第二章 異変

第1話~5話

       1


 決勝の後、ジュリアはいつもの調子に戻った。

「ジュリアちゃん、さっき様子がおかしかったけど……」と、リィファがおずおずとジュリアに問うた。

「どーゆわけか、確かに記憶は飛んでるね。でもあたしもハイになってたからね。ま、そんな事もあるある。ニチジョーサハンジ(日常茶飯事)ってやつだよ。気にしてたって仕方ないって」

 あっけらかんと笑い飛ばすジュリアに、リィファはそろそろと口を噤んだ。

 武闘会から、およそ三週間が経過した。ジュリアは第二学年に進級し、リィファも同じ学年で入学していた。

 入学時、リィファは、地球から来たという自らの経歴を堂々と口にした。しかし、シルバたちへの襲撃は語らなかった。

 リィファに責任は存在しない、飛来以降のリィファには危険性がない、という理由を挙げてシルバたちが止めていた。シルバたちの真摯な助言を、リィファは幸せそうに微笑んで受諾していた。

 リィファの生活について、武闘会終了後には孤児院に行く選択肢も提示された。しかしリィファはシルバとの同居の継続を望み、シルバも受け入れていた。

 シルバはアストーリ校の教師として正式採用になり、一つしかない学級の担任となる。夜勤警護の仕事は、就任と同時に辞めていた。

 アストーリ校での生活の基点である各学級の教室は、コロッセウムの道を挟んだ隣、アストーリ校本校にあった。校舎は白を基調とした石製で、さながら荘厳な小型の城である。

 午後四時半、正面の階段を上り、シルバは本校に入った。仄暗い木の廊下を抜けて、一階の第二学年の教室の扉を開ける。

 ほぼ正方形の教室は、一辺が歩幅で十歩分もないほどの大きさだった。木製の二人掛けの机が所狭しと並んでいて、赤茶の制服を着た生徒たちが席に着いていた。

 一部の机の上には犢皮紙(動物の皮製の紙)の筆記帳があり、本日の最後の授業、史学に関する書き込みがなされている。

 シルバが教卓に着くと、気付いた生徒たちは雑談を止めてすうっと前を向いた。

「全員いるな。では終礼を始める。明日は祝日、学校は休みだ。知らない者もいるから、説明しておく」

 後ろから二番目の列の右端では、背筋を伸ばしたリィファが真剣そうに耳を傾けていた。シルバはリィファを意識しつつ、淡々と話し続ける。

「四月十二日は、この国が生まれた日だ。ちょうど百五十年前、より強固な共同体を欲する民意に押されて、三人の人物が生活圏の周りに壁を設けると宣言した。--って、そのあたりの経緯は、少し前に学んだよな。俺からもう一度聞く必要はないか」

 シルバは一度、言葉を切った。視野の端では、真正面に位置するジュリアから、妙にきらきらした視線が飛んできている。

「当日は国の各所に市が立ち、夕方からは三角行進トライアングルマーチがある。参加者をランダムに、建国の功労者の三人を象徴する色の組に分けて、国の三方から中央に向かって行進を開始。各組に一つずつの色付きの球を、他の二組のどちらかのスタート地点に置いた組が勝利となる」

 生徒たちの活気づいた様子に、(年に一度の祭だもんな)と、シルバは納得する。

「蹴る殴るも許されてるから、危険ではあるからな。参加は禁止はしないが、後に引く怪我だけはないようにしろ。以上だ」

 シルバが扉へと歩き始めるや否や、生徒たちは楽しげに談笑を始めた。


       2


 翌日の九時過ぎ、朝食を済ませたシルバとリィファは、シルバの寮を後にした。ジュリアとの合流を済ませてからともに祭日を楽しむ予定だった。

 しばらく歩くと職人街が見えてきた。入口の石積みのアーチの真下で、ジュリアが街の様子を眺めていた。

 が、やがてくるりと振り向いて二人を見つけた。喜色を浮かべ、右手を上げて跳び跳ね始める。

 挨拶を交わした三人は、職人街に入っていった。

 街には、いつにない華やかさがあった。頭上には道を挟んで、色取り取りの布が付いた紐が何本も通されている。

 靴屋や金銀細工屋などの店先に仮設天幕ができ、その下には祭向けの商品が置かれていた。

 人々の賑わいも、いつも以上だった。母親の隣で木の棒に付いた水飴を舐める少女や、人込みを利用して鬼ごっこをする少年たち。どの顔も、滅多にない祭日を謳歌している。

 るんるんのジュリアに先導されて、二人は一つの建物の前で立ち止まった。

 道に食み出した仮設天幕の下には木の台があり、精巧な石の装身具が並んでいる。奥には大小が様々な石やトンカチなどの載った机があり、使い古された作業場といった様相を呈していた。

 店先には、作業時の服装のトウゴがいた。

「よっ! お父さん!」

 朗らかなジュリアが両手を上げると、トウゴも笑顔で真似をした。すぐに二人は、ぱんっと鋭い響きのハイ・タッチをした。

「本当によく来てくれた。なんてったって今日は、一年に一回の大チャンスだからな」

 愉快げなトウゴに、「どういう意味ですか?」と、リィファが軽く尋ねた。

「ほら、石工ってさ。普段は城壁の修理だとか、いかつい役割ばっかだろ? それも大事な仕事なんだけど、今日だけはジュリアやリィファちゃんみたいな子供を、直接的に喜ばせられるんだよ。技術の粋を集めた、俺の最高傑作たちでな」

 自信ありげな声音のトウゴは、視線を装身具へと向けた。

 シルバの横では、興味津々な様のリィファが真剣な顔を装身具に遣っている。

「リィファちゃん、入学おめでとう。そういやお祝いがまだだったな。何でも一つ、好きな物をやるよ。ブレスレットはどうだ? 清楚なリィファちゃんに絶対に似合うと思うよ」

 トウゴの気さくな調子の言葉を受けて、少し考え込んだリィファはゆっくりと口を開く。

「ありがとうございます。でもやっぱり、タダで貰うわけにはいきません。それに腕輪は、武闘会で頂きました」

 控えめに辞退したリィファの左手首で、透明な石の腕輪がきらりと光った。表面は滑らかで、模様は白から黒の間のグラデーションである。

 リィファは武闘会の表彰式で、大会の役員からこの腕輪を渡された。

「去年は賞品はなかったのにどーしてだろね」と、帰路でジュリアは不思議そうに呟いていた。

「皆さんとの思い出の品なので、できるだけ付けておくつもりです。両腕に違う腕輪も変ですし、トウゴさんのブレスレットは……」

 申し訳なさそうな面持ちのリィファの台詞は、しだいに勢いを失っていく。

「了解了解。リィファちゃん、そんな暗くなっちゃあダメだぞ。せっかくのお祭りだ。笑顔、笑顔」

 元気付けるように声を弾ませたトウゴは、手を口の両端に持っていった。少ししてリィファは、小さく穏やかに微笑んだ。


       3


 トウゴの所ではシルバだけが、寮の掌に収まる大きさの梟の置物を買った。

(ちょっとは見栄えのする物も置いて、リィファが寛げるようにしねえとな。俺の部屋は、十歳やそこらの女の子が住むには殺風景過ぎる)と考えての購入だった。

 トウゴとひとしきり話した三人は、少し歩いて服屋に赴いた。

 ドアはなく、入口は通りに開放されている。煉瓦壁の店内には、多種多様な衣服が所狭しと吊られていた。

 三人とも、特に目当ての物があったわけではなかった。だが中に入るなり、「ごめん、ちょびっとだけ待っててくれる?」と、ジュリアは両手を合わせて済まなさそうに頼み込んできた。

 快諾した二人は、店内をぶらぶらし始める。

 五分ほど経って、勘定台の奥の扉からジュリアが姿を現した。腰に手を当てて全身を強調しながら、ふふん、とでも口にしたげな力強い顔をシルバたちに向けてきている。

 ジュリアの服装は真っ赤カポエィラのユニホームだった。快活なジュリアに良く似合う、鮮やかで派手な衣装だった。

「おっ! 二人とも、あたしの魅力にぎゅんぎゅん吸い込まれてるって顔だねっ! そんじゃあこの勢いに乗って、ちょっと早めのお昼ご飯といこう!」

 どこまでも陽気なジュリアは、両手で二人の背中をぐいぐい押す。

(ったく、この空元気娘は。相も変わらず、話に脈絡が存在しねえよな)

 シルバは半ば呆れつつも、されるがままに歩を進める。隣のリィファは、困惑と嬉しさが半々の微妙な笑顔だった。


       4


 職人街を反対側に抜けると、すぐ左手に、三角屋根の一階建ての大衆食堂があった。横長でずんぐりとした印象で、壁面には縦横に焦げ茶の木骨が見られる。

 先行していたジュリアが、木の扉をぎぃっと押し開けた。瞬間、わっと賑やかな大音量がシルバの耳に届いた。

 店内には総勢、五十人ほどの人がいた。各所に八人掛けの木の机があり、着席した客が食事をしている。

 正面には正方形状のカウンター席があり、ほとんどが埋まっていた。

 その中は調理スペースで、黄土色のエプロン姿の十人弱の店員がいた。包丁による食材の切断や料理皿の運搬などに従事しており、誰もが忙しげに動き続けている。

 ほぼ全ての物が木製でなんとも暖かい感じである。香ばしい匂い、明るい活気とあいまって、いるだけで気分が晴れるような雰囲気だった。

 一つだけ空いていた机に着き、三人は注文を済ませた。店員が去ってから、そこはかとなく楽しげなジュリアが口を開く。

「それでジュリアちゃん。その服、とても見栄えが良いよね。何か特別な物なの?」

「そうだよ、それそれ! その質問をあたしは待ってた!」握り拳でばんばんと机を叩き、ジュリアが力強く応じた。

「あたしの今のお召し物はね! 建国の功労者にして史上最強のカポエィリスタ、カイオ大先輩の衣装だよ! かっくいーでしょ!」

「カポエィラ……。ジュリアちゃん、この後の三角行進トライアングルマーチはやっぱり赤組狙い?」

 輝く瞳を見返しながら、リィファは興味深げに尋ねた。

「あったりまえだよ! カイオ先輩はもう色々、完璧だからね! ま、残りの二人もまーまーすごいんだけどさ。特にあの人。……んー、名前が出てこないや。ウォ……、ウォル……」

「ウォルコット、だろ? テコンドーの達人の。お嬢ちゃん、その年で物忘れかい? 将来が心配だねえ」

 どうでもよさげな声に、シルバは面を上げた。一人の青年が机のすぐ近くに立っていた。

 手元には、料理の載った木の盆がある。正装と思しき青と黒を配した帽子と服は、所属集団の強い規律を感じさせる。

 青年は体格が良く、口元には馬鹿にするような笑みがあった。二重瞼で、鼻の下には髭の剃り跡が見える。

 黒に近い茶髪は、眉や耳に少し掛かっている。男前だが目と口がやや大きく、全体的に軽薄そうな印象である。

 青年を見上げるジュリアは、むっとした風に眉を顰めた。

「ちょっと、喉のところでつっかえただけだよ。急に出てきて失礼だよね。おじさんは、いったい、どこの誰なの?」

「『どこの』って問いにゃあ『アストーリの』としか答えらんねえが、名前はラスター。そこで顰めっ面をしてるシルバの、愛すべき同窓生だよ」

 ラスターはいなすように答えて、シルバの隣の空き席に座った。

「ラスターか。時々顔は見掛けたが、会話はしばらくだな。卒業してからは、自警団に入ったんだったか?」

 シルバは仕方なく、話題を提供した。無遠慮な「顰めっ面」の一言に、シルバはラスターとの学生生活を苦々しく思い出す。

 シルバは武力において、圧倒的な一番だった。せいぜい中の上のラスターは、ざっくばらんにシルバに絡んできた。

 しかしラスターは陰ではシルバの性格や親の不在を悪く言っており、シルバにとっては到底、信用できる男ではなかった。

「ああ、合ってるさ。それも、ただの団員じゃないぜ。団長殿からも期待の掛かるウルトラ出世株だ。この後の三角行進トライアングルマーチでも、大抜擢で仕切り役を仰せ付かってるしな」

 ラスターが軽い調子で返答すると、店員が感じの良い笑顔で近寄ってきた。ジュリアの前に大皿を置いて、歩き去っていく。

 木の大皿は大人の掌より一回り大きく、玄米、羊肉、トマトなどの野菜とで面積を三分割していた。

 うっすらと湯気が立っており、見るからに美味しそうである。

「待ってました! 羊のおっ肉~! お祭りの時しか食べらんないし、たっぷり味わっちゃお!」

 ほくほく顔で喚いたジュリアだったが、何かに気付いたように表情を消した。遠慮深げな顔付きで、三人の顔をきょろきょろし始める。

「問題ねえよ、子供が妙な気を遣う必要はねえ。冷ますのももったいねえから先に食っとけ」と、シルバがあっさりと勧めると、ジュリアの口角がくっと上がった。

「それじゃ、お言葉に甘え……」

「ガキはよく燥ぐねえ。可愛い可愛い羊ちゃんが、養羊場で殺されてるって、気づきもせずによ」

 頬杖を突いたラスターが、低い声で割り込んだ。ジュリアの大皿に向ける視線は、どこまでも冷ややかである。

 一瞬にして、ジュリアは真顔になる。

「わかってるよ、おじさん。だからあたしはいっつも、ご飯は絶対に残さずに食べるようにしてるの。馬鹿にしちゃあだめだよ。おじさんの想像以上に、子供だって色々考えてるんだよ」

 ジュリアの切実な諭しに、「そりゃあ悪かった。お嬢ちゃんの崇高な理念に、おじさんは感服だよ」と、嘘臭い語調でラスターは答えた。だが、ジュリアの不機嫌顔は引っ込まない。

 その後の食事は、シルバによってどうにも居心地の悪いものだった。


       5


 大衆食堂を出てすぐに、三人はラスターと別れた。ジュリアは、しばらくぷんぷんしていた。

 でも、次に立ち寄った役所の隣の公民館の歴史展示では、目を輝かせながらリィファに講釈をしていた。

(多少喧しくはあるが、ジュリアはこうでないと調子が狂う)と、楽しげな二人を横目に、シルバは静かに安心していた。

 以後も三人は、何か所かを回った。金銀細工屋を辞した時間は午後四時四十五分、三角行進トライアングルマーチの開始の十五分前だった。やや急ぎ足で、三人は受付場所のコロッセウム前の草地に向かう。

 五十五分に着くと、既に多くの人が散らばっていた。コロッセウムの直下では自警団が一列に並んでおり、中央にはラスターの姿があった。木の机上に置かれた箱の後ろで、厳格な佇まいを見せている。

 ラスターに歩み寄った三人は、順に木製の箱から籤を引いた。ジュリアは赤組、シルバとリィファは、合気道の権威であるテンガを掲げる黄組となった。もう一つは、ウォルコットの青組である。

 三人の組の決定から少しして、ラスターから大声が飛び始めた。総参加者数は三百十二人である旨とルールの告知の後に、各組の色の紐が全員に渡された。皆が手首に付け終えると、ラスターはスタート地点に行くよう指示を出した。

 がやがやと動く集団に従い、シルバたちも移動を開始する。

 しばらくして黄組は、アストーリの城門の一つに到着した。大人の身長の倍近い城壁の真下に、六列でぎゅうぎゅうに並ぶ。どの顔も血気盛んな雰囲気だった。

「覚悟はしてましたけど、やっぱりすごい祭ですね。人数の多さといい、みんなの異様な盛り上がりといい。ちょっと自信はないけど、なんとか最後までいられるように頑張ります」

 シルバの眼前で後ろ向きのリィファが、控えめに呟いた。前と左右からの圧力に、両手を肩の前に遣って縮こまっている。

「きつくなったら言いに来い。人込みに流されて無理なら、なんとか脇道から逃れろ。無理はするな。必ずしも、参加しなきゃならないもんじゃねえよ」

 シルバは強く念を押した。後方からの力がリィファに行かないように、軽く踏ん張りながらだった。

「わかりました」と、小さな声でリィファから返事があった。ややあって、城壁に上った一人の自警団員が、大人の掌で掴めるほどの球を群衆の中ほどへ投げた。勇ましい声が上がる。

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