インフェリオリティ・コンプレックス

八神響

第1話 プロローグ

 昔から自分の事が嫌いだった。いつからそんな風に思うようになったのか、明確な時期は分からない。小学生の時は毎日何も考えず遊びまわっていたから、多分中学生になってからの事だとは思う。

 中学生になり、周りの人と自分の違いに目を向けるようになった。いつも目標に向かって努力をしてる人。何かをやろうとしても中途半端なところで放り出す自分。自分の事は後回しにして他人を助けることが出来る人。自分を優先して他人を見捨てる自分。前だけ向いていて自分に言い訳をしない人。過去の良い思い出にすがり今は本気を出していないだけだとうそぶく自分。人前に立ち、皆を引っ張っていってくれる人。人の輪から外れ、冷めた目で他人を見ている自分。頭も顔も良いのに気取らない人。頭も顔も平均よりは上なだけなのに、その事に過剰に自信を抱く自分。話が一貫していてぶれない自分を持っている人。言う事がころころ変わる軸がない自分。他人に偏見を持たない人。他人の性格を決めつけている自分。

 こうやって言い出して行ったらきりがない。他人と自分を比較して劣等感が積み重なり続けた結果、いつの間にか俺は自分の事が凄く嫌いになっていた。しかし、そんな自分の事が嫌いなくせに変わろうとはせず、漫然とした日々を送っていた俺にちょっとした転機が訪れた。

 その日はいつも一緒に日直をしているクラスメイトが休みだったため、1人で日直の仕事をやる事になった。他のクラスメイトはそういう時、仲の良い友達に仕事を手伝ってもらうのだが、クラスにそんなことを頼めるほど仲の良い友達が俺にはいなかった。とは言っても普段から俺はほぼ1人で仕事をしていたので(いつもペアのクラスメイトはあんまり仕事をしない)、特に問題は感じていなかった。しかしそんな状況を放っておかないやつがクラスにはいた。

『今日は○○ちゃんお休みだから私が手伝ってあげましょう!』

 冗談めかしてそんなことを言ってきたそいつはクラスの人気者だった。いや、正確にはクラスの、ではなく学校の、と言った方が正しいくらいの人気だった。中学校という多感で反抗的な時期の人間が集まる場所で大多数から支持を受けていたそいつは、ひねくれ真っ盛りの俺から見たら少し気持ち悪く感じていた。

 嫌味なく規則に従い、不快感無くふざけて、悪意無く人に接する。教師からの覚えも良く、いろんなタイプの同級生からも親しみを持たれている。クラスで浮き気味の俺の手伝いなんかしても周りから何も言われることも無い。びっくりするほど完璧だ、故に、気持ち悪い。

 多分に嫉妬も含まれていただろうが、当時の俺はそんなことを考えていた。しかし相手は完璧少女、日直の仕事を手伝ってもらいながら軽く話しただけでも、それまで気持ち悪いと思っていた俺すら、そいつを良いやつだと思うようになっていた。だからつい口が軽くなり、普段は話さないようなことまで話してしまった。

 その日の放課後、日直として教室の片づけをしながらそいつに聞いた。何でわざわざ手伝ってくれたのか、普段から俺が一人でもやっているのはお前なら知っているだろうと。

『あー、なんというかそんな状況を何とかしたくてね。今日私が手伝ってたこと知ったら○○ちゃんも次からはある程度仕事するようになると思って……、ほら直接ちゃんと仕事しろなんて言ったら雰囲気悪くなりそうだからこうしてちょっと遠回しに。あ、これ内緒ね』

 いたずらな笑みでそう言われ、俺はどぎまぎしてしまった。そして返事を上手く返せずにいるとそいつは話を続けた。

『いや、お節介だとは思っているけど損している人を見ると放っておけなくて。自分のクラスならなおさら。それに、君も君で自分から仕事しろーなんて相手に言うタイプに見えなかったし、今回は私が一肌脱いであげたのだー!』

 恩着せがましくならないためか、ふざけた調子でそんなことを言ったそいつに、俺はちょっとした尊敬と大きな劣等感を覚えた。そして抑えきれなくなった本音を吐き出した。

『いいよなお前は、お前みたいな人間なら自分が嫌いになる事なんて無さそうで羨ましいよ』

 言った直後に後悔し、こんな言葉が口をついて出てくる自分がまた嫌いになった。しかしそいつは、それまでろくに絡みもなくそんな事を言った俺にもちゃんと向き合って答えてくれた。

『私だって自分の事が嫌になる時はいっぱいあるよ。でも……それでも頑張って自分を好きになれるようにしてる。自分を好きになって、他人を好きになって、世界を好きになる。まあ綺麗事なんだけど、そうして生きていたら色んなものを嫌い続ける人生より楽しくなるんじゃないかと私は思うんだ。……なーんてねっ』

 気恥ずかしさを紛らわすようにそいつは笑った。

 ……しかしそいつ以上に恥ずかしかったのは俺だった。

 誰だって自分が嫌になったり、他人が嫌になったりする事なんて普通にあるはずだ。普通の事で、当たり前の事。

だがそんな当たり前の事を俺は理解していなかった。こいつがこんな性格なのは生まれつきのものだと、努力をせずに自分を好きになれて、他人に好かれる人間であると断じた。あまつさえそれに嫉妬して、八つ当たり気味の言葉まで発する始末。

こんなのはプロ野球選手に、野球が上手くて羨ましいというようなものだ。当人の努力も知らない、想像すらできないような恥知らずな外野のみが吐ける言葉、俺はそんな言葉を目の前のクラスメイトにぶつけてしまった。

穴があったら入りたい、という慣用句をその時以上に実感したことは無い。

そんな恥知らずな俺は、これ以上の恥はもうかけないだろうという気持ちでそいつに質問した。

『……さっきは変なことを言って、悪かった。変な事ついでにもう一個聞きたい。どうやったら自分を好きになれるんだ?』

『いやいや、何で謝られてるのか分からないくらい気にしてないよ?そして参考になるかは分かんないけど、その質問に私なりの答えを出すなら……まず憧れの人物を見つけるのがいいと思う』

『憧れの人物?』

『そう。別に身近な人でも、芸能人でも、歴史上の人物でも、漫画の登場人物でもいい。憧れの人を見つけて、どこに憧れているのかを考えて、どうしたらその人に近づけるのかを考える。まあ強いて言うなら具体的な目標決めみたいなものかな。人って目指すべきものが明確になってる方がやる気出るものだと思うし。そうして憧れに近づいていったらその内、自分を好きな自分になれるんじゃないかな』

 なるほど。確かに分かりやすい目標があったら、こんな俺でも少しは頑張れるんじゃないかと言う気持ちになってくる。我ながら単純で影響されやすい。

 そして、そんな影響されやすい俺の憧れの人はもう決まっている。

 さあ、これから何をしていこうか。何をしたら目の前のこいつみたいになれるだろう。自分に甘い俺は、やりやすいところから攻めていくことにしよう。

確かこいつの志望校は俺の志望校より何ランクか上の所だった気がする。最初はそこから始めよう。いきなり自分の性格や行動を変えるよりはだいぶ楽だ。

今までよりちゃんと勉強して、少しでもこいつに近づいて、いつか胸を張れる自分になろう。


――中学三年生の夏、こうして少しだけ前向きになった俺だったが、未だに自分の事は好きになれていない。


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