スチーム街のニンジャ

春とんぼ

第1話 グレイタウン

 空は灰色に覆われていた。雨の前兆ではない。

 灰色の雲、街にはそこかしこで蒸気の白煙があがっている。それがこの街の日常だ。

 街の名はブリアード・ハブ。西方に属する街ではあるが交通の要所であり、東方人や南方人。そして北方人とも行き交う人種のるつぼのような街だ。石炭から排出する黒い煙と蒸気機関から排出される白い煙が混じり合ってグレイ(灰色)タウンとも呼ばれている。


 福辺正蔵(フクベ マサゾウ)はこの街に来て10年ほどになる。

 街の端で野垂れ死にしかけているところを、通りすがりの若い警官に助けられた。その後、紆余曲折はあったものの、下水道が整っている街の一等地……とはいかないまでも、二等地程度にある小さな三階建てビルで暮らしている。ビルといえば聞こえは良いが、建てられたのは100年以上前の古いレンガ造りのビルを改修しながら使っている。

 このビルに住むようになって3年。いまは二十代半ばの大人の男だ。髪はそれなりに綺麗に揃え、元々あまり濃くないが髭も毎日剃っている。中肉中背で見た目もこれといって特徴のない普通の東方人。しかし人種のるつぼとはいえ、東方人がこの歳で、それなりの場所で事業を構えるのはやはりたいしたものだ。


「あのー……パルさん、コーヒーを入れて……もらえますか?」

 ビルの二階の事務所。ゴミを自分で治したおんぼろ椅子に座り、新聞を片手に正蔵は同居人のパルにやけに気を使った口調で声をかけた。

「よいぞ! ウチにまかせるのじゃ!」

 パルと呼ばれた少女は元気よく返事をすると、金色の長い髪を揺らしてキッチンに向かった。一年ほど前の深夜、パラパラと降る雨の街角で半裸状態の少女が膝を抱えて震えていた。それがパルだった。

 金髪碧眼の典型的な西方人で、ボロボロに破れた服は元はかなり高額のものだと正蔵でもわかった。本人は家出と言い張ったが、奴隷商人、あるいは誘拐犯かなにかから逃げてきたのは明かだろう。

 面倒ごとに巻き込まれたくはなかったが、自分も野垂れ死にしそうなところを助けられたことがあったので一日だけのつもりでこのビルに保護してから一年。いっこうに帰るつもりはなさそうだし、正体を明かすつもりもないようだ。

 というのも名前を聞いた時に悩んでから答えたのがパルという名前だった。明らかに偽名だ。その証拠に名字……つまり、この国でのファミリーネームは答えようとしない。わかっているのは10歳くらいの年齢と金髪碧眼の美少女。そして。

「まさぞー、コーヒーを入れてきてやったぞ」

 異国出身の正蔵でもわかる変なしゃべり方をするということだ。

 そう、そしてもう一つ特徴があった。右側の口元にほくろ。いまはただのほくろだが、このまま大人になればさぞかし何人もの男を狂わせる魔性を持つことだろう。

「お駄賃は5ブルンでよいぞ」

 屈託のない笑顔でパルは手を伸ばす。5ブルンは町の食堂で定食を食べられる金額だ。どうやらすでにお高い女になっているようだ。

 黒を基調としたドレスは子供用とはいえお高いもので、髪には黒の髪飾り、手には白の長手袋をしている。どれもパルの好みで正蔵が買ったものだ。

「ありがとうございます」

 コーヒーを受け取り何故か正蔵のほうがお礼を言って、けして少なくないお金を渡す。子供とはいえ食事と寝る場所があればいいというわけにはいかないだろう。自由に使えるお金が必要なのだ。

「ふぅ、パルさんのいれるコーヒーはいつも美味しいなぁ」

 仮にもひとりで震えているところを救い、この一年食事と寝床を提供している子供相手にさん付けをして呼ぶようになったのは……考えてみれば最初からだった気がする。お互いそれでしっくりきているところが哀しい正蔵だった。

「うむ、当たり前じゃ」

 パルは手を腰に当てて胸を張る。この辺はまだ子供らしく可愛らしい仕草だ。

「ところでパルさん」

「なんじゃ?」

「今日は仕事で遅くなるので、戸締まりをしっかりしてくださいね」

 さん付けどころかほとんど敬語になっている。

「うむ、ご苦労」

「陽が落ちるまでに帰ってきてくださいよ」

「心配するな。ウチは大丈夫じゃ」

「でも鳥男だの狼男だの吸血鬼まで出るって噂だし」

「そんなのは子供だましのウソじゃ」

「それにほら、また首無し事件もあったし」

 そう言って新聞を向けた。一年ほど前からすでに8件は起きている猟奇事件だ。被害者は全員大人の男で、首はまだ一つも見つかっていない。いまのところ女性や子どもの被害はないが、犯行にかち合えば襲われるかもしれないのだ。

 パルはチラリとも見もせずに自分で作ったミルクと砂糖たっぷり、コーヒーは少なめの飲み物を飲んでいた。この10年この国の文字を必死に勉強した正蔵より、実はパルのほうが読める。幼いころから高い教育を施されていたのだろう。やはりどこぞの貴族の娘……にしては帰ろうとしない。やはりよくわからなかった。

「なにかあったらリーさんか大家さんのところへ行って下さいよ」

 このビルに住むようなって3年。隣近所とは良好な関係にあり、外出の多い正蔵に代わってパルのことは気に掛けてもらっている。それでも出会いの経緯やパルの見た目のこともあって、やはり心配ではあった。一年も同居人としていればそれなりに情も湧くし、特に異国出身の正蔵には家族親戚などいないのだから。


 コーヒーを飲み終えると正蔵は出かける準備をしていた。ビルの看板にはツバメ探偵社と書いているが、正蔵の仕事は簡単に言えばなんでも屋だった。

 文字の勉強で読んだ小説に出てきた探偵に憧れて始めた仕事だが、殺人事件の推理など呼ばれるはずもなく、掃除配達逃げたペット探し。そして浮気調査がほとんどだった。今日の仕事も浮気調査。貴族夫人から依頼されて旦那の浮気相手の調査に行くのだ。

 黒い木綿服の上下に二股に割れた足袋。典型的な東方人の格好だが、こういう仕事は目立たないことが一番大事だ。

「では行ってきます」

「うむ、気をつけての」

「はい」

 パルに見送られ一階に下りた。このビルは三階建て。三階は住居で正蔵とパルがそれぞれの部屋を使っている。二階は事務所とキッチン。そして一階は作業所と倉庫だ。

 探偵社という名のなんでも屋としては、ここで修理や道具を作ったりする。そんな雑多な中に、ご自慢の道具があった。

 蒸気駆動で動くスチームバイク。

 ここに比べると100年は科学の遅れている国からやってきた正蔵にはさっぱり原理はわからないが、蒸気を圧縮して貯めたタンクを動力源として動く二輪の乗り物だ。

 乗り物といえば馬しかなかった祖国からすると、まるで魔法のようだ。安くはなかったが、仕事がら蒸気機関車や馬車などより小回りのきくこの乗り物が必要になった。庶民にはそうそう買えない高価なものだが、あると仕事がはかどった。

「あんまり蒸気が残ってないか」

 子供の、それこそパルの身長くらいある大きなタンクが刺さっている部分にあるメーターを見てつぶやく。タンクは乗車席の後ろに斜めついている。運転する時はまるでタンクと二人乗りしているみたいな格好なり、重量でバランスが崩れるので乗るのにはそれなりに技術がいった。

「スタン所に寄っていくか」

 正蔵は倉庫からバイクを出すと、エンジンはかけずに押していった。

 スチームタンク交換所、略してスタン所は正蔵のビルのすぐ近くにあった。ここで黒と黄色の交互にカラーリングされたスチームタンクを満タンのものと交換するのだ。

 スチームタンクは蒸気を圧縮して貯めているタンクだ。この技術によって大小スチームタンクを動力として様々なことが出来るようになったらしい。正蔵がこの国に流れ着いたころにはすでにスチームカーやスチームバイクなどが走っていた。

「マサゾー、今日は遠出かい?」

 顔なじみの女従業員が大きなタンクを肩に抱えてやってきた。

 リー・エリン。

 正蔵より少し年上の30歳前後の東方人だが、親の代からこの街に住んでいる。背はスラリと高く、黒く長い髪を一束にまとめいる。目はやや吊り目だが顔は整っている。紺の作業着じゃなくドレスを着て化粧をすれば相当な美人になるだろう。だが、整った顔より左腕に目がいく。ビスが沢山ついた真鍮製の義手になっているからだ。

 何年か前に仕事中の事故で失ったらしい。大人の男でも重いスチームタンクを片手と義手を器用に使って交換作業をするのだ。

 危険で重労働な仕事をエリンは子供の頃から手伝っていた。貴族階級の女性は食器より重いものはもったことないなどとうそぶいているが、労働者階級は女性でも重労働をしなくては生きていけないのだ。

「先にあっちをやるから、ちょっと待ってな」

 そう言って交換を待っているスチームバイクとその持ち主のところに行った。頭にはツノや牙のついたヘルメットをかぶり、黒い革服にトゲトゲがついた上下を着た若者が直立姿勢のまま大人しく待っている。デスライダーズというスチームバイクの暴走集団の一員らしいが、スチームバイクを買えるくらい金持ちの子供ということで、集団暴走していない時は大人しいものだ。

 手際よく交換を終わらせると派手な格好の若者はエリンに礼儀正しくお礼を言って店を出て行った。

「待たせたね」

 エリンは新しいスチームタンクを持ってやってきた。

「相変わらず手際がいいな」

「ははは、褒めても安くしないよ」

 そして交換作業を始めた。空のスチームタンクを器用に外してスチームバイクの横に置くと、満タンのタンクを義手を使って持ち上げる。いつ見ても見事な手際だ。

「動物虐待はんたーい!」

「はんたーい!」

 遠くからデモ行進の声が聞こえてきた。リーは呆れた顔をして声のほうを見た。

「またあの連中かい。最近多いね」

 動物愛護団体だ。蒸気ロボット企業『イザムバード自動機』が蒸気ロボットの制御にイルカの脳みそを使っていることが発端らしい。

 企業は病気で寿命が短い個体だけを使っていると言っているが、そうそう都合良くそんなイルカが手に入らないだろうと思う。現在は蟹の脳を代替に使う研究を進めているそうだ。

 愛護団体は愛護団体で、噂では仕切っているのは対抗企業や敵対国のスパイらしい。結局イルカや蟹のことなどどうでもよくて、人間の都合で利用し、人間の都合で反対しているのだ。

 そうこうしている間にタンクの交換が終わる。

「おわったよ」

「ありがとう」

「今日は遅いのかい?」

「ああ、だからパルさんのこと頼むよ」

「ははは、任せときなよっ」

 エリンはバンッと真鍮の義手で自分の胸を叩いた。頼もしい。

 多めに料金を払いゴーグルをつけると正蔵はスチームバイクに乗り込む。右足のペダルを踏むとバイクは動き出す。慣れたもので器用にハンドルを操作してスタン所をあとにした。

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