第31話 合成魔獣《キメラ》
ミリアの放った風の魔法はそれなりの威力があったようで、シルカはかなりの距離を飛ばされていた。幸い飛ばされた先は柔らかい芝生の残る公園跡で、多少の擦り傷はあったが大きな怪我は全くなかった。
シルカは起き上がり、飛ばされて来た方に目を向ける。その先には小さく
「頭に血がのぼりすぎたか、それか距離が離れすぎたかな。はたまたその両方か」
まだまだ魔蟲奏者にも研鑽が必要かなとシルカは考えていた。
と、そこへ、
「シルカ!」
その呼び声の主人が自分の想い人である事に表情を輝かせるが、そちらに目を向けて表情が凍りつく。
そこにはカイトと一緒に、シルカ自身が最も劣等感と焦燥感を抱くに至った人物、ミリア・フォレスティがいたからだ。
「カイト、何をしに来たの?」
「何をって、シルカと話をしに来たに決まってるじゃないか。最近、あんまり話をできなかったから」
「なら、1人でも十分だよね。なんでその女を連れて来たのよ。当てつけのつもり?」
思わぬ言葉がシルカの口から零れだす。
想定外の言葉に鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をするミリア。
「え? いや、私はただの護衛だし」
「ふ〜ん、最初は護衛として何気なく近づこうって訳ね。そしてあわよくばカイトと良い仲になろうと、そんな作戦なのね。なんて浅ましい」
「は? いやいやいや、何言ってるの?」
少なくともミリアにとってカイトは同じアザークラスのクラスメイトであってそれ以上でもそれ以下でもない。
そもそも、一途に
だが、それはミリアの心境であり、他者であるシルカが知る由もない。何より、嫉妬などの負の感情が増幅した今のシルカには到底理解できないものだった。
「やっぱり、貴女の存在は私にとって邪魔以外の何者でもないわ。
むしろ障害よ。大きな壁よ。
壁は打ち砕かないと。私の力で!」
そう呟いた直後だった。シルカの身に変化が起きたのは。
突然シルカの体から噴き出した漆黒の魔力がシルカの全身を覆い始める。
その漆黒の魔力。ミリアには覚えがあった。
魔法学園の闘技場。決闘の場で魔獣と化したブライトンの体を覆っていたものと全く同じもの。
即ち、瘴気。
「シルカ! お前、まさか!」
「私の邪魔をする奴は絶対に許さない。例え誰だろうと、叩き潰してやる。この力で!」
突風にも似た強烈な魔力が爆発するように周囲に撒き散らされる。カイトとミリアも風圧に煽られて数メートル吹っ飛ばされた。
跳ね起きて顔を上げたカイト。
そこにいたのは――
「その姿は……」
瘴気が渦巻く闇の中に、シルカは優雅に、そして妖艶に舞っていた。
頭部から伸びた2本の触角。首元には純白のファーにも似た触毛が覆っている。
そしてその背には美しい紋様があしらわれたら大きな4枚の羽が羽ばたいていた。
その姿はまさに巨大な青白い光を放つ蝶。
いや、その蝶の魔蟲と融合した、所謂
「どうかな、カイト。すごく美しいと思わない?
それに、とても強いのよ、この身体。今までの私からは考えられないくらい」
「な、何でシルカがそんな……」
愕然とするカイトにシルカは本当に不思議そうに首を傾げる。
「どうしてそんなに辛い顔をするの?
私、カイトのために強くなったのよ?」
「誰が人間をやめてまで強くなって欲しいなんて思うんだよ!
シルカ、お前分かってるのか!?
その力に頼った奴の末路、お前だって見てただろ!」
「そうね。この力はあのブライトンと同じ、禁断の果実によって与えられたものよ。でも、考えてもみてよ。
この世の中に、何のリスクもなく得られる力があると思う? 私が、そこの理不尽の象徴のミリアを超えるのを何のリスクも犯さずに成し得ると思う?」
そう言ってシルカはミリアに目を向ける。
「カイトはね、私を連れ出してくれたの。鳥籠の外に。その時から、カイトは私の特別になった。例え、カイトが魔力を上手く扱えなくても。周り中敵だらけでも。私だけはカイトの味方だった。
なのに……」
ミリアに向けたまま、シルカの目が赤く染まり始める。
「なのに、貴女が来てからおかしくなった!
カイトが強くなって、アザークラスが特別になって。そして、特別でもない私はその輪に加われなくなった!
今まで、カイトの側が私の居場所だったのに、貴女のせいでその場所を失ったのよ!」
シルカの怒りが吹き出すように、シルカの全身から瘴気が吹き出した。
「フフフ、アハハハハハハ!」
突然、狂ったようにシルカは笑い出す。
「さあ、戦いましょう、ミリア!
カイトの横に相応しいのは誰か、決着をつけましょう!
この
その名の通り、満月の照らす明るい夜にしか現れないと言われる幻の魔蟲。その大きさは大体大人の人間よりもやや大きい程度で、羽を広げても腕を横に広げた人間3人分ほど。魔蟲の中ではやや大きめと言ったサイズでしかない。
しかし、その戦闘力は凄まじく、出会ったらもう生きて帰れない。その不運を嘆くしかないとまで言われるほど。実際に数十人の護衛を雇っていたとある豪商が運悪く
「カイトの隣の座なんかこれっぽっちも興味はないけど」
「何だろう。言葉にされると何気にショックだ」
やや口元が引きつっているカイトをとりあえず無視して、シルカに相対する。
当然の事ながら、ミリアにも流石に
だが、やるしかない。今のシルカを見られたら確実に討伐対象にされる。
「貴女を止めるわ、シルカ。
まるでそれが開戦の合図であるかのように、ミリアから放たれた火炎弾がシルカを直撃した。爆炎が撒き散らされ砂煙が舞い上がる。
ミリアの魔力で放たれた火炎の魔法。普通の魔獣であれば初級の
「熱いじゃない。ちょっとだけどね」
爆炎の先には不敵な笑みを浮かべるシルカの姿。彼女を取り巻く瘴気が障壁となって火炎弾の威力を削いだのだ。
それを見てミリアは難しい顔をする。
「あまり強力な魔法だとシルカを殺しかねないし。かと言って長期戦をしてるほど時間の余裕もない」
「今度はこちらの番ね!」
シルカは
「鱗粉!?」
羽から舞い散る無数の鱗粉。その1つ1つから魔力が感じられる。しかも、その鱗粉の発する色は白。
「白い魔力って、これはまさか全属性!」
気付いた頃にはすでに周囲全てが鱗粉に包まれていた。やがて鱗粉は色を変えながら寄り集まってとある形を形成する。
赤、青、緑。
鮮やかでかつ、火、水、風の各属性に彩られた無数の蝶の姿に変化する。そして、それらはまるで美しい幕を張るように周囲に広がっていった。
この特殊魔法、見た目鮮やかだがその効果はまさにエゲツないの一言。何せ、火水風の3属性の攻撃が一度に襲いかかってくるのだ。それもヴェールのように全体を覆うように。
慌ててミリアはカイトに指示を飛ばす。
「カイト、私の後ろに! カイトの無属性魔力だとあの攻撃は防げないから!」
「わ、分かった!」
すぐにカイトはミリアの後ろまで避難する。それを確認するなり、ミリアは魔力の封印を一気に限界値の50%まで解放した。
「あれの属性は火水風。なら、防ぐための属性はこれ!」
ミリアは解放した魔力を惜しみなく使い、目の前に大きな魔力の障壁を形成する。その障壁は青い光を放っていた。
魔法には相性がある。
それを表すこの言葉。
『火は風を受けて大きく燃え上がり、水は火を飲み込んで消し去る。地は水を受けて成長し、風は地を吹き荒らす』
火は風に強く、水は火に強い。地は水に強く、風は地に強い。これが自然界の理であり、魔法の力の関係となっている。ミリアの
ちなみに、上下関係の無い属性同士や同属性の場合は魔力の大きさがモノを言う。
(おそらく、防ぐならこれが最適項のはず)
やがて舞い降りてきた三色のヴェールがミリアの魔力障壁に覆い被さった。障壁の表面で火と氷と風がバチバチと弾けて散る。その度に魔力障壁が表面から徐々に削り取られていく。ミリアはその都度削られた障壁を補うように魔力を送り障壁を維持するが、それはどう見てもジリ貧以外の何者でもなかった。
「はぁ……はぁ……」
なんとか防ぎきったものの、掛かった負荷は尋常なものではなく、流石のミリアでも疲労の色を隠せないほどになっていた。
シルカはそんなミリアを冷めた目で見つめている。
「
「さ、才能の一言で済まさないで欲しいんだけどね。私だって相応の努力をしてるんだから。
そんな事より、どう言うつもり?
今の攻撃、明らかにカイトも巻き込む気だったわね」
つまりは、あの攻撃はミリアだけでなくカイトさえも狙った攻撃だったと言う事だ。
そのミリアの問いに対するシルカの答えは耳を疑うものだった。
「それが何か?」
「それが何かって、貴女の目的はカイトを取り戻す事じゃなかったの!?」
「確かにそうね。でも、あれくらいの攻撃には耐えてくれないと、私には相応しくないもの」
「は?」
思わず間の抜けた声を発してしまう。
何か様子がおかしい。ミリアだけでなく、カイトもそう感じた。さらに輪をかけておかしな発言がシルカの口から飛び出した。
「大丈夫よ。例え耐えきれなくても見捨てたりはしないわ。その時は私がカイトを食べて取り込んであげる。そうすればカイトも永遠に私と一緒。
そう、永遠に一緒にいられるのよ」
本当に嬉しそうに上気した顔でそう語る。
女が傷ついた男を捕食するだって?
それはもう人間の考え方ではない。
メスがオスを食って糧にする。それは昆虫の世界。すなわち魔蟲の世界での考え方だ。
これまで何かが間違っていると思っていた。
あのシルカは2つ目の人格だと仮定してもなんだか噛み合わない事が多かった。
己の欲望一辺倒な性格。だと言うのに主人格を残している奇妙な形。
ここに来てミリアは確信した。
目の前のシルカは2つ目の人格だと思っていたがそうじゃなかった。
あのシルカはシルカを語ってはいるがそうじゃない。
「あんたはシルカの2つ目の人格ですらない。
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