第二幕 ミスミミミと曲がり角 (3)

 しかし結局、部長と平部員という力関係の差に押し切られて、透史は菊と一緒に下校するミスの尾行を実施していた。力関係と、あとは菊を一人にして暴走されるよりは幾分ましかな、という消極的な理由で。

「っていうか、葉月さんは?」

 電柱のかげに隠れるという、全力で怪しい体勢をとりながら、もう一人の平部員の名前をあげると、

「今日は用があるから駄目なんだって」

 つまんないのーと菊が唇を尖らせながら言う。

「あ、あのお菊さん、俺も……」

「は?」

 もの凄く冷たい目を向けられた。放課後でちょっとよれてきた化粧がまた怖い。

「なんでもないです」

 へたれは小さな声でそう言うしかなかった。

「ほら、飴あげるから黙って尾行しなさい」

 イチゴミルクを渡される。あんたは、大阪のおばちゃんか。そう思いながらも、素直に口に放り込む。甘い。

 ミスはまっすぐずんずんと、やや早足で進んで行く。

 学校のまわりの、住宅街。このままいくと、

「駅の方、ですね」

「そうねー、電車通学かしら?」

 綺麗な長い黒髪が、ミスの歩みに合わせて左右に揺れる。夕暮れ時の光を浴びて、綺麗に天使の輪ができている。

「……シャンプー、なに使っているのかしら」

 菊が小さい声で呟いた。

「同じの使っても元が違うから無理ですよ」

「ちょっとどういう意味」

「そういう意味です」

「そういう意味って透史!」

「あ、ほら、余所見してると見失っちゃいますよ」

 今にも掴みかからんとする菊から、そう言うことで逃げる。丁度ミスが角を曲がろうとしているところだった。

「あ、やばい!」

 菊が小走りで、電柱の影から抜け出し、曲がり角に向かって走る。っていうか、尾行している自覚ないだろ、あんた。

 ゆっくりと透史はそれを追う。

 菊は、角の家の塀に体を隠し、首だけをのぞかせてミスの姿を見つめている。

 あ、客観的に見るとこれすっげー怪しい。

 それをちょっと後ろで見守りながら思う。

 学校の周りだから当然、他にも下校中の生徒がいるわけで。みんなちらほら怪訝な視線を向けている。もっとも、その怪しい人物の正体が、文芸部の部長だということに気づくと、納得したような顔をしていたけれど。さすが菊、変人としてその名を欲しいままにしている。

 それにしても、菊が居てくれてよかった。これ、一人でやらされていたら、ストーカーとして訴えられてもおかしくなかったな。

 ぼんやり思っていると、

「あ」

 菊ががさごそと急に鞄を漁り出した。取り出したのは、震えているケータイ。

「ごめん、カレシから電話。ちょっと一人で尾行ってて」

 言うと、透史の返事を待たず、ケータイを耳に当てる。

「もしもしー」

 明るい声にうんざりする。

「……やる気あんのかよ」

 小さく呟くと、仕方なしに菊の代わりに、ミスの背中に視線をやる。と、丁度曲がろうとしているところだった。

「お菊さん!」

 慌てて名前を呼ぶと、犬を追い払うように片手を振られた。一人で行けってことかよ。

 一瞬、ためらってから、

「すぐに来てくださいよ! 俺、ストーカー扱いされたくないんで!」

 それだけ告げて、駆け足でミスの背中を追う。

 だってやっぱりちょっと気になるし、ミスのこと。

「もー、やだぁー」

 浮かれた菊の声が背中に届いて、軽く殺意が沸いた。


 他の学生達と一緒に、下校する風を装ってミスを尾行する。

 住宅街を抜け、駅前に近づくと、他にも通行人が多くなる。すると、ミスのその黒い姿は、人並みに紛れてしまう。ちょいちょい姿を見失いそうになり、その度に慌てて駆け足になる。

 スクランブル交差点なんて、危険がいっぱいだ。

 いつしか透史の視線は、ミスだけを追うようになっていた。周りの景色は一切合切気にせず、ただその黒い姿だけを探す。のめり込むように。催眠状態にかかったように。

 黒い姿だけを追いかけて、

「……あれ」

 その姿が視界から途絶え、足を止める。

「……ここどこだ?」

 さっきまであんなに人がたくさん居たのに、気づいたらミスは勿論、人っ子一人いない。こんなところ、駅前にあっただろうか?

 同じような灰色の塀が並ぶ道を、首を傾げながら歩く。

 こつこつと、自分の足音だけが妙に響く。

 塀に沿ってまっすぐ歩く。

 歩く。

 歩く。

「……おかしいな」

 どこまで進んでも曲がり角一つ見つからない。

 なんだか気味が悪い。

 振り返ると、後ろにもずっと塀が続いている。

 ぞくり、と背筋が寒くなる。

 前を見ても塀。後ろも塀。

「なんだよ、これっ」

 次第に早足になる。

 人が通らない。

 なんの生活音もない。

 さらに駆けようとして、

「っ」

 後ろから手を、掴まれた。

 咄嗟に振り払うように動かしながら、振りかえると、

「なにをしているの」

「あ……」

 ミスがいた。

「……三隅さん」

 見知った顔に、少しだけ安堵する。

「私のこと、つけていたでしょう」

 ミスはいつもどおりの無表情を変えずに言う。問いかけると言うよりもつぶやきだった。

「……はい、すみません」

 素直に謝罪する。

 ミスの表情はまったく変わらないから、感情が読み取れない。だけれども、尾行されていたと知っていい気はしないよな。どうしよう。

 ミスは何も言わず、歩き出す。

 どうしたものかと見守っていると、

「なにしてるの」

 少し先でミスが振り返った。

「え?」

「迷子なんでしょう。ついてきなさい」

 そう言って、透史の返事を待たずにまた歩き出す。こんなところにこれ以上一人にされるのも嫌で、慌ててそれを追いかけた。

 ミスの一歩半後ろを歩く。

「朝の話?」

 唐突にミスが呟いた。

「え?」

「部活がどうの、って言っていたでしょう。それでつけていたの?」

「え、ああ、はい、そうです」

 すみません、とまた小声で謝る。

 っていうか、なんで俺ばっかりこんな目に。そもそも諸悪の根源は菊なのに、どうしてうまい具合にいないんだ、あの人は。

「……ピアノを弾いていたのは、懐かしかったから」

「は?」

 唐突にミスがこぼした言葉に驚く。

「インタビューがしたいのでしょう? あのピアノについて」

「え、ああ。だけど」

「時間を取られるのは嫌。でも、つけまわされるのはもっと嫌。だから」

 ふっと空気が漏れるような音がした。ミスが笑ったような気がしたが、透史の位置からでは、その表情を見ることができない。

「昔ピアノを習っていたことがあって」

 そんな透史に気づくことなく、ミスは話を続けていく。

「ちょっ、まっ」

 慌ててケータイを取り出すと、レコーダーを起動した。

「どうぞ。続けてください」

「ピアノを習っていて、でももうやめてしまったし、家にもないから、懐かしく思ったの。丁度、私がとおりかかった時に、誰かが音楽室から出て行ったところで、ドアもピアノも開けっ放しだったから。魔が差したのね、弾いてみたの」

「……呪いのピアノだっていうことは?」

「知らなかったし、仮に知っていたところで、あなた、信じるの?」

 逆に問われる。

「いや、信じてなくてもいい気はしないかなぁ」

 それに答えると、

「私は別に気にしないわ」

 冷たく言われた。

「はい、すみません」

 その言い方に、なんだか咄嗟に謝ってしまう。

「その呪いのピアノ? のことは知らなかったし、実際に一曲弾き終わったけれども何も起こらなかった。その時も、今も。これで満足?」

 そこで透史の方に顔を向ける。その印象的な瞳をまっすぐ向けられて、

「あ、はい、ありがとうございます」

 慌ててそう言うと、頭を下げた。

「そ」

 ミスは小さく頷くと、また前を向いて歩き出す。透史も一瞬立ち止まって、ケータイの録音を保存すると、すぐに小走りでその姿を追いかけた。

 しばらく黙って二人で歩いていて、ふと気づくと、見知った駅前だった。よく行くファーストフードの横にでる。

 あれ、ここに繋がっていたんだ? よく通っているのに知らなかった。駅の茶色い建物が見えるし、通行人もなんでもないような顔をして歩いている。

「ここまで来たら平気よね」

「え、あ、はい」

 慌ててミスの方に向き直る。

「わざわざありがとう。……あと、ごめん。尾行していて」

「いいえ」

 ミスは何を考えているのかわからない顔で、僅かに首を横にふると、

「それじゃあ、気をつけて」

 心無しか含みのある言い方でそう言うと、透史に背を向けて歩き出した。その黒い後ろ姿を見送る。

 彼女は駅のロータリーを右に曲がると、線路沿いのマンションに消えて行った。

 新築のお高いマンションじゃなかったっけ、あそこ。家に入っていたチラシを思い浮かべる。あそこに住んでいるんだろうか。

 すっかりミスの姿は見えなくなったが、ぼんやりとそっちを見ていると、ぶーぶーとポケットの中のケータイが震えた。

 菊からの着信。

「……やべ」

 そういえば、すっかり忘れていた。

「もしもし」

「あ、やっとでた! ねー、どこにいるのー?」

「今、駅前です。バーガー屋の前」

「ああ、なに、尾行失敗?」

「……そんなところですかね」

 起きたことを菊に上手く説明できる自信もなかったし、なんだかしない方がいい気がした。あと、なんかどうせ恐ろしく面倒なことにするだろうし、この人。

 ふっと思って、今出て来たばかりのバーガー屋の横の狭い道を戻る。

「ま、しょうがないかー。とりあえずそっち行くー。っていうかさ、あんたどこ居たの?」

「どこって。普通に駅の方歩いて来てましたけど」

 多分だけど。迷子になってたし。

「なんかずぅっと電話していたのに繋がらなかったんだよねー。電源切ってた?」

「……いえ、別に」

 バーガー屋の細い道を進むと、バーガー屋の裏に出た。まあ、当然だ。

 突き当たりの怪しいスナックにも、見覚えがある。フランソワーズっていう名前は酷いと、今井達と盛り上がったことがあるからだ。

「電波、悪かったのかしらねー?」

 菊の言葉に上の空で返事をする。

 透史の目の前にあるのは、行き止まり。

 さっきの道は見つからなかった。

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