第4話~6話

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 体操が終わり、練習試合となった。生徒たちは、草地全部を使ってのびのびと戦っている。

 中央では、ジュリアが男の子のボクサーと向かい合っていた。袖なしのシャツとハーフ・パンツは鮮やかな青で、それらが包む肉体は、子供ながらによく引き締まっていた。両手には、真っ赤なグローブを付けている。

「ジュリア、今日こそお前にゃ負けねーぞ。完全完璧に勝ってやるから覚悟しとけ」

「いやいやレオン。とっても残念だけど、そりゃあ無理だよ。あたしは誰にも止めらんないからさぁ」

 ジュリアが言葉を切るなり、レオンはファイティング・ポーズを取った。僅かに遅れて、ジュリアはジンガを始めた。リズムに乗りつつ、ゆらゆらと接近していく。

 身体が半分ほどの距離まで近づいた。レオンはノー・モーションで、頭にジャブを放ってきた。

 腰を落としてジュリアは回避。しゃがみつつ左足を前に持っていき、レオンの足を狙う。攻撃を避けつつ足払いを掛けるネガティーヴァである。

 レオンは軽快に一歩引いた。地に伏すジュリアは、両手で地面を押した。レオンの腹へと頭突きをかます。

 レオンは腰の下から左腕を回した。ジュリアの顎を打ち抜く気だ。

 ジュリアは右腕を顎下に遣り、パンチの威力を減らした。パンチで少し軌道が変わるも、ジュリアのカベサーダ(頭突き)が腹部に入った。バランスを崩したレオンは、ステップを踏んで離れていく。

 ジュリア対レオンの試合は、乱打戦が続いた。双方ともガードに重きを置かない戦い方だった。

 ガンッッ! レオンの両耳を打ったジュリアの頭の中に、鈍い音が鳴り響いた。ガロパンテ(お椀状の両手による耳への攻撃)の直後に食らった右ストレートのせいだった。

 よろめいたジュリアは、堪えきれずに尻餅を搗いた。ダメージは着実に蓄積していた。

 レオンはキックで追撃してきた。地面上の石に対して行うような蹴りだった。

 やや上げた左足でジュリアはなんとか防御。地に突くと同時に腰を持ち上げ、フル・パワーで右足を振り上げる。

 レオンはスウェー(後方への頭の移動)で回避を試みる。が、足は顎を掠めた。ぐらりとするも、レオンは足の裏での攻撃を続ける。

 ジュリアはすかさずバク転。着地するや否やぐっと前に踏み込んだ。勢いを付けてジョエリャーダ(膝蹴り)を当てる。

 一瞬、動きを止めたレオンは、大きく後退していった。

 ジュリアはダッシュを始めた。レオンの手前で横回転し、足を斜め上方に押し出した。

 ドゴッ! と頭に受けたレオンは、背中から地に落ちた。大の字になると、とても残念そうに話し始める。

「あーくそ。まーた負けたか。どーにもお前には敵わねえな」

「まあでもやってて楽しかったよ。またやろう。あたしはいつでもばっち来いだからさ」

 レオンに熱い視線をやりつつ、ジュリアは興奮気味に嘯いた。


       5


 その日の唯一の授業を終えたシルバは、自室に戻った。荷物を整理して仮眠を取り、アストーリの敷地の端の格闘場へと向かうことにした。

 しばらく歩くと、アストーリ一の大通りに差し掛かった。午後五時を過ぎていた。森の向こうの急峻な山々の間からは、鮮やかな夕日が照り付ける。

 石畳の大通りの両側には、色とりどりの露店があった。奥に簡素なテーブルが並んだ飲食店では、学校帰りの男子生徒が談笑している。野菜や肉を売る店には、子連れの母親の姿もあった。

 シルバは絶え間ない喧噪を縫っていく。大通りの騒々しさは、幾度経験しても馴染めない。

 露店通りの終端近くは人もまばらだった。突然、ぐっと左肩を掴まれた。

 瞬時に反応したシルバは反転。一歩分の距離を取って、僅かに腰を落として構える。

「おっ、今日も今日とて天晴れな反応。感心、感心。日頃の鍛錬の様が、鮮明に浮かぶなあ」

 姿勢を戻したシルバは、気さくな調子で大らかに笑う声の主を注視した。

 大きな力強い目に、丸みを帯びた地黒な肌。年は中年に近いため皺があるが、依然として顔には強いバイタリティがあった。黒い髪は男にしては比較的長く、前髪は太めの眉に、ぎりぎり掛からない程度である。ボタンのない濃紺の上着と黄土色の長ズボン、茶色のブーツを身に着けていた。足から膝下には、紐が網目状に巻き付けてある。肩には、長方形の焦げ茶の鞄が掛けられていて、鞄の口からは使い古された種々の工具が覗いていた。

「やっぱりトウゴさんですか。掴まれた瞬間に、ぴんとは来ましたけど。人の身体に無言で接触、どうかと思いますけどね。本気の反撃を食らっても、文句は付けられませんって」

 トウゴを見返すシルバは、抑えた調子で指摘をした。

 石工のトウゴはジュリアの父親で、男手一つでジュリアを育ててきた。母親は、お産で亡くなっていた。

 トウゴはにっと口を開き、並びの良い白い歯を見せた。

「何を言うか。シルバ君には、大事な大事な愛娘を任せてるんだ。しっかり鍛えてるか、こまめに確認。誰がどう考えても、完全完璧、ベストな選択だろうがよ」

「それはひとまず置いといて。さすがは父親ですね。娘よりは語法が洗練されてる」

 トウゴの冗談っぽい主張に、やや呆れたシルバは即答した。

 トウゴは、ん? という感じできょとんとした。

「ジュリアが、妙な言葉遣いでもしたのか? 気にならんって言ったら嘘になる。ま、後でかるーく尋ねとくか」

 不思議そうに尋ねたトウゴだったが、気易い語調で一人で納得した。

「今日の作業は順調に進んで、仕事上がりが早かった。格闘場で練習だったよな? 俺も出るよ。愛しい娘の成長も、父親としちゃあばっちり把握しとかにゃならん」

 びしりと断言したトウゴが、シルバの隣に来た。

「わかりました。行きましょうか」

 促したシルバは、再び歩を進め始める。


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 二人は、ぽつぽつと会話を交わしながら、格闘場へと向かった。

 時折、遊び帰りで騒ぐ子供たちと擦れ違った。遠慮のない声を毎回掛けられるトウゴに、シルバは社交性の高さを強く感じた。

 しばらくの直進の後に、芝生に囲まれた脇道に入る。

 一階建ての格闘場が見え始めた。一般住居とほぼ同じ大きさだが、素材は石で色は炭に近い黒。屋根は平らで、両隣の民家と比べて剛堅な雰囲気である。

 先を行っていたシルバは、重いドアを開いた。

 軋む音が建物内部に響いた。壁、床ともに明るい茶色の木の板が張られている。正面の大きな窓から差す星々の光だけが辺りをほの明るくしていた。

 左に、二十人ほどの男子生徒が白の胴着を着て四列に並んでいた。前に立つ講師に倣って拳を繰り出し続けている。

 逆側にいた生徒が、しゅたたたっと軽やかに駆け寄ってきた。カポエィラのユニホーム姿のジュリアだった。

 申し訳なさそうに眉を顰めて、ジュリアはシルバを見上げた。

「センセー、ほんっとにいつもありがとね。今日なんか、夜勤と日勤のダブル・パンチの挟み撃ちで、体調はちゃめちゃでしょ……って、お父さん! お仕事、早く終わったんだ!」

 神妙な口振りから一転、ジュリアは、驚きと喜びが混じりに叫んだ。トウゴに向ける目は丸く大きく開かれている。

 トウゴはすっと前に出てきた。ジュリアの頭に片手を置き、穏やかな笑みでわしゃわしゃと撫で回す。

「さっきシルバ君とも話したが、言語表現は正確に、だ。『終わった』なんて、父さんはそんな受け身な人間じゃないぞ。めちゃくちゃ頑張って、超高速で終わらせたんだ。ジュリアの活躍が見たいパワーでな」

「もー、お父さんったら。ほーんと調子が良いんだから。すっごい嬉しいけどさ、さすがのあたしも照れちゃうって」

 冗談めいたトウゴの言葉に、ジュリアは、甘えるような困ったような抑揚を付けて答えた。

 トウゴを見上げるジュリアの笑顔は優しく、眼差しは親愛に満ちている。孤児のシルバにとっては、トウゴたち親子二人の親密さは眩しく、手の届かないものだった。

 直立姿勢に戻ったトウゴは、ぐるりとシルバに顔を向けた。強い視線とともに、おもむろに口を開く。

「よし、始めるか。シルバ君、今日の練習内容は何だ? 堂々と発表してくれたまえ」

 大袈裟に嘯いたトウゴに、シルバは予定を話そうとした。ジュリアは「お父さん」と、早口で割り込んできた。

 トウゴの視線がジュリアに移る。

「あたし久しぶりに、センセーとお父さんのジョーゴ(カポエィラの組み手)が見たい。ダメかな? 後で自分の練習はちゃんとするからさ」

 真剣な顔つきのジュリアは、切実な様子で頼んだ。

「わかった。その代わり、俺たちの動きを目を凝らして見とくんだぞ。身体の小さいジュリアにも、得られるものはたっくさんあるから。少年少女武闘会も近いし、ここらでぐーんとレベル・アップ、だな」

 トウゴは、ゆっくりとジュリアに念を押した。佇まいには、ひとかどの格闘家を感じさせるものがあった。

「俺も大丈夫ですよ」と、シルバはすかさず口を挟む。

「やった! それじゃあ、あたし、パンデイロ(タンバリン)と歌を担当する! もう、ばっちりみっちり盛り上げちゃうから!」

 顔中が喜色のジュリアは、元気満点といった調子だった。シルバはトウゴに歩み寄り、ふうっと息を整えた。

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