8.女騎士と女奴隷と銭湯(後編)
脱衣所にて
「あはははははは! なにそれ超ウケんだけど!」
背後で渚が手をたたきながらケラケラ笑う。
普通ならここでうるせぇと怒鳴り返すところだが、今日は事情が違う。
彼女の不快な声よりも、絶えず聞こえてくる衣擦れの音が気になってしょうがないからだ。
俺と、リファ&クローラ&渚。
双方の間には敷居もなく、距離もそんなにない。
ちょっと振り返れば、そこには肌色の桃源郷が見えるっていう。
そんなことばかりが気になって、完全にフリーズベントがかかった俺である。
「バスタブに牛乳パック100本ぶち込むとか……やぁ~、むしろギャグ通り越して賞賛モンだわ。マジ」
渚も渚で、よく男の前で笑い話しながら脱衣できるもんだね。羞恥ってもんがないのか?
女の裸なんて初めて見るわけじゃないのに、何無駄に動揺してんだ!?
風呂に入りたいのに、入りづらい。このジレンマどうしてくれる。
「ほーらセンパイ、いつまで服着てんですか! 時間無いんですから早く脱ぎ脱ぎしましょーよ!」
すけん。
と、俺の頭に何かが投げつけられた。
何だと思って、床に落ちたそれを見てみたら……。
丸められた黒のスキャンティ。
「ぶっ」
不意打ちを食らい、頭に血が上った俺は無意識にそれを拾い上げ――
「あにしゃんでーっっ!!」
持ち主に投げ返そうと、振り向いた。
振り向いてしまった。
罠だと気づいたときにはもう遅い。俺は彼女達のあられもない姿を目の当たりにしてしまった。
と言いたいところだが。少しだけ語弊があったので訂正させてくれ。
彼女達ではない。
「彼女」だ。
わかる? 複数形じゃなくて単数形。すなわちあられもないのはただ一人。
それは……。
「なっ……!!」
すっぽんぽんの女騎士。以上。
彼女は俺が振り返ったのと同時、リンゴみたいに顔を紅潮させて、手に持ったタオルで身体の前面を隠す。
「あ、あんま……みるな……」
「……」
「や、別に……共に同じ風呂に入ると決まったときから覚悟はしていたが……そんな、まじまじ見つめられると……その」
「……」
「わ、私だって女の端くれだし……恥ずかしいと思わないわけではなくて」
先の俺の期待通り、きっちり羞恥心を露わにしたリアクション。
わぁ可愛い。
と、特に他に何もなければ俺もそう思って見惚れているところだ。
そう、他になにもなければ。な。
俺の視線は、リファの要求通り彼女とは別の方向を向いている。
残った約2名の人物の方向をだ。
「お、サイズぴったしじゃぁん! よかったよかった。合わなかったらどうしよーかと思ったけど」
「あ、ありがとうございます……この世界にはオフロ用の衣装もあるのですね」
仲良く水着を着せあっているギャルと奴隷の図。
渚はゼブラ模様のビキニタイプ。
セクシーさを全面的に押し出した艶やかなデザイン。あと少し布地の部分が少なければ、頭に「マイクロ」がつくくらいの過激さを放っている。
クローラは黒のツイストスリングショット。
渚のと比べて露出は少ないが、胸から腹部にかけて大胆に開いたスリットが逆にエロい雰囲気を醸し出している。
「しかしよろしいのですか生米さん……このような物をいただくなんて」
「オーキードーキー! これあたしのスペアだから! 他にも何着も持ってるし、全然問題なし!」
ピースサインをクローラに突き出して笑う渚。
さて、ではここで前編の内容を思い返してみよう。最後の方で渚が何て言ってたか覚えてるかな?
「それじゃ『裸の付き合い』始めましょ♥ センパイ」
そうだね。風呂といえば裸の付き合いだよね。若干期待しちゃうよね。
でもボクの目の前の2人は全然裸でいるように見えないんだけど。
どういうことかな? ねぇどういうことかな?
「別に『あたしたちが』裸になるなんて一言も言ってませんが?」
「は!?」
にぃ、と笑ってギャルは小生意気に俺へ人差し指を突きつける。
「裸になんのはセンパイ唯一人! あたしらはそんな変態を眺めて悦に浸る! これぞまさしく『(水着を着たあたし達と)裸 (のセンパイと)の付き合い』!」
「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
最初からそういう魂胆だったのか貴様ぁぁぁぁぁ!
冗談じゃない、裸の女と一緒に入るよりよほど恥ずかしいわ!
「さぁセンパイ、早くそのたくましい下半身を見せてくださいよウェヒヒ」
「何で下半身限定なんだよ! 俺にも水着よこせ! 早く!」
「え? センパイは女子の水着を常時持ち歩いてんですか?」
こ、こいつ……。完全に俺を嵌めやがった!
「いっつも女子が恥ずかしい目に合うようなシーンばっかじゃ飽きるでしょ。たまには逆なことやってバランス整えないと」
砂糖入れすぎたから塩で中和しよう理論やめろ。
「とにかくこんなの不公平だ! 俺の分の水着無いならテメェらも脱げ!」
「しょうがないなぁ、センパイは『そんなに』あたしらの裸が見たいんですね。わかりましたよ」
「わー! 待て待て脱ぐな脱ぐな!!」
「先輩は何がしたいんすかまったくもう……」
「俺もわかんねぇよぉぉぉぉ!!」
と、そんな応酬を交わしている俺らに、リファが挙手しながらか細い声で呼びかけてきた。
「あ、あの……渚殿……私にも『みずぎ』とやらを……」
「おーっとそうだった。ごめんごめん。ほいよ」
渚はバッグの中からもう一着水着を取り出すと、彼女に放った。
それをキャッチし、リファはそそくさと部屋の隅に移動して着替え始めた。
「どぉ?」
「うむ。大きさには問題はないが……」
もじもじしながらリファはこちらの方を向いた。
彼女の水着は3人の中じゃ一番露出が少ない。
白の競泳水着。
至ってまともだが、身体のラインがやけにくっきりと浮き出ていてなんとなく卑猥な感じが否めない。
色も白とは表現したが、縫い目が粗いせいか半透明のそれに近く、布地の向こう側が透けるギリギリなレベル。
装着者本人もそれを意識しているらしく、両手で胸元を隠しながらそわそわしている。
「なんだか、裸でいるよりも恥ずかしいぞ……」
「いいじゃんいいじゃん似合ってるんだし! こっちのほうが断然エロい!」
彼女をじっくりと観察するように眺めながら、渚は批評する。
でもこれだけ露出が少ないと風呂入る意味なくねぇか。ちゃんと身体洗えんの?
それはさておき、これで女子組は全員水着の着用を終えたわけだが。
俺はというと……まだ上着を脱いだだけの状態。
3人共そんな俺をガッツリ凝視。
渚はいつもの意地悪そうな目つきで。
クローラは純粋な好奇心溢れる眼差しで。
リファは冷静さを装いつつも、チラチラと興味がありそうな視線で。
痛い。痛すぎる。
くっそお前ら……それでも人間かよ。
「なんだか……こんなドキドキする経験初めてです」
クローラが紅潮した頬に手を当てながら、恍惚とした顔で言う。
それに舌なめずりをしながら渚が答えた。
「あたしも初めてだよぉ。ところでクロちゃん、あたしのおっぱいを見て。コイツをどう思う?」
「すごく……おおきいです」
「じゃあセンパイのおちんちんはどう思う?」
「すごく……ほうけいです」
殺すぞ。
「あーあーもうわーったよ! 脱ぎゃいいんだろ脱ぎゃ!!」
俺は観念して、タオルをしっかり腰に巻き、下半身を完全ガードしてから脱衣を開始した。
時間が惜しい。こんなふざけた連中に振り回されたままじゃ、今度こそ本当に風呂に入れなくなる。
○
そして浴場内。
「わぁ、ひろーい」
「驚いた……兵舎のものの3倍以上はあるな」
湯けむりが充満したその空間に、異世界人二人の声が反響した。
俺も初めて来たが、なかなかの広さであると感じた。こりゃ意外と穴場かもな。
浴槽に入る前に、4人全員でまず頭と身体を洗う。
焦げ、汗、その他もろもろの穢れを完全に落とした俺はようやく解放された気分になった。
数々の嫌な思い出が、湯と一緒に全部流れ出ていくようだ。
俺より少し遅れて女子3人組も洗浄を完了させたところで、いよいよ入浴タイムである。
少々ぬるめの湯にゆっくり浸かると、心地よい感じが全身に染み込み、思わず全員声が漏れる。
「あ゛ぁ~(俺)」
「おぉ~ぅ(女騎士)」
「ふやぁ~(女奴隷)」
「あ~生き返るわぁ(ギャル)」
これだけでもここに来てよかったと思える。
風呂のありがたみを改めて実感できた気分だ。
と、そんな至福のひと時もつかの間。
いきなり渚が強めに肩をぶつけてきた。
「ちょっとセンパぁイ?」
「んだよ」
「んだよ、じゃないっすよ。何タオル巻いて浴槽入ってんですか。マナー違反っすよ?」
「おばちゃんに断りもなく水着持ち込んでるお前にだけは言われたくねーよ」
「ちっ、これじゃ下半身見えないじゃん」
「頼むからその執着心をもうちょっとマシなとこに向けてくれませんかねぇ」
もちろんタオルを浴槽に入れるのも、水着を持ち込むのもマナー違反。
だがどうせ今日はもうお湯を抜くとおばちゃんも言ってたし、これくらいはいいだろ。
「どうよお二人とも、初めての銭湯は。家のお風呂とは違って開放感あるっしょ?」
風呂の中で足を組みながら渚が言うと、クローラがハキハキと答えた。
「はい! 期待以上に素晴らしいところだと思います!」
「でしょぉ! リファっちはぁ?」
渚はそう女騎士にも感想を尋ねたが、返答はない。
不思議に思って彼女がいる方を見ると、リファは隅っこの方で体育座りして黙りこくっていた。
「なぁにリファっち。そんな恥ずかしかったぁ、それ?」
「い、嫌というわけではないのだが……やっぱり人前に晒すにはちょっと……」
異世界には水着なんてものは……まぁなかっただろうな。肌を晒さない鎧が標準装備の彼女には、非常に抵抗があるのだろう。
その点、前の主の命だか知らないけど、常に裸でいさせられていたクローラは、全く恥ずかしがる素振りを見せない。
「うーん、そっかぁ。いやでもさ、リファっち身体中傷だらけじゃん? だったらあんまり肌をさらけ出さないほうがいいかもと思ってそれ用意したんだよ」
「そ、そうだったのか……別に私自身は気にしてはいないが……だが、そういった配慮をしてくれてのことなら、感謝する」
「本当に気にしてない?」
「え?」
「ううん、なんでもない」
ニコリと笑って渚は言うと、大きく背伸びをした。
「しかしミルク風呂かぁ。あたしもよくやるけど、ワイヤード……だっけ? ――の国の人もそういうのやるの?」
「いえいえ、私達は今回が初めてです」
クローラがそう言うと、渚は目を丸くした。
「嘘、マジで? ラベンダー風呂とかレモン風呂とかは? それもない?」
「ら、らべん……? れもん……?」
頭に?を大量生産中のクローラに矢継ぎ早に質問を乱射する渚。
俺は耐えかねて彼女を手で制した。
「やめとけ渚。こいつらの国は風呂にそこまでこだわりはない。ただ汚れが落ちればそれでいいってだけのものなんだから」
「えーなにそれ!? せっかくのお風呂なのに、入浴剤も使わないわけ?」
信じられないといった表情で渚は大仰なリアクションを取る。
「入浴剤、もよくわかりませんが……この世界のお風呂は、身体の洗浄を目的としたものではないということでしょうか」
「そうだな。今日はお前らがやったミルク風呂は美容効果があるって知っただろ。他にも体の健康を促進させたりするものもある」
「そうそう。あとはラベンダー風呂みたいに、香りでリラックスさせる効果とかね!」
俺と渚の説明に、クローラは熱心に聞き入っていた。
「そういった目的もあるのですか。すごいですね、リファさん」
「あ、ああ。最初に『みるくぶろ』とやらの情報を見た時は、何で食品を風呂なんかに、とも思ったが……」
「お風呂は女の子にとって一番有効活用すべきアイテムだよー。知らなきゃ大損だってハナシ」
自慢げに話す渚に対して、異世界人二人は感心したような反応を示す。
「ただの湯浴みも、ちょっとした工夫で、様々な効果が期待できる……驚きました」
「うむ。何より、そういったものを考えつくのも同じく見事だと思う。それにそこまで手間がかからないしな。ワイヤードでも実現不可能なものではなかったのに」
確かに。
菖蒲湯、ゆず湯、リンゴ湯……実際にやってみようと思えばできるが、それを思いつくってことはなかなか出来ないことではある。
仮に思いついたとして、具体的にどういう効能があるかわかってないとやったところで無意味……。
いつからあるか知らんけど、地味にすげぇ発明だよな、こーゆーの。
「何にしても、また一つ勉強になったな」
「そうですね」
「ちょいちょい、何言ってんの二人共」
自己完結しかかっているリファとクローラに、渚は横槍を入れた。
「風呂の種類が、風呂にただなんかぶっこむだけのモンだけだと思ってもらっちゃ困るよ」
「!?」
「まだなにかあるのですか!?」
目を大きく見開いた二人の反応が愉快でたまらないというように、渚は笑った。
「もち。それもこの銭湯にね! まぁ見りゃわかると思うけど」
「言われてみれば……」
「ここ、銭湯って言う割にはケッコー色々あるんだよ。せっかく来たんだし、他にも体験してこーよ!」
そう持ちかけられた二人は顔を見合わせた後、大きく頷いた。
「うむ! 他にどんな風呂があるのか見てみたいぞ」
「クローラも興味あります!」
「よっしゃ! んじゃ時間も押してるし、巻いていくよ~!」
○
「まずはジャグジー風呂!」
「ぉわ! 何だこれは!? 湯の中から泡が次から次へと……」
「こうやって水流や気泡を発生させるのが特徴! 入ってるだけでマッサージにもなるし、ダイエット効果も期待できちゃうんだよね~」
「確かに……か、身体中の色んな所が揉まれてる気分ですぅ~」
「次はサウナだよ!」
「こ、これは……風呂、なのか? ただの……熱気のこもった、密室にしか見えん……」
「別名蒸し風呂。熱いところにいると、血行が良くなる。汗をかいて老廃物も流せる。これも美容には欠かせないんだ~」
「く、クローラは……体が火照って……なんだか、へんなかんじですぅ……ぁふ」
「サウナが終わったら……水風呂だぁ!」
「ちべたっ!! ……でも、なんだろう……きもちいい」
「サウナで温まったら、こうやって冷やすことで低血圧や湯冷めの問題も解決。このコンボは覚えておかなきゃだからね~」
「あつい身体に染み渡るこの感覚……くせになりそうですぅ~」
○
一周回って旅を終えた俺ら一行は、もとの普通の湯に戻ってきた。
「とてつもない大冒険をした気分だったな……」
「はい。こんな貴重な体験したのは初めてです」
体力を使い果たしたかのように、リファもクローラも浴槽の縁に頭をあずけてぐったりしていた。
反対に渚は余裕綽々とした表情を浮かべている。
「ちょっと刺激が強すぎたかな? でも、これで風呂のことよくわかったでしょ。単なる身体の洗浄じゃなくて、健康とか美容……そして純粋に『楽しむ』っていう入り方もあるんだよ」
「ああ。種類や目的まで、ここまで多彩なものだとは知らなかった」
「いろんなお風呂にいっぱい入りましたけど、なんだか贅沢をしている気分ですね。今までの暮らしでは考えられませんでした」
ぴくり。
と、そこで渚のこめかみがヒクついたのを俺は見逃さなかった。
だが、それに気づかないクローラは、構わず続ける。
「でも、存外面白いものですね。また来たいです。ね、リファさん」
「ん。家でできるものもあるしな。また近いうちに――」
「それはどーかなぁ」
いきなり渚が口を挟んだ。
いつものヘラヘラ口調には変わりなかったが、少し見下したような、尖った言い方だ。
「ど、どういうことだ、渚殿……」
「クロちゃん。今こーやっていろんなお風呂に入れたりするのを贅沢だって言ったよね?」
「え? あ、はい……」
「たしかに贅沢だよ。少なくとも今の君らからしてみれば」
「……」
「でもね。本来こんなの贅沢のうちに入らないんだよ。ここの銭湯の入浴代は500円程度……普通に生活してりゃ誰だって入れる金額だもん」
「……」
「じゃあ、普通の生活って……どーゆーことだか、わかる?」
いきなり問われた二人は狼狽えるしかない。回答できないと最初からわかっていたように、渚は間髪入れずに続けた。
「それはね、『自立してる』ってことだよ」
途端、リファもクローラも、その意味を理解したというように顔がこわばった。
「この世界じゃ、何をするにもそれ相応のコストがかかる。でも資産は無限にあるもんじゃない。だからうまくやりくりして暮らしている。それはわかるよね」
「それは、わかっている。だから『せつやく』が大事、なのだろう」
「はい。資源をムダにしないように……気をつけなければならないと」
「何も金やモノについて言ってんじゃないんだよあたしは」
目を細め、放たれたその言葉と同時に、渚のふざけたオーラが消滅した。
少なからずその様子にビビったらしい二人はたじろいだ。
「ねぇリファっち、クロちゃん。今日家の風呂をぶっ壊したって言ってたよね? それ、誰の家の風呂?」
「……あ」
ようやくそこで感づいたらしい。
渚は更に追撃を続ける。
「暮らしの中で金や資源を無駄にしない心構えはたしかに大切だよ。でもさぁ、あんたらの言う暮らしってのは、センパイありきだってこと自覚してる?」
「……」
「言っとくけど、人を養うって相当負担大きいよ? 男手一つで、二十歳近い女を二人も……そうでしょ、センパイ」
俺は答えない。
渚は鼻で笑った。答えなど最初から期待してないというふうに。
「金やモノ以外のところでも、センパイは色んなとこで二人のために苦労してる。風呂の事件なんかまさにそうだよ。大家さんにバレたらどうしよう。修理はどうしよう。あんたらそんなとこまで考えつく? つかないよね?」
「……それは」
「ワイヤードでどういう生活してたか知らないけどさ、『留学生』だからって甘え過ぎじゃない? もうちょい視野を広げなよ。誰のお陰で今の暮らしができてんのかって」
「……」
「『自立』ってのは自分のことは自分でやって、自分でやらかした不始末は自分で責任を取ること。あたしだって、一人暮らしして、バイトいくつも掛け持ちして金稼いで、毎日のご飯だって自分で作ってる。大変だなって思う? でもそれが普通なんだよ。あたしだけじゃなく、センパイも、この世界のいっぱしの大人は全員」
リファもクローラもいい返す言葉がなく、うなだれるのみである。
徐々に表情が険しくなっていく渚は、まだ止まらない。
「節約? 勿体無い精神? 分かった気になってるだけじゃんそんなの。現に今日だって牛乳何リットルも無駄に腐らせたわけだし。そんなんで明日からセンパイ抜きで暮らせんの? できるわけないよ」
「………」
「ていうかね、そもそもどうでもいいのよそんなこと。本来なら二の次三の次に考えるべき問題……あんたらが、本当に考えなきゃいけないことは――」
片目を閉じ、渚は宣告するように言葉を紡いだ。
「センパイに迷惑をかけないようにしよう。じゃないの?」
「う」
「っ……」
容赦なく胸を突き刺すその言葉に、二人は顔を歪めた。
「別に留学生なら、人の世話になって当然なんだよ。でも、それなら自分の面倒見てくれる人のこと気遣うのは当たり前でしょ。それを無視して、あーしたいこーしたいって要望だけ言うのは、さすがにありえないんじゃないかなぁ」
「……」
「言っとくけど、この難易度って超低いからね。そんなのもできないようじゃ留学生じゃなくて……」
渚はもう片方の目も閉じて、彼女らにとどめを刺した。
「ただの、ポンコツだよ」
……やれやれ。
「いい加減にしろ渚」
俺は、腰を上げて彼女の前に仁王立ちした。
渚は冷めた目つきでこちらを見つめ返してくる。
「ずけずけと他人の家の事情に首突っ込んでくるのも十分ありえねーよ。好き勝手ほざくな」
「……」
「俺は自分の意志でこいつらの面倒見てんだ。そしてそれを嫌だって思ったことは一度もねぇ」
「……へぇ。で?」
口の端を吊り上げて、彼女は続きを促す。
「確かに今のリファとクローラは自立できてるとは思えねぇ。でも、そのための努力はしてる。リファはたまに料理や洗濯。クローラは掃除。まだ手伝いの域を出ねぇけど助かってることは確かだ」
「マスター……」
「ご主人様……」
背中から同居人達の弱々しい声がする。
「気遣うことをしてない、だぁ? ちゃんとしてくれてるよ。金や資源をムダにしないように心がけんのも、全部俺に苦労かけたくないからって気持ちがあるからこそだろ。それを自己満足とでも思ってんなら、お前さすがにひねくれ過ぎだぜ、渚」
少々強めに言ったが、言われた方は動じる気配もない。
だがその方がこっちも気兼ねなく続けられる。
「あいつらは一生懸命ここの文化を勉強しようとしてる。そりゃ折に触れてヘマやらかすけどよ、でもそれが学習につながるのならいいじゃんか。失敗から学んでいくもんだろ、人間って」
「……」
「第一俺だって、完全に自立した人間じゃねぇ。仕送りとか色々援助がなけりゃ今のような暮らしはできてねぇよ。それはお前も同じだろ」
ただの大学生が、人二人養えるわけがない。
言うなれば今の俺の暮らしだって、死者処理事務局の出資ありきの生活だ。
毎月30万……。これがなかったらどうなるか想像するのは容易い。
「俺やお前に、こいつらに対して偉そうなことは言えねぇよ。少なくとも暮らしがどーたらって話についてはな」
「……」
「それに、誰もがみんな一人で生きてるわけじゃねぇ。支え合って、お互いに助け合いながら生活してる奴だって山ほどいる」
俺は大きく息を吸い込んで、
「……家族とかな」
「……」
「ダメなところがあるなら、そこを他の奴が補う。今は一方的かもしれないけど、いずれはそうしていくさ。いや、そういう風にさせてみせる」
「……」
「そのために俺は二人を世話してんだ。途中で投げ出すつもりもない。最後までこいつらに付き合うよ」
両の拳を握りしめて、俺ははっきりと言った。
「だから、人の家庭に口出しするな」
「……」
「あいつらの世話すんのはお前じゃない、俺だ」
文字通り、余計なお世話。
これで渚は、何も言えまい。
「マスター」
「ご主人様……」
また後ろの異世界人達が呟くように言う。
俺は振り返って、小さくはにかんだ。
「大丈夫。こいつの言うことなんか気にすんな。俺はお前らのことで不満に思っちゃいないし、お前らも気に病む必要はない」
「……あの」
「今すぐに、どうこうしてほしいなんて言わないさ。まだここに来て日は浅いんだし。ちょっとずつ、ゆっくりと、学んでいけばいい」
「……いや、違――」
頬を赤くし、口元を手で抑えている二人を手で制して俺は首を振る。
「まぁ、家族っていうのは少々オーバーかもしれないけど……これからも、助け合って生きていけたらな……なんてな」
「……そうじゃなくて」
とうとうクローラは手で顔を覆い隠してしまった。リファも下唇をかみしめて目を泳がせている。
一体どうしたんだ? そんな変なこと言ったつもりはないんだけど……。
「なるほど、そうですね。すみませんでした」
すると、肩をすくめて渚が詫びた。あれだけマジなキレ方してたにしては、やけに素直な謝罪だった。
ま、それならそれでOKだけど。この話はこれで終いってことで。
「包茎じゃあなかったみたいっすね」
……は?
いきなりヤツの口から出た言葉に俺は呆けた声を出した。
ほ、ほうけ……何?
話の脈絡と全く合わない。わけがわからず、困惑する俺に、リファがぼそっと言った。
「ま、マスター……タオル……」
「……あ?」
そこで俺は反射的に、自分の下半身を見る。
リファ、クローラ、そして渚の視線も、既にそこに集中していた。
さてここで思い出してみよう。
ここの風呂に入った直後に、渚がなんて言ったか覚えてるかな?
「んだよ、じゃないっすよ。何タオル巻いて浴槽入ってんですか。マナー違反っすよ?」
そうだね。ボクはタオルを巻いて浴槽に入ってたんだね。
他の3人が水着着てたのに、こっちは何もなしだからね。仕方ないよね。
でも、今は……そ れ が な い。
気がつくと、俺の傍らでプカプカと浮かぶ白いタオルが一枚。
湯船から上がった拍子に外れてしまっていたのだろうか。
そして現状、今ボクはお湯の中で座っている渚の目の前に立っている状態。
では、以上の点を踏まえて簡潔に描写しよう。
女の目の前で股間を見せつけてる全裸の男。
「ま、小さくはないってレベルかな?」
俺の絶叫がこだました。
○
その後、脱衣所にて。
「やっぱ風呂上がりは牛乳だよねー!」
そう言って渚は、ビンを逆さまにして中の白い液体を喉を鳴らして呷った。
その横でリファとクローラも、椅子に座ってちびちびと牛乳を飲んでいる。
「す、すみません生米さん……ご馳走していただいて」
「いいよ、いいよ。さっきあたしも変なこと言っちゃったしね、そのお詫び」
「今日は牛乳に始まって牛乳に終わったわけか……」
「あはは、なかなかいい皮肉かますねぇリファっち」
三人共険悪な空気はとうに消え失せ、いつもの明るいムードに戻っていた。
そんな中、俺はというと……。
「も~センパイ、いつまで隅っこでしょげてんですかぁ?」
体育座りして、顔を膝の間に埋めていた俺は小さく「うるせぇ」と返す。
「まったく。あんだけ威勢良かったのに、ちょっと大きさのこと言われたくらいで意気消沈しちゃって……器は間違いなくちっちゃいっすね」
「……」
「まぁでも、センパイがクロちゃんとリファっちとの暮らしに特に不満がないなら、あたしからも特に言うことはないっすよ」
渚がビンをかごに返却すると、脱衣所の暖簾をかき分けて誰かが入ってきた。
「風呂入り終わったかい? ならそろそろこっちの掃除も始めたいんだけどね?」
番台のおばちゃんだった。
それに渚が元気よく挙手して答える。
「はいはーい、もう帰る支度してるとこでーす! やぁ、今日は無理聞いてもらっちゃって悪いね~」
「まったくだよ。今日は特別だから、次からは気をつけとくれ」
「うぃーっす。じゃああたしはこのへんで失礼するわ。クロちゃん、リファっち、またね~」
「はい、今日は色々ありがとうございました」
「うむ、渚殿も息災で」
「センパイは明日またバイトでね! あたしに笑われたからって欠勤理由にはなりませんからねー。んじゃ!」
言うだけ言って彼女は駆け足でその場を出ていった。
あーあ、嵐が去ったような気分。
少し肩の荷が下りた俺に、容赦なくおばちゃんがモップの柄で肩をつついてくる。
「ほれ、お前さん方も掃除のじゃまになるから、早いとこお引き取り願おうか」
「わーったよ」
ぶっきらぼうに返して、俺達3人もその銭湯を後にした。
○
帰り道。
行きはあれだけはしゃぎまくってたリファもクローラも、終始だんまりだった。
やはり渚の説教が相当効いたらしい。
「元気出せよ。あんな奴の言うこと真に受ける必要ないって」
俺はそう言ったが、リファは首を無言で横に振った。
「渚殿の言っていたこと……私は正しいと思う」
「え?」
「いろんなことを理解した気になっていた。少しでもこの世界での暮らしを身に着けて、マスターの役に立ちたかった。けれど、それは結局独りよがりだった。私達は、そうしていく上でマスターにどういう負担がかかるかを、まるでわかっていなかったのだから」
「クローラもそう思います」
女奴隷が抱えていたリュックを抱きしめながら呻くように同意した。
「私達がここで生きていく上で、いろいろな文化を学ばなければならないというのも間違ってはいません。ですが、大きな勘違いをしていました」
「クローラ……」
「私達は学んでいるのではなく、『学ばせてもらっている』のですね」
「その通りだ」
リファが大きく二度三度首肯した。
「最初、私はマスターに誓った。自宅警備隊として、この世界で始まった新たな人生を、マスターのために捧げると。だが、今の私はその使命すら、頭の隅に追いやってしまっていたようだ」
「はい。私も奴隷という身分でありながら、少し出過ぎた真似が多かったかもしれません。精一杯尽くすって決めたのに……逆に尽くされている。ご主人様は少しづつ成長していけばいいと仰っていましたが……私が今のこの状況に慣れてしまっては、それも見込めません」
そこで、二人は足を止めた。
「だからマスター」
「ご主人様」
かしこまって真面目な眼差しを向けてくる二人に、俺は少し戸惑った。
「な、なんだよ」
「もう一度、誓わせてくれないか」
「何を?」
「ご主人様への忠誠です」
そう言って、リファは腰の100均ソードを外して片膝をついた。
クローラもその場で正座し、三指をついて深々と頭を下げた。
それも、外の道端で、である。
「「どうか今までのご無礼を、お許し下さい」」
「これからは、誠心誠意。マスターのために、尽くすことを」
「ご主人様のために報いることを」
「誓う」
「誓います」
「……」
「だからどうか……これからも、私達にこの世界のことを教えてほしい」
「不束者ですが、そのためにどうか、ご主人様のお傍に……いさせてください」
その「誓い」を聞き届けた俺は小さく息を吐くと、周囲を見渡す。
人はいない。よし、誰にも見られてないな。
そして二人に向かって手を差し伸べた。
「二人共、顔を上げて」
「……」
ゆっくりと面をあげる女騎士と女奴隷。
その表情は真剣ではあったが、どこか不安感と焦燥感を感じさせるものでもあった。
きっと俺に見捨てられるのではないか、大方そんな心配事が頭をよぎっているのだろう。
「さっきも言っただろ。俺はお前らと暮らすことを不満に思っちゃいないって」
「マスター……」
「お前らがこの世界でちゃんとした暮らしができるようにする。それが俺の役目だ。そして、二人がそれを望んでるのなら、出来る限りのサポートはする」
俺は二人の手を取って引っ張り、立ち上がらせた。
「お前らは俺のために、俺はお前らのために。これからはそうやって、支え合って生きていこう」
「かぞく……」
ぽつり、とクローラが漏らした。
俺とリファがその言葉を耳ざとく捉えると、彼女は顔を真赤にして慌てた。
「あ、あ、いやあの! 別に変な意味で言ったわけじゃなくて! その……私には家族というものがいなかったので……こういうの、ちょっといいな、って」
「……私も、親兄弟と呼べるものはいなかったからな。軍人がこんな感情を抱くのも妙だが……なんだか、すごく安心する」
そのまんざらでもない表情を見て、俺は二人の手を握ったまま微笑んだ。
「……そっか」
家族。
飛躍しすぎな表現かと思ったけど、案外それでもいいかもな。
まだ出会って間もない俺達だけど、これから一緒に過ごしていくのであれば……いつかは本当に……。
「……なれるといいな」
「え?」
「さ、こんなとこにいつまでもいると湯冷めしちまうぜ」
俺は踵を返し、バス停へと向かって歩き出した。
だがすぐに足を止めて、彼女らをもう一度振り返り、言った。
「帰ろうよ。クローラ、リファ」
その言葉を聞いた途端、若き騎士と奴隷は一瞬お互いに顔を見合わせる。
そして。
「ああ!」
「はいっ!」
そう元気よく返事をして、俺へと駆け寄ってきた。
とっても、幸せそうな表情を浮かべて。
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