2020/02/08 21:08/鷦鷯飛蝗

樹々のざわめく暮明くらがり

アリスは火の眼に訊きました

「わたしどこ?」

「ここはだれ?」

火の眼、ヴァイゼヅツキは答えました

「ここはレレウスケルグという」

レレウスケルグが身震いして

甍が埃を吐き出します

身震いする月たちを余所に

鰓脚類の埃達はしゃかしゃか脚を動かして

アリスの周囲で踊ります

5羽の月たちが照らす

森のギャップで

火の眼と合わせて六つの光源

ぬめる葉や苔も唸って

もうアリスは言葉を届けられません

「セゼリカテネヌへ行かねばならないの」

誰も聞いてはくれません

なのに、誰ともなく

鰓脚類の埃達も

火の眼、ヴァイゼヅツキも

遠く遥かな月たちも

同時にざわざわ答えます

「セゼリカテネヌは死んだよ」

「可哀そうに」

「雪になったんだ」

「もうすぐここにも降ってくる」

急に辺りが静かになって

ヴァイゼヅツキが独り言ちます

「そして私で融けてしまうのだ」

躍るアリスは火の眼の真下

「セゼリカテネヌが降ったって、ここはそれでもレレウスケルグでしょう」

レレウスケルグがくしゃみをして

月たちの像がいくつか殖えました

「月が凍って降るより先に、セゼリカテネヌに私は行くのよ」

螺旋の甲羅が所かまわずうるんでふやけますから、

レレウスケルグは見るに見かねて

自分でアリスを送ると決めます

レレウスケルグは歩くの苦手

だから夜露を並べて飛ぶのです

引き連れた月の重なり合うほどに遠く

火の眼が近づきすぎては融けると

黒い鏡の大地でお別れ

さようなら、レレウスケルグ、

さようなら、ヴァイゼヅツキ

見送ったアリスが刻む足跡は

一歩一歩が宇宙に波紋を放ちます

鏡がくわん、くわんと光って

セゼリカテネヌ、セゼリカテネヌに会いたい

裏側の世界を覗いてみたりもして

迷うかもしれないから、やめました

小さい奥の方に、白い糸のような靄が立ち昇りました

セゼリカテネヌがこまぎれになって

一粒一粒の粒子が泣き顔になって

暗い夜空に立ち昇っているのです

先端はアリスの頭上へ曲がり

なだらかな弧がレレウスケルグの方へ

ヴァイゼヅツキの方へ向かっていました

駆けだしたアリスが転んだ時

鏡の大地はくわんと波打って

世界の裏側にアリスを招き入れました

星もないのに光り輝く裏側で

何も見えなくなって

手をかきまわしたアリスが触れたのは

いつも通りの柔らかな頬

セゼリカテネヌがはもういないけど

確かにセゼリカテネヌの心地でした

「ありがとう」

とだけ聞こえた気がして

もう走らなくてもいいのだと

アリスはしりました

ヘリブンジェカトが泡立つ前に

小さな言葉を抱きました

それでじゅうぶん

それだけでじゅうぶん

泣いてさやかな静けさを残しました

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