第六幕 ミスミミミと葉月弥生 (3)
校長室は二階だ。階段を駆け下りる。
定期的に校舎が揺れるので、あちらこちらでざわめきが起きていた。地震とも少しちがうその揺れに、先生たちも対策を決めかねているようだ。
「あ、お前ら! 危ないから教室に入れ!」
途中で先生の一人に捕まった。
「あ、いえ、今、緊急で」
言った矢先に校舎が揺れ、弥生がよろける。慌ててそれを支えると、
「ほら、危ないだろ! 何年何組だ?」
教師が詰め寄ってくる。どうしよう、通り抜けられるだろうか。でも、早くしないと。
「透史!」
もめていた教室は、ちょうど菊のクラスだったらしい。廊下に飛び出してくる。
「お菊さん」
飛び出してきた菊は透史を見て、それから隣の弥生を見ると、
「弥生」
しっかりと名前を呼んだ。それに、なんだか泣きそうになる。今現在、ややっこしいことになっているし、何も解決してないけど。でも、弥生を取り戻せたのだと、そう思った。
「おい、工藤」
「あ、うちの部の後輩なので、お気遣いなく」
教師に何ら説明になっていないことを告げるが、
「何をわけわからんこと言ってるんだ!」
怒られた。そりゃそうだ。
「急いでるんだよね?」
菊がそっと耳打ちしてくるから、頷く。
「あとで説明、しなさいよ。部誌にするんだから」
菊はぽんっと、透史の肩を叩くとそう言い、
「あー! あんなところにイグアナが!」
透史とは反対側を指差し、そう叫ぶ。ものすっごい古典的かつ意味のわからん言葉に脱力しそうになったが、
「弥生!」
教師の視線がとっさに外れた一瞬の隙をつき、弥生の手を引っ張ってもう一度走り出した。
「あ、こら!」
「きゃー、先生大変! そいやー!」
「うわっ、なんだ工藤っ! 何をするんだっ! うわっ、そこはやめろっ!」
背後からそんな声が聞こえてくる。あの人は、何をしてるんだ?
そのまま走って、校長室までたどり着いた。校長はいるのだろうか?
一応ノックしてから、
「失礼します!」
返事を待たずに扉をあけた。鍵はかかってなかった。
「どうした?」
校長と教頭が真剣な顔をして話していた。直後、校舎が揺れる。
「ほら、危ないぞ」
「今、対策を話していたんだ」
「そのことで、ちょっと用がありまして」
視線を彷徨わせる。神棚は……。
「用?」
あった。
「失礼します」
見つけた神棚に近寄る。
「あ、おい」
手を伸ばすと、何かに触れた。引っ張り出す。変な形の、石。
「それだと思う」
弥生も頷く。それから、手を伸ばし石に触れる。次の瞬間、ちょっと顔を歪めた。泣きそうに。
「弥生?」
「なんでもない、行こう」
そんな会話をしていると、
「おい、君!」
教頭に肩を掴まれる。まあ、神棚のものを引きずり出したら、怒られて当然だ。
「あの、俺! 新聞文芸部の石居です!」
教頭は無視して、校長の方を見る。菊は、彼と趣味が合うと言っていた。
「詳しいことはあとで、部長の工藤菊が話すと思うので。なので、今は見逃してください」
「一刻を争うんです」
弥生と二人で頭をさげる。
「何をごちゃごちゃと」
「わかった」
怒ったような教頭を遮り、校長が言った。
「工藤くん絡みなら仕方ない。あとでちゃんと説明するんだよ」
「ありがとうございます!」
「え、校長」
情けない声を上げる教頭を残し、頭をさげると校長室を飛び出した。しかし、校長が納得するなんて、菊は本当何なんだよ。
再び階段を駆け上がる。校舎の揺れは、先ほどより頻繁になっている気がする。
だんだん足がしんどくなってきた。息もあがってきたけど、でも立ち止まるわけにはいかない。
「うわ」
弥生が転びそうになって、慌てて支えた。
「透史くん、先行って。あたしもう、体力ないや」
「でも」
握った手を離すことに躊躇いがあった。また、いなくなってしまいそうで。
「あたしは大丈夫。ミスたちが心配だし、それに、学校が壊れたら困る」
そして弥生は少し、自虐的に微笑んだ。
「だって、あたし、学校の怪談だもの」
それにはっと、胸をつかれた。学校が壊れたら透史だって普通に困る。でも、それよりも、弥生がいなくなる可能性があるのか。
「わかった。気をつけて」
「うん、透史くんも。それから一個、お願い」
「うん?」
「これはね、多分なんだけど。あのニセモノの神様も、あたしと同じなの。だから、同じように、認めてあげて」
「認めるって」
詳しく問いかけようとしたところ、また大きく校舎が揺れた。
「透史くん、行って! 時間がない」
「わかった。弥生も、気をつけて」
弥生に微笑みかけると、気力をふりしぼって、もう一度階段を駆け上がり始める。残されているのは体力ではなく、ただの意地だった。
がんっと大きい音が上からする。この踊り場を曲がれば、屋上だ。
上がどうなっているのか。外がどうなっているのか。確認する余裕もなく、ドアをあけ、滑りこむように屋上に出る。
「石居くん!」
透史に気づいたミスが叫ぶ。足から血が出ている。皆子も潤一も、大怪我はしていないが、あちらこちらに傷をつくっていった。
「これ」
透史が石像を掲げると、主様モドキが反応した。一瞬、恐れるかのように身を震わせ、次に腕をこちらに伸ばしてくる。石像を壊したがるかのように。
「させるか」
それを潤一が阻止し、
「貸して」
駆け寄ってきた皆子が、半ば奪い取るようにした。
ひとまず、役目を教えて、透史はドアの付近に後退すると、寄りかかる。
皆子は石の像を真剣に眺めていたが、
「わかった」
何かを見てとったらしい。
「援護よろしく」
ミスと潤一に告げて、主様モドキに駆け寄っていく。
「止めなさい」
ミスの言葉に、ミスから出た黒い影が主様モドキのところへ飛んでいく。主様モドキの伸ばした腕に、噛み付くように絡みついた。
「さっさと、寝なさい!」
皆子が一言吠えると、石の像を主様モドキにぶつけようとしたが、
「きゃっ」
ばちっと、音がして、弾かれた。大きな、静電気のようなもので。
主様モドキが皆子の方に手を振り上げる。
潤一が矢を放ち、皆子に手が振り下ろされる前に防いだ。
「ダメだ。何かが、足りない」
起き上がり、体制を立て直した皆子が舌打ちする。
「これが要なのは間違い。でもなんか、はじかれる」
「見てわかんねーのかよ!」
「だから情報量が多すぎるんだってば! こいつ、多分長生きしてる」
「見えすぎるってのも考えものだな」
純一が吐き捨てる。
何かが足りない? どうしたらいいのだろうか。
入り口付近で立ち尽くしたまま、透史は何もできない不甲斐なさを感じていた。
自分には、何もできない。せっかく、菊が手助けしてくれたのに。弥生も、託してくれたのに。
「……弥生と、同じ?」
言われた言葉を思い出す。
弥生は学校の怪談だ。そういう意味では、主様モドキも同じだ。認知度は違えど、学校の怪談。だけど多分、それだけじゃない。
視界の端で何かが揺れる。
そちらに視線を移すと、柵についたリボンが揺れていた。
そうだ、弥生はおまじないでもある。屋上さん。あの時、他にもおまじないの話をしていた。結婚相手が映る姿見、それから、
「……願いが叶う、イチョウの木?」
願いごとと、神様には確かに共通項がある気がする。お供えものも、してあったし。
お供え物、購買のパン。最近は、見かけない。神様。認めてもらいたがっている?
「ちょっと、何ぶつぶつ言ってるの?」
ミスが怪訝な顔を向けてくる。
「三隅さん、神様にお供えものを怠ったりすると祟りがあるって、昔話とかでよくあるよね?」
それに構わず勢い良く問いかけると、
「あるけど?」
変な顔で頷かれた。
つながった、気がする。
もちろん、これはただの仮説だ。あっているかどうかなんて、わからない。ミスみたいに不思議な力があるわけでもないし、菊みたいにやたらとオカルトに詳しいわけでもない。
でも、弥生のことをただ一人覚えていて、今こうして巻き込まれている。自分は当事者だ。誰がなんと言おうと。
校舎が揺れる。
もしも、学校が壊れたら。みんなが怪我をしたり、下手をしたら命を失ったりすることがあるかもしれない。そして、学校の怪談である弥生はいなくなる可能性が高い。そんなことは認められない。それならば、少しの可能性にでも、賭けたい。何もしないなんて、無理だ。
「俺、多分わかった。援護よろしく」
「はあっ?!」
ミスに一方的に宣言すると、走りだす。
「透史くんっ?!」
皆子の驚いたような声を無視して、主様モドキの前に立つ。
「イチョウの神様っ!」
叫ぶ。呼び掛ける。主様モドキが透史を見た、気がした。
「危ないっ」
主様モドキが腕をあげる。逃げたくなるのを、堪える。
「あんたは、ニセモノなんかじゃないっ」
ポケットに入れっぱなしにしていた、菊からもらったチョコレート。それを手の上に乗せ、差し出す。食べずに取っておいて、よかった。
「これが、今日のお供えものです!」
認めてあげて。
弥生が言ったのは、多分そういうことだ。ニセモノの神様なんかじゃない。少なくとも、
「お供え物がなくなったのは、人体模型が今いないから、それだけだっ! あんたのことを、見限ったからじゃないっ」
例え他の誰にとってニセモノでも、あの人体模型にとっては、本物なのだ。
主様モドキが振り下ろそうとした腕を、止める。
「え、なんで?」
ミスが不思議そうに声をあげる。
やっぱり、当たりだ。よかった。
「お供え物がなくなったから、怒ったんだよね。神様扱いしてもらえなくなったって、悲しかったんだよな。でも、違う。人体模型は、修理に出されてるだけなんだ。だからっ」
主様モドキが動きを止める。なんとなく、困惑しているように思えた。
「待っててやって。戻ってくるのを。イチョウの木で!」
叫ぶ。
透史の横を皆子が駆け抜ける。持ったままだった石の像を、主様モドキに投げつける。今度は、弾かれなかった。
次の瞬間、主様モドキはうめき声をあげながら、石の像に吸い込まれていった。
落ちそうになったそれを、潤一が受け止める。
「あー、疲れた」
潤一が座り込んだ。
「終わった、んですか?」
恐る恐る透史が問いかけると影を自分のところに戻したミスが頷いた。それに安堵する。
「透史くん!」
階段を駆け上ってきた弥生に、大きく腕で丸を作ってみせると、彼女も安心したように笑った。
「はー、厄介だったわ。ってか、透史くん、さっきの何?」
皆子の問いに、
「あーいや、一か八かだったんですけど。そうかなーと思って。あれの正体」
「ニセモノの神様?」
「イチョウの神様だよ」
ミスの言葉を、首を振って訂正する。
「おまじないがあるんです。イチョウの木にお供え物をし続けると、願い事が叶うっていう。多分、それかなって。神様とお供え物、願い事って近いから」
「雑推理だなー」
潤一が呆れたようにつぶやいた。
「でもまあ、実際当たってたからね。勘って大事でしょ」
「ニセモノってついてるぐらいだから、もともとは狐とかそういう下級霊だったんだろな」
「そうね。でもそのおまじないを続けられているうちに、自分を神様だと思い込むようになった。それが正体?」
「人体模型っていうのは?」
「七不思議の人体模型。購買に並ぶっていう」
人体模型が購買に並んで、食べもしないのに何を買うんだろうと、思っていたのだ。
「イチョウの木に、購買のパンがおいてあるのをよく見かけてた。でも、最近は見かけない。それって多分、人体模型なんじゃないかなって」
言いながらも、脈絡ないなと自分に苦笑する。
「人体模型が、お願い事?」
「多分、友達になりたいんだと思う」
それまで黙っていた弥生が言った。
「私もそう。人体模型も、深夜にバスケットボールしてるあの子たちも、みんなそう。学校の怪談である私たちは、生徒と友達になりたいって思ってるの。いつのころからか、わかんないけど」
「なるほどねー。情がうつるっていうか、学校が楽しそうっていうか。そういう感じ?」
「うん。なんとなくだけど」
「それで学校の怪談が、学校の怪談に相談したってことか」
変な話だなーと潤一がぼやいた。まあ、確かに。
「あなた、そんな不確定な情報で、アレの前に立ったの?」
ミスから声が飛んでくる。どこか、とげとげしい声。
「あー、うん」
まあ、無茶をしたなとは自分でも思うが。
「でも、学校なくなっても困るし。弥生が同じだっていうから、なんとなくそんな感じなのかなーって思ったし」
「ばっかじゃないのっ!」
半笑いになりながら答えると、大きな声で怒鳴られた。
「うわっ」
その剣幕に思わず身を引く。
「ミスって大きな声出せるんだ」
弥生がつぶやく。いや、それな。
「下手したら、死んでたかもしれないのよ?! それを一体なんなのっ?! 葉月弥生のことだって、庇うし! あなた、化け物が怖くないのっ?!」
「ミィ」
たしなめるように皆子が名前を呼ぶと、ミスは軽く唇を噛んで黙った。
「あー、いや、考えなしだったなっていうのは、自分でも思うけど」
怖くなかったわけでもなかったし。
「まあ、結果オーライよね」
変な空気になったのを、皆子がカバーした。
「そうだな。でもまあ、ビギナーズラックだろうし。次はやるなよ」
潤一が釘をさしてくるが、
「いや、次とかいらないです」
本気で否定した。マジでいらない。
「まあ、そうでしょうねー」
皆子が楽しそうに笑う。それから、
「ミィ、仕切り直し。主様呼んできて。本物の」
さっきと同じようなことを告げた。
「本物の、ね」
ミスは苦笑すると、ゆっくりと前に進み、次の瞬間消えた。
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