第16話~18話
16
よろめきつつ歩く者、担架に乗せられる者、肩を借りて歩く者。
誰もが傷ついているコロッセウム近辺はどんよりと重々しく、一切の希望が途絶えたような雰囲気だった。
シルバはすぐさま、リィファが倒れた地点に目を向けた。しかし、リィファの姿はない。
(気絶中にやられてズタボロ状態はあり得るが、跡形もなく消え去るわけがねえ。俺が黒服とやり合ってる間に、ジュリアみたいに担架で運ばれたのか? ……診療所に行ってみるか)
不吉な予覚に取り憑かれたまま、シルバは歩を進めた。足取りは、果てしなく重い。
道中、シルバは左右の草地に、地面の凹みをいくつか目撃した。
黒服たちの落下箇所である。直径は身長の倍ほどで、椀状。抉られて露出した茶色の土が、何とも生々しかった。
しばらく歩くと、国でただ一つの診療所が見えてきた。二階建てで屋根は水平、素材は薄汚れた白レンガである。
建物は草地の少し奥にあり、周囲に規則的に生えた広葉樹が、風にそよそよと揺れていた。
少し立ち止まったシルバは、ぎいっと背丈の高さの扉を押し開いた。
シルバの自室ほどの広さの部屋に、数組の木の椅子と机、平易な医療関係の本の並んだ本棚があり、正面の受付には若い女性職員がいた。
ジュリアとリィファの居場所を訊くと、女性職員の面持ちは微かに沈鬱さを帯びた。一拍を溜めて、丁寧な口調で話し始める。
聞き終えたシルバは軽く礼を告げ、二人のいる病室に向かった。夕陽が射し込む廊下は薄暗く、今のシルバの心境を表すかのようだった。
少し歩いて、左手の扉を横に引いた。
燻んだ深緑の石の床上に、六つの木製ベッドが並んでいる。面積は受付と同程度。天井は真っ白で、細い棒状の木が縦横に走っていた。
黒服の襲来の直後だからかベッドは埋まっており、右の手前側にはリィファがいた。表情はやや苦しげだが、胸は規則的に上下していた。
左奥のベッドのすぐ脇には、項垂れたトウゴと白衣の男の後ろ姿があった。
「トウゴさん!」
シルバの呼び掛けは、図らずも叫ぶようになった。返事を待たずに、早足で近づいていく。
ぽとり。トウゴの足下に滴が落ちた。シルバの血の気が一瞬にして引く。
トウゴの隣で停止し、ベッドに目を遣った。
横になったジュリアは、清潔な白色の掛布団に包まれていた。静けさを湛える身体は、ぴくりともしなかった。
17
ジュリアは、シルバの来訪の直前に亡くなっていた。死因は、黒服の突きが齎した心停止だった。
午後九時、シルバとトウゴは聖堂にいた。リィファはいまだ昏睡状態で、姿はなかった。
冷ややかな石の床上には、六つの長椅子が一列に並んでいた。シルバたちの他にも、ジュリアの学友や教師陣が着席している。アストーリで昔から行われている納棺の儀だった。
壁はそそり立つかのように高く、頭上で優美なアーチを描いていた。窓はなく、蝋燭の灯りが幻想的に周りを照らしている。
聖堂内の物は、ほぼ全てが白に近い灰色だった。例外は正面、壁面に掛かった十字架の直下の、ジュリアの近辺である。
黒い棺の中、無表情で目を閉じるジュリアは、赤、黄、青。取り取りの草花に囲まれていた。
しばらくして、黒色のゆったりした形の老人の主教が前に出てきた。左手に持っていた薄い本を開き、静謐な佇まいで息を吸い込んだ。
古より伝わる葬送曲が厳かに響き始める。シルバが黙する一方で、年配の者たちが主教に続く。
やがて曲は佳境を迎えた。柔らかく透き通るような流麗さが辺りを包んだ。シルバは不思議と静穏な心地で、ジュリアの白い顔を見詰めていた。
18
聖堂の裏手の一際、広大な草地には、百以上の墓石が等間隔に並んでいた。納棺の儀の直後、多くの参列者たちが見守る中でジュリアは埋葬された。
主教が安らかな語調で儀式を締め括ると、参列者たちはゆっくりと去り始めた。
しかしトウゴは、依然としてジュリアの墓に目を落としていた。僅か後方に位置するシルバは、同様に黙り込んでいる。
「娘が死んだ。単純明快な事実なのに、どうもふわふわと現実感がない。果てしない悲しみを、遥か上から見下ろしている感じというか、な。起きた事件が、あまりにも突拍子もなかったからか。いや、ジュリアが自分より先に死ぬなんて、想像すらしてなかったからかな」
背を向けたまま、トウゴは呟いた。口振りは平静にも拘わらず、シルバの耳にはとてつもなく重く響いた。僅かに風が吹き、墓石の間の緑が揺れる。
「大事な人を救おうとして、命を落とす。ジュリアにとっちゃあ、理想の生涯の閉じ方だったのかもな。でもこんなに若い、いや幼いうちに……。死ぬことなんて……」
「申し訳ありません。何をどう償えばいいか。……俺がもっと強ければ、ジュリアが俺を助ける展開にはならなかった。もしくはもっと厳しく言い聞かせて、俺がどうなろうともジュリアには逃げるようにしてれば。くそっ! 俺は……。俺は自分の弱さが……。弱さと判断の悪さが、憎い」
シルバは沈鬱な心境で、地面に目を落とした。
「いいや、シルバ君には責任がないさ。もうやめてくれ。娘が死ぬだけで辛いのに、君までそんなに塞ぎ込んではもう俺はどうしていいのかわからないよ」
トウゴの淡々とした嘆きは、薄寒い大気に溶けていった。シルバはトウゴの言葉を一つ一つを反芻し、未来永劫忘れまいと己に誓っていた。
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