第16話 リップガール誕生の秘密 その1

 リップガールの扱いが、雑! 耳の痛い声が私の頭に響く。

 確かに、第一部ではチ〇コ星人とキスしただけ。第二部では宇宙から地球へやってきて高慢な高笑いを発しただけ。単にエロキモイ脇役キャラクターと思われても仕方がない。実はこれには理由があった。

 リップガールの過去が、ちょっと悲しい物語で、笑いには適さないと、逃げていたからである。

 でも、そうもいかないだろうなと思い直した結果、ここで笑えない彼女の物語を記すことをお許しくださいませ。




 「あ、あたしと? ……ですか?」

 「うん、迷惑じゃなかったら、だけど」


 シズルは差し出されたチケットを受け取りながら、紅潮した顔をケンジに向ける。


 「……きれい」


 シズルは端正なケンジの顔を見て素直な感想を口にした。


 「え? なにが?」


 かあっと顔がで上がるのを自覚したシズルは両手で口を押えて、ブンブンと顔を横に振った。


 ばか! 何言ってんのよ、あたし


 シズルは独り言の多い女だった。高校を卒業した後、地元の中小企業の工場で事務をして三年。周りが中高年ばかりの職場は彼女のオアシスとは程遠い。

 唯一の趣味は高校時代に美術部に所属して触れた、水彩画を描くこと。

 休日には車を走らせ、気に入った場所で風景画を描いていた。

 どちらかと言えば一人が好きで、群れをなすことが苦手だった彼女は、実家から通える職場にもかかわらず、アパートの一人暮らしを選んだ。

 一人でいる時の彼女は饒舌で、独り言が習慣になっていたのである。それは思っていることを口に出す習慣にもなっていた。職場では気を使って押さえているが、思いもよらないケンジの誘いに舞い上がって、かせが外れてしまったようだ。

 

 シズルはチケットを指さし、印刷された風景画を見て笑ってごまかそうとした。


 「すごいよね、写真みたい、いやそれ以上に、き、きれいよね。は、はは」

 「でしょ。俺、この作家がストライクなんだ。で、いっしょにどうかなって」

 「へー、へー、あ、あたしもこの作家大好きだったんだー、すごーい」


 嘘だった。シズルは作家に興味のない女で、唯一、自分の絵が興味の対象である。

 チケットは美術館の入場券で、早い話がデートのお誘いだ。

 彼氏いない歴、二十一年。彼女はデートのお誘いに免疫がない。言葉を探し回ったが気の利いたセリフが出てこない。


 ほんとかよ! なんであたしが、誘われるんだ? なにかの間違いじゃないのか?

 テレビのドッキリじゃないだろうな。騙されてる?


 しっかり枷をはめた彼女は無論言葉を発していない。沈黙が流れた。

 シズルにとってケンジは、いつものように片思いのはずだったのである。


 夏。それは、ある日の出来事。

 シズルが描きかけの絵を完成させようとして、いつもの場所に歩いて近づくと、指定席に男が陣取っているのが見えた。男は画を描いている様子だ。


 えー! あそこがいい感じだったのに。そこはあたしの場所よ! やな奴ね。


 パレットに目をやる男の横顔が、シズルのハートを直撃した。


 うぷっ、これは……理想形、でないの? はっ、はっ。


 ドキドキドキドキドキ。さほど豊かでないシズルの胸は波打つようだ。

 振り向いた彼の笑顔は、何度も夢見た王子様だった。


 「こんにちわ」


 ドキューン! 心臓に命中したシズルは思わずつぶやいた。


 「もー、だめ、あたしは恋の奴隷。落ちてしまったあたし」

 「え? なにが落ちたの?」

 しまったあ! 口に出てしまった。どーする、どーする。


 シズルは口を押えて、目を泳がせた。


 「ここは君の指定席だもんね。絵具かなんか落としたの?」


 ケンジは足元に目を落として探し始める。


 「えと、その、シロ」

 「そーなんだ、どこかなあ」


 シズルはクロだった。絵具など落としていない。一生懸命に探してくれるケンジに彼女は嘘の上塗りをした。


 「いいです。ここだと思ったけど、また買いますから」

 「かわいそうに、じゃ、俺のあげるよ」


 笑顔で絵具を差し出すケンジの白い歯が光った。シズルはめまいがした。フラフラと思わずしゃがみこんでしまう。


 「どうしたの! 大丈夫ですか?!」


 駆け寄ってきたケンジはシズルの両肩に手をかけ、顔を覗き込む。彼女の顔から火が出た。


 触られた! 初めて男に、それも、夢見た王子様に! ああ、もうだめ……



 (リップガール誕生の秘密 その2 へ、つづく)


 

 

 

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