9.女奴隷とダイエット

「「「いただきまーす」」」


 ちゃぶ台を囲って、今日も美味しい夕食の時間がやってきた。

 今日の献立は、カレーライス。

 これを嫌いな者がほぼ皆無のこの料理は、異世界人であるこの二人にも好評だった。


「ばぐばぐばぐ……ん~♥ やっぱりかれーは美味しいですね!」

「……」

「……」

「この世界に来てから色々な料理に出会いましたが、その中でこれが一番だと思います!」


 ものすごい速さでスプーンを動かし、幸せそうにカッこむクローラ女史。

 それを俺とリファは少々冷ややかな目で見つめていた。

 互いにまだ一口も手を付けていない。


「んぐんぐんぐ……あれ、お二人とも食べないのですか?」

「……あぁ」

「食欲が無いのですか? もしかして(ばくばく)どこか体調が悪かったり(もぐもぐ)するのですか!?(ごっくん)」


 クローラはこちらを気遣うように言ってくる。

 だがスプーンを動かす手は決して止めなかった。

 別に俺もリファも具合が悪いわけではない。

 本来であれば、俺も彼女もクローラ同様に目の前のご馳走にありつきたいところ。

 なのだが……。


「あっ、ご主人様。おかわりもらいますね!」


 言うのと同時に、女奴隷は立ち上がってキッチンに小走りで向かう。

 皿にごはんを山盛りに、カレーをこぼれそうなほどたっぷりかけて戻ってくる。

 そして幸せそうに食事を再開。

 よく噛みもせずにまるで胃の中に流し込むように食らう。

 カレーは飲み物とはジョークだとばかり思っていたが、本当に飲んでるみたいだ。


「差し出がましいようですが、食事はきちんと摂った方がよろしいですよ。ごはんは毎日の元気の素ですからっ。もぐもぐ」

「……うん」

「それに、食べ物ほどこの世で貴重なものは存在しません。それを粗末にしてたらバチが当たりますです……ずず~っ」


 クローラは皿を持って傾け、もはやスプーンすら用いずにカレーを平らげた。

 そして口元を手首で拭いながら、


「けぷぅ。やはり飽きが来ないですねこの味! いくらでも食べちゃえます。もう一杯おかわり……」

「奴隷」


 再びキッチンに赴こうとするクローラをリファが止めた。


「ど、どうしたんですか」

「貴様……ここ最近やたらと食い過ぎだぞ」

「へ?」


 そう指摘されても、当人は小首をかしげるばかり。


「そうでしょうか?」

「そうだもなにも、毎食おかわり5杯以上はしてるぞ。自分で気づかなかったのか?」


 その通り。

 クローラの食事量はこの1ヶ月くらいで急激に増加した。

 最初のうちは、まだご飯1杯で満足するレベルだったのが、今じゃ4杯目までは当たり前な状況。

 おかげで1日に2回以上米を炊くのも珍しくない。

 主菜や汁物も、余った分は冷蔵して次の食事に回していたのに、1食で作った分全てが底を尽きるように。

 一体どうしてこうなった。

 少し前まで「ご主人様ってとてもたくさんお食べになるのですね!」と言われていたのに、まったく立ち位置変わってんぞ。


「それはきっと、ご主人様の作る料理がとても美味しいからだと思います!」

「……おう」


 だめだこいつ、何でこんなこと言われてんのかまるでわかってない。


「あ、もしかして……私がいっぱい食べているから、お二人の食べる分が減ってしまっていたりとか……」

「そんなんじゃないけど……」


 正直自覚してほしい問題だったが、指摘する他なさそうだ。


「クローラ、気を悪くしないで聞いてほしいんだがな」

「? なんでしょう」


 俺は苦い顔をしつつも、単刀直入に告げた。


「なんていうかその……太ってないか?」


 そう。彼女は以前に比べて確実に太っている。

 細身でありながらも、なかなか均整の取れていた体型は、いつの間にか釣り鐘みたいになっている。

 腕も足も、空気を入れたみたいに膨らんで、全体的な大きさは1.5倍近くまで増加。

 首元も顎の肉が肥大化して、首輪が隠れてしまいそうなほどまでに。

 彼女の標準装備は裸エプロンという非常にセクシーなもの。しかし、今では体格と相まってその姿はもはや金太郎。まさかりかついだらマジでそれっぽくなりそう。

 とはいえ、年頃の女子に面と向かってそんなことを言うのも気が引ける。

 ここでショックを受けて絶句。挙句泣き出してしまうかも、などと心配したが。

 それは杞憂に終わった。

 彼女はただ首を傾げて聞き返すだけ。


「誰が?」

「いや、お前が」

「なぜ?」


 何故もクソもねぇよ。見るからにデブってるから言ってんだよ。


「私が……太ってる?」


 クローラは自分の肢体をマジマジと見つめるが、どうやら何の違和感も感じていない模様。


「誰がどう見たって体つきが変わってるだろ。流石にこれはまずいって。なんとかしないと」

「何をです?」

「いや、体型を」

「誰の?」

「お前の」

「なぜ?」


 こいつ耳腐ってんのか。

 自分が太ってるって知って何の危機感も感じないとか、そんな奴ばっかなの異世界人って?

 それとも、奴隷だから太るということがどういうことなのか理解できてないとか?

 確かに、今までの彼女の食生活が、現在のような満足行くようなものだったとは考えにくいけど……。


「やはり……奴隷の身としては、分をわきまえない食べ方でしたでしょうか」

「奴隷がどうとかいう問題じゃなくてだね……」


 しゅんとしてうつむくクローラに、俺は眉間をつまみながら言う。


「肥満ってのは健康的に見てまずいものなんだよ。下手すりゃ病気になったりするし」

「クローラは別に病気ではありませんが」

「今はそうかもしれないけど……とにかくこのままこういう食生活続けてると身体に良くない」

「誰の?」

「だからお前の」

「なぜ?」


 腐ってんのは頭か。

 既に脳みそが病気になってんじゃねぇかよ。

 俺がますます途方に暮れたその時だった。

 バン! とリファが掌でテーブルを叩いた。

 俺もリファもびっくりして体を震わせる。


「もういい」


 顔を伏せたまま、静かに女騎士は言った。


「リファ?」

「マスター。もはや情けは無用……そろそろ心を切り替えるべき時ではないか?」

「ど、どうしたんだよいきなり」

「私達は、この奴隷を甘やかしすぎてたかもしれんということだ」


 リファは腕を組んで、女奴隷の方を顎でしゃくる。

 肝心の本人はキョトンとして目をパチクリさせるのみ。


「騎士団時代の私なら、とっくに喝を入れて然るべき事態……それを今の今まで見過ごしてきてしまった。これは私達の責任でもある」

「……」

「だからこそ、このような状態には終止符を打たねばならん! そうだろうマスター!」

「お、おう」


 拳を握りしめて力説するリファに俺はぎこちなく頷いた。

 そんな様子を交互に見つめながら、クローラはなおも咀嚼を続行。


「なんだかよくわかりませんけどがんばってくださ――ふぎゃ!」


 最後まで言えない、言わせない。

 怖い顔をした女騎士が、女奴隷の胸ぐらをつかみあげていた。

 こめかみをヒクつかせながら、鬼教官は言った。


「貴 様 も 頑 張 ん だ よ」


 ○


「まず第一に、最近のお前の生活はだらしなさ過ぎる」


 歯に衣着せぬ物言いでリファは説教を開始。

 しかしクローラは未だに理解を示す兆しがない。


「もぐもぐもぐ……だらしない……具体的にどのへんがでしょう?」

「そうやってものを喰いながら人の話を聞くところがだ!!」


 バァン! と彼女のげんこつがちゃぶ台に振り下ろされる。


「ですが、今は食事の時間ですから。お話よりは食べることを優先させるべきでは?」

「メシよりも大事な話をしてるんだ阿呆!」

「!? ごはんより……大事な、こと……?」


 どうやらそんなもの存在しないと思っていらっしゃるようですぜ。

 荒い息を吐き、牙を剥き出しにしながら彼女は目の前のデブに問う。 


「貴様、一日一体何をして過ごしている?」

「ばぐばぐ……ん~。朝起きてー。朝ごはん食べてー」

「……」

「その後は、お昼ごはん食べてー」

「……」

「夜になったら、晩ごはんを食べて過ごしてますけど?」


 ……重症だこりゃぁ。

 どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。いや保護者俺だけどさ。

 リファもさすがにここまでひどいとは思っていなかったのか、さっきよりも脱力気味。

 はぁー、と長い溜息を吐いて彼女は俺に目配せした。 


「マスター。例のものを」

「おうよ」


 俺は部屋の隅に置いてある買い物袋に手を伸ばす。

 そしてその中に突っ込まれていた物を引っ張り出してみせた。

 正方形で、真ん中上部にメーターのようなものがついている。


「ご主人様……それは?」

「体重計……文字通り、自分の体重を量る道具だ」


 クローラの体型激変に気づいた俺とリファで、今日雑貨屋にて購入してきたものだ。


「体重……重さを量るもの、ですか? 天秤のように」

「まぁそんな感じだ。これで今のお前の重さを数値化する」

「なぜ?」

「うんもうその掛け合い飽きたからやめて」


 俺は体重計をフローリングの床に置いて、彼女を促す。


「よし。じゃあクローラ、これに乗って」

「まだ食べてる途中なんですけど」

「い い か ら 乗 ら ん か!」


 リファが無理矢理彼女を立たせて誘導。

 渋々クローラは体重計の上に足を乗せた。

 みしっ……という鈍い音が響いてメーターが反時計回りに回転。

 動きが止まり、針が指し示す数字とは……。


 80.53kg


 ……予想はしてたが、予想以上だった。

 なかなかエグい数字だな。男子の標準体重すらここまでいかねぇよ。


「……マスター、どうだ?」


 リファが怪訝そうに尋ねてくる。

 クローラはもちろん、彼女も体重計を見るのは今日が初めてだ。

 なので当然、数値が適正なのかどうかの判別もついていない。


「リファ。今度はお前が乗ってみろ。そうすりゃわかると思う」

「む。わかった」


 言われるがままに、リファはクローラと交代。

 さて、気になる結果は……。


 55.42.kg


「25以上も差が……私の半分の重さ分、奴隷のが上ということか」

「これではっきりしたろ」


 二人共身長はそう変わらない。

 なのにここまで差が開くということがどういうことか……。

 数字は嘘をつかない。示されるのは現実のみ。

 これでいい加減現実と向き合ってほしいが……。

 と、期待を少し込めてクローラの反応を伺うと――。


「わぁい、私リファさんよりも大きいですぅ! やったぁ♪」


 ウキウキで飛び跳ねてやんの。

 現実と向き合って出るリアクションがこれとかどーしょもねぇな。

 体重は重いのに、なんでこう頭は軽くなっちゃったんだか。


「……」


 あーあー。ほーらリファちゃん火山大噴火寸前だよもう。

 顔に青筋も浮き上がってるし、まさに一触即発。おお、怖い怖い。

 わなわなと震える拳を、さぁどうするのかと思っていたが。

 意外にも、それを下におろし、リファは大きく息を吐いた。


「マスター」

「あ?」

「しばらく食事は私が作ろう。構わないな?」

「お前が? 別にかまやしないけど」


 リファは異世界にいた時から度々炊事係を買って出ていたようで、料理の腕はそこそこのものだ。

 今でもたまに(俺がバイトの時とか)やってもらっている。


「リファさんが作ってくれるんですか!?」


 目を輝かせ、晴れやかな笑顔を浮かべながらクローラが嬉しがる。

 それに対してリファも笑顔を返して頷く。

 だが後者は、その裏にものスゲェ煮えくり返った何かを含んでいるようにしか見えなかった。


「ああ、私がお前のための特別メニューを考えてやるから、覚悟して楽しみに待ってろ」

「わぁいリファさんのごはん! クローラ、リファさんのごはんだぁいすき!」


 ポッコリお腹をブルンブルン震わせながらクローラはまた飛び跳ねる。

 その輝いた目がいつ曇るんだろうな、と俺は何気なく思った。


 ○


 翌朝。


「メシだぞ」


 言いながらリファが料理をちゃぶ台へと運んでくる。

 彼女は今朝珍しく早起きし、厨房でせっせと調理に勤しんでいた。

 さてさてどんなものができたのやら……。

 既によだれを垂らしながらテーブルで待機していたクローラは、待ってましたとばかりに献立を確認。

 そして。  


「は?」


 女奴隷さん、真顔。

 俺も真顔。


 以下、メニュー。


 ・おにぎり:一個

 ・メザシ:一匹

 ・温野菜サラダ:小鉢一つ。


 以上。

 いやマジでマジで。以上。


「リファ、さん……?」

「どうした? 貴様向けのメニューだ。存分に喰え」


 クローラは引きつった表情をリファに向けるも、彼女はすまし顔でそう返す。


「じょ、冗談きついですよ~。まさかこれだけなんて……言わないですよね?」


 茶化すように言っても、リファは何の撤回もしない。


「あ、まだ主菜の方を作ってる最中とか? だから先にこちらの方だけ出してきたんですね。実は後からもっと美味しいものが出てくるんですよね!?」

「出ない」

「……え?」

「これだけだ。これが貴様の朝食の全てだ」

「ええーーーー!?」


 この世の全てに絶望したような表情で、クローラはちゃぶ台から身を乗り出した。


「そんなのひどすぎます! どこの世界にこんな貧相な朝食があるんですか!?」

「ここにあるだろうが」

「何言ってるんですか!(もぐもぐ) こんなもの!(ガツガツ) 食事のうちに入りませんよ!(ばくばく)かれーとかはんばーぐとか作ってくださいっ(ごくん)」


 文句言いつつ全部平らげてやがるあたり、もはや食ってるって自覚すらないようだ。


「ふざけるな。貴様は今まで目に余るほどの量を食いつぶしてきた。今の貴様の体型はその代償。精算はせねばならん」

「んじゃおかわり!」

「あるわけないだろうがこのアホンダラ!」


 怒号で一喝するリファ女史。


「いいか、兵士というのはな、いついかなる時でも戦えるよう万全の状態でいなければならんのだ! そんなふざけた図体で戦場に赴けると思ってるのか。一歩も動く前に死ぬぞ!?」

「私奴隷なのに……」

「ならなおさらだ! 主のために身を粉にして働くべき者が、食に貪欲であるなど到底許されん!」

「そんな……」

「恨むなら、喰ってばかりいた自分を恨むのだな」

「うぅ……」


 クローラが心底つらそうな表情で目尻に涙を浮かべても、リファは一歩も譲らない。

 まさに心を鬼にしているというように。


「だが安心しろ。このメニューでしばらく続けていれば、もとの身体には戻れるはずだ」

「え゛!?」


 言われた途端、クローラの顔が血の気が引いたように青ざめた。


「しばらくって、今日の朝ごはん限定じゃないんですか!?」

「たわけ! んなわけあるか!」

「そんな……こんな食事を何日も続けたら……クローラ、死んじゃいますよ」


 本当に死んでしまいそうな声。ちょっとかわいそう。


「痩せる基本は食わないこと。これが……なんだ、ええとあれだ……『だいえっと』だったなマスター!」

「……ああ」

「最初にその言葉の意味を知った時は少し驚いたぞ。この世界では肥満が一種の問題になってるそうではないか」


 嘆かわしいといったように、彼女はこめかみを押さえる。


「太るというのは、食い過ぎることでしか起こり得ない症状。そんなもの普通に生活していればなるわけがない。だが、今では誰しもがその危険と隣り合わせになっている……よもやそんなことで悩む時が来るとは夢にも思わなかった」


 飽食文化。


 今の日本を表すにふさわしい単語。

 戦後、ほとんどの国民が「食べ物に飢える」という問題には縁がない。

 安くてうまいもんはどこでだって買える。飲食店もいたるところにある。

 種類を問わなければ、腹を満たすのは難しくもなんともない。


「ワイヤードでは、誰もが明日を食いつないでいくために必死で働いていた。この世界はまるで逆だな。食べ物に対する感謝の念がないのか?」

「ここみたいな国に限って言えばな」


 俺はおにぎりを食べつつ彼女の言葉に付け加えた。


「別に、この世界全部がそういうわけじゃない。俺らがこうして飯を怠惰に喰ってる間にも、どこかの国じゃ餓死している人が大勢いる。お前の言う通り、必死で働いても今日のメシすら食べられない人達もいる」

「貧富の差……か」


 面白くないと言ったように、女騎士は苦い表情を浮かべる。

 そう、貧富の差。

 食べすぎてデブるなんてのは、まさに富裕層特有の悩みだ。

 反対に、多くの貧しい人達が直面する悩みが……飢え。

 でもこの二つには決定的な違いがある。それは――。


「自分の力でどうにかできるか否か」

「そう」


 飢えている人に「パンがなければケーキを食べろ」と言っても無理な話。

 でも、食べてばかりで太ってる奴に「じゃあちょっとは控えろ」と言うのは、なんら理不尽な事ではない。


「私はこれまでいろいろな文化や風習を学んだが、一つ気付いたことがある」


 メザシをフォークでぶっ刺して、頭からかぶりつきながらリファは言った。


「取り入れるべきものとそうでないものがあるということだ」


 ……ごもっとも。


「到底、こういう食べ物のありがたみを無下にするような慣習には感化されるべきではない。そうなった場合、どうなるかいい実例も現れたことだしな」

「それってなんです? リファさん」

「お 前 だ よ !!!」


 クローラの鼻っ面に人差し指をグリグリ押し付けてリファは怒鳴る。


「そんなぁ、私は食べ物にいつも感謝してますよ。ちゃんと『いただきます』も言ってるし」

「感謝というのは、好き勝手食いつぶしていいという免罪符ではないのだぞ! 後先考えず命の綱の食料を浪費しておいて、どの口が言うんだ!」

「……あぅ」


 リファにしては珍しく正論で叩き伏せたな。

 すっかり萎縮してしまったクローラを前に、彼女は立ち上がった。


「とにかく、貴様のたるんだ精神を今日から叩き直してやる。食器を洗い終えたら出かけるぞ!」

「えぇ~、どこにです?」

「行けばわかる」



 ○


 一時間後。


「こらー、速度が落ちてるぞ!」  


 俺が漕ぐ自転車の荷台に腰掛けながら、リファが叫ぶ。


「へぇ……へぇ……なんで、私が……こんな……」


 そしてその横を、ジャージを着込んだクローラが息も絶え絶えに走っていた。

 ここは多摩川の支流である浅川……の、更に支流である南浅川沿いの道。

 ゆったりと流れる落ち着いた感じの川だが、ここの特徴は何と言っても、川に沿って続くサイクリングロードだ。

 自転車で走る人もいれば、ランニングをする人もいる。

 車が通らないから、運動をするにはうってつけの場所ってわけだ。


「はぁ……はぁ……ちょっと、きゅうけい……させて……くらはい」

「むぅ、しょうがないな。マスター、止めてくれ」


 路肩に自転車を止め、少し休憩の時間。

 肩で息をするクローラに、俺はペットボトル入りの水を差し出す。

 ものの数秒でそれを飲み干し、彼女は深い息をついた。


「これが……やせるための……方法、なのですか……」

「当然だ」


 河川敷の石ころを川に投げ込みながらリファが言う。


「だいたいお前は外に出なさすぎだ。ずっと家に引きこもりっぱなしで体を全く動かしていない。そんなだから肥満を加速させるんだ」

「それはそうですけど……。でもご主人様が買い物とかで外に行く時は、いっつもリファさんが一緒に行くって言うじゃないですか……。だから私は家でできる家事をやってるんですけど……」

「うっ……そ、そうかもしれんが、お前が外に出ない言い訳にはならん! 今後は毎日この道を走ってもらうからな」

「そんな……これも毎日ですかぁ」

「甘ったれたことを言うな。騎士団の訓練に比べれば生ぬるいレベルだぞ」


 クローラは少し顔を背けてぼそっと言った。


「知ってますよそんなこと……」

「んぁ?」

「い、いえなんでもないです」

「……? まぁいい、休憩は終わりだ。はやく走り込みに戻った戻った」


 そんなこんなで、リファ教官による地獄のダイエット作戦が幕を開けた。

 大幅な食事制限、そして毎朝のランニング往復で10キロ。 

 かなりシンプルではあるが、非常にキツイ。

 少なくとも今のクローラにとっては。

 泣き言を言っても、騎士団兵長は聞く耳を持たず。

 正直奴隷だから、こういう「罰」みたいなのには慣れてると思ったんだがな。


 ……いや、慣れてるのはむしろこちらの世界なのかもしれない。

 こうやって平和で、誰にも差別されることのない、優しい世界。

 そう考えれば、この程度のことが本当に辛いと思えるのであれば、それだけで転生した価値はあるのではないだろうか。

 そんなことを思いながら、俺は二人を温かい目で見守るのだった。


 ○


 数週間後のある日。


「おい奴隷ー、走り込みの時間だぞ。さっさと支度しろ」


 いつものように、ランニングへと駆り立てようとリファが呼びかける。

 そして普段なら、クローラが嫌そうな顔でもそもそとジャージに着替え始めるのだが。

 今日は違った。

 彼女はこちらに背を向けて床に寝そべりながら微動だにしない。


「おい奴隷! 聞こえてるのか?」

「……」


 返事はない。寝てる……わけではなさそうだが。

 少しムッとしてリファは少々語気を荒げて、


「おいこら奴隷! 貴様何をぼさっとしている!? 聞こえてるならきちんと返事を――」

「うるさい」


 空気が一瞬にして張りつめた。


 今……なんて? クローラさん。

 なんかちょっとすげぇ言葉が聞こえたような気がしたんだけど。

 聞き間違いかな? ボクの聞き間違いかな?

 だがどうやら聞き間違いではなかったみたい。

 だって、隣のリファが一瞬にしてブチギレ寸前になってんだもの。 


「な、んだと……奴隷……」

「……」

「貴様!? もっぺん言ってみろ! 何と言った今!?」

「うるさいっつってんです。毎日毎日ギャーギャーと……赤ん坊ですかあなたは」

「……は?」


 そこでようやくのっそりとクローラが上半身を起こした。

 そして死んだ魚のような目でこちらを見据える。


「何が走り込みですか……そんなに走りたいなら自分一人で行けばいいじゃないでしょう、まったく」

「な……おまっ……」


 ……なんか今日のクローラ、高くない?

 どうするリファちゃん、処す? 処す?


「奴隷の分際で、何だその態度はァァァァァァ!!!」


 処すことになった。


 腰に下げていた100均ソードを引き抜き、猪突猛進。

 おもちゃとはいえ、叩かれたらそこそこ痛い(経験談)

 ホップ・ステップ・ジャンプで、リファは容赦なくその剣身をブチ込もうとした。

 が。


「ふんっ!!」


 すんでのところで、まさかの反撃が来た。

 一歩踏み込んでの、タックル。

 向かってくる女騎士に、ただ体当たりをかましただけ。

 それならおそらく元軍人であるリファにとっては、何のダメージにもなりえないだろう。

 しかし、肥満によって体躯がかなりでかくなっていたクローラのそれを食らってしまったら……。


「ぐはっ!」


 表情が歪み、少し身体が宙に浮いた彼女は床に尻餅をついた。


「リファっ!」

「っつ……」

「キレやすい上にすぐ暴力に訴える……軍人ってこれだから嫌なんですよね」


 侮蔑を込めた眼差しを向けながら、クローラは冷ややかに言った。


「貴様ぁ……何のつもりだ」

「もうあなたの下にいるつもりはないってことですよ」

「何!?」

「太ってるのが悪い? 痩せてないと弛んでる? リファさん、そんなのもう古いんですよ」

「どういう意味だ!」

「まさかリファさん、知らないんですか?」


 食ってかかるリファに、女奴隷は嘲笑するように答えた。   


「マシュマロ系女子という言葉を!」


「「……は?」」


 俺とリファは同時に呆けた声を上げた。


「昨日偶然知ったんですよ。今のこの世界では、肉付きが良くてぽっちゃりした女の子が美しいとされているとね!」


 ……おいおい。

 まさかこの反抗的な態度って、それが起爆剤か!

 マジかよ、最悪のタイミングで最悪なワードが……。


「肉付きが良くてぽっちゃり……まさに今の私そのものじゃないですか。私は今マシュマロ系女子という地位を手に入れたんですよ。それを手放させようとするなんて……リファさん、浅ましいですね」

「……なんだと?」

「大方、私のほうが美しくなってしまうとまずいと思ったんでしょう? だから、なんだかんだ理由をつけて痩せさせようとした。違いますか? でも、もうその手には引っかかりませんよ」

「何を馬鹿なことを……」

「少しを口を慎んだらどうなんですか? いや、慎みむのですわ」

「っ!?」


 とうとう敬語すら使わなくなった。それどころかなんかお嬢様口調に……。


「私はマシュマロ系女子。頭が高すぎますわよあなた達……分際をわきまえるのですわ」

「おいクローラ、お前いい加減に――」

「マシュマロ系女子に向かってなんですのその口の利き方は! 今すぐそこに跪きなさい!」


 完全に立場逆転。まさに下克上だ。

 体重だけでなく性格まで変わっちまうなんて……。


「いいですの……私は太っている。そしてこの世界ではそういう人間が重宝される。ワイヤードでも、貴族や役人などの身分が上のものはみんな太っていた……。この意味があなた達にわかりまして?」

「はぁ?」


 聴き返す俺に対して、クローラは目をカッと見開いて声高に叫んだ。


「この世界では、太っているものこそが偉いということですわ! つまり私の方があなた達より偉いのでしてよ!」


 なんだその三段論法! 

 いつマシュマロ系女子なんてもんがカースト上位に君臨したよ!?

 こいつ絶対ろくでもないサイトでこのこと知りやがったな。

 くそう、迂闊だった。履歴調べてブロックしとかなきゃ。


「落ち着けクローラ! マシュマロ系女子なんてのは身分の証明にはならない! ワイヤードでお偉いさんが太ってんのも、そいつらが富裕層だから相対的に太れるような暮らししてたってだけだろ!?」

「うるさいうるさいですの! 愚民のくせに私に意見するとは無礼ですわよ!」


 ああくそ、このタカビー全然話聞いちゃいねぇよ……。

 一体どうすれば……。


元素付与エンチャント」  


 突如、リファが立ち上がってそう唱えた。

 気がついたときには、彼女の100均ソードに、バチバチと爆ぜ、蛇のように畝り、眩しく発光する電流が宿っていた。

 雷のエレメントか……。


「少し厳しくしてきたかと思っていたのだが……どうやらまだ甘やかしすぎていたみたいだな」

「お、おいリファ……」

「ここで少し灸をすえて置く必要がありそうだ」


 ヴン……と彼女が剣を一振りすると、ライトセーバーみたいな音が鳴った。

 女騎士はそれを両手で構え、二度目の攻撃を仕掛ける。


「その思い上がりの報い……受けるがいい! 天に閃け! 地に響け! 走る雷の光牙、全てを切り裂き、全てを焼き払――」

「えい」


 再びクローラのタックルがクリーンヒット。

 リファさん、二秒で地に沈む。

 敗因:口上長すぎ。


「神速のナイトレイダーも大したことありませんわね。むしろトロすぎてあくびが出ますわ、この豚が!」


 豚みたいな奴に豚と馬鹿にされるとか、相当舐められてんな。

 くそ……ここで揉み合ってても何の解決にもならない。一旦退こう。


「リファ、逃げるぞ!」


 俺はノックダウンされた彼女をお米様抱っこし、一目散に玄関へと走る。


「おーっほっほっほ! 無様に逃げなさいな愚かな愚民達。マシュマロ系女子に刃向かうなんて100年早くってよ!」


 奴の高笑いを背に、俺はほとほと呆れはてながら自分のアパートを飛び出したのだった。



 ○


 その後。

 近所の公園にて。



「ああもう! 何故私が負けるのだぁ!」


 怒りを発散させるように、ブランコを大きく揺らしながらリファは叫んだ。

 その隣のブランコに腰掛けていた俺は、何気なく宙を仰ぐ。

 しっかし厄介なことになったなぁ。

 ダイエット作戦はこれで頓挫。このままじゃあいつはまたブクブク太っていく。

 本当に深刻になってきつつあるこの問題……どうするか。


「奴隷のくせに……ワイヤードだったら即斬首刑だぞ……」

「まぁまぁ」

「マスターも少しは真剣に考えてくれ! これは私やアイツだけの問題ではないぞ!」

「そりゃわかってるよ。でも、お前に任せてみたいとも思ってたんだ」

「? どういうことだ」


 ブランコのスピードを落としてリファはそう問う。


「だって、最近は二人の問題って全部俺が解決してただろ。でも今回は、クローラの問題をお前が率先して解決しようとしてくれてた。だからだよ」

「マスター……」

「いつまでも俺に頼ってたら、自立はできない。大切なのは、自分でなんとかしてみようって気持ちなんだよ。それが持てるだけでも、すげぇ成長したなって思うぜ」

「……あ、ありがと」


 少し顔を赤らめてリファは顔を背けた。

 でもすぐにその表情は曇っていく。


「でも……私は失敗した。奴隷の体型を元に戻そうとしたのに……ただ悪化させただけだ」

「リファ……」

「どれだけ立派な行いだろうと、結果が伴わなければ意味がない」


 そりゃまぁそうだ。

 現に俺達は何の解決もしてない。

 さてどうしたもんか……。


 ピロリン♪


 と、そこで小さなメロディが鳴った。

 なんだろう、スマホの通知音かなにか?


「……私のみたいだ」


 リファはブランコを止めて、ワンピースのポケットから自分のスマホを取り出してチェックする。

 LINEかメールでも来たのかな?

 彼女はしばらく画面を見つめていたが、途中で大きく目を見開いた。

 そしてポツリと呟く。


「そうか……そういうことだったのか」

「え? 何が?」


 俺が訊いても、彼女は答えずに立ち上がった。


「マスター。自宅に戻ろう」

「は? いや、でも――」

「大丈夫だ。奴を正気に戻せるかもしれない」


 なんだそりゃ。ていうか今何見てたんだよ。

 そう問いかける間もなく、彼女は走り出していた。


「あ、待てよ!」


 少し遅れて俺も後に続いて駆け出した。

 まったくもう、さっきの二の舞いは御免だぜ?


 ○


「性懲りもなく、戻ってくるとは……威勢の良さだけはいっちょまえですわね」


 我が家へと帰還した俺達をデブクローラが迎えた。

 周囲にはポテチやチョコの袋が散乱している。

 くっそ勝手に食いやがってこの野郎……。


「いいですわ。なんど来ようが返り討ちにして差し上げましてよ」

「……」


 リファは無言で彼女を睨む。

 一体どんな策を考えてんだ。

 ていうか、極力暴力沙汰じゃない方法で収めてほしいんだがなぁ。


「っ!」


 リファは踏み込み、リビングに居座るタカビーへと突進した。

 クローラもクローラで、カウンターをいつでも決められるように構えを取る。

 そして両者が、ぶつかり合う――。


 と、思っていたのだが。


 衝突は、起きなかった。

 リファは吹っ飛んでいない。かといって、クローラに何かダメージがいったわけでもない。

 俺は一体何が起きたのかと思い、目を凝らして現状を確認。

 そして驚愕。

 そこにあったのは、戦争の決着などではなかった。


 なんと、デブクローラを、リファが優しく抱きしめていたのだ。

 太い首に腕を回して、身体を密着させて。


「!?」

「え?」


 俺もクローラも驚天動地。

 一体どういうつもりだ!?

 リファは腕を動かし、そっとクローラの後頭部を撫でた。


「もういいんだ。我慢しなくても」

「な、なんですって?」


 これまでの口調とは打って変わって、母性あふれるような静かな声でリファは言う。


「辛かったんだな……。だけど、これ以上嘘はつかなくていい」

「う、嘘ですって!? 私は嘘なんかついていませんわ! 早く離れなさい無礼者!」


 クローラはリファを引き離そうとするが、それでもなお彼女は続けた。


「大丈夫だ。全部わかってるから……。私も、マスターも……お前を見捨てはしない」

「――っ!?」

「だから……もう無理して自分を偽るな」


 そう言った途端、またもや信じられないことが起きた。

 ぽろぽろと、クローラの目尻から大粒の涙がこぼれ始めたのだ。

 クローラは、泣いていた。


「わ、私は……私は……」

「心配するな。私達は、ずっと一緒だ」

「う……う……」


 そこで堰が切れたらしい。


「う、うぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!」


 とうとうクローラはわんわんと泣き崩れた。

 その頭をよしよしとリファは撫で続ける。

 まるで赤ん坊を泣き止まそうとする母親のように。


「わだじ……みんなに……ずでられるがどおもっで……」

「うんうん……」


 涙ながらに告白するクローラ。

 リファはそれを大きくうなずきながら聞いていた。

 その中で唯一人事態が呑み込めてない俺は困惑するしかない。


「えっと……どういうこと?」

「奴隷は、太ってることで私達に見捨てられるんじゃないかと危惧してたのだよ」


 俺を振り返ってリファはそう説明した。


「最初はこいつも自分なりに努力しようとはしてたんだろう。でも途中でそれは無理だと悟った。だから、ありのままの自分を受け入れることにしたんだ」

「ありのまま?」

「太った自分を、『このままでいい』と思い、そして『今の自分が一番素晴らしい』と思い込むことにしたんだ」

「……なるほど」

「そして、そんな『素晴らしい自分』を私達より上の存在だと知らしめることで、無理にでも私達と一緒にいようとしたんだ」


 そういうことだったのか。

 つまり、タカビーを演じることで、俺達を強制的に配下に置けば、見捨てられることもなくなると。

 うまいこと考えたもんだ。


「こいつも苦肉の策だっただろうな。そうやって無理に私達をつなぎとめても、今までの関係なんて維持できるとは思えないから」


 だから『そんなことをしなくても、ずっと一緒にいる』って伝えることにしたのね……。

 そして、彼女の本心を引きずり出すと……なかなか妙案じゃないか。


「そのやり口、一体誰に仕込まれた?」

「渚殿だ」


 やっぱり、さっきの連絡はあいつからか。


「実は、数日前から彼女に奴隷の『だいえっと』について相談に乗ってもらっていたのだ。そうしたらさっき『らいん』がきてな」

「なんだって?」

「『あんまりひどくやりすぎると、自分が嫌われてると思って爆発しちゃうよ? クロちゃんは絶対みんなと一緒にいたいと思ってるはずだから、たまには優しくしてあげて。もしもの時は、ずっと一緒にいるよって慰めたげて』と」


 清々しいくらいのブッチギリなタイミングだな。

 だがおかげでいざこざは収束したから色々言えないけど。


「クローラ……」


 俺は彼女の元へ歩み寄ると、中腰になって目線を合わせた。


「勘違いしないでほしいんだけど、俺が太ってることを指摘したのはなにも醜いからとかそういう理由じゃないんだ」

「……え?」

「最初に言ったと思うけど、肥満ってのは健康的にあまり良くないんだ。同居人パートナーとして、それを見過ごす訳にはいかないだろ?」

「私の……からだ?」

「そう。自立してる人間ってのは、自分の体調も自分で管理しないといけない。クローラにはもっと自分の体を大事にしなきゃってことに気付いてほしかったんだ」


 言うと、リファもクローラも驚いたように目を合わせる。


「だらしないからとかいう理由ではなかったのか……」

「まぁそれもあるけどね。でも一番の理由は、やっぱりクローラが心配だったからだよ」

「ご主人様……」

「別に俺は体格で差別するようなことはしない。それに、太ったから見放すなんてこともするつもりはないよ」


 俺は微笑んでクローラの頭をポンポンと軽く叩いた。


「でも、自分のことを省みないような人には、なってほしくないかな」

「……あぅ」


 ようやくそこで俺の思いが伝わったのか、クローラは申し訳なさそうに顔を伏せた。

 そして。


「……ごめんなさい」


 きちんと謝った。

 俺とリファはお互いにアイコンタクトを取ると、同時に頷く。


「じゃ、もうちょっとだけダイエット……頑張ろうよ」

「……はい」


 ○


 ダイエット作戦は続行することにはしたが、ここからは俺が主導でやっていくことになった。


「まずは食生活だな。リファの『食わなきゃ痩せる』ってのはそのとおりだけど、無理にやったら逆効果になる恐れもある」

「そ、そうなのか?」


 俺は頷いて講義を続ける。


「大切なのは食事の量じゃなく、食べるものの種類だ」

「種類?」

「そう。食べ物には太りやすいものと太りにくいものがある。脂肪とか炭水化物を多く含んだ食事。これが肥満の原因であることが多い」

「しぼう……たんすいかぶつ?」


 そうか、ワイヤードには栄養素の知識はまだないんだったな。

 現実世界でも提唱されたのは19世紀半ばだし、これは仕方ない。


「例えばおにぎり、パンといった穀物を使用した主食……これが炭水化物。そしてバターとかマヨネーズとか……こういうのが脂肪。いずれも摂り過ぎると太る」

「なるほど……私は確かにお米をいっぱい食べてましたね……」

「だろ。だからそれを徹底的に減らし、代わりに別なもので補う。それが……タンパク質とビタミン」

「たんぱくしつ……ですか?」

「要は肉、魚と野菜だな。今後はこれをメインにしたメニューにシフトさせていく」


 俺は紙とペンを取って、考えついた献立をつらつらと書いていく。


「それらは食べ過ぎても太らないのか?」

「限度はあるけど、炭水化物や脂質よりは大丈夫」

「なるほど……ただ単に断食すればよいというわけではなかったのだな」

「ああ、むしろダイエットでいちばん大事なのって『きちんと三食摂ること』ともいわれてるからな。生活のサイクルを無闇に変えるのは危険だ……よしできた」


 俺は出来上がった献立表を二人に見せた。


「しばらくはそんな感じの料理を作ってくから。リファ、協力頼むぜ」

「うむ! これくらいなら私にも作れそうだ!」

「だいえっとの食事とは思えないほど豪華なメニューですね……」


 食事に関してはこんなもんかな。

 続いては……運動について。


「最近毎日ランニングは続けてるけど……これもちょっとマイルドに行こう」

「まいるどって……レベルをさげるということか?」

「いきなり激しい運動をさせても、疲弊が溜まって体調を崩しちまうかもだからな」

「具体的にどう変えるのだ?」

「とりあえず距離は据え置きで、ランニングからウォーキングに切り替える」


 ウォーキング。つまり歩くこと。

 これなら走るよりも体力の消費量は少なくて済む。

 脂肪の燃焼量も減るだろうが、現時点では継続が望める手法を優先させるのが先決。


「歩くだけなら……なんとかなるかもです」

「だろ? そして改善すべき点がもう一つ」

「それは?」

「それは――俺らも一緒に運動することだ」


 今までは俺とリファは自転車で楽をしながら、クローラ一人だけが走っている状況だった。

 これだと、クローラは「走らされてる感」が否めず、疲労と相まってどうしても苦痛に感じてしまう。

 モチベーションアップのためには「楽しく」やること。

 俺とリファも運動に参加することで、「一緒にやっている感」を出せば、きっと同じ運動でも感じ方が違ってくるはずだ。


「そうか。私達も一緒に頑張ればいいのか」

「これはクローラだけじゃない。俺達の問題、だからな」

「みんなと一緒に……これならクローラ、頑張れる気がします!」


 ふんす、と鼻息を吐いて女奴隷は意気込む。

 さっそく失われていたやる気が出てきたみたいだ。

 善は急げ。そうと決まれば早速実行に移そう。


「じゃ、今日の運動しにでかけようか」

「ああ!」

「はいっ!」


 こうして俺の監修の元、新たにクローラのダイエット作戦がスタートしたのだった。


 ○


 そして月日は流れ……。


 結果は現れた。

 結論から言うと、大成功だった。

 クローラの贅肉はみるみる落ち、体重も20キロほど減った。

 体格も完全に元通り。かつての華奢で可愛らしい体つきに戻った。

 結果にコミット。ダイエット作戦完了だ。


「わぁ……すごい」


 姿見の前でくるくる回りながら、クローラはうっとりした声を漏らす。


「ようやく修復完了、ってところか」

「そうだな」


 肩の荷が下りた俺とリファはほっと安堵の息を吐く。

 すると、クローラが俺達にペコリと頭を下げた。


「ご主人様、リファさんいままでありがとうございました。そして……本当にご迷惑をおかけしました」

「……おう。次からは気をつけろよ」 

「はい。このだいえっとを通じて、クローラは色々大切なことを学びました。正しい食生活の重要さ……自分の健康管理……これも全部、ご主人様とリファさんのおかげです」


 はにかみながらクローラは言い、そしてもう一度頭を下げた。


「そしてリファさん……先の件は、申し訳ありませんでした。自分が見捨てられたくないがゆえに……あのような無礼な真似を……」

「いや……私もやりすぎた。貴様を痩せさせるためとは言ったが、結局それは私が見ていて気に食わなかったからだ。最初から貴様の身体を気遣っていたマスターとは違う。そのせいか、キツく当たってしまった」

「そんな! 謝らないでください! それもこれも、全部私が悪いですし。それに、理由がどうであれ、リファさんは私のだいえっとのことを必死に考えてくれてました!」


 悲痛な声でクローラが否定しても、リファは首を横に振った。


「いいんだ。結局そのだいえっとの内容も、間違いだらけだった。……これを通して、私も色々と学ばせてもらったよ」

「リファさん……」


 女騎士は恥ずかしそうに顔を赤らめ、頬を人差し指で掻きながらぼそっと呟いた。


「だからその………すまなかった、クローラ」

「!」


 ……わぉ。


「リファさん……今、私のなまえ……」

「い、嫌だったか? 今までずっと奴隷呼ばわりだったから……」

「ぜんぜん! ぜんぜんダメなんかじゃないです!」


 クローラはリファの両手を取って嬉しそうに言った。


「あ……」

「えへへ……これからもよろしくお願いしますね」

「あ、ああ」


 満面の笑みのクローラに、ぎこちなくリファは頷いた。

 おやおや。仲むつまじいことで。


「リファさんリファさん。またクローラって呼んでください!」

「ええ? なんだいきなり……」

「だって嬉しかったんですもん! いっぱい呼んでほしいですっ!」

「な、何を馬鹿な……」

「えーダメなんですか?」

「別にだめとかいうんじゃなくて……」

「あー、もしかして照れてます?」

「ばっ、照れてないぞ!」

「顔あかーい! やっぱり照れてますっ」

「照れてないもん!」

「照れてますー」


 そんな賑やかな応酬を遠目で眺めながら、俺はようやくいつもの日常が戻ってきたことを実感するのだった。


 ○


 また別な日の朝。


「おはよー。……あれ、クローラ? リファ?」


 起きると二人の姿が見当たらない。

 どこに行ったんだろう。

 キョロキョロと部屋の中を見渡すと、枕元に一枚の折りたたまれた紙切れが置いてあることに気がついた。


『ご主人様へ』


 そう書かれている。

 中を見てみると、小さな文字でこんな文章が綴ってあった。


『リファさんと二人でウォーキングにでかけてきます。ご主人様は昨日お仕事でお疲れでしょうから、やすんでいてください。 クローラより』


 あら、粋な心遣い。

 しかもちゃんと自主的に続けててえらいえらい。

 どれ、じゃあ帰ってくるあいつらのために今日も朝食作りがんばりますか。

 そう思って布団を畳み、寝間着から着替え、料理の準備に入ろうとした時。


「ん? 何だクローラのやつ、PC開きっぱじゃん」


 俺はちゃぶ台の上に置かれた彼女のノートPCを動かし、電源を切ろうとする。

 が、ディスプレイを見て俺は固まった。


 そこに映し出されていたのは、Outlook……メジャーなメーラーソフト。

 普段から彼女はこれで俺やリファと連絡を取り合っているのだが……。

 メル友はもう一匹いたようだ。


---------------------------------


 差出人:木村渚

 件名:おははーー!


 ちょりーっすクロちゃん! 元気してるぅ?


 こないだ言った「タカビーになりきってセンパイたちをいてこませ」作戦はうまくいったかな?

 マシュマロ系女子の魅力はあーゆー人にはわかんないからねー。せっかくあたしが教えたのに邪魔されちゃたまったもんじゃないもんねー。


 クロちゃんも全然気にすること無いよー。自分がやりたいようにすればいいんだから。

 無理して現実を変えようとするより、今のありのままの自分でいいやって思うことも時には重要なのよん!

 今の自分を相手が受け入れてくんなきゃ、無理矢理にでも屈服させて、その魅力の虜にしちゃえばええと思うのん。

 ナギちゃんそういう生き方も全然アリだと思う。


 ではでは、結果報告待ってまーす。 

 かしこ


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 ……。


 ぴ。ぽ。ぱ。


 Prrrrrrrrrrrr……

 Prrrrrrrrrrrr……


 ガチャ。


「あ、もしもし渚? あぁわりいな突然。お前今日暇? 良ければさ、今日どっか一緒に行かねぇか? 二人で。ほら、最近あんま話してなかったしさ。あ、俺? 大丈夫大丈夫、リファもクローラも家で留守番させるから。うん、うん、わかった。じゃあ昼頃に八王子駅前で。おう。実はもう行き先も決めてんだ。いや、すげぇ『いいところ』なんだよ。うん、きっとお前も満足すると思うから、覚悟楽しみにしてろよ」

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