもち好きか。好きすぎるやろ。
揉みくちゃにされていると、ロッテンマイヤーさんが慌てて止めに入ってくれて。
「それ以上はお止めくださいませ! 若様の頬っぺたが削れてしまいます!」
「そうですよ、ラーラ。鳳蝶君のチャームポイントを削らないでください」
「失礼だな、この美の伝道師に向かって。こんな見事なもちもちを削ったりしないさ。例え痩せても、この肌のもちもち具合は死守してみせる」
まあ、何か突っ込みどころの多い会話ですよ。
とりあえず、一番の突っ込みどころに突撃しましょうか。
もちもちしていたラーラさんの指が離れると、レグルスくんをくっつけたままで。
「あの、美の伝道師って言うのは?」
「そのままさ。ボクは誰かが美しくなる手伝いをして、『美しい』と言うことがどういうことなのか、知って貰うことを生業としているんだ」
「えーっと、つまり?」
「かなりふくよかなひとを、そこそこにふくよかにしたり、或は物凄く華奢なひとを柔らかく豊かに。その人に合った、美しくて伸びやかにしなやかな体格・立ち居振る舞い、社交界で必要な舞踊や仕草などなどを教える、言わばお作法の先生だね」
「あら、まあ……」
ダイエットの先生が来ちゃったよ。
微妙な心情が表情に出たのだろう、ニヤリと悪戯にラーラさんが口の端を引き上げた。
「『やだー』ってお顔だね?」
「やだっていうか……、なんでマリアさんが?」
「ああ、そっちか……。簡単な話だよ。マリーも昔はキミと同じ、まんまるちゃんだったって言ったよね」
「ああ、はい。そうですね……」
「その頃のマリーはいじめられっ子で、いつも泣いてたんだけど、一つだけ特技があってさ。歌が異様に上手だったんだけど、『わたくしは太っていて醜いから』って、人前に出て歌うなんて、とてもじゃないけど出来る子じゃなかった。だからちょっとボクが手を貸して、ね」
ダイエットして、貴婦人として魅力的に見える立ち居振る舞い、ドレスの選び方や着こなし、それから教養ある話し方、徹底的に美しくなる方法を伝授したそうだ。
そして自らマリアさんは、『美しいと思える自分』を手に入れたそうで。
「だけど、あの子、自信に溢れるどころか、初対面の時は鼻持ちならない自信家だったけど?」
「ああ、それは……。あの子、誉められ慣れてないから、過剰な誉め言葉を浴びてしまって感覚が麻痺しちゃったんだろうね。人を誉める目的は、称えるだけでなく、根腐れを起こさせるためだってこともある。それを教える前に、お父上が社交界にデビューさせてしまってね。お陰で五年くらい会えてないよ」
ヴィクトルさんのちょっと嫌みっぽい言葉にも、ラーラさんは肩を竦めるだけ。
誉められ慣れてないからって辺りで、ちらっとロマノフ先生の視線を感じたけど、気のせい気のせい。
「余り良くない噂───鼻持ちならない女の子になってるって耳にしたから、近々マリーには会いに行くつもりだったけど、それより先に彼女から手紙が来たんだ。『どうか先生、わたくしの命を救ってくださった小さなお友だちに、恩を返させて欲しいのです』ってね」
「ふぇぇ……」
そんな大袈裟な。
マリアさんがお困りで、それを解消するものを持っていたから渡した。
字面にすればそれくらいのことなのに。
私の考えを見越したのか、ジト目のロマノフ先生が咳払いをする。
「まぐれで万能薬を持ってるお子さんはいませんからね。それは割りと危ないことでもあるんだから、肝に銘じて下さい。君はマリアさんに一生感謝されてもおかしくないことをしたんです」
「そうだよ。マリーは歌えない自分なんて自分だとは認めない。そうなったら、あの子は最悪自害していた可能性だってある。それにあの日は第二皇子肝煎りの御披露目だったんだ。事情はどうあれ皇子の顔に泥を塗ったと、死を賜ったかもしれない。それをキミは全て覆した。感謝してもしきれるものじゃない」
「あーたんもさ、弟くん……れーたんがそんな目にあって、助けてくれた人がいたら、おんなじように感謝してもしきれないって思うんじゃないの?」
「そりゃそうですよ!」
ってことは、これはマリアさんのご好意を受け取らなきゃ、それはそれで気に病ませちゃうやつか。
うーん、まあ、姫君からも痩せろって言われてるしなぁ。
ロッテンマイヤーさんとも、健康には気を付けるって約束もしたし、何より私も痩せる目標はあるんだよ。
最近、散歩だけじゃお肉減らなくなってきたし。
唸っていると、ロッテンマイヤーさんが後ろから出てきてそっと手を握る。
「若様、僭越ながら……、私と健康には気を付けるとお約束下さいましたね」
「はい、勿論忘れてません」
「少しくらいふくよかな方が、ひとは長生きすると申します。ですから、若様が乗り気でないのなら構わないのです。しかし、少しでもその気があるのでしたら、どうかこのお話をお受けくださいまし」
「えぇっと」
「何故かと申しますと、貴族には時期が来たら幼年学校に通わねばならぬ義務が御座います。そうなると、どうしても年中行事などで舞踏会が御座いまして」
「そうなんですか。でも幼年学校ってもっと先の話ですよね」
「然様で御座います。然様で御座いますが……」
ロッテンマイヤーさんの眉が八の字に下がって、何だかとても言い難そうな雰囲気を醸す。
なんだろうと小首を傾げると、ロマノフ先生がため息を吐きながら肩を落とした。
「ロッテンマイヤーさん、それは私から申し上げましょう……」
「はい、私には申せません……」
「えー……やだ、なんですか? なんでこんな愁嘆場なの?」
目を逸らすロッテンマイヤーさんの手を、ぎゅっと握る。するとそれは握り返されることはなく、ロマノフ先生が重々しく苦い顔で口を開いた。
「鳳蝶君、今まで黙っていましたが……」
「やだ、なに? なんですか?」
「君は……」
「私は?」
「物凄く運動音痴なんです」
「………………は?」
しーんと応接室が静まり返って、耳がとっても痛い。
え?
は?
運動音痴?
「つまり、今からでも練習しておかないと、年頃になった時に舞踏会で踊るとか全然無理ってくらい、あーたんは運動が出来ないってこと?」
「そりゃあもう、壊滅的に!」
ヴィクトルさんの言葉を肯定するロマノフ先生の声は、ショックで燃え尽きるには充分な威力を持っていた。
けれど。
「舞踊にはあんまり運動音痴とか関係ないよ。そりゃ運動出来るに越したことはないけど、それが全てじゃない」
落ち込んだ私を掬い上げたのは、耳元で囁かれたラーラさんの低くて甘い、吐息で話すような言葉だった。
撫で撫でと頭を撫でていく手も気持ち良かったし、きゅっと慰めにこちらの手を握ってくれるのもカッコ良くて、もう心臓がうるさいうるさい。
ついつい「明日からよろしくお願いします」とか言っちゃったよ。
なんでこんなにラーラさんにドキドキするのかと思ったけど、それは翌朝、姫君が答えをくださって。
「なんじゃ、そのエルフ。菫の園の男役とやらみたいではないかえ」
それだー!?
そうだ、それだ!
ああ、スッキリした。
そうなんだよね、前世でも実は娘役さんより男役さんにハマってて。
あの人たち、本当にカッコ良くて、ついついグッズとか買っちゃってたんだよなぁ。
はー、スッキリ。
「なぁんじゃ、色気のある話を期待したに」
「だって、私は五歳児だって姫君様も仰ってたじゃないですか。そんな愛とか恋とか解りませんよ」
「しかしのう、早いものは初恋は家庭教師とか侍女とか言うぞ。人間の書く物語にも、そんな話があるではないか」
「家庭教師は男性だし、侍女っていうかロッテンマイヤーさんはお母さんって感じだし、宇都宮さんは権力を笠に着て迫るみたいなイメージが沸いて、とてもじゃないけど無理です」
「……そなた、本当に堅いのう。朴念仁の唐変木は好かれぬぞ」
ぐぬぬ、私は別にお堅くないのに!
ぷすっと口を尖らせていると、姫君の視線がついっとレグルス君の方に向く。
悪戯な笑みを浮かべて団扇をふると、「ひよこは、好いたものはおらぬのかや?」とお尋ねになった。
いやいや、三歳児になに聞いてるんですか。
すると意外なことに、レグルス君がモジモジしだして。
「すきなひと、います!」
「ほ、誰じゃ? あのそなたの守役の娘かえ?」
「うちゅのみやもすきだけど、いちばんはぁ、ちがうひと!」
えー!?
照れ照れとモジモジが合わさって、身体をじたばた動かすレグルスくんに動揺する。
まだ三つだよ!?
驚いて開いた口が塞げないでいると、姫君が眼を輝かせてレグルス君に迫る。
誰のことかを尋ねる言葉に、きゃっと頬っぺたに手を当てて恥ずかしそうに言うには。
「あにうえー! れーがいちばんすきなのはぁ、あにうえですー!」
ああ、そういう。
叫んだ本人は何だか凄く照れて、顔を両手で覆って「きゃー!」とか可愛く叫んでるけど、聞いた姫君は目が点。
うん、嬉しいけどね。姫君のお顔が凄いことになってて、私の腹筋がぷるぷるしてる。笑ってはいけない何とかってやつか、これ。
「まあ、そうよの。童に色恋なぞ早かろうよ」
だめ押しに姫君の悔しそうな声で、私の腹筋が死んだ。
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