第23話 私たち、BBQします③
まさみはTシャツにジーンズという動きやすい服装でバーベキュー会場へ向かっていた。バーベキュー会場は普段は公園だが、期間限定でバーベキューをすることが許される。この季節になると家族連れや友人グループがバーベキューを楽しんでいるが、まさみは一度も楽しめた覚えはなかった。彼女は会場に向かいながら何度目か分からないため息をついた。
まさみが会場に着くと多くのグループが既にバーベキューコンロの設置をしたり、食材を切ったりしているのが見えた。彼女は十分ぐらい公園の中をウロウロしていると急に名前を呼ばれた。
「高橋さん! こっちです。こっちこっち」
まさみは声のする方に振り返ると飯尾が手をブンブンと振っていた。
「飯尾くん! お疲れ様」
まさみは飯尾に駆け寄った。
「皆集まってますよ」
「皆さんお疲れ様です! 」
まさみが同僚たちに挨拶をしていると飯尾は声を潜めて彼女に話しかけた。
「さっき参加者の名簿をチラッと見たんですけど今回も参加者少ないです」
まさみも同じように声を潜めた。
「だって参加してるのって営業だけでしょ」
十年くらい前は多くの社員と家族がバーベキュー大会に参加していた。しかし少しずつ参加人数が減っていき、数年前にはとうとう参加者が数人になってしまった。バーベキュー大会廃止の危機に、柳の鶴の一声によって営業部は自由参加という名の強制参加になってしまった。自由参加という名目になってるので給料は出ない。また営業部の社員は家族を連れての参加をしないと柳にチクチクと嫌味を言われるので営業の社員たちは不満を抱いている。
「強制参加じゃなければ来ないよね」
「ですよね」
男性社員たちはバーベキューセットの準備が終わり、椅子に座って休憩をしている。柳に至っては椅子にふんぞり返ってビールを飲んで少し顔が赤くなっている。柳は手伝いもせずビールを飲みながら指示だけ出していたのだろうとまさみは思った。女性社員たちが調理を始めたのでまさみもその仲に混ざった。
「僕もやりますよ」
それを見ていた飯尾はそういうと包丁を持とうとした。
「大丈夫だよ」
「だって女性だけにやらせるのってなんか嫌じゃないですか」
「気持ちは嬉しいんだけど……」
「飯尾、何やってるんだよ? そういうのは女の子たちに任せとけばいいの! 台所は女の聖域なんだから」
柳は大声で笑いながら言った。まさみを含め女性社員たちはむっとした表情をしたが、柳は気づいていない。
「ね。大丈夫だから戻って」
「分かりました……」
飯尾は不服そうだったが戻って行った。男性社員たちや女性社員の夫たちは酒を飲んで盛り上がっている中、女性社員たちは下女のように調理場で働いている。まさみの会社の営業部は女性が多い。まさみはバーベキューの調理をさせるために、女性を多めに採用してるのではないかと思った。突然一人の若手社員が呟いた。
「これって理不尽じゃないですか? 」
その言葉に女性社員たちの手が一瞬止まった。一人の社員がぽつりと口を開いた。
「理不尽か理不尽じゃないかと言ったら理不尽だけど……」
柳はまさみたちが働く支店の責任者であり、本社の管理職とコネクションがある。柳に好かれれば本社勤務の道が開けるが、嫌われれば本社勤務どころではなくなり、この支店で働きづらくなる。柳に逆らうことはこれからのキャリアに影を落とすことになるのだ。女性社員たちだけではない。男性社員たちも楽しくないバーベキュー大会に参加して、柳の機嫌を窺わないといけない。反対など出来ないのだ。
「それにこんなこと他の会社でもやってるでしょ。こんなんでへこんでたら通用しないよ! 」
女性社員の中でも一番社歴が長い社員が不満を漏らした若手社員に発破をかけるように言った。
「そうですよね。こんなんでへこんでたら駄目ですよね」
若手社員はまるで自分に言い聞かせるような口調だった。まさみは二人の会話を聞きながら野菜を切っていると高橋さんと呼ぶ声が聞こえ、彼女はキャベツを切っていた手を止めた。そこには晴人がいた。晴人は頭を下げてバーベキューの参加者たちに挨拶をしていた。
「晴人! 来てくれてありがとう」
まさみは調理を中断して晴人に駆け寄った。
「ううん」
「はじめまして飯尾です。高橋先輩の後輩でいつもお世話になっております」
「こちらこそ妻がお世話になってます」
晴人は硬い笑顔ではあるが挨拶をした。
「はじめまして柳です。奥様にはいつもお世話になってます。どうぞこちらに座ってください」
柳が赤い顔で晴人を隣に座らせた。まさみは調理場に戻った。晴人は車で来たのでビールではなくオレンジジュースが入った紙コップを用意した。そして焼いた肉や野菜を乗せた紙皿を晴人に渡した。
「ありがとう」
晴人は紙コップと紙皿を受け取ったが、どこか不思議そうな表情だった。
「すいません。どうして女の人達しか動いてないんですか? 」
「やっぱり台所は女の聖域で、台所仕事は女の仕事ですから。男がでしゃばったら申し訳ない」
「でも男のシェフもいるじゃないですか? 台所が女の聖域なら男のシェフは台所に入れなくなるんじゃないんですか? 」
晴人は嫌味でも何でもなく心から不思議そうな声で反論した。まさか自分よりも若い男に反論されるとは思わなかったようで柳は顔を引き攣らせた。
「ちょっと来て」
まさみは晴人の腕を掴んで少し離れた所に連れて行った。
「なんだよ? 」
「なんだよじゃないよ。お願いだから変なこと言わないで」
「変なこと? 変なこと言ってんのはあっちだろ」
「そうだけど柳さんを怒らせないで。怒らせたら昇進に響くんだから」
「分かったよ」
晴人は全く納得していない様子だったが、まさみが何度も念押ししたので渋々頷いた。まさみは晴人と戻った。
「柳さん。すいません。夫が失礼なことを言いまして」
「全然いいんだよ」
まさみはこっそり飯尾に近づいて耳元で囁いた。
「飯尾くん。ごめん。晴人が変なこと言わないか見ててくれない? それでもし言ったらそれとなくフォローして欲しいんだけどいいかな? 」
「了解です」
飯尾は小さい声で言った。
「ごめんね。よろしく」
まさみは飯尾にそう言い残すと調理場に戻って行った。女性社員たちは相変わらず野菜を切ったり肉を焼いたり、男性たちの紙コップが空けばお酌をした。まさみも同じように働いていたが、途中でトイレに行きたくなった。彼女は女性社員たちに声を掛けてからトイレに向かった。トイレはまさみたちのいる場所から歩いて十分程離れた所にある。まさみは嫌々ながらも歩いて行った。
「ふざけんじゃねぇよ! 」
まさみはトイレから帰ってくると晴人の怒鳴り声が聞こえた。彼女は走って近づくと晴人が立ち上がって座っている柳に怒鳴りつけていた。飯尾はなんとか晴人を宥めようとしている。
「晴人! 何してるの!? 」
「俺、帰る」
晴人は怒りが収まらない様子でそう言うと大股で歩き出した。
「ちょっと晴人! 本当にすいません」
まさみは柳に謝ると晴人をすぐに追いかけた。
「ちょっと! 晴人、何があったの? 」
「言いたくない」
晴人は立ち止まらず、足早に公園の出口へ向かっている。
「言いたくないじゃないよ。柳さんに何か言われたんでしょう? そうじゃなかったら晴人が怒るわけないじゃん」
「言わない」
「お願いだから言って」
「絶対に言わないって言ってるだろ! 」
「いい加減にしてよ! 」
まさみは声を荒らげた。晴人はようやく足を止めて彼女の顔を見た。彼女は堰き止めていた感情を爆発させた。
「晴人のせいで柳さんを怒らせちゃったじゃん! 柳さんに嫌われたら会社にいられなくなるかもしれないんだよ。晴人のせいで昇進どころか会社をクビになったらどうするの?! 」
まさみは自分が怒りながらも涙が込み上げそうになった。
「ごめん……」
晴人は申し訳なさそうな表情を浮かべ、そう言い残して帰って行った。まさみはすぐに会場に戻ると、柳は相変わらず顔が赤くなっていた。しかしそれはアルコールではなく怒りのせいだった。
「なんだあの男は! 本当に失礼にも程があるぞ!! 」
「本当に申し訳ございませんでした! 」
まさみは深々と頭を下げたが、柳の怒りは収まらなかった。
「俺がどれだけお前のことを可愛がってやったと思ってんだ! この恩知らず!! 」
柳はまさみに怒鳴りつけるとビールが入った紙コップを地面に投げ捨てて帰って行った。まさみの足元はビールがかかった。さっきまであんなに騒がしかったのに、静まり返っていた。まさみは会社の人間たちに何度も頭を下げて回った。まさみは参加者たちに謝罪をしながら情けなさで頭がいっぱいだった。
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