第30話 海

 †

 彫刻や絵画、その他の美術品が城から運び込まれていく。朝からの作業はようやく終わりを迎えようとしていた。

 王家がため込んでいた美術品を、改修した王立美術館へ寄贈するのだ。革命が起きるまで贅の限りをつくしていたこともあって、膨大な量だった。

「こんなにも所蔵があったなんて……」

 目録は分厚い。頭に直撃したらすぐにあの世へ旅立てるほど。文官が地位の区別なく不眠不休で働いた成果だ。

「まあ、諸国に売ったら金にはなるだろうけれど、取り戻すのが難しくなるからなあ。死蔵しておくより見てもらったほうがいい」

高名な画家達の作品の行く末を決定したのはレインだった。美術館に行かない他の作品は、希望があれば貴族に有料で貸し出す。金策をしたい現場と王家のプライドを重視している大臣らの意見を取り入れた折衷案はうまくいくだろう。

 指揮をとり、一段落した王子は、引き続き所有する絵画を見渡した。

 残された絵はどれも見事なものだった。王家や有力貴族の庇護のもと腕を振るった芸術家の作品は、城を飾りつけるのにふさわしい。けちをつけられるのは、主義の違いがある画家達ぐらいだ。

「レイン様の部屋には、これが合いそうですね」

 いくつかの中からラメルが選んだ森の絵は、落ち着いていて主張は控えめだ。

「いや、こっちにするよ」

 かぶりをふって王子が選んだのは、光の魔術師と名高い画家が描いた労働者の絵だ。執務室にある限り、一歩立ち止まり、民のためになるかを考えた政策をたてるだろう。

 下々のことを常に考える、レインらしい。

「わかりました」

 これで片づけは大方終わった。

 そんなときだ。粗雑な扱いの額縁がふと目に留まった。

「これは……」

「ああ。それ」

 レインがひょいと絵を立てかける。

 額縁の中には、キャンバスいっぱいの黒が塗りたくられていた。中央上部には白く輝く丸いものが浮かんでいる。

 これは月か。だとしたら日が落ちていて、ひとっこひとりいない夜中か。目頭が熱くなる。

 命を感じさせない殺風景な風景画はひどく物悲しい。見ているだけで涙が出そうで、胸が締め付けられる。

「夜の海」

 静かな声にはっとした。

 それくらい、見入ってしまっていた。

「作者は不明。いつの間にかあった。題名だけ隅のほうに書かれている。夜の海を描いたんだと思う。実際によくできてると思う。波に浮かぶ月の光とか、本当に、目の前にあるみたいだ」

 王子が夜の海をみたとすれば、革命の際シェルに滞在していた時期しかない。

 独りぼっちで、頼れる人間もおらず。

 けれど下手な真似はできない。

「……捨ててもいいかもな」

 さもどうでもいいと言いたげに、それでも何かをひきずっているような様子に。

 同意なんてできない。

「……私は、この色はレイン様に似ていると思います」

 染まることを許されない暗い色。寂しさを秘め、孤高であるところ。

 反動でヒュースやラメルにはへらりとするところ。

 そんなレインが昔形付けられた。

 きっと、夜を一人で過ごす度に。

「髪と瞳の色が、レイン様と同じです。静かで、凛として、全てを包み込む夜と同じです」

 だからどうか、否定はしないでほしい。

「……そんなにいいものか?」

 レインの髪と瞳は、王と王妃どちらのものでもない。

 隔世遺伝とでもいうのか、ノイアでも珍しい色味だった。

「安心できます。全てをさらしたい人間ばかりではないでしょう?私はその夜の色が、好きです」

 届けばいい。王子は一人ではない。

「……ラメルがそういうなら、残そうか」

 暗いところに一人でたたずませたりはしない。

 レインが民草を気にかけるように、私もレインの心を気にかける。

「控えの間に飾らせていただいても?」

「ラメルの好きにしたらいい」

「ではそのように」

 私を昼の海に例えるなら、レインは夜だ。

 家族と離れた寂しさや、兄を失った悲しさ、裏切りにあったつらさを抱えている。

 けれど傷つき泣く国民を、そっと影から支えている。

 昼日中には歩けない事情を持つ訳ありを、反対にも屈せず受け入れる。

 夜なくして昼はこない。

 忘れないために、常にそばに置こう。

「……ラメル、よかったらこれも持っていけ。多分それの習作かなんかだと思うんだけど」

 手のひらサイズの小さな絵は、同じ構図で、青色で彩飾されている。

「部屋にあると感じが変わるんじゃないか?」

「……では、いただきますね」

 夜明けの海を思わせる絵を、ラメルは大事そうに受け取った。

以来、夜明けはラメルの部屋に、夜の海は、ずっと控えの間にあった。



 ‡

「どうやら暇を持て余しているとみえる」

「――オーヴリー卿におきましては、日々身を粉にして働かれており、頭が下がります」

 城に帰りつくと、さっそく目をつけられてしまった。身に付けざるを得なかった処世術は、きっとこの人によって鍛え上げられた。

「……おや、ルセーブルの姿が見えないが」

「サー・ルセーブルは休暇をとっております」

「……王室付きが休暇をとるようなことは、伝染病にかかった場合くらいだが」

「火急の用件がありましたので」

「君が許可したと?イスリータ、指揮系統を乱すのはやめたまえ。ルセーブルは君の部下ではない」

「恐れながらオーヴリー卿、サー・ルセーブルの指導は私が行っております。担当した新人に責任を持つのは先達の務め。これよりヒュース騎士長へ報告に参りますので、失礼致します」

「…………思いあがるなよ、女流騎士」

 立ち去ろうとしたラメルに、捨て台詞が追いかけてくる。

 歩みを一瞬止め、ラメルは振り返らずに去った。



「本当にこんなのでいいのか?」

「これがいいの!」

 古ぼけた辞書を手に、ラメルは笑う。

 レインが渡したのは、お下がりの辞書だった。

「いろいろあるんだねえ」

「そうだな、ことわざなんかも、有名どころ以外にもいろいろある」

「ほんとだ。……あ、海のものもある」

「結構あるんだなあ」

 ――唐突に、幼かった頃のエピソードを思い出したのは、ことわざを目にしたからだ。

 絵画の間で、乱雑に置かれた絵を確認していく。手入れが行き届いていないようだ。埃が重なっていて、それぞれの保管状態も悪い。ここの担当者が変わったのだろうか。

このような行為をみられたら言い訳に困る。けれど、確かめなければならない。

夜の海はここにあるのか。一度控えの間にかけられて以来、どれだけ物悲しいと、ふさわしくないと言われても、頑として外さなかった絵。

服が薄汚れている。手が埃っぽくなっても構わない。

ここにあるのはぼやんとした絵、べったりとした絵、堂々とした赴きの王族の肖像画。さまざまなもの。基本的には季節感があったり鮮やかで、万人受けしそうなもの。そして。

 夜の海を見つけた。

 額の裏には、見覚えのある字で走り書きされていた。

『車は海へ舟は山』

 側にあった夜闇の色を見なくなって久しい。

 初めて見たときのように、悲しくて、苦しくて、辛い。

「………っ」

 一人ぼっちだった。

 私も、レインも。

 荒波がきたら一人にならざるを得ないくらい、ちっぽけで。

 こんなにも容易くほどけてしまう繋がり。

 ラメルはその場に膝をつき、嗚咽をもらした。




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