第七幕 ミスミミミと依頼人 (1)

「三隅はまた休みかー?」

 担任が言う。

「ミス、こねーな。もう二週間?」

 軽く振り返って今井が言うから、

「もう来ないんじゃないかな」

 透史は思ったままを答えた。

 一連の騒動から二週間。あの日以来、ミスは学校に来ていない。もう用もないし、来ないつもりなのだろう。

 菊をはじめとして、今井も弥生のことを忘れたことを忘れていた。さらに言うならば、あの日不自然に校舎が揺れたことすらも。透史以外の人間の中で、あの日一日のことがなかったことになっている。皆子が言うには、主様の計らいらしい。怪異の存在に、人は気付かぬ方がいい。そのために、記憶に手を加えられた。

 ややっこしいことにならなくてよかったが、結局菊はまた怪異の存在を知らぬままなのかと思うと、ちょっと哀れだ。

 少数派だった潤一は、弥生のことに関しては消極的だったが、それでも翌日には弥生にネックレスを持って来た。

「これをつけてれば、外にも出られるから」

「……本当?」

 おそるおそるそれを首からかけ、弥生が校門の外に一歩踏み出す。二歩三歩。数歩進んだところで振り返った弥生は、泣きそうな顔をしていた。

「ありがとうございます」

 弥生が頭を下げると、潤一はなんとも言えない顔をすることでそれに答えた。

 あれ以来、弥生の帰る場所は学校だが、放課後デート的に寄り道を何度かした。

 それじゃあ、付き合っているのか、と聞かれたらよくわからない。たとえ、本気で好きになっても、高校を卒業する時には別れることになるのだ。主様は高校卒業までは待ってやる、と言っていたのだ。それが、出血大サービスなことぐらい、透史にだってわかる。引き延ばしてもらえることは、期待しない方がいい。

 それに仮に、主様が卒業しても弥生にこちらにいてもいい、と言ったところで、いつまでも一緒にいられるわけじゃない。学校から外にでたら、弥生には公的な身分はないのだ。

 一緒にいて楽しいし、これからも大事にしたいと思う。それが、どういう感情なのかは、透史の中で結論は出ていない。これからも、きっとださない。

 それは逃げだ。自分でもわかっている。だけど、傷つきたくない。傷つけたくない。

 あの時、弥生を庇って影の前に飛び出した時に変われた気がした。でも、結局変わっていない自分はずるい人間のままだ。

 そんなことを思っていると、

「透史くん」

 声をかけられる。

「弥生」

「あのさ、ミスのことだけど」

 もじもじと言われる。話の内容を察すると、

「屋上、行こうか?」

 大事な話は大体屋上だ。

「それで?」

 いつかと同じ、フェンスの前で問いかける。リボンの数が減っていた。おまじないをした生徒は、告白に成功したのだろうか?

「あのね、ミス学校来ないじゃない?」

「来るつもりがないんだろ」

 だって、ミスはもともとそんなに学校が好きじゃなかった。仕事だから仕方なく、来ていただけだ。

「ううん、ミスは、本当は来たいんだと思う」

「なんで、そう思うの?」

「ミスは透史くんのこと好きだから」

 沈黙。

「……は?」

 何がどうしたら、そうなる。

「少なくとも、人間として好きだと思う」

「……その根拠は?」

「透史くん、あたしのこと知っても友達だって言ったから」

「それで?」

「ミスの蛇、透史くんにも見えてたでしょ?」

「蛇?」

 そんなものに覚えはなくて問い返すと、弥生は不思議そうな顔をした。

「襲われたでしょう?」

「あ、あの黒い影」

 思い返す。ミスから現れたあの黒い影。

「透史くんには黒い影に見えてたんだ」

「っていうか、全部黒い影に見える。その、主様も」

 弥生は少しきょとんとしてから、

「主様は、黒い影に見えてた方がいいよ」

 真面目な顔で言った。どんな恐ろしい外見をしているんだ、主様。

「あ、主様がミスのこと蛇の姫って言ってたのは」

「そう」

 弥生は一つ頷く。

「あれはミスの蛇」

「蛇ってなんだってそんなものが」

「それはあたしにはわからないけれども。あれはミスのことも食べようとしてたでしょ?」

 頷く。思い出すと背筋が凍る。上手い具合に潤一が来て良かった。

「あれは、ミスにとっていいものじゃない。ミスにも害悪を及ぼす悪いものなんだと思う。あくまでも、あたしが見た印象だけどね」

 だからね、と弥生は続ける。

「ミスは自分のことを化物だと思ってるし、悪いけど、あたしも初めて見た時からそう思ってた」

「……化物」

 怖いのは仕方がない、化物だから、とミスは言っていた。あれは自分のことも含めていたのだろうか。

「だから、ミスは本当の化物のあたしのことも友達だと言った、透史くんのことが好きなんだと思う。透史くんは、化物だからと、無条件で怖がらない、疎まない、と思っているはず。うん、そうだ、思い出した。確か、ミスのことも友達っていうようなこと、言ってたもんね。じゃあ、尚更だ」

 自分の言葉に納得したかのように頷く。透史はただ、弥生の顔を見ることしかできない。

「だから、ミスは、学校に来たいと思ってるはず。でも、ミスは学校には来られない。もう来る理由がないから」

「理由なんて、勉強するでいいじゃん」

 思わず呟くと弥生も少し笑って頷いた。

「本当はそう。だけどミスは仕事で学校に来ていたから、仕事みたいな何かがないと来られないの。ミスはプライド高いから」

「ああ……」

 なんか納得した。

「頑固だもんな」

「そう」

 弥生が笑う。

「あたしはね、透史くん。透史くんのことが好き」

 そしていつもの、屈託ない笑顔で言う。

「だからね、ミスがライバルならミスがこのままいなくなってくれるなら、それはそれでいいの。でも、透史くんはミスに学校に来て欲しいんでしょう? だったら仕方がないから、あたしはそれに協力するの、だって、透史くんのこと好きだもの」

「……弥生」

「透史くんがあたしのことまだ、恋人とは思ってないのは知ってる。んー、まあ、友達以上恋人未満、ぐらいには思ってくれてるかなーとはうぬぼれてるけど」

 その感覚は、当たっていると思う。

「あたし、ちゃんと学校に来れてよかったな、って本当に思ってるの。曖昧な怪異としてじゃなくって、ちゃんと一人の生徒として存在できていてよかったなって。ねぇ、覚えてる?」

 小さく首を傾げる。

「入学式の日。まだしっかりとした存在の自分に慣れてなくって、四苦八苦していたあたしは何したらいいかもよくわかんなかった。いつもなら気づけばなんとなく、教室にいたから。でもね、透史くんはね、あの日、クラス分けの紙をみて途方にくれてるあたしに、言ってくれたの」

 思い出した。どんどん皆が教室に入って行くなか、八クラス分の紙を上から下までみて、また再び見ていた女の子。困ったように眉根を寄せて、不安そうな顔をしていた子。

「名前は? って」

「名前は?」

 はもった。

「覚えていてくれたんだ」

 弥生が頬をバラ色に染めて、嬉しそうに笑う。

「それで、一緒に名前探してくれて、同じクラスだから一緒に行こうって。あれでもう、あたしはこの人に着いて行こう、そしたら絶対大丈夫って思ったの」

 直感があたっていてよかった、と呟く。その顔が本当に嬉しそうで、見ていてくすぐったい気持ちになった。あの時、声をかけてよかった。

「あれからずっと、学校楽しかったの。授業とかちんぷんかんぷんだけどね」

 と照れ笑い。

「だからね、本物の化物のあたしがこんなに楽しんでいるんだから、ミスだって楽しんだっていいと思うわけ。ほら、あたし、優しいから」

 最後の言葉は照れ隠しのように告げた。

「だから透史くん、一度ミスに言ってあげて。学校来いって」

「でも、」

 どんな言葉をかければいいのか。

「それは透史くんが考えなきゃ駄目だよ」

「うん、とりあえず皆子さんにでも連絡してみる」

 もらった名刺を思う。ミス本人には連絡とれないし。

「うん。最悪、あたしをダシにしてもいいからね」

 がんばってね、と弥生が肩を叩く。そして、弾むような足取りで屋上からでようとする。透史もあわててその後を追った。

「あたしもミスに来て欲しいといえば、来て欲しいんだ」

 階段を下りながら弥生が言う。

「そうなんだ?」

「だって」

 振り返る。ふわっとスカートと髪の毛が揺れた。

「ライバルが来ないと、正々堂々勝負できないでしょ? あたしたちは化物同士、条件に差はないはず、絶対に負けないよ」

 そういって極上の笑顔を浮かべると、たたたんと弾むように階段をおりていった。

 その顔に魅せられて、思わず足を止めた透史は、階段でただ佇んでいた。


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