2 後宮の生活 (1)


 フェリアの視線の先に王とうが見える。辺りはまだうすぐらい。

 ここダナンの王城は、三方を高いじようへきで囲み、背後を岩山で守られる強固な城である。

 中央には王塔とおう塔がそびえ立っており、王妃塔は少し低い。その王妃塔の眼下に後宮がせんじように広がっており、各やしきは、へびがくねるような道でつながっている。その一番はしにあるのがフェリアの居る31番邸だ。おうぎの内に入らず、ぽつんとはなれている。

 れいな扇状の後宮は、きさき選びのしきたりができるまでは、他国の使者やらいひんらの宿しゆくはくであった。数十代前の時代、でんせんびようで王族の血が絶える危機がせまった時に、三十あった宿泊地を後宮へと開宮し、数多あまたの妃が入宮したのだ。

 その後に始まったのが、妃選びのしきたりである。王太子は二十五歳の時に妃選びをすること。一日は1番目の邸に、二日は2番目の邸に……三十一日は31番目の邸にと決められた。ダナン歴は通常一カ月三十日で、三カ月に一度だけ三十一日がある。しきたりが始まる時に、妃候補が三十一人いたことから、31番邸は変則であったが、綺麗な扇をくずさぬよう、離れた位置に新しく造ることになった。

 王妃塔から見た31番邸は、扇状の後宮からさらにくねくねと進んだ先に建ち、番小屋のように見える。三十一ある邸の中でゆいいつ井戸があるため、そう見えてしまうのだ。

 フェリアは王塔に背を向けた。も出ぬうちから体を動かすのが日課のフェリアは大きくびをして体を起こした。

「さて、やりますか」

 そう言うと、邸の横にある井戸から水をげた。これが例の井戸である。

 フェリアは、長いかみをリボンで軽くった。それから、バシャンバシャンと顔を洗い、エプロンポケットから取り出した布で顔をく。

 そうしているうちに朝陽がゆっくりと昇ってきて、辺りを照らしていく。

 そのしゆんかんが好きなフェリアはいつも早起きしてながめているのだ。

 陽の光を浴び、フェリアの髪がつやめく。一見黒く見えるが、陽に照らされるとあいいろの艶めきが現れる。さらりとリボンが解かれると、ぐな髪が微風そよかぜになびいた。

 目を閉じ陽と風を感じているフェリアのひとみがゆっくりと開く。藍色の瞳ははつらつと庭園を見つめた。

「今日もお願いします」

 朝陽に向かって手を合わせていのる。これもフェリアの日課である。それが終わると、ていたくもどっていった。


 後宮生活二日目が始まった。

 例えばフェリアがどこぞの深窓のれいじようなら、このじようきようを悲観しぼうぜんとしていただろう。

 しかし、フェリアはあのへき中の僻地、じゆうの生息する『天空のとう領』たるカロディア領でたくましく育ったきつすい田舎いなかむすめである。

 じよがいなくとも、邸の部屋が整備されていなくても、台所がなくとも、井戸しかないこの31番目の妃の邸宅で、羽を伸ばすがごとく自由に過ごすことができる。

「まずは、いもでも温めよう」

 庭園に落ちていた小枝を拾い集める。荷物の中から火打石と芋煮が入ったなべ、鍋台を取り出して、小枝を集めた所に持っていき、火をつけ鍋を温めた。この程度のことができぬフェリアではない。カロディア領において、フェリアも夜の薬草守りをすることがあったし、あの地では野営ができねば生きていけないからだ。

 しそうなにおいがたち始めたころようきが邸をおとずれた。

「……何をしているのでしょう?」

 御用聞きのは、目前で美味しそうに芋をほおるフェリアに問うた。

「あ、おはようございます」

 フェリアは、騎士の問いをれいにスルーした。

「食べますか? 美味しいですよ」

 騎士は確かに美味しそうだと思ってしまう。

 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、フェリアは察して騎士に芋煮をった。

「私の荷物の中に、兄さんの荷物もまぎんでいたんです。今頃、兄さんあわてているわ」

 フェリアがこの邸に持参したのは三つの荷物箱である。その一つが、リカッロの野営箱とわっていたのだ。火打石や鍋、鍋台の他、芋煮まで入っていたゆうしゆうな野営箱である。フェリアの失った箱には、本がぎっしり入っていた。どうせ、三カ月ひまだろうと、ガロンがめ込んだめいわくな箱であったため、フェリアは内心ほくそんでいる。

「……そうですか」

 なんとも規格外なフェリアに、騎士はどう答えていいかわからず、ただそう言って笑い出す。

 昨日と同じで、フェリアは口をとがらせ騎士をにらんだ。

「いやあ、申し訳ありません。悪気は」

「ないのでしょ!」

 昨日とはちがい、二人は笑い合った。とそこに、見知らぬ騎士らが大きな荷物を持って登場する。

「隊長、一人だけサボってたんですか?」

 地面にどかんと置かれた荷物は農機具である。

 フェリアは飛び上がらんばかりに喜んだ。騎士らをねぎらい、またも芋煮を振る舞う。

 騎士らは最初、フェリアを侍女と思っていたのだろう。気軽に芋煮をもらい、『お妃様は邸宅ですか?』とフェリアに問うた。

「目前にいるのだけど?」

 そう言って口を尖らせたフェリアに、騎士らは最初どういうことか理解できなかったが、『ええ、わかっていますとも。私では妃に見えないんでしょ』とのフェリアの追発言で、きようがくの顔をさらす。おどろきのあまり、熱々の芋煮をゴックンとのどに通してしまうほどだ。

 そして、むせぶ騎士らを案じて、井戸に水汲みに向かったフェリアの背を見ながら一人の騎士がぽつりとつぶやく。

「……ビンズ隊長、おれにはお妃様に見えないんですが」

 みな、同意だと言わんばかりにうなずいている。質素な服で食事を作る令嬢など聞いたことがない。騎士らは、口をポカンと開け、フェリアの動向を見つめてしまう。

 フェリアの御用聞きである騎士隊長ビンズは、ニヤリと笑んだ。

「あの女官長にもものじせずきばいていたぞ。全くとんだお妃様じゃないか。お前ら四の隊はこれからの三カ月、楽しみだな」

 ビンズ騎士隊は今、四つに分隊し妃邸の警護にあたっている。一の隊は1~10番のお妃様、二の隊は11~20番のお妃様、三の隊は21~30番のお妃様、そして、四の隊がこの31番目のお妃様の警護である。

 四の隊だけ人数が少なく、今、芋煮を食べているたった三人だ。他は三十人ほどであるが、警護対象の人数の違いからとうと言えよう。

「あのきっつい女官長に? そうっすね。最初は、なんでっかす隊に入れられたんだって文句言っちゃいましたが、他のお妃様の警護……大変そうだし。あのお妃様なら、楽しいかも。それに芋煮美味しいし」

「そうだな。芋煮美味しいし」

「そういや、15番目のお妃様担当のやつらなんて半泣きだったぞ。ぼくあつかいらしい。しきりに変わってくれってたのまれるし。俺、この邸の警護で良かった。芋煮美味しいし」

 三人の騎士は、そう言い合って笑っている。

 それを聞き、ビンズは……

『王様、初日が15番目のお妃様じゃあ、今日もげんが悪いだろうな』

 と、遠く離れた主の心中をおもんぱかるのだった。

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