クレイの打算
◇◇◇
別の日、アウラはクラリスから呼び出しを受けた。
なんでも急ぎのようだとかで、彼女の家の従僕が知らせてきたのだ。
(家の人には聞かせられないことができたとか? もしかして恋の相談?)
アウラは弾む足取りでカフェへと向かったが待っていた人物を目にした途端、表情を一転硬直させた。
アウラを待ち構えていたのはクレイだったのである。
しつこい誘いにうんざりしていたが、一向になびかないアウラに対して彼は一計を案じたのだ。
「よう、アウラ」
険しい顔を作ったアウラとは反対にクレイはご機嫌だった。
それはそうだろう。彼にまんまと一杯食わされた。
「クラリスはどこ? 彼女から相談事があるって聞いてきたのよ」
アウラは無駄とはわかりつつ詰問した。
「あいつは来ないよ。てか、おまえ俺と二人きりだと絶対に誘いに応じないだろう?」
「当たり前だわ」
アウラは即座に切り返す。
だからってだまし討ちは卑怯だ。
「まあ座れよ。周りの目もある」
ダガスランドでも高級な部類になるカフェである。給仕の男が困ったように佇んでいる。
「いいえ。帰るわ。どうやら人違いだったようだもの」
アウラはあっさりと踵を返した。
そのまま店から出ていくと慌てたクレイが後を追いかけてきた。
店の外まで追いかけてきて、彼はアウラの腕を取る。
思いのほか強い力でアウラは眉を歪める。
こういう、自分の意志を顧みない、一方的な力の押し付けは嫌いだ。
「コーヒーの一杯くらいいいだろう。せっかく『カフェ・トレイスロ』に来たってのに」
「それで、そのあとは観劇? それとも夕食かしら? わたし、何にも付き合わないって伝えていたつもりだったけれど……伝わっていなかったみたいね」
クレイは何かにつけてアウラに誘いの手紙を寄越してきた。
そのどれにもアウラは慎重かつ丁寧に断りを入れていた。
まだ、クラリスやほかの友人も含めた会合なら許せる。そういう旨をやんわりと伝えていて、実際に何回かそういう席には出席もした。
「二人で会ってみないと、お互いのことわからないだろう。とにかく、せっかく来たんだからコーヒーくらい飲んでいこうぜ」
アウラは一考した。
仕方ない。コーヒーの一杯にでも付き合えば彼の気もおさまるかもしれない。
「わかったわ。場所はわたしに指定させてくれるなら。ホテル『ラ・メラート』の喫茶室にして頂戴。それが条件」
「……わかったよ」
アウラの後見人の携わるホテルの名前を出されたクレイは一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、結局は条件を飲んだ。
だまし討ちをしたという自覚はあるのだろう。
二人は『ラ・メラート』へ移動して、地上階に設けられている喫茶室へと入店した。
店の偉い人がアウラに気が付いてくれた。
これで不測の事態は防げると思う。
二人はそれぞれコーヒーを注文して、品物がそれぞれの目の前に置かれると、クレイの方から口火を切った。
「なあ、おまえも知っているだろう。俺はおまえのこと気になっている。どうして俺の誘いに乗らない?」
「わたしはあなたのこと興味ないもの」
アウラはそっけなく答えた。
ここで期待を持たせる言葉を言っては駄目。
クレイは憮然としたが、しかしめげずに売り込みを続ける。
「おれはプロイセ工場会の跡取りだぜ。俺と結婚すればおまえはいい生活をできるし、ダガスランド上流社会でいい顔だってできるんだ。悪い話じゃないだろう」
自分の売り込みの第一声が跡取りってそれはどうなのよ、とアウラは思う。
別に跡取りが悪いわけではない。現に父の後を継ぐべく勉学に励んでいる者だって大勢いる。
しかし目の前のクレイからはそういうのはあまり見受けられない。
「べつにダガスランドで威張りたくないもの」
「俺は別に威張ってないさ。本当に威張っているのは評議員のやつらだろう。あいつらだって本当のところは俺たちの票がないとどうしようもないのは分かっているはずなのにな」
共和国は議会制で、一定の税金を納めている男性に選挙権を与えている。
「とにかく、だ。俺と付き合ってみれば俺の良さがわかるさ。なあ、いいだろう?」
クレイは熱心に続ける。
アウラの心は反対に凪いでいく。
クレイに何を言われても響かないのだ。
アウラの心はもうずっと、十四歳のころから変わらない。デイヴィッドが好き。
「わたし、デイヴィッドのことが好きなの。だからあなたとは付き合えない」
アウラはとうとう自分の気持ちがどこにあるのかをクレイに打ち明けた。
これでクレイが自分のことを諦めてくれればいいと願って。
「シャーレン? あいつはおまえの保護者だろう。一体いくつ年が離れていると思っているんだ」
クレイは鼻で笑う。
「年なんて関係ないわ。彼は確かに私を保護してくれたし、後見人を務めてくれている。だけど、それがなあに? わたしが彼に恋をするのになにか、障害があるの?」
アウラは強い口調で反論した。
「どうしたっておかしいだろう。そんなの恋じゃない。感謝が恋にすり替わっているだけだ」
「どうしてあなたが決めつけるのよ」
この議論はたくさんだ。人に、デイヴィッドへの思慕を告白すると、大抵同じことを言われる。それは恋じゃない、錯覚だと。
ちゃんと肯定してくるのはクラリスともうあと何人か。バベットも呆れながらに応援してくれた。
「だって、おまえあいつに拾われたんだろう。それで一緒に暮らしていたら、そりゃあ情だって湧く。シャーレンにとっておまえはただの養い子にしか過ぎない。そんなやついつまでも想っていたって不毛なだけだろう」
「分かっているわよ。彼と年が離れていることも、彼がわたしのことなんとも思っていないことだって」
そんなの嫌ってくらいわかっている。
十四の頃からずっと。だからアウラはデイヴィッドに自分の恋心を悟られないように振舞っている。
「それに、あいついろんな女と噂あるんだぜ。知っているか? 俺が知っているだけで」
クレイはそう言って指折りに女性の名前を上げていく。
「そんなことくらい知っているわよ。彼がいろんな人と情を交わしていることくらい。言っておくけど、わたしあなたが思っている以上に世間の男女の常識について知っているわ。昔親切に教えてくれた人がいるから」
アウラははっきりとクレイの瞳を見据えた。
だから、彼がどういう目でアウラを見つめているのかもちゃんと理解している。時折彼は品定めをするようにアウラを上から下へと眺めることがあることも、わかっている。
彼はアウラの言いたいことを正しく理解した。
ほんの少しだけ面を食らった顔をしている。その顔を見て、少しすっきりした。
「わたし、故郷を出てからいろんなことがあったもの。嫌な思いをしたことも、怖い思いをしたこともあった。彼女は自分の身をちゃんと守れるように、幼いわたしに世間の、もう一つの世界について教えてくれたわ。だから、知っている。デイヴィッドが女性に何を求めるのかも」
デイヴィッドはたまに夜遅くに帰宅をすることがある。一夜の相手なのか恋人なのか、アウラは聞くことができない。
怖いのだ。彼から恋人がいると聞く事が。
一夜の相手ならばまだ自分にもチャンスがあるのかもしれないが、ひとときの熱が恋しいのならアウラに手を出せばいいのに彼はそれをしようともしない。
「それを知っててまだあいつのほうがいいっていうのか。嫌じゃないのか? 好きな男が別の女を抱いてるっていうのに」
「嫌に決まっているじゃない。デイヴィッドに恋人ができたらって、わたしずっと怯えているわ。彼がわたし以外の女性を抱いているのとか、そんなの嫌に決まっている。寂しいのならわたしを抱けばいいのに。わたしなら彼に全部をあげられるのに」
「おまえ、自分が何言ってんのかわかってんのか?」
「わかっているわ。わたし、デイヴィッドにならすべてをあげられるもの」
「あいつはおまえのこと、歯牙にもかけてないってのにか?」
「自分でもわかっているのよ。このままじゃいけないって。寄宿学校に入って、色々な家にお呼ばれをして、わたしだってデイヴィッド以外の男性と出会ったわ。でも、やっぱりわたしはデイヴィッドのことが好きなのよ」
気が付くとアウラは瞳一杯に涙を浮かべていた。
デイヴィッドのことが大好きだ。
それは今もずっと同じこと。
彼はアウラと同じ気持ちを返してはくれない。彼が誰か別の女性を抱くと考えるだけで胸が焼けるように痛くなる。
自分だけを見てほしいと願ってしまう。
「おまえ、泣いているのか」
「違う……」
アウラは慌てて目をこする。
瞬いて涙を止めようとするのに、彼への感情が堰を切ったようにあふれ出てくる。
「いや、泣いているだろう。どうして、そこまで奴のことを想えるんだ? 俺にしておけばもっと楽なのに」
「わからない……。でも、きっとこの気持ちは消えない」
「ずっとか?」
「うん。ずっと」
アウラはこくりと頷いた。
きっとアウラは心をデイヴィッドに預けてしまったのだ。
「俺に望みはないのか?」
「ごめんなさい」
アウラは今度も正直に答えた。
アウラの返事を聞いたデイヴィッドは行儀悪く舌打ちをする。
「わかった。もう泣き止め」
アウラは頷いた。どうにか涙を止めようと頑張る。持っていたハンカチで目元を押さえて心を落ち着かせていく。
コーヒーはすっかり冷めてしまった。
クレイはもう何も言ってはこなかった。
これだけ盛大にデイヴィッドへの気持ちを暴露したのだ。彼も十分にわかったのだろう。アウラの心が誰にあるのかを。
クレイはアウラがちゃんと泣きやむのを見届けてから苦い顔をして、勘定をした。
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