わ・か・ら・な・い

三國 富美郎

第1話 まったくわけがわかりません。

まったくわけがわかりません。


これからお話しするのは、私の暗い過去で御座います。奇妙な農村での思い出話で御座います。


私はT大学を一等の成績で卒業しました。私はこれからの人生は明るいものだと確信しておりました。けれど、それは昼寝の時に見る夢みたいな淡いもので直ぐに錯覚であると判りました。


私は有名な会社に入りましが、決して幸せではありませんでした。

意志弱行の私は意地悪な上司に徹底的に苛められ、精神を変調してしまいました。妄想と現実の区別がつかなくなりました。幼い頃から勉学に励んできてようやく報われると思ったのに、上司のせいでお釈迦になってしまいました。そうして私は自分の人生に何の価値も見出せなくなって、自殺しようと思ったのです。自殺するなら、やはり富士の樹海であろうと思って近くまで行きましたが、何となく違うと思って別の所で死のうと思いました。

ひたすら車を進めるうちに、私はガードレールから落ちてしまいました。激しく脳天を打ったのか昔の記憶を失いました。(この事を知ったのは最近であります)


眼が覚めると、私はおんぼろの木造の小屋に寝かされていました。

おや?と思い周りを見渡すと、顔が泥まみれの女性がいました。彼女に此処は何処か?と尋ねましたが、訛りのせいで全く何を言っているのか判りませんでした。どうやら日本語を話しているようですが見当がつかないのです。言葉が伝わらない恐怖を味わいました。暫く恐怖で硬直していると、初老の男性が部屋に入ってきました。そして私を強引に外へ引っ張り出しました。


まったくわけがわかりません。


一時間くらい経ったでしょうか。私は村の学校に連れて行かれました。

先生らしき男が、私に対して激しく何かを言っていました。おそらく遅刻した私を叱っていたのでしょう。私は先生が何を言っているか判らないので、とにかく頭を下げてその場を収めました。言葉は通じなくても、ジェスチャーは通じるようです。

一段落して教室を見渡すと、四十歳くらいの男女が必死に板書をノートに写していました。彼らの外見は、服はボロボロで泥が付いていました。顔は埃や泥で汚れていました。

その様子から余り裕福ではないのだなと思いました。そうやってぼんやり教室を眺めていると、また先生が私に対して激しく何かを言いました。どうやら、ぼーっとしていた事を怒られているようです。私は仕方なく頭を何遍も下げて許しを乞いました。内心、この状況が全く理解できず無性に腹が立ちました。


郷に入れば郷に従え、という言葉に従って私も板書をノートに写そうとしましたが、ノートも筆記用具もありません。机の中や周りを見渡しても私の物はありません。(当然ですが。)

仕方ないので一生懸命、授業を聞くフリをすることにしました。けれど先生は私が板書を写さないことに怒りました。私は三回目のお叱りを受けてぐったりしました。先生のご厚意でノートと鉛筆を貸してもらい、ようやく授業に参加できました。


黒板には漢字と+が書いてありました。


月+木=? 月+水=?

火+火=? 日+金=?

火+水=? 日+土=?


訳の分からない計算(?)四十歳くらいの男女が必死に取り組んでいました。異常な光景であります。私はそれに恐怖しました。私は呆然としてノートを見つめていると、またもや先生に怒られました。もう懲り懲りです。先生の顔をよく見ると、私を苛めた上司とそっくりでした。


また頭を何遍も下げて謝りましたが、先生は許してくれません。細長い棒で顔や体を何百回も打たれました。私は気が滅入って後ろに倒れましたが、先生は私の上に馬乗りになって細長い棒で打ってきました。

私が口から泡を吹いているのに周りの連中は、必死に訳の分からない計算に取り組んでいました。


まったくわけがわかりません。


私が再び意識を取り戻したのは、教室に誰もいなくなってからでした。

外は真っ暗でした。仰向けに寝ていた私は、天井に吊るされている電灯に蛾が何匹か止まっているのを見つめました。

(俺はおかしくなったのか?)

精神を変調した結果、幻覚を見ているのかなと思いました。しかしはっきりと痛覚はあったので現実なんだろうなと思い直しました。自分の境遇に居た堪れなくなって、声を上げて泣きました。喉がからからになるまで泣くと、教室の引き戸を開けて私を連れ出した初老の男性が汚い物を見るような眼をして立っていました。私は彼の顔に懐かしさを覚えました。訳の分からないことばかりで動揺していた私は安心すると、寝てしまいました。


気づくと私はあのオンボロの木造の小屋に寝かされていました。初老の男性が部屋に入ってきて、私を連れ出そうとしましたが必死に抵抗しました。もうあんな訳の分からない授業は受けたくないのです。しかしひ弱な私は彼に負けて、学校に行きました。教室には既に生徒がいました。昨日と同じように遅刻したことを怒られました。私は諦めて訳の分からない授業を受けることにしました。(昨日の反省を生かして、部屋にあった紙と鉛筆を失敬してきました。)


この日も黒板には漢字と+が書かれていました。私は訳が分かりませんでしたが、とりあえず勉強している風を装いました。



お昼の鐘が鳴ると、先生は何処かへ行きました。生徒は輪を作り、座って弁当を食べていました。そこで私は弁当を持ってきていないことに気づきました。あの初老の男性は私に弁当を渡してくれなかったのです。

腹が減っていましたが、生徒に何と言えばいいか分からず自分の席で座っていました。


三十分くらい経ったでしょうか。

生徒達は自分の席に座り授業の用意をしていました。先生は教室に入ると無言で板書を始めました。


男+女=子 女+女=友

男+男=友 子+子=友


私は漢字から、保健体育か道徳の授業なのかなと思いました。先生は板書を終えると、一回教室を抜けました。再び戻ってきた先生は、丸めて縛った布団を引きずってきました。そして、一方の丸めた布団の隙間に細長い円柱の棒を刺しました。私はこれが挿入を表しているのだと考えました。私はふと生徒達の顔を見回しましたが皆、無表情でした。

そういえば彼らはずっと無表情でした。私はいよいよ恐ろしくなりました。彼らは感情を持っていないのでしょうか。視線を先生の方に戻すと、円柱の細長い棒が刺さった布団が教卓の上に二つ置かれていました。先生はそれについて何やら熱心に説明していました。私は一生懸命聞いているフリをしました。

先生は私の姿を褒めてくれました。

(言葉がわからないので憶測ですが。)


ようやくこの日の授業が終わりました。先生も生徒もどんどん教室を出て行き、教室には私一人が残されました。あぁ、彼らはなんて冷たいのでしょう。彼らの不気味さ、不人情さにすっかり気が滅入ってしまいました。


まったくわけがわかりません。

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