第27話 全て、繋がる②
「分かるよ。その気持ち」
まさみはぽつりと呟いた。
「三谷さんは晴人を信頼してなかった訳じゃないと思うんだ。でももし相談してそんなの大したことじゃないとか気にしすぎだなんて言われたら、それこそ耐えられなくなっちゃうからそれなら黙っておこう……。三谷さんもそう思ったんじゃないかな? 」
小春はまさみの言葉に目に涙を浮かべて頷いた。まさみは言いながら婚約者だった颯太のことが頭に浮かんだ。颯太だったら真理子との関係に悩んでると言えば、親身になって相談に乗ってくれていたはずだ。でもまさみはもし真剣に取り合ってもらえなかったらと思うと、言い出せなかった。
「本当にごめん」
晴人は小春に向かって頭を下げた。
「お願い謝らないで。晴人くんは悪くないよ。私は晴人くんに察して欲しかったんだよ。それで晴人くんが助けてくれるって期待してた。私ね、晴人くんと結婚したら仕事もお母さんからも離れられると思ってた。だから晴人くんに古着屋をやりたいって言われた時にすごく腹が立ったの」
その言葉に今度は晴人が何かが繋がった顔をした。
「もしかしてあの時のこと? 」
小春はこくりと頷いた。
仕事と母のことでいっぱいいっぱいだった小春はいつの間にか晴人と結婚すれば仕事からも母からも逃げられると思うようになった。晴人との結婚が小春にとって唯一の希望の光になっていた。だから小春は晴人から大事な話があるからある店に来て欲しいと連絡を貰った時には、彼女はプロポーズだと思った。いつもよりメイクに時間をかけて特別な日にしか着ないワンピースを身につけた。何度も鏡で自分の服装とメイクがおかしくないかを確認してから家を出た。晴人が来て欲しいと言った店は高級感を感じるイタリアンレストランだった。晴人と食事する時は安い店が多かったので、小春の頭に「プロポーズ」という言葉がよぎり、自然と期待に胸が躍った。彼女が店に入ると既に晴人は待っていた。二人は楽しげに話ながら食事とワインに舌鼓を打っていると、晴人は突然真剣な顔になった。
「小春。大事な話があるんだ」
「なに? どうしたの? 」
小春はとうとう来たと思った。彼女は笑みを浮かべながらワインに口を付けた。
「俺、会社辞めようと思う」
小春は突然のことに息を呑んだ。晴人は堰を切ったように話し始めた。
「俺、会社辞めて古着屋やろうと思う。古着屋をやるのが大学の頃から夢だったんだ! だからコツコツ金を貯めてきて、ようやく店を開けるくらいの金を貯められたんだ。それで小春に会わせたい人がいるんだ」
晴人は近くにいたウェイターを呼んで何か一言言うと、そのウェイターは晴人の元から離れた。少しするとシワ一つない真っ白なワイシャツを着た男性が笑顔と共に二人のテーブルにやって来た。
「楽しまれてますか? 」
「料理もワインもすっごく上手いよ」
「それは良かった。はじめまして。この店のオーナーをしています。沢口信五です」
信五は小春に会釈をした。小春は晴人が会社を辞めるということに頭がいっぱいで、混乱していた。
「会社にフットサルの部活があって時々俺も参加してるんだけど、たまたま沢口たちのチームと試合したんだ。試合が終わった後に飲んでたら、沢口も古着が好きなことが分かって、それで一緒に古着屋をやろうってことになったんだ。俺、経営とか分からないから沢口に教えてもらいながらやっていこうと思ってる。それで……」
晴人は高揚して珍しく口数が多くなったが、小春の手足は氷のように冷たくなり、呼吸が浅くなった。そして彼女は晴人を遮るように突然立ち上がった。
「私……。帰る」
小春は青い顔でバッグを持つと店を出た。彼女は足早に店から離れようとした。小春は晴人の言っている意味が分からなかった。
会社を辞めて古着屋をやる?
経営なんてしたことないのに上手くいく訳ない
本当だったら仕事もお母さんから離れられるはずだったのに!
私の未来を返してよ!
そう思うと晴人に対して感じたことのない怒りが込み上げてきた。
「おい! 小春どうしたんだよ? 大丈夫か? 」
晴人は急いで小春を追いかけ、彼は小春の手を掴んだ。しかし小春は晴人の腕を振り払うと感情を爆発させた。
「仕事を辞めて古着屋をやりたい? ふざけないでよ! そんなの上手くいくわけないじゃん」
小春のいつもと違う態度に晴人は狼狽えた。
「なんでそんな事言うんだよ。突然すぎるのは分かってる。でも古着屋をやるのはずっと俺の夢だったんだ。小春だって俺が古着屋をやりたいのは知ってただろ? 」
「聞いてたよ。でもそんな早く店をやるとは思わなかった」
「すぐに上手くいくわけないと分かってるけど、後悔したくない」
小春の頭には私の人生をめちゃくちゃにしたくせにという言葉が浮かんだ。
「夢? 笑わせないでよ。店なんかすぐに潰れるに決まってる。後悔したくない? 好きだから店をやる? そんな子供みたいなこと言わないでよ。それにあの沢口さんだっけ? 晴人くんを騙そうとしてるんじゃない? そうじゃなきゃ晴人くんなんかと仕事したいって言うわけないでしょ。私、将来性のない人と一緒にいたくないから! 」
小春は晴人に向かって一気に捲し立てた。彼女が言い過ぎたと思った時には遅かった。晴人は小春を軽蔑するような表情を浮かべていた。
「小春ってそんなことを言うヤツだったんだな」
「ちょっと待って……」
小春は晴人の腕を掴んだが、晴人はすぐにその腕を振り払った。
「今までありがとう。さようなら」
晴人はそう言い捨てると踵を返した。
「私、晴人くんに嫉妬してたんだよ。私、お母さんの世話をすることで頭がいっぱいで夢なんてなかった。あの会社に入ったのも給料がいいからって理由だけだもん。だからあんなに酷いこと言って……。本当にごめんなさい」
小春は晴人に向かって頭を下げた。まさみはずっと黙って聞いていたが口を開いた。
「三谷さん。私、今まで三谷さんの話を聞いてみてやっぱり今の会社は辞めたほうがいいと思う」
「私もそう思います。だから辞めました」
「えっ いつ辞めたの? 」
「昨日です。すぐに辞めさせてくれないと思ったので退職代行を使って辞めました」
そう言った小春の顔はどこかさっぱりしていた。まさみは小春がそんな思い切ったことをするとは思わず目を丸くした。
「高橋先輩のお陰です。高橋先輩がああ言ってくれたから。辞める決意が出来たんです」
小春とまさみがファミリーレストランで会ったことを知らない晴人は不思議そうな顔をしてまさみを見た。
「最初、高橋先輩に言われた時は何も知らないくせに勝手なこと言わないでよって思いました。でも少し経ってみると、高橋先輩の言う通りだって思いました。私は勝手に体を触られたり、酷いことを言われたりしていい人間じゃない。私を大事にしてくれない人たちからは離れないといけないって思いました」
「そっか……。無事に辞めれたんだね」
まさみは安心したように息を吐いた。
「母に全部話したんです。それで会社を辞めたいって言ったら、そんな会社辞めていいよって言ってくれたんです。母に背中を押してもらいました」
「お母さんは大丈夫そう? 」
晴人は心配そうな顔で小春に聞いた。
「親戚が他にいい病院を紹介するって言ってくれたんです。その人、介護疲れで寝れなくなったことがあったらしくて。そこの病院に行ったら良くなったそうなんです。絶対に良くなるっていう保証はないけど連れて行きたいと思います」
小春は屈託のない笑顔を見せた。まさみはその笑顔を見て彼女は本当はこんな風に笑うんだったと思った。彼女の本当の笑顔を見た時、まさみも自然と笑みが零れた。
小春が帰った後、二人はコーヒーを飲んでくつろごうとしていた。まさみは何気なしに玄関を見ると小春の傘が傘立てに刺さっていた。
「あっ! 三谷さん傘を忘れてる。私、返してくるよ」
「いや。俺が行くよ」
晴人は立ち上がった。
「大丈夫。三谷さんもそんな遠くに行ってないだろうから、私が行ってくる」
まさみはそう言うと傘を持って小春を追いかけた。
「三谷さん! 」
まさみが大きい声で呼ぶと小春は振り返った。
「高橋先輩? どうしたんですか? 」
「傘! 傘忘れたでしょ。だから持ってきたの」
「そっか雨止んでたんですね。ありがとうございます」
小春はどこか嬉しそうだった。
「どうしたの? 」
「やっぱり高橋先輩と外山先輩はお似合いだなって」
「そうかな? 」
まさみは気まずそうな笑顔を浮かべた。
「はい。高橋先輩は気づいていなかったと思いますけど、外山先輩はずっと高橋先輩のことが好きだったんですよ。私が外山先輩と付き合えたのは本当にラッキーだったんですから」
「えっ? 」
小春の突然の告白にまさみは顔が引きつらせた。小春はそれじゃあと会釈をすると去っていた。
「えぇぇぇぇぇ! 」
まさみは小春の言っていた意味が理解出来ると驚きのあまり叫んだ。しかし小春の衝撃の告白でまさみの中でようやく全てが繋がった。まさみは飯尾から晴人が柳を怒鳴りつけた理由を教えてもらった時に、こんなことを言われた。
「晴人さん。すっごいかっこよかったんですよ。晴人さんが柳さんに向かってこう言ってたんです。『アイツを馬鹿にするな! アンタは知らないだろうけどアイツは本当に最高な女なんだよ! 』本当にかっこよくて高橋先輩に見せたかったなぁ。高橋先輩って旦那さんにめちゃくちゃ愛されてますね」
まさみは晴人がどうしてそこまで言ってくれたのかと気になっていた。聞こうとしたが途中で止めてしまった。彼女はふと信五に言われた言葉を思い出した。
「まさみちゃんが思ってるよりアイツはまさみちゃんのこと好きだよ」
最初聞いた時は意味が分からなかったが、今になってその意味がようやく分かった。
晴人は私のことが好き?
まさみの頭にその答えが導き出された時、彼女はもう一度叫んだ。
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