第六幕 ミスミミミと葉月弥生 (1)
「痛いっ」
弥生の小さな悲鳴とともに、校舎の屋上のフェンスが揺れた。一緒に、フェンスについていたリボンも揺れ動く。
「乱暴ね」
自分を突き飛ばした人物に、挑むように告げる。当のミスは不愉快そうな顔をしたままだった。
「今更、何?」
「わかっているくせに」
「あたしを消す?」
睨まれながら言われた言葉に、ミスはためらいなく頷いた。
「気づくのが遅れた」
地上の方では、賑やかな号令が聞こえる。どこかのクラスでは、体育の授業中のようだ。
「あなた、完全にこちら側に癒着しているから。わたしの霊視能力は、あちらとこちらに同時存在しているものを見分ける能力しかないし」
「んー? そもそももう気づかれないぐらい同化してるつもりだったんだけどな」
くるくると指で毛先をいじりながら弥生が答える。
「三隅さん、同じ教室にいるのにちっとも行動しないし。寧ろ、今更ながらもよく気づいたね?」
バカにするような弥生の言い方に、ミスはほんの少し、顔をしかめた。
それでもできるだけ冷静に、
「わたしの姉、見えすぎるタイプだから」
答えた。
「見えすぎる?」
「怪異の記憶が、因果が見えるから」
「なるほどね。おおかた、透史君からばれたのかな?」
「そうね」
弥生は困ったなーと唇を尖らせ、眉尻をさげる。
「あのね、一応聞くんだけど、見逃してくれたりは、しない?」
「本気で言っているの?」
「ちょー本気。だってクラスメイトのよしみじゃない?」
弥生の言葉に思わず美実の口から乾いた笑いが漏れた。
「クラスメイト?」
「ええ」
「今日初めて口をきいたのに」
「でもあたしは、ミスのことずーっと見てたよ。転校して来たときから、ずっと」
弥生は弥生らしい朗らかな笑みを浮かべ、可愛らしく告げた。
「化物同士、仲良くしましょ?」
その言葉に、ミスが目を見開く。
「……何を言っているの?」
震えた声での返答。
「同じじゃない、あたしたち」
「同じじゃない」
「同じだよー。というか、もう殆どこちらに癒着しているあたしと、半分異界にいるミスならば、ミスの方が化物じゃない? そんな蛇を体に飼っているくせに、あたしのことを祓えた義理?」
いつもの明るい声の中に、どこか棘を交えながら弥生が問うと、
「五月蝿いっ」
普段の落ち着きを捨て、ミスが怒鳴った。
「異界の者の癖に、偉そうな口叩かないでっ!」
弥生の肩を、ミスが右手でフェンスに押さえつける。
「もういい。さっさと消してやる」
吐き捨てるような言い方。
左手を弥生の方に向け、
「あたしを消したら、透史君に嫌われちゃうよ?」
その言葉に、ミスの左手が止まった。
「……それが、何?」
少しの間の後、平坦な声でミスが問う。
「どちらにしろ、あなたのことなんて、もうみんな忘れてる」
「忘れてないよ」
弥生は微笑んだ。
ミスが力を入れたのか、フェンスがまた一度、きしむ。
「透史君は忘れてない。他の誰が忘れても、透史君は忘れない」
「何を意味のわからないことを。本来、いるはずのなかったあなたのことなんて、あなたが消えてしまえばみんな忘れるわ」
「ううん、忘れない」
ゆっくりと首を横に振る。
「だってあたしは、透史君に恋をしているから」
「何を言って……」
「あたしのベースは、片想いの恋を抱えたまま、それとは別のいじめが原因で自殺した生徒の幽霊。でも、何年も、何十年も、あたしはこの学校にいて、その性質を変えてきたの。今のあたしは、言うなればこれまでの女子生徒の恋心の集合体。行動原理は恋。そんなあたしの恋心は、他の想いよりも強く、周りに影響するもの」
だからね、と弥生は綺麗に微笑みながらミスの右手に触れた。
「透史君は忘れない」
ああ、だからか。
「忘れてないよ」
だから、自分はここにいるのか。
給水塔の上から声をかけると、二人が驚いたような顔をしてこちらを見た。
「透史君!」
「あなた、なんでここに……」
「七不思議の一つ、招かれざる生徒で重要な役割を果たすのがここだから」
菊に言われるままに来てみたら、本当に二人が来た。あの部長は本当に、こういうことについては鋭い。
「招かれざる生徒は何もしない。人に害を及ぼさない。ただ一つ、卒業の前に絶対にクラスの誰かに告白する、屋上で」
「そう」
弥生が頷く。
「実っても実らなくても、何もならない。ただ、受け入れた人間の生徒は、卒業後ちょっと幸福に恵まれるとかいないとか。だから、屋上さんって呼ばれるおまじないがあるんだとか」
まあ、そこらへんの効能はどうでもいいんだが。
「お菊さんに言われた。消すにしても、学校の七不思議という性質上、学校内でしか対応できないだろうし、人目につかないところに行くだろうし、さらに言えば七不思議に関係ある場所の方がストレートだって」
「……あなたのとこの部長、なんなの?」
いやそうな顔をしてミスが問いかけてくる。それは、こっちもちょっと思っている。
「あなたも、なんなの? わたしが昨日彼女を隔離した段階で、普通の人の記憶から消えるはずなのにっ」
「愛は理屈を越えるんだよ」
弥生が笑う。
「そんなもの、知らない!」
それをミスは激しく首を振って拒絶した。
「わたしは、目に見えるものしか信じない。この目には怪異だってうつるのだから、目に見えないものは、信じないっ!」
切りつけるような勢いでそう言うと、
「喰らいなさい!」
切り裂くように言葉を放つ。そのまま左手を弥生に向けると、ミスの体からいつか見た影が出て来た。
「やっ」
さすがに慌てたような声を弥生があげ、ミスを突き飛ばすとそれから逃れるように、背を向け走りだすが足をもつらせ転ぶ。
あの影は、別の影を喰らっていた。怪異を。
今、ミスは弥生を喰らおうとしている。
「だめだっ!」
透史は叫ぶと、とっさに給水塔の上から飛び降りた。さすがにちょっと高かった。足がじーんとする。が、そんなこと気にせず、転びそうになりながらも走り出し、弥生と影の間に体を滑り込ませる。
「っ!」
ミスが喉の奥で何かをいい、
「とまりなさいっ!」
叫ぶ。それに従い、黒い影は透史の鼻先で止まった。
「透史くん……」
背中に弥生の声を聞きながら、ミスを睨む。
「だめだよ、それは」
「どきなさいっ!」
「だけど!」
「お願いだからどきなさい!」
ミスが叫ぶ。目の前の黒い影が、苛立ったように揺れた。
「それは、怪異なのよ?」
「でも、弥生は何も悪いことしてない!」
叫ぶ。
足が震える。目の前には黒い影。怖くないわけがない。
それでも、
「だって弥生はクラスメイトだし! 七不思議の招かれざる生徒は全然害がないし、告白の効能が本当なら、むしろプラスだし、いいじゃないか!」
菊の推理を聞き、実際にミスとのやりとりを見ていても、葉月弥生が七不思議なことは、怪異なことは信じられない。ましてや、ここで消えてしまうなんてこと、認められない。
「三隅さんっ」
すがるように名前を呼ぶ。
ミスは。ミスも、なんだか泣きそうな顔をしていた。
「三隅、さん?」
「……それは、怪異なのよ? 化物なのよ?」
「わかってるよっ!」
それはわかっている。
「怖くないの? 恐ろしくないの?」
怖くないと言ったら嘘になる。恐ろしくないと言ったらごまかしになる。それでも、
「友達が理不尽にいなくなるのを、黙って見ていられるわけないじゃないかっ」
それだけじゃない。友達だから、だけじゃない。
「あなたのいう黒い影と、同じなのよ?」
「確かに黒い影は怖いけれども……。だけど、あれはなんだかわからないものだから。だから怖かったんだ」
そして葉月弥生が何者なのかはわかっている。例え怪異と言われても、わかっているから怖さは薄れる。
「友達だから?」
問われて頷く。ミスの大きな、黒めがちの瞳にみるみる水分が溜まっていく。
どうして、そんな顔をするんだろう。
「……友達だから、守るというの?」
「弥生だけじゃないよ。俺は、三隅さんが弥生を襲うのもみたくない。友達が友達を消すなんて、そんなのっ」
「……だって、わたしも」
ミスが今にも決壊しそうな瞳で何かを言いかけ、
『まだなのか』
それを言葉が遮った。目の前の黒い影が、ミスの方に視線を移したように見えた。
『喰いたい』
その言葉に、透史は弥生の手を握る。だってこんな、あたたかいのに化物だなんて。
ミスは影を見つめ、
「……だめよ」
少しの躊躇いのあと、きっぱりと言った。
「戻りなさい。それを、食べさせるわけにはいかない」
毅然として、きっぱりと、彼女が告げる。
「三隅さんっ!」
その意味を理解して、透史が声をあげる。ああ、諦めてくれたんだ。
「勘違いしないで」
鋭い口調で、透史を睨む。
「今は、だから」
それでも、少しミスの口元が緩んだ。
「あなたは、バカね」
しょうがないわね、というように、優しい口調で言われる。
「ありがとうっ」
頭を下げる。
「……ミス」
透史の後ろから、弥生が声をかける。
「執行猶予」
ミスはそれに冷たく言葉を返した。
「……感謝、しないから」
「弥生っ」
何故今そんな、ミスの機嫌を損ねるようなことを。
「別にいい。貴方のためじゃない」
ミスはミスで淡々と告げる。
ふぃっと弥生がそっぽを向く。
なんだかわからないけれども、二人の間では納得したのか? 少し、安心する。
「わかったら、戻りなさい」
ミスは影に向かって言い、
『やだね』
影はそれに従わなかった。透史と弥生を見て、舌なめずりをした、ような気がした。
『こっちは腹が減っているんだ。メシだと呼んで、お預けだと?』
「何を言ってっ」
ミスが慌てたように影に向かって手を伸ばす。
『お前が止めても喰う』
そう言って影が口を開き、
「やめなさいっ!」
ミスが叫ぶ。
目を閉じるのも忘れて、影を見つめる。動けない。
「透史君っ」
弥生が透史の腕を引き、
「喰らうならこちらにしなさいっ!」
ミスが叫んだ。
影の動きが止まる。その隙に、弥生に引きずられるようにして影から距離をとる。
『なんだって?』
影が言う。その声は歓喜によるものと思えた。
「その二人は食べてはだめ」
『でも腹が減った』
「わかっている、だから」
言ってミスは目を閉じた。
「喰らえばいい」
そのまま呟く。
『それはいい』
影が一つ、雄叫びをあげ、ミスに迫る。
「三隅さんっ!」
思わず透史は手を伸ばす。
届きはしない。
そもそも届いたところで、何も出来やしない。
影は頭からミスに近づき、
「三隅さん!」
ミスは目を閉じたまま、動かない。
「何をやっているっ」
怒声。影の頭に矢が突き刺さる。
「やっ」
ミスが悲鳴をあげて、頭を抑え、倒れそうになる。
『っち』
影が舌打ちをして、霧散する。ミスが地面に倒れ込むぎりぎりのところ、怒声の主がその体を支えた。
「潤一さん……」
透史は、唖然としたままその名前を呼んだ。
「大丈夫?」
横から声をかけられる。
「皆子さん……」
いつの間にか、そこに皆子が立っていた。
「なんで、ここに……」
「うちのバカな妹がね、昨日の夜から行方不明になっちゃって。慌ててあっちこっち探していたの。そしたら、透史君、電話くれてたでしょ? ごめんね、ばたばたしてたから気がつかなかったんだけど、それ見た瞬間にわかったわよね。あ、あの子先走りやがったって」
「招かれざる生徒のことは様子見だって言ったよなっ!」
潤一に怒鳴りつけられて、ミスが俯く。
「勝手に行動して? 蛇を制御できないで? 自らを差し出そうとする? ほんっと、笑えるわね」
ちっとも笑えない口調。
「……あなた達、ミスの?」
透史の背中に隠れるようにしながら弥生が問う。
「そっ。私、生咲皆子。あっちは従弟の生咲潤一」
「そう、生咲の……」
「あら、知ってた?」
「この辺りの怪異で、生咲の姫と王子を知らないのはよほどの知能レベルが低いものでもないといない。……そうか、生咲の姫の、千里眼でばれたのか」
肯定する代わりに皆子が微笑む。
「ちょっ、生咲の姫? 千里眼?」
流れについていけない。
「私の目はね」
と皆子が、眼鏡の奥の瞳を指差す。
「普通よりよく見えるの。それを抑えるためにいつも眼鏡かけてるのよ」
微笑む。
「この前、透史君を見させてもらったとき、その子のことも視えたわ」
その子、の言葉に透史は弥生を隠すように体を動かす。
「心配しなくても、今はその子には何もしないわ」
「今はってことは、いつかは何かをするつもりなんですか」
皆子を睨みつける。
「それは、依頼主とその子次第よ」
笑う。安心させるようにも、挑発するようにもとれる笑みだった。
「それにしても、透史くん。そういう顔もできるのねー。ただの日和見な子だと思ってたのに、意外」
「……何を言って」
「女の子を守っちゃうなんてかっこいぃーってこと」
「……バカにしてるんですか?」
「してないわよー?」
意外そうに皆子が眉をあげる。
「やだ、そんな風に聞こえた? 守る力もないくせに、それでも大事なものを守るために動いちゃう若い子、嫌いじゃないわよー?」
やっぱりバカにしているように聞こえた。
「……ミナ、あんまり遊ぶな」
呆れたように小さく潤一が呟き、
「ミィ」
名前を呼ばれて、ミスが顔を上げる。頭を片手で押さえたままだった。
「大丈夫か?」
「大丈夫なわけないだろうけれども、ちょっと主様のところに言って、事の次第を話てきて頂戴」
潤一の言葉に被せるようにして、皆子が命じる。
「……今?」
嫌そうにミスが問う。
「今じゃなくていつ?」
不思議そうに皆子が返す。ミスは一つため息をつくと立ち上がり、
「あ」
透史の後ろ辺りを見て、動きを止めた。
「来るよ、主様」
ミスがそう告げると同時に、透史は背中に圧迫されるような気配を感じた。おそるおそる、振り返る。なんか、異様に大きな黒い影がそこに居た。
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