16.女奴隷とスタバ

「スタバができたんだよ」


 バイト中にいきなりそんなことを言われた。

 ふぅ、と豆を挽く手を休め、カフェ「Hot Dog」の店長、箱根さんは深いため息をつく。

 俺は洗い終わったカップを布巾で拭きながら、「また始まった」と思った。

 この人はいつも脈絡も無ければ突拍子も無いことを言い出す。


「スタバができたんだよ」


 二回目。反応が返ってなければ繰り返す。これもいつものこと。

 俺はうんざりしながら返事をする。


「あーそうですか」

「ス タ バ が で き た ん だ よ」


 三回目。話に興味を示してくれなきゃ繰り返す。これも以下略。

 わかったわかった、俺の負けだよもう。

 カップを置き、エプロンで手を拭きながら棒読みで俺は大げさに言った。


「あーはいはい。で、スタバがどうかしたんですか? 差し支えなければお聞かせ願えますかね」

「お、聞きたい? 聞きたい? 聞いちゃうんだ~? へぇ~」


 一転して機嫌良さそうにニコニコ笑い出す箱根さん。ムカつく。


「つい最近かな。元八王子の方に新店舗が開店したらしくてさ、ものすごい人気らしいんだ」

「はぁ……」

「まぁ天下のスタバだから無理はないよ。だけどバイト君、忘れてやしないかい? 僕達は一体何を生業にしているか」


 銀縁眼鏡をクイ、と指で押し上げながら彼は深刻そうに話を続ける。


「そう。僕らはカフェを営む者。つまりスタバは同業者。否、れっきとした商売敵ということだ」

「……」

「最近客の入りがいつもより悪くなってきたな、と思って情報を集めてみたら、あんなものができてたとはね。僕としたことが迂闊だったよ。今日だって見てよ、誰一人いないガラッガラ状態」


 確かに、このそこそこ広い店内には俺達以外誰もいない。

 だからこそ、こんなふざけた会話もおおっぴらにできてるわけで。


「喫茶店界を牛耳る大チェーン店。対して僕らは下町でひっそりやってる個人営業。このままではここの経営が危うくなるんじゃないかと途方に暮れてたわけだよ」

「……」

「はい感想どうぞ」


 うざいッス。

 と、本来なら簡潔に済ませたい気持ちを押し込んで、俺は指を一本立てる。


「言いたいことが三つほど」

「ん?」

「一つ。箱根さんの言ってるスタバが出来たのは数年前であって全然最近じゃない」

「……」

「二つ。客入りが悪いのは昔っから。いつもより、じゃなくていつもどおり」

「……」

「三つ。経営が危ういのをスタバのせいにしてんじゃねぇこの無能が!!」

「見事なスリーストライク。店長追い込まれました」


 いやアウトだから。とっとと引っ込め。


「僕だってわかってるさ……全部僕の力不足だってことくらい……。」


 店長は心底悔しそうにカウンターに拳を打ちつけて押し殺したような声で言う。


「でも、いつまでもうじうじしてたって始まらない。一念発起するなら何かモチベーションは必要だと思うんだ」

「で?」

「嫌な奴のことを思い浮かべ、そいつに怒りや憎しみをぶつけて闘志を燃やす。これこそこの喫茶店の窮地を救うための心構え!」

「人はそれを八つ当たりと呼ぶんですが」

「やられたらやり返す。倍返しだ!」

「やられてもいねぇーだろ」

「やられてなくてもやり返す。八つ当たりだ!」


 この店一回潰れたほうがええんとちゃうん?

 トラック店内に突っ込ませてこの無能店長を店ごとRe:ゼロしちまえよ。少しはマシになるだろ。


「とにかく、スタバのことなんか気にしてる暇あったら、もっとこっちに客を寄せるための改善案とか考えてくださいよ」

「だからそれを必死に考えてたんだよ」


 箱根さんは眉間を指でつまみながら、鬱陶しげに言った。


「で、悩みに悩みぬいた結果、一つの解を導き出すに至った」

「聞きましょう」

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず。というわけで、まずはスタバのことを色々知っておくことから始めようってね」


 あんたにはまず己の杜撰さからよーく理解してもらいたいんですが。

 そのことわざ、敵のことも自分のこともわかってないと必ず負けるという意味もあるってことわかってんのかね。


「ていうか箱根さん、スタバのこと何も知らないんですか?」

「え?」


 ぎくっ、と肩を震わせて彼はぎこちなくこちらを向いた。

 しばしの沈黙をはさみ、引きつった表情のまま早口で弁解。


「し、知ってるさもちろん。ほらあれだろ? メニューが複雑なんだろ? ヤサイマシマシニンニクアブラカラメとか言って注文するんだろ?」


 へぇー。最近のスタバはラーメンも提供してくれるんだね、知らなかったわぁ。


「ごほん! まぁとはいえ、具体的にスタバがどういう経営スタイルを取って、集客のためにどういった趣向を凝らしているかというところまでは僕もまだ詳しくは把握していない。そこで、参考のために君達には近所のスタバに潜入捜査に行ってもらう」


 何がそこで、だよ。自分が把握してないなら自分で行けっちゅうの!

 てか……何? 


「箱根さん、今、君『達』って言いました?」

「? 言ったけどそれがなにか?」


 サーッ、と俺の顔から血の気が失せていく。背中を生ぬるい嫌な汗がつたう。

 俺の全身が頭よりも早く危機を察知した証拠だ。

 そしてその予感は、すぐに的中することになる。


「店長ぉー。言われた通り連れてきましたよー!」


 店の入口のドアが勢いよく開かれ、ドタバタと誰かがやかましく入ってきた。

 姿なんか見ないでもわかる。俺は憎々しげに舌打ちをして、頭を抱えた。


「ほーら二人とも入った入った!」

「ポン太郎……ポン太郎はどこだ♥」

「……」


 バイト仲間のギャルと、気色悪い鼻息を放つ女騎士と、あと状況が読み込めてなさそうな女奴隷。

 あーもう胃が痛い……。

 キリキリと痛む腹を抑えながら、俺は更に深い溜息をつくのだった。



「ん~ポン太郎~♥ 相変わらずお前は可愛いなぁ~」

「きゅ~」


 リファは店の端っこで繋がれているポメラニアンこと、ニアを抱っこしてモフっている。

 ニアはだいぶ前に店長が実家から連れてきた犬で、この店のマスコットみたいなものだ。

 ポン太郎というのは、彼女が一日だけここでバイトした時に勝手につけた名前だ。最初は怖がっていたのだが、次第に打ち解けて今ではすっかり仲良しになっている。

 バイト自体は続けることにはならなかったものの、こうしてたまに店に来て遊んだりしている。


「さて、こうして君達に集まってもらったのは他でもない」


 そんな彼女を尻目に、箱根さんはコーヒーを淹れながら、俺と渚に向かって言った。


「今回のミッションは近所にできていたスタバに侵入し、どんな感じかを探ってくること。もしかしたら、営業利益アップのカギとなるような戦略が盗めるかもしれない」

「それって、あたしとセンパイで行けってことっすか!?」


 パァァ! と目を輝かせながら渚が言うが、箱根さんは首を横に振った。


「そうじゃないよ。大体君ら二人が出てったら誰があの娘の面倒見るのさ」


 と言って、彼は脇目も振らずに毛玉と戯れているパツキンを顎でしゃくる。

 確かに、普通のワンオペなら心配はいらないが……あいつがいるとなると手に負えない。 


「だから二人のうちどっちかが残って、どっちかがスタバへ遠征してもらう」

「はぁ~? なにそれ、チョーやる気なくすわ」


 渚は一転、露骨に嫌そうな表情になる。それをまぁまぁ、と箱根さんがなだめながら続ける。


「ただし、潜入するからには視野を広くしたほうがいいのも事実。特に男女の見え方の違いは非常に重要だ。だから――」

「店長とあたしで行くとかいうことになったら、あたし舌噛んで死にますよ」

「――とナギちゃんが言うのはわかりきってるから、必然的にバイト君に行ってもらうわけだけど」


 なんという出来レース。何で毎度毎度どいつもこいつもボクに選択肢というものをくれないの?


「じゃあ俺は誰と行けばいいんですか?」

「それはもちろん……」


 箱根さんは言いながらコーヒーをカップに注ぎ、湯気の立つそれを――


「君だよ」


 彼女の前に置いた。

 さっきから会話に入ってこれずに、ただカウンターの隅で黙りこくっているばかりだった女奴隷に。


「……え?」


 クローラはいきなり指名されてビョクッと体を震わせた。

 無理もない。初対面でまだ挨拶もろくにしてない人間にそんなことを言われたのだから。


「あ、あの……」

「申し遅れたね。僕はここの店長の箱根だ」

「く、クローラ……クエリ……です」

「知ってるよ」


 とだけ箱根さんは言うと、シュガーとミルクポットも添えた。

 二人は初対面だ。クローラは店の近くまで来たことは今まで何度かあったが、こうして面と向かって話したことはないはず。箱根さんも、リファ以外に同居人がいるということは俺は話していないのだが……どうして。


「あの……どこかでお会いしましたか?」

「……さぁ」


 彼はクローラの問いに肩をすくめるだけ。だったらどういうことだよ。

 疑問に思っていると、渚が軽く手を上げて答えた。


「あたしが話しといたんすよ。だいぶ前に」

「……ああそういうこと」


 まぁ普通に考えてそうだよな。


「そんなわけで。リファちゃんと同じ留学生なら、色々勉強もしておいたほうがいいと思うし。ここは一つ頼まれてくれないかな」

「……?」

「心配いらない。ただ別の喫茶店に行って、どう思ったか聞かせてくれるだけでいいから」

「……はぁ」


 穏やかな優しい口調で彼は女奴隷にそう言う。

 依頼された彼女は、出されたコーヒをちびちび飲みながらこちらを一瞥して、


「ご、ご主人様がよければ……クローラは別に」

「……」


 あくまで俺に判断を委ねるか。まぁ奴隷だから勝手に決められないと思ってんだろうけど……。

 しかしこれじゃあ、男女の違いと言うより、現代人と異世界人の違いで見方が変わりそうなんだが……。


「もちろんタダでとは言わない。行ってくれたら、しばらくリファちゃんにニアの散歩を任せてあげよう」

「引き受けたッッ!!!」


 女騎士、即答。

 シュバババ! とニアを抱えて彼女は俺達のもとまで走ってくる。


「これぞ千載一遇の好機! このようなうまい話は滅多にないぞクローラ! 今すぐその『すたば』とやらに行ってくるのだ!」


 千載一遇なのはいいけどさ、まずこの取引条件が前提からしておかしいんですが。

 うまい話なのはリファと箱根さんだけで、こっちは実質タダ働き同然なんだけど。何このブラック企業の縮図みたいな搾取の構造。ふざけんな。


「ご、ご主人様は……クローラと一緒は……お嫌ですか?」


 加えてこんな自らの不利益すら自覚してない社畜の生き写しみたいな奴。やべぇな完全に詰んだわこれ。


「わかったよ。行くよ行くよ。行きますよ。別にいいですよそれくらい」


 俺が観念して捨て鉢気味に了承すると、女奴隷も女騎士も飛び上がって喜んだ。


「じゃあ早速今日にでも行ってきてよ。今僕が地図書いてあげるから」

「ええ? 今日ですか? いくらなんでも急すぎじゃ……」

「善は急げだよ。はいできた。じゃあこれを君に預けるから、よろしくね」


 折り畳まれたメモ用紙を箱根さんから渡されると、クローラはふんす、と鼻息を吐いた。


「わかりました。ではご主人様、行きましょう!」

「え、ちょっと! 待ってよクローラ」


 俺の手を引っ張って強引に立たせ、クローラは勢いよく店を飛び出した。いつにも増して乗り気なように見える。一体なにが彼女をそうさせているのか甚だ疑問だ。

 そんな俺達の背中に店に残る三人の温かい送り出しの言葉がかかる。


「センパ~イ。お土産にタンブラー買ってきてくださーい!」

「バイトくーん! 彼女に出したコーヒー代、帰ったら払ってねー!」

「ポン太郎ぉ~♥」


 マジでトラックあの店に突っ込まねぇかな。



「とくに考えもせずに依頼を受けてしまいましたが……良かったのでしょうか」

「おせーよホセ」


 なんで今頃我に返ってんだよ。疑うんなら最初からそうしろやい。

 俺が即座にそうツッコむと彼女は聞こえにくい声で、


「それは、だってご主人様と二人で……ゴニョニョ」

「え? なんだって?」

「い、いえ! で、でも……なんかうまく口車に乗せられたような気がして……」

「いや実際乗せられてるから……」

「それに……」


 手に持ったメモ用紙を凝視しながらクローラは呟く。


「あの殿方……なんだか……怪しいというか」

「箱根さんか? 怪しいっていうか胡散臭いな。顔からしてそんな感じだし」

「顔は別に……」

「?」


 彼女は言葉が見つからないのか、口をパクパクさせたりして挙動不審だったが、やがて小さく独り言のように言った。


「クローラはただ、人の目を見て話さないお方が信用できないだけです」


 ……え?



「さて、ようやく着きましたね」

「そうだな」


 野を超え山を超え(嘘)、俺達はついに潜入先であるスタバに到着した。

 無骨で、やや小さめの店舗。収容数は十数人といったところか。

 特に飾りっ気のない看板には、シンプルなフォントで「ラーメン二郎」と書かれている。

 一見注意しないと見落としてスルーしてしまいそうな雰囲気だが、そこには目を疑うほどの長蛇の列ができていた。


「け、結構並んでいるのですね……」

「十、五六人はいるな。この分だと結構待つかも。どうする? またの機会にして帰るか?」

「い、いえ! せっかく来たんですし、このまま私達も並びましょう!」


 彼女のやる気に押され、俺達はその列の最後尾にて待機することになった。

 クローラは待つ時間を有効活用して、スマホ(俺が貸した)で熱心にスタバのことについて調べている。


「ふむふむ……スタバとはかなり規模の大きい喫茶店なのですね」

「いわゆるチェーン店だな。箱根さんとこみたいに個人で営業してるのとは違うタイプのやつさ」

「スーパーはそういう体系をとっていることは知っていましたが、喫茶店でもそういうのがあるのですね」

「スーパーやカフェに限らず、今はどこの店舗もそんなんばっかりだよ。安定してるし、儲けも出やすいし」

「確かに、その方が名前を知ってもらえる機会が多い……集客もその分効果が見込めるということですね」

「そういうこと」


 まぁ、そういうのがどんどん展開されてくと、Hot Dogみたいに割を食うところも出てくるんだけどね。


「でも、調べていくとこのスタバというのは、メニューの頼み方が独特なようですね」

「そうなんだよ。俺も数えるくらいしか行ったこと無いけど……ありゃ異世界人じゃなくても慣れるのには相当難しいぜ」

「なんと……ご主人様でも手こずるところなのですか……なんだかちょっと怖いかもです……前もってどんなものがあるか調べておくとしましょう」

「それがいいよ」


 そう話し込んでいると、店内からぞろぞろと人が出ていく。それに比例して、待機列も一気に動き出した。


「おっと、意外と早く入れそうだな」

「ふぇ? も、もうですか? えっと、ちょこれーとふらぺちーのがこれで……えっと……」


 焦りだすクローラを後ろに、俺達はいよいよスタバへと潜入捜査を開始するのだった。


「へいらっしゃい!」


 湯気が充満している厨房から、タオルを頭に巻いたおっちゃんが元気よく出迎えてくれる。

 カウンター席には既に何人もの客が座って、一心不乱に目の前の食事にがっついている。

 ズズズッ! ずぞぞぞぞぞ……。

 なんとも小気味よい美味しそうな音だ。見てるこっちも腹が減ってくる。


「お客様何名様で?」

「あ、二名です」

「はーい、二名様ね。席は一緒がいいですか? それだとお時間かかりますけど」


 むぅ、混雑時に複数名で来るとこういう弊害もあるか。だが、ここで右も左も分からないクローラと分断される訳にはいかない。

 俺は店員に一緒の席を希望する旨を伝え、壁際に寄ってまた少し待機することにした。


「クローラ、先に注文決めとけよ」

「ひゅい!?」

「席についてから頼んだんじゃ、作るのに余計に時間かかる。今のうちに言っておけば、席についた時にタイミングよく出てくるぜ」

「そ、そうですね。えっと……えっと……」


 目を白黒させながら、彼女は小声で前もって覚えたらしい品名をリハーサルよろしく繰り返すと……。


「あ、あの! すみません!」

「はいなんでしょう!」


 手を上げて呼んだクローラに、その中年店員は鍋をかき混ぜながら返事をした。

 彼女は二度三度深呼吸をして、息継ぎなしで一気に言った。


「ダークチョコチップクリームフラペチーノのトールをお願いしますっ!」

「食券買ってください」



 ○


「はいじゃあ二名様、席空きましたんでどうぞ」


 数分後、運良く並んだ二人客が同時に席を立ったため、俺達はやっと座ることができた。


「ふぅ、心臓がまだバクバク言ってます……」

「そんなに? でもちゃんと注文できたじゃないか、えらいぞ」


 よしよし、と頭を撫でてやるとクローラははにかみながら顔を赤くした。

 さて、注文したからと言って気を抜いてはいけない。なぜなら……。


「はいじゃあお客様、ニンニク入れますか?」

「あ、アブラカラメで」

「へいアブラカラメ。お次のお客様は、ニンニク入れますか?」

「ニンニクマシの野菜少なめでお願いします」

「はいわかりました」


 謎の応酬が店内のあちこちで始まる。クローラはキョロキョロと周りを見渡して困惑し始めた。

 もちろんここも誰もが通る道。俺は聞かれる前に彼女に耳打ちした。


「あれはトッピングの注文を聞いて回ってるんだよ」

「とっぴんぐ……ですか」


 いまいちピンとこなかったようだが、すぐにハッとしてクローラは俺のスマホでまた何か調べ始める。


「ありました……スタバではメニューを選ぶ他に、無料でいくつもトッピングをかけてもらうことができると!」

「そうそう。ああやって言えば、自分好みの味をカスタマイズできるってわけさ」

「喫茶店と言えば……お砂糖とミルクしか無いものと思っていましたが……結構種類がありますね」

「種類だけじゃなく、分量も細かく注文できるんだよ。工夫すれば組み合わせはかなり広がるぜ」

「さすがスタバですね……ここまで行列ができるほど人気が出るのもうなずけます」


 クローラは心底感心したように言うと、今度は自分が聞かれた時に備えてまたどのようなトッピングを注文するかのシミュレーションに入った。


「はい、じゃあお次のお客様、ニンニク入れますか?」


 来た。

 さぁ、果たして異世界人クローラちゃんは、初めて訪れたこのスタバにて、うまく注文できるのか。

 お手並み、拝見。


「ブレベでエクストラキャラメルソースのエクストラチョコレートエクストラアイスをお願いしますっ!」

「はい普通盛り一丁」


 ○


「はい小ラーメンお待ちどおさま」


 どんっ!!!

 と俺達の目の前に丼の上にこんもりと積もった山が置かれる。ボリュームたっぷり、まるでこれだけで一日もちそうな感じがするくらいだ。


「こ、これが、ダークチョコチップクリームフラペチーノ……」


 クローラはあまりの衝撃に言葉を失いかけている。まぁしょうがない。こんなのどこの喫茶店でもそうそうお目にかかれるもんじゃない。

 ニンニクのパンチのきいた臭い。シャキシャキのもやしとキャベツ。分厚く切られた豚。そして濃厚なクリーム色のスープ。もはやそれは食品の域にとどまらず、芸術品と呼ぶにふさわしい一品であった。

 それを証明するかのように、何人かの客はスマホ片手にパシャパシャと写真を撮ってたりする。画に収めておきたい気持ちも納得の品だ。


「こんなもの……口にするのは初めてです……」

「だろうなぁ。量多いけど大丈夫か?」


 ごくり、とつばを飲み込みながらクローラは目の前のフラペチーノとにらめっこ。そして恐る恐る割り箸に手を伸ばして、ぎこちなく割る。


「大丈夫です……問題ありません」


 小さくそう答え、彼女は意を決したように目を見開き、その野菜の山に顔を突っ込むようにして食べ始めた。


「ハムッ ハフハフ、 ハフッ!」


 勢いよくもやしとキャベツのハーモニーを堪能するクローラ。

 そんな姿を横目で観察しながら、俺は感想を訊いた。


「……どうよ」

「見た目もそうですが、味も……今までに味わったことのない非常に得も言われないものですね」


 口についた汁を手で拭いながらクローラは言う。

 さすが、過去に一度食べ過ぎでデブった経験のある彼女にしては(『女騎士とダイエット』参照)これくらいで怖気づくようなことはないようだ。きっと体型がもとに戻っても、胃袋の伸縮性は健在ということだろう。


「こんなものが存在していたなんて……この世界はまだまだわからないことだらけですね……ずずずずっ!!」 

「新しい発見できてよかったじゃないか」

「はい、ご主人様……ばぐばぐばぐ」 


 と呑気に話していると、バシッ! と誰かが大きくテーブルを叩いた。瞬間、店内に静寂が訪れる。

 ふと目をやると、叩いたのは小太りの若者だった。はぁー、と露骨にため息を吐いて首を振る。


「さっそく発見。盛りの豪快さをネタに、しゃべりまくる二人連れのカップル」

「……?」

「ロット乱しの元凶その一、『不要な私語』。マジギルティー」


 ……都市伝説かと思ってたが、リアルにいるとは思わんかった。

 言葉の真意が掴めなかったクローラは、そっと俺に訊いてくる。


「……? あの方は一体何を言っておられるのでしょう」

「クローラよく覚えとけ……スタバにはああいう人種が極稀に出現する。その名も……」


 意 識 高 い 系。


「いしきたかい……けい?」

「ハッキリ言えば、自分が高尚なことやってると思いこんで、実際の行動がそれに伴ってない奴のことだよ」

「……? 至って普通の人のように聞こえますが」

「ナイス皮肉」


 小太りはまだこっちをネチネチと睨みつけている。まずいなぁ……こんなとこで小競り合いなんて御免だぜ。


「よくわかりませんけど……私の振る舞いがお気に召さないので改めろ、というようなニュアンスでしょうか? 確かに今のは少しはしたないように見えたかもしれません……ただでさえ奴隷の私が一般市民の方々と席をともにしているのですから。礼儀はわきまえないと」

「……いやでも、だからって別にその通りにする必要なんて――」


 と、俺は言おうとしたのだが、クローラはそっと髪をかきあげて、ふーふーと麺に息を吹きかけながら音も立てずにすすり始めた。

 さっきのがっつきようとはえらい違いのおしとやかさだ。

 だが、小太りは再びクソデカため息をわざとらしく吐く。


「出たよ。長い髪を気にしながら、上品にすぼめた口で一本ずつ麺をすすりこむ奴」


 またか。


「ロット乱しの元凶その二、『女』。ギルティー」


 ビシッ、と箸の先端を俺に向けて無礼にもそう言ってくる意識高い系。クローラは、これでもダメなのかとますます困惑してしまう。


「大体お前ら、初めっからダメダメなんだよ。注文もコールの仕方もめちゃくちゃ。ここは他の麺バーとの協調性がモノを言う場所だぜ。ロットの乱れはオペレーションに重大な支障をきたすんだからよ。だからこの俺が親切に調整してやってんの、わかる?」

「……何様だよオメー」


 我慢がならず、聞こえないように俺は小声で言ったのだが、向こうは耳ざとくそれに反応した。

 鼻で笑い、やれやれと首を振りながら、ドヤ顔で。


「ロットマスター様だよ」


 ホントに何様だよ。

 俺は渋い顔をして何か言い返してやろうとしたのだが。


「……なるほど、スタバのこと、意識高い系のこと……少しわかりました」


 静かにクローラが目を閉じて言った。

 そしてポケットからゴミのひっついた輪ゴムを取り出すと、器用にそれで自分の髪をまとめ上げた。

 簡単なポニーテールになった彼女は再び箸を手に取り、どんぶりを左手でがっちりと持った。


「ご主人様……ここからはお互いこれに集中しましょう」

「え?」


 俺の返事も待たず、クローラはそのまま最初の勢いでもやしとキャベツの山を貪り始めた。

 半分くらいそれを削ると、箸を山の下に突っ込み、奥に眠る麺を全て引き上げた。

 クリーミーなスープをたっぷりと染み込んだそれを、大口を開けて一気にかっ込む。

 何も言わず、ただ黙々と、女奴隷は食らう。

 それを見た小太りは、ニヤリと笑って、


「ロットバトルか……面白い」


 もうそれ以上は何もいちゃもんをつけてくることなく、同じように自分の獲物に手を付け始めた。

 そして十分後……。


「ごっ……そさんです」


 空のどんぶりを置いて、苦しそうな声でクローラは完食を宣言した。

 だが小太りの方は、その一分前に自分のフラペチーノを平らげており、既に布巾でテーブルを拭いている最中であった。


「俺の勝ちだな」

「……」


 少し悔しそうにクローラは唇を噛んだ。

 初めてのスタバで甘いチョコレートフラペチーノを頼んだつもりが、苦汁を味わうことになるとは誰が想像しただろうか。


「だが、新参者にしてはなかなかの食いっぷりだ。俺の扇動は効果てきめんだったろ」

「!? それはどういう……」

「見てみな。他の奴らを」


 言われたとおりに周囲を見渡すと、クローラや小太りだけでなく、他の客も次々とどんぶりを置いて、片付けを初めている。

 これは……。


「見事に揃ったな。ロットはなんとか乱れずに済んだわけだ」

「……」

「この規律と調和の維持が全て。今回は俺がロットマスターとして的確な指揮を出したから保たれたわけだが……くれぐれも忘れないようにしとけよ?」


 そう言うだけ言って、奴はさっさと荷物をまとめて他の客と共に店を出ていった。

 完全に最初から最後まで奴のペースに乗せられていたというわけか。腹立たしいが、俺達の負けだ。

 クローラは何も言い返せず、ただ肩を落としてうなだれるのみだった。


 ○


 帰り道。

 クローラはお腹を抑えながら、俺の後方でびっこを引くように歩いていた。

 いくら喫茶店とはいえ、あのカロリーと糖分の塊は初見で挑戦するにはキツイものがあったかもしれない。


「大丈夫か?」


 俺が気遣うと、彼女は小さく笑って「大丈夫です」と小声で返事をした。


「やはりスタバというのはすごいですね。出されるメニューもさることながら、そこに集まる人達も只者ではありませんでした」


 クローラは店の外の自販機で買ってやった黒烏龍茶を飲み干して一息つく。

 俺はそんな様子を見ながら、軽く尋ねた。


「さっきスタバのこと、意識高い系のことが何となくわかったって言ってたけど……」

「ああ、そのことですか」


 彼女は少し歩を早めて、俺の横に並んだ。


「意識高い系……つまり彼らは……その場に酔っているのだと思います」

「……」

「あの場にいる自分がかっこいいと思いこんでいる。自分がそこに慣れ親しんでいるという満足感がほしい。純粋に空腹や喉の渇きを満たすのが目的ではなく、そういった雰囲気に浸りたい。そういうことばかり考えている方達なのだな、と」

「クローラ……」

「そしてさっきの方のように、初心者である私達を見下そうとする。優越感を得ようとする。これも意識高い系の特徴の一つではないですか、ご主人様?」

「……そうだな」


 やたらとSNSでアピールしたり。

 ファミレスや図書館でやりゃいいものを、長時間席占領して勉強始めたり。

 サイズの読み方が分かんない奴を嘲笑ったり。

 果てにはMacBookじゃなくてWindows使ってる奴を異端者扱いしたり。

 まともに喫茶店として利用してない奴らがいるというのがスタバの現状。ただの自分のアピールの引き立て役でしかない。 


「そして、そうやって蔑まれた人達は、自分も彼らに並ぼうとする。何度もそこに通って、彼らの真似事をする。不思議ですよね。そのお手本である彼らも、また他の誰かの真似事をしているだけなのに」


 クスクスとクローラは一人で笑い始めた。

 だがよく考えてみれば、本当に笑っちゃうような構図なんだよな。

 遅れたくない。取り残されたくない。たったそれだけがスタバを訪れる理由。


「一瞬バカバカしいなとは思いましたが、それがスタバのすごいところでもあるとクローラは実感しました」

「え?」

「だって、結果的にお客さんは沢山いたではないですか」

「……あ」


 なるほど。そういうことか。


「仕組みはどうであれ、商売という面で見ればスタバは間違いなく大成功していますよ」

「……」

「スタバという名前だけで客が集まる。その空気ができた時点で、勝ち組と言えるでしょう」


 その通りだ。

 人はそれをブランドと呼ぶ。

 質やコスパなど二の次。その名前がついてれば、それでいい。

 経営者側も、それを利用して色々アコギなことやってんだろうな。


「それを踏まえて、もう一つ大事なことに気づけました」

「何?」

「スタバは、誰にも真似できないです」


 クローラは体調も落ち着いてきたのか、そう言いながら大きく背伸びをした。


「客が注目するのは『スタバ』という名前があるかないか。スタバじゃない時点で、いくらそこのメニューや接客内容を真似ても、繁盛するとは思えませんね」

「そうだな。確かに、大御所の名前の持つ力は凄まじい。だけど、それ以外の店や企業が黙って潰れていくかって言うとそうでもないぞ」

「? どういうことです」

「長いものには巻かれろってやつだよ」


 俺は人差し指を一本立てて説明を始める。


「いくら経営戦略や方針を変えても、名前のあるなしで勝負がついちまうなら、いっそその名前を借りちまえばいい」

「名前を……借りる?」

「そう。元の店名じゃやってけないから、スタバみたいな大物に『うちの店をスタバってことにして営業させてくれ』って頼み込む。それがフランチャイズっていう仕組みさ」

「ふらん……ちゃいず」


 俺が言うと、女奴隷はその謎の言葉を小さく反芻する。


「……それはつまり、傘下に入るということですか?」

「似たようなもんだよ。個人でやってると色々な経営に関することは一から初めなくちゃいけない。でもフランチャイズに加盟すると、スタバのノウハウも全部教えてもらえるし、何より名前の集客力である程度の利益も約束される。いいことづくめだろ」

「なるほど……長いものには巻かれろとはそういう意味ですか。店そのものを真似るシステム……考えもしませんでした」


 クローラはそう言って大きく二度三度頷いた。


「ワイヤードではどこのお店も、自分が一番儲けようと必死になっていたようでしたが……ここの世界は違うのですね。自分の店を無理に押し上げるのではなく、既に成功しているものを利用していく……。非常に賢いやり方だと思いますです」

「ま、このやり方をあの無能店長に言ったところで納得するとも思えねーけどな」


 俺が冗談交じりに笑いながら言うと、彼女もつられて吹き出した。


「あはは……やっぱりそこは譲れないっていう方もいらっしゃるのですね」

「ここでしか体験できないものを提供したい。まぁそういう経営者としてのプライドがあるんでしょ」

「ここでしか、体験できない……」

「チェーン店だと、どこに行っても同じメニュー、同じ味。それってなんていうか、特別感が薄れるだろ? 今日のスタバだって、全国に沢山あるけれど、全部中身は一緒だぜ?」

「特別感……ですか。なるほど、それもそうですね」


 でも、とそこでクローラは区切って俺の方を上目遣いで見つめてきた。


「さっきのスタバも、特別といえば特別でしたよ?」

「え?」

「今日あの場でしか味わえなかった、貴重なものをクローラは経験しましたもの」

「それって……」


 クローラはそこで俺を追い越すと、こちらを振り向いて後ろ向きに歩きながら言った。

 とても晴れやかな、満面の笑みで。


「ご主人さまと、二人で一緒に行けたことですよ」


 ……そっか。

 どこにでもあるような店に、ただ訪れただけだと思ってた。だけど、こいつにとってはこれ以上ない冒険だったんだな。きっとすごくいい思い出になったことだろう。

 見え方の違い……こんなところで気づくとは思わなかったよ。


「ご主人様。よければ、またこの特別な思い……させてくださいませんか?」

「……ああ」


 俺ははっきりと返事を返した。

 こんなことでよければ、何度だって、どこにだって連れてってやるさ。

 そんなこんなで、一件落着。俺達のスタバ潜入ミッションはこうして幕を閉じたのであった。

 めでたしめでたし。































「ご主人様」

「何?」

「そろそろツッコミ入れてもいいですか」

「ダメ」

「でも――」

「ダメ」

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