与えられた役目

 アウラがデイヴィッド・シャーレンと名乗る男に拾われてから二週間ほどが経過した。


 体はすっかり良くなったのに、今もまだアウラはデイヴィッドの住まう家にとどまっている。

 暖かな部屋の外は灰色の雲が広がっている。そろそろ十二月。外の空気は一段と冷えてくるが、アウラの故郷リューベルン連邦と比べるとまだ暖かい方だと思う。


 けれど故郷でのアウラは優しい両親に囲まれて不自由のない生活を送っていた。

 寒さと飢えがどういうものなのか知ったのは父を亡くしたあとだった。


 それから、本当の意味で飢えを知ったのはダガスランドで。

 アウラは地階の台所へと降りて行った。

 ちょうどファーカー夫人が買い物から戻ってきたところだ。


「わたしも手伝う」


 ファーカー夫人は最近になってデイヴィッドが雇い入れた住み込みの女中だ。

 アウラを拾ったデイヴィッドはこれまで通いの使用人しか置いていなかったのに住み込みの女中を一人雇った。

 これまで通っていた女中はそのままファーカー夫人と一緒に日中の家事を手伝っている。

 たぶんアウラがデイヴィッドと暮らし始めたから彼が気を使ったのだ。


「いいえ、お嬢様にさせるようなことはありませんよ」

「でも……わたし、お嬢様ちがう」

「旦那様が後見人を務めているのでしょう。わたしにとってはお嬢様ですよ」


 ファーカー夫人の買い物袋からアウラは玉ねぎを取り出して台所の野菜置き場へ運ぶ。


「お嬢様を働かせたと知られたらわたしが旦那様に叱られます」


 ファーカー夫人からそう言われたらアウラは引き下がるしかない。

 台所から退散したアウラは再び居間の長椅子に腰を下ろした。

 どうして彼はアウラをとどめているのだろう。

 それも仕事と称した意味の分からない役目まで与えて。


 デイヴィッドはそこそこ忙しいらしく朝出て行って戻るのは夕方だ。

 アウラはそれから退屈な午後を一人で過ごして、夕方デイヴィッドが帰宅したときに玄関へ出迎えに行った。


「おかえりなさい、デイヴィッド」

「ただいま」


 アウラが出迎えるとデイヴィッドは相好を崩した。

 もともと警戒心を抱かせない雰囲気の彼が空気を和らげる笑みを浮かべると途端に気が抜けた感じになる。

 口調も柔らかなため、アウラは彼に押されっぱなしだ。


(それに、口が立つのよね。また絶妙な具合に……)


「今日変わったことはありませんでしたか」

 デイヴィッドは上着のボタンをはずしながら階段を登り始める。

 アウラは彼に続いた。

「ううん。いつも通り暇」

 思い切り嫌味を込めてやる。


「それは安心しました。暇ということは変わりなさそうですね」

「わたし、暇って言ったの。毎日毎日家の中にいるばかりでつまらない。わたし、生きるために仕事したい」

「仕事なら与えているじゃないですか」


 デイヴィッドはそう言って彼の部屋へと入っていった。

 アウラは閉められた扉の前で待った。

 しばらくすると彼が出てきた。


「ああそうだ。ほら、お土産です。ダガスランドの女の子たちの間で流行っているらしいですよ、このお菓子」

 ぽんと紙袋を渡された。

「いらない」

「もったいない」

「だったらファーカー夫人にあげたらいいと思う」

「そうですね。そうします」


 デイヴィッドはあっさりと紙袋を取り上げた。

 二人はそのまま階下へ戻り食堂へ足を踏み入れた。

 二人の前には暖かな食事が用意されている。


 鶏肉をオーブンで焼いたものと野菜の入ったスープ。それから白いパン。これが高級品だと知ったのは父を亡くしたあと。

 父を亡くして国を追われたアウラたち親子の生活はすっかり変わってしまったから。


「それではいただきましょう」

「いただきます」


 アウラは心の中で神様へ恵みの感謝の言葉をささげてからナイフとフォークを手に持った。

 食事をあらかた胃の中へ収めてからアウラはもう何度目かになる言葉をデイヴィッドに訴えた。


「あなたがわたしにあたえた仕事、意味が分からない」

「そうですか? ちゃんとした仕事だと思いますよ」

 デイビッドは心底不思議そうに首をかしげた。


「毎日あなたにおかえりなさいということのどこが仕事なの?」

「立派な仕事です」


 少なくとも僕がそう言う限りは、と彼は付け加えた。

 熱も下がりすっかりよくなったアウラは出ていく気満々だった。

 彼の前で倒れてしまったが、ここまで至れり尽くせりで世話をされる予定などなかった。


 ちっぽけな娘など放っておけばよかったのに。それなのに彼はアウラに意味の分からない仕事を与えて、それで彼女をここに留めている。


 彼がアウラに与えた仕事とは、毎日デイヴィッドが帰宅をしたら「おかえりさない」と出迎えることと、一緒に朝食をとることだった。


 言われたアウラは文字通り言葉を失った。

 そんな仕事内容聞いたこともない。

 しかしデイヴィッドは本気だった。

 ぽかんとしているアウラをよそに部屋も整えておきましたよ、と私室を与えられて、室内着など一式もそろっていてくらりとしてしまったほどだ。


「でも、こんなの……。あなた、わたしにふしだらなことをしたいんじゃないんでしょう?」


 アウラは不慣れなロルテーム語を駆使して一生懸命しゃべる。

 彼はリューベルン語もしゃべれるというけれど、アルメート共和国での共通語はロルテーム語だ。これからのことを考えるとロルテーム語を操れるようにならないといけない。


「なんていうか、あなたの言葉の端々を聞いていると、あなたを追い出したおばさんとやらに今すぐ報復してやりたくなりますね」

「あの人は悪くないっ! わたしがいけない。わたしが……いたから」


 アウラが世話になっていたおばの家を追い出されたのはある日おばの息子がアウラに抱き着いてきたからだ。おばの留守中を見計らったかのようにアウラを抱きしめたおばの息子。


 アウラは突然のことにびっくりして抵抗することもできなかった。息子の力はとても強かったし、なによりも怖かった。

 それだけで済んだのはおばは忘れ物をとりにもどってきたからだ。

 けれど、たぶんおばは何かに勘づいていた。だから戻ってきたと思う。彼の息子がアウラに話しかけることを彼女は嫌っていた。


 もともとは母方の遠縁で、彼女を頼って母は海を渡る決心をした。

 その母も長い逃亡生活の果てに衰弱して船の中で死んでしまった。

 一人残されたアウラは母から託された手紙と少ない遺品を携えておばの住まいへたどり着いた。


「いいですか。僕はそんなこと望んでいません。あなたは普通にここで僕の望んだ仕事をして生活をしていればいいんです」

「でも……」


 突然にやってきた遠縁の娘におばはあからさまに迷惑そうな顔をしたが、一応は家に置いてくれた。その代りに家の雑務を任された。掃除に洗濯、料理の手伝い。

 全部が不慣れで、というか初めてのことでアウラは失敗するたびにおばに叱られた。


「そうそう、僕明日は休みなので一緒にでかけましょう」


 デイヴィッドは話は終わりとばかりに話題を変えてしまった。

 アウラは不服気に彼を睨みつけるが、小娘の視線など彼にとってはその辺の小動物と同じくらいらしく、にっこりと笑みを浮かべられてしまう始末。


(そんな睨みじゃ僕を倒せませんよって言われている気分だわ)

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