第二幕 ミスミミミと曲がり角 (2)

 翌日、透史が躊躇いがちに教室のドアをあけると、もうミスは来ていた。今日も変わらない、黒い。窓際の一番後ろの席。文庫本を片手に頬杖をついている、その姿。もう毎日見ているその姿。でもなんでだろう、今日は一段と黒く見えるし、一段と周りを拒絶している気がする。

 ミスを誘うのが嫌で、家でうだうだしぶってから来たから、今日は弥生の方が早くついている。弥生は透史の顔を見ると、頑張って、とでもいうように胸の前で両の手を握った。小さなガッツポーズ。かわいいけど、一緒には来てくれないんだよなぁ……。

 ああもう、恨むぞ、お菊さん。

「三隅さん」

 嫌なことはさっさと終わらせたくて、ドアからまっすぐ、鞄も持ったままミスの前に行く。

 ミスはゆっくりと顔をあげた。

「あの、お願いがあるんだけど」

 黒目がちの大きな瞳が真っすぐ、透史を見据えてくる。ミスは何も言わず、ただ先を促すように首を傾げた。

「え、なんであいつミスに話しかけてんの?」

 今井がそう弥生に問いかけている声が聞こえてくる。心無しか他のクラスメイトもこちらを見ている気がする。まあ、自分でも見るけど。あの無口で無愛想でクールなミスに、朝一で話しかけるクラスメイトがいたら。

「あの、この前音楽室で会ったとき。俺と葉月さんの他にもう一人いたでしょ? テンションの高い、二年生」

 こくり、と小さくミスの首が動く。

「あの人、文芸部の部長で。あ、俺も葉月さんも文芸部なんだけどね。ええっと、文芸部では今、部誌作ってて。それが学校の怪談をテーマにしていて」

 支離滅裂になりながら、なんとか言葉を引っ張りだしてくる。

 ミスは何も言わずに、穴があきそうなほどじっと透史の顔を見てくる。そんなに見つめられると、うまく話せないんですけど。

「それでその、この前は第二音楽室の呪いのピアノについて調べていて。まあ、デマっぽかったけど。いや、デマに決まってるんだけど。デマでよかったんだけど。ええっと、それで」

 言葉を切って、一つ深呼吸。さあ、ここが本題だ。

「部長がピアノを弾いていたことについて、三隅さんにインタビューしたいらしいんだけど、時間とってもらえないかな?」

 出来るだけ微笑んで言ってみせる。

 沈黙。

 ミスは長いその睫毛を、音がしそうなぐらいゆっくり一度動かして瞬きをして、一言。

「嫌」

 そう一言だけ呟くと、話は終わったとばかりに本に視線を戻した。

 ですよねー!

「だ、だよね。ごめんね、朝から変なこといって。ごめんね」

 本を読んだままの頭にそう告げると、すごすごと自分の席につく。けんもほろろに断られるだろうと覚悟はしていたが、精神的ダメージは予想していた以上だった。

「おつかれさま」

 そっと弥生が話しかけてくる。

「失敗したよ……」

「ううん、石居くんは、頑張ったよ」

 優しい言葉にささくれていた心が少し和む。可能ならば話かけるときに隣に居て欲しかったけど。そうしたら精神的ダメージがもっと軽減されたはずなんだけど。

「なに、お菊さん、ミスに興味あるんだ?」

 今井が小声で尋ねてくる。

「ああ、幽霊度が高いって」

「なにそれ」

「知らんけど。セーラー服は幽霊度が高いとかなんとか」

「あー。なんかよくわからんけど、お菊さんらしいね」

 よくわからないのに納得される個性の持ち主、菊。

 ああ、なに失敗してんのよ! とか怒られんのかな。憂鬱になりながらも、とりあえず透史は作戦失敗の旨、メール送信した。


「女の子誘うこともできないの! このへたれっ!」

 作戦失敗に伴う菊の叱責は、予想よりも重いものだった。

「……へたれって」

 なんでそこまで言われなくちゃいけないんだ。

 昼休みに招集かけられたから、わざわざ部室に来たらこれだ。大きくため息をつく。

「でもね、お菊部長、石居くん頑張ってたよ」

 横から弥生がフォローしてくれる。なんていい子なんだ。

「甘やかしたらだめよ、弥生。女の子を誘うこともできないへたれなのよ、こいつは。ここのままだと、あんたをデートに誘ってくれることもないわよっ。今だって一回もないんでしょう?」

「ちょっ!」

 さらりと何を言っているんだ、あんたは。なんで弥生をデートに誘う話に移行しているんだ。

 抗議の声をあげる透史の横で、

「……それは嫌だなぁ」

 俯いた弥生が小さく呟いた。

 あんたもあんたで何を言っているんだっ。

 予想外の方向に投げられた話の展開に、どこからつっこんでいいのかわからず、口をぱくぱくさせていると、

「まあ、可愛い後輩の恋愛事情とか心底どうでもいいんだけれども」

 菊は大層ひとでなしなことを言い放った。自分で話をふってきたくせに、どうでもいいってなんだよ。

 つけまつげをたっぷりつけた瞳を、ぱちぱち瞬きさせながら、菊はアンニュイにため息をつく。

「このまま、引き下がるのも、悔しいわよねー」

 いやいや、ここは大人しく引き下がろう。人として。

 本の山に頬杖をついて何かを思案するように菊が宙を見つめる。

「……デート、いつでもオッケーなんだけどな」

 弥生は弥生で小声でぶつぶつ何か言っている。のを、透史をスルーすることに決めた。へたれという称号も甘んじて受けよう。っていうか、どっちにしろ菊の前で誘えるわけがないだろう。

「そうだ!」

 ひらめいた! と菊が立ち上がる。一緒にばさばさと数冊本が落ちる。

「わっ、大変」

 それを慌てて弥生が拾い上げる。

「……何がひらめいたんですか」

 一緒に本を拾いながら、どうせろくでもないことだろうな、と思いながら問いかけると、

「今度は、あの幽霊娘の特集にしましょう!」

 想像の斜め上にろくでもないことだった。

「……お菊さん。三隅さんは人間です。趣旨に反すると思います」

「幽霊っぽいから大丈夫よ」

「大丈夫じゃないって! 見境なしかよ、迷惑になるだろ」

 確かに幽霊っぽいという評価もわからないでもないが、ミスが実際にいる人間な以上、ことさらに面白おかしく取り扱うのはおかしいだろう。迷惑をかけることにもなるし。

 さすがに呆れてため息をつくと、

「……でも、そういえばミスのことってなんにも知らないよね」

 拾った本を綺麗に机の上に重ねながら、ぽつりと弥生が言う。

「なんであんな変な時期に転校してきたのかとか、どこに住んでいるのかとか、いつも何の本を読んでいるのかとか、昼休みにいつもいなくなるけどこにいっているのかとか、なぁんにも知らなくない? 普通、友達じゃなくてもクラスメイトのことって、一緒に生活していればそれなりにわかるものじゃない?」

「……まあ、確かに」

 あんな変な時期に転校してきた理由とかは、確かに気になっている。高校で転校って漫画の中だけかと思ってた。

「そんなに意味ありげな子なの、幽霊娘」

 菊が会話に混ざり込む。

「そうですね、割と」

「ふーん、怪しいわね」

「……何が」

「きっと何かわけあって転校してきたのよ。例えば、前の学校でこっくりさんに失敗して取り憑かれて、居辛くなったとか」

「お菊さんは本当お菊さんですね」

 思考回路が安定している。

「あら、ありがと」

「褒めてませんよ」

「でもそうね、ならちょっと探ってみましょうか。記事にはしないけど、あの子のこと調べてみましょう。気になるし」

「気になるってだけで調べるのはどうなんですかね」

「それで上手いこと弱みが見つかれば、呪いのピアノのインタビュー、脅して引受させることもできるかもしれないし」

「なんでもありかっ! 極悪人か!」

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