8.女騎士とバス

「で、でかい……」


 開口一番でリファは言う。

 目の前には三十分待った末にようやく現れたバス一台。

 今朝見たバンの三倍はあろうかという大きさに圧倒されるリファ女史。


「こ、これに乗るのか」

「怖いか?」


 俺が煽ると彼女はムキになって、


「怖いものか! ちょっと緊張しているだけだ。大きめの馬車だと思えば問題ない」

「馬車には頻繁に乗るのか?」

「折に触れてな……乗るのは馬の方だけだが」


 じゃあだめじゃん。

 俺は先にバスの内部へと入ると、発券機から乗車券を取る。


「リファ、ほれ」


 ついでにリファの分まで取って、彼女に手渡してやる。


「? 何だこの紙切れは」

「降りる時まで持っとけ。なくすなよ」


 平日の昼間というだけあって、車内は俺らの他には婆さんが一人最前席に座っているのみであった。

 俺達は最後列の座席に座る。リファは窓側、俺が通路側だ。


「西八王子駅前行き、発車いたします」


 運ちゃんのやる気のなさそうなアナウンスとともに、バスは走り出す。

 リファは窓にべったり張り付いて外を眺めている。


「ほ、ほんとに動いてる! あ、どんどん速度が上がってる! あ、他にもクルマ走ってる!」


 鼻息荒く景色の流れに集中している彼女を俺は横目で見ながら苦笑。 

 なんつぅか、今更だけど騎士としてのカリスマ性みたいなものはもうちょい残しておいてもよそうなもんだがね。


「しかし、騎士の身で、このような高貴な乗り物に乗るなど……なんだか悪いことをしてるような気がするな」

「馬車もやっぱ貴族専用だったり?」

「そういうわけではない。帝都では一般市民用の馬車もあるが、非常に高額だし、乗れる人数には限りがある。それに馬は浮遊荷台ホヴァーコンテナに次ぐ重要な運搬手段だし、軍にも大量投入されているだけに、馬車として使われる頭数がそこまで足りていなかったのだ」

「とすると、馬車は病人や怪我人の搬送といった緊急用に優先して使われてたってことか」

「そういうことだ」  


 だから悪いことをしてる気分、なのね。

 随分と移動には不便そうな世界だな、ワイヤードってのは。

 だが、案外そこまで大した距離を移動しなくても生活できるようにはなっているのかもしれない。

 八王子みたいな、駅前近くにまで行かないと本屋も電気屋もファミレスもないようなところとは違い、そういうものはあらかた居住地の近くに配置されているのだろう。    

 リファの言う限り、帝都は相当人も賑わってるし、施設もたくさんあるようだしな。他の地域が帝都と比べどこまで発展度に差があるのかは知らんけど。


 ぴんぽーん。


――次、止まります、バスが停留所に停まるまで、立ち上がらないようお願いします。


 ……ん?

 いきなり車内に流れた音とそれに続くアナウンスに俺は眉をひそめた。

 妙に嫌な予感がした俺はそっととなりのリファの方を見る。

 やはりというかなんというか。

 降車ボタンを人差し指で連打しまくりながら首を傾げてるリファがいた。


「……なにやっとんねん」

「ぇ!? あ、いや、あの信号のとこにあったようなボタンがここにもあったから……押さなきゃと思って。したらなんか変な音と謎の声が……」


 うーん、これはあらかじめ説明しとかなかった僕が悪いですねぇ。ボタンがあったらとりあえず押すのはお約束ですからねぇ。

 とにかく、運転手に今のは間違いですと伝えに行きたいところだが……。


「はい、バス到着しまーす」


 とそれよりも前にバスが次の停留所に止まり、乗車口と降車口が同時に開く。乗車口からは何人かの客が乗車してきた。

 あぶねぇ、もし誰もいなかったら怒られるとこだった。


「はい、降りる人いませんかー?」

 乗車口を閉めた後に、運転手のおっさんが妙に間延びさせた声で呼びかけた。

 俺はすかさず少し大きめの声で言う。


「あ、すんませーん! 間違えて押しちゃいましたー!」

「そうですか、じゃ発車しまぁす」


 特に気にするような素振りも見せずに、おっさんはバスを発車させた。

 ふぅ、温厚そうな人でよかった。


「ま、マスター?」


 何が起きたのかさっぱりわからないであろうリファがこっちの方を見てくる。

 俺ははぁ、と溜息をつくとぶっきらぼうに言う。


「リファ、そのボタンは押すな。それを勝手に押すと、人に迷惑がかかる可能性がある」

「なぬ!? そ、そうだったのか! はわわ、私はとんでもないものを……さっきした音や声も私が引き起こしてしまったのか……」


 聞くなりリファはうろたえ始める。 

 俺はこめかみを手で抑えながら補足する。


「だけど今のはセーフだ。結果的に問題はなかったが、次は気をつけてくれ。このボタンには押すタイミングってのがある」

「タイミング……。それはいつなのだ!?」

「今はまだだ。いいよ、その時になったら俺が押すから」

「そ、そうか……わかった」


 ほっと安堵の息を吐いて落ち着きを取り戻したリファは、改めて外の景色の堪能に戻ろうとした。

 のだが。


 ぽんぴーん。

――次は、滝原新橋、滝原しんばしでごz

 ぴんぽーん。

――次、止まります。バスが停留所に停まるまで



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 頭を抱えてリファが藤原竜也みたいな悲鳴をあげた。


「まままますたー!!! 今度は私押してないぞ! 押してないのに勝手に! 信じてくれマスター!」


 切羽詰まった表情で、俺の胸倉を掴みガクガク揺さぶってくるリファ。

 周囲の乗客が、一斉にこちらに視線という名のガトリング砲をぶちかます。


「お、落ち着けってリファ。他の人もいるから静かにしろ!」 

「これが落ち着いていられるか! あのボタンを押すとこれに乗っている者に大いなる災いが降りかかるのだろう! そしてマスターが押さなかったということは然るべき時ではなかったということだ。それなのにさっきの音声がした! 由々しき事態だとは思わんのか!」


 くっそなんか誤押の損害スケールがでかくなってるし!! 曖昧にぼかして説明するんじゃなかったよ迂闊!


「ちょっ、わかったリファ! 説明するから! 頼むから静かにしてくれって!」   

「なんとかならんのか! このままでは最悪の事態になりかねんのだぞ!」


 聞いちゃいねぇ。軽くパニック状態になっているようだ。

 あぁもう周囲の人の視線が痛い、痛すぎる! 

 このままじゃまずい、もういっそこいつをここで絞め殺して口を塞ぐしか……いやいや何言ってんだ、俺までまともに頭が回らなくなってる!

 誰かなんとかしてくれぇ! 


「はいどうかぁ、しましたか!?」


 ここで再登場、運ちゃんのアナウンス。しかも個人宛て。

 はっ、とそこでリファは我に返ったように立ち上がり、手を上げておっさんの方に報告した。


「すまない! 私はボタンは押した覚えはないのだが、何故か勝手に押した時と同じ現象が発生したのだが! これは厄災の予言か何かだろうか!? もしそうであれば早急に防衛体制に入らねばならぬと思うのだが!」

「あ、それは他の人が降りるから問題ないです」

「ほぇ?」

「だから問題ないです。ちょっともう、おとなしくしててくれる? ね? 他のお客さんいるんで……」

「へ? あ、はあ……」


 すとん、と言われたとおりおとなしく席に着くリファ。

 やっべぇ、おっさん超カッケェ!! 

 リファの中二病全開と思われても仕方がないほどの意味不明論述を、いとも簡単に受け流した!

 さすが、やっぱ接客を兼ねたこの仕事柄、幾多のクレーマーやDQNを相手にしてきたのだろう。

 常人には真似出来ないスルースキル。そこに痺れる憧れる。  

 だが楽観視してもいられない。これで彼の手を煩わせてしまったのは2回目。

 仏の顔も三度まで。次は流石に許してくれないかも……。


「こ、今回も問題はなかった、ということだろうか?」


 予想外の反応を食らったリファがおずおずと確認してくる。

 俺は彼女に耳打ちする感じで説明を始める。


「リファ。このボタンは降車ボタンっつって、バスを止めるボタンだ」

「止める? バスを?」

「バスにはいくつか決められた停留所がある。で、目的のバス停が近づいたらこのボタンを押すとそこで止めてくれるんだ」

「そ、そうだったのか」

「押すタイミングってのはまさにそれだ。で、基本バスってのはバス停で降りる人も乗る人もいない場合は素通りするんだよ。だからもし、本来通過すべきところでこのボタン押したらどうなる?」

「……無駄に止めてしまうな」

「そう、それは他の人にも、運転手さんにも迷惑だ。だから勝手に押すなっつったんだ」

「だ、だがマスター!」 


 今度はリファが険しい表情で俺の耳に口を近づけて早口で喋る。


「今気づいたが、ボタンはこのバスの至る所に設置されているようだ。察するに我々以外にもこのボタンが押せるのだろう?」

「そうだが、何?」

「つまり、目的地が近づいても、他の誰かが一人でも押せば停まるのは確定するのだから、我々は押す必要がなくなるのだよな?」

「何が言いたい?」

「わからぬのか?」


 くわっ、とリファは鼻息がダイレクトに吹き掛かる位置まで顔を近づけてくる。


「なら、『ボタンを押す人間』は一体どうやって決めるのだ?」


 ……は?


「だから! 結局ボタンは誰かが一回押せばいいということなのだろう! もし降りる予定の者が複数いた場合どうなる!?」

「いや、別にどうも何も……」

「なんの相談もなかった場合、『自分以外の誰かが押せばいい』そう思って誰も押さないままでいる状況もありうるということだぞ!」


 なんでたかがバスの降車ボタンごときでアツくなってんだよこいつ。


「そしてそのままボタンが押されないまま、停留所を通過してしまうという事態に……その責任は誰が負うというのだ!」


 知らねぇよ! バスの乗り降りで責任とか考えたこともねぇわ!


「いいか、ここまで高速で動くバスをボタンひとつで止める……これが非常に荷が重く、軟弱な心構えでするべきではない行動というのはよーくわかる。だが、そうしなければ約束の地へ降り立つことすらままならない……!」


 全然重くねぇよ! ここまで頭空っぽにしてできる動作もねぇよ!

 何? お前にとっての降車ボタンは核爆弾の起爆装置だったりすんの!? 

 そんな俺の心の叫びを、はるか上空を素通りしていくような感じで無視してリファは演説を続ける。


「だからこそ、勇気を持って誰よりも早く、確実に押さなければならない! たとえそれがどんなに困難を極めようとも! 我々はここで、いわば己の決断力を試されているのだ……」    


 乗るたびにそんなもん試されてたら精神すり減ってとっくに身がなくなってるわボケェ!

 何なの!? なんでこのポンコツはここまで真剣になってんの!? これ乗り物って言ったよね!?

 普段乗り慣れてるはずのバスなのに、こいつがいるだけでなんか壮大な冒険ストーリーに発展してない!?

 ちっきしょう、なんとかしてこいつのバスに対する誤解を解いていかなくちゃ……。

 俺はこいつの同居人パートナ―。間違った道に行ったら正してやるのが俺に課せられし使命。

 ならば、今こそそれを果たす時――!

 ……なんか、俺まで感化されてるような気がするけど、まぁいいか。


「……よし。おいリファ」


 ぽんぴーん。

――次は、横川下駅こうえ


 ぴんぽーん。

――次、止まります。バスが停留所に停m



「はーっはっは! 今度は私が一番に押したぞ! 誰よりも早く、誰よりもだ! かつてワイヤード兵団で『神速のナイトレイダー』と呼ばれ、襲い来る敵を瞬殺してきた私を甘く見るな! 他の誰にも遅れを取らず、常に先頭を駆け抜ける! それがこの私、ワイヤード帝国騎士団兵長、リファレンス・ルマナ・ビューアだぁ! 皆の衆、安心するが良い! この! 私が! たった今! ボタンを押したからなぁ! なーっはっはっは!!」












 ○




「なぜだ……私は民衆を導くために大役を買って出たのに、なぜ無理矢理追い出されたのだ……」

「黙れ鳥頭」 

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