叫び声
カール
叫び声
静かな夜だ。人気もなく、俺の革靴が地面を叩く音だけが周囲に響き、それだけがこの暗闇の世界に音として響いている。
「はぁ……」
サービス残業という言葉を日本から無くすべきだ思いつつ、そうしなければ回らない日本経済に問題があるんじゃないかと思う。いや、残業しているのは自分の能力の低さもあるのは理解している。でもなぜこんな終電の時間まで働かないといけないのか。
上司に文句を言えるはずもなく、だからと言って部下に押し付けるわけにもいかず。胃に穴が開きそうだ。
「いや、いっそうの事それで入院すれば休めるんじゃねぇかな」
誰に言うわけでもなく、静寂な闇に俺の言葉は溶けて行く。何度自分が入院すれば休みを合法的に取れるのかと想像したことか。
朝8時出勤しなければならないため、通勤時間を考えると6時には起きないといけない。ここの所ずっと家に帰る時には日付が変わってしまっている。風呂に入り、隣から苦情が来るのを覚悟して洗濯機を回し就寝するのはいつも深夜2時。
睡眠時間は約4時間。会社に行き、家に帰れば眠る。プライベートな時間なんてない。テレビやネットを見る時間もない。
ストレスばかりがたまり頭がおかしくなりそうだ。こんな時どうしてもネガティブな事ばかりを考えてしまう。事故を起こせば入院して休めるのでは? いや、自殺して今の会社を困らせてやるか?
そんな馬鹿な事ばかり考えていた時だ。
――本当に出来心だった。
その日は車も通らない本当に静かな夜だった。大通りから外れいつも家に帰る途中にある車2台通るのがギリギリの細い道。
50mほど前に歩いている女性を見て思いついてしまった。
叫び声を上げて少し追いかけた振りをすればかなり驚くんじゃないか、と。
もちろん、襲うつもりなんてない。ただ脅かすだけだ。そうさ、たまに電車に乗っていても頭のおかしいやつがうめき声を上げているんだ。犯罪じゃないはずだ。
顔を見られないように距離はこれ以上縮めてはいけない。声が聞こえて驚いて貰えればいい。
本当にどうかしていた。自己弁護するわけじゃないが、この時期の俺は本当にどうかしていたんだ。
なんの躊躇もなかった。息を吸いこみ思いっきり叫んだ。
「おぉぁああああぁぁぁあああ―――!!!!!!!!!」
「きゃぁ!! え?なに!?」
前を歩いてた女性はこちらを見てかなり驚いた様子で振り返った。俺は手足を思いっきりバタバタさせて頭のおかしい奴を演じた。革靴で地面を叩き、音を反響させ、出来るだけ不気味な、そして気持ち悪い声を出す。
「あ˝、あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝ッ!!!」
低音から高音までバリエーションを出しながら叫び声をもう一度上げた。そして少し追いかけるふりをした。
「いやぁあああ!!!」
前を歩いてた女性はすぐに走って逃げて行った。
「はぁはぁはぁ……」
俺は汗を流しながら肩で息をしていた。
「―――はは」
スカッとした。大声を出したという事もあるが、思った通り相手を驚かせられたのが思った以上にストレス解消になったのだ。
だが、その直後に壮絶な罪悪感が襲ってきた。
俺は何をやっているんだ? あんな女性を怖がらせるなんて最低だろこんな夜中に後ろから大声を出して追いかけてきたら俺だって怖い。
本当に申し訳ない事をした。
こんな事は二度とやらない。
その日は後悔で眠れなかった。
あれから仕事がまた多忙になり、終電を逃す事も多くなり俺はあの日の事を少しずつ忘れるようになってしまった。
だからそれを見た時の衝撃は本当に驚いた。近所にある公園の掲示板にこんな張り紙が貼ってあったのだ。
『ここ最近叫び声を上げて追いかけてくる不審者が多発しております。防犯グッズの携帯や何かあれば警察署へすぐに連絡をして下さい』
最初これをみた時はまた不審者かと思った。でもこの内容に見覚えがある。
「叫び声を上げて…これって前に俺がやったやつか?」
でも何か変だ。たしかに俺は一度やった事がある。でも一回だけだ。多発? 何度も起きているって事か?
「―――っ!」
背筋が凍った。寒気を感じる。
「早く帰ろう」
そう一人、言葉を零し帰路を急いだ。
――その時だ。
「おぉぁああああぁぁぁあああ―――!!!!!!!!!」
「な、なんだ!?」
後ろから叫び声が聞こえて俺は後ろを振り向いた。50m先に手足をバタつかせて走ってくる男の姿がある。
「あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝ッ!!!」
「ひっ…!」
情けない声を出して走った。革靴がすれて走りにくい。
「ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ッ!!!」
まだ聞こえてる。後ろは振り向きたくない。
「はぁ、はぁ、はぁ」
運動不足のせいか体が重い、脇腹も痛く息が続かない。俺はなんとか家に着き、ドアを開けてすぐに鍵をしめた。
その日風呂にも入らず俺は布団の中へ入った。
(なんだよあれ! 変質者? いや……)
いつかの自分と重なる。
まさか、俺なのか? いや、そんなはずはない。
その日俺は震えて朝を迎えた。
翌日の仕事はボロボロだった。打ち合わせも頭に入らず、上司に散々怒鳴られた。でも俺の頭の中はずっとあの叫び声だけだった。
あれは俺の声なのか? 自分の声は普段聞いている声と他の人が聞く声では違って聞こえるらしい。俺は自分の声を客観的に聞いた事はない。たまたま俺と同じ事を考えた変質者がいるに違いない。
そうさ。気のせいだ。
次の日、また終電で家に向かって歩いていた。俺の靴の音しか聞こえない。虫の音も車の音も何も聞こえない静寂な闇だ。
俺は後ろを振り返りながら帰宅していた。周りからみた俺はどれだけ挙動不審だっただろうか。何かに怯えるように周りを確認し、ほとんど走っているに近い速度で歩いている。
大丈夫、さっき確認したら後ろに誰もいなかった。あれはきのせいだ。そうさ。疲れていたから幻聴でも聞こえたのかもしれない。そう思っていたその時だ。
「おぉぁああああぁぁぁあああ―――!!!!!!!!!」
――あの声だ。
俺は後ろをすぐに振り向いた。そこには50mほど先に手足をバタつかせて叫び声を上げながらこちらに走ってくる男がいる。
俺は走った。幻聴じゃない!! 足音も二人分ある!! いい年をした大人だというのに目から涙が溢れてくる。まだ家まで200m以上ある。このまま逃げ切れるか?
いや、徐々に距離が近づいている。
怖くて後ろを振り向けない。
俺は夢中で走った。
「悪かったッ! 俺が悪かった! だからもうやめてくれ!!!」
叫び声がどんどん近づいてくる。だめだ……追いつかれる!!
突然、俺の右方向から光を感じそちらを見る。目の前が眩く光り激しい衝撃に襲われた。
「よう、思ったより元気そうだな」
「本当にそう見えるならお前も入院をおすすめするぞ」
俺は今病院のベットに入院している。あの時、俺はいつも帰っている細い道から大通りに出てしまい、走行中の車に激突。全治1カ月の重傷だ。
複数個所骨折とむち打ち、全身打撲一時意識不明だったようだが、頭を打たなかったのが幸いだったようだ。
目の前の同僚のお見舞いに感謝しつつ、あの時後ろから追いかけてきた叫び声の主はだれだったのだろうか。そればかり考えていた。
叫び声 カール @calcal17
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