第7章「深淵」


私は[取引]をして国際金融論の知識を使っていわば世渡りをして満たされるのか。反問した。

けれど好ましくは思えなかった。むしろ脱サラしてイエズス会に入会する方が良心に恥じない行動のように思われた。しかしわたしは、それは家庭の事情が許さないと悟りきっていた。いまさらながら深い淵がイエス様と自分には超える事の出来ない淵が有る。それは弱い立場の人小さき人のために命を捧げたイエスと深い淵が有るのは当然である。

カト学の仲間を利用してのし上がろうなどどうかしていた。大手の就職は。コネがあるのがふつうであった。体育会のコネ、親戚縁者のコネ弱みのある人は、淘汰される。この大学は、よい成績、活発な人格と謳い上げながら実は企業とDEAL(取引)しているのは、周知の事実である。まあまあより上と云うわたしの経歴に箔をつける事も誘惑ではあった。自分は、はたしてサラリーマンが務まるのか基本的な所で迷い始めた。少なくともカト学の名前だけの副会長は断ろう。そして深い淵から嘆き祈る私の願いを聞き入れてくださいと祈ろうと決心した。

コクヨでいいじゃないか。それが自分のベストでわたしも親戚縁者に頼ってコクヨ入社を目指して学業に頑張ろう。カト学は、祈りの場と云うのがわたしの認識で、新一の行動はS賛助会との連携によって自分を高く売りつけようという野心半分使命感半分であると推察した。周囲の反応をも鑑みて理解してあげようとは思うが、自分の副会長はその任に非ず、祈りと黙想の結果だした結論である。観点は違うが入学当初キョウジュと呼ばれたのは、わたしが本来持っているペーソスの故であるとそれはどこかで生かせる道を探すべきであると心に刻んだ

新一は、会長になった。

十一月も半ばになり先輩たちの就職口も決まり主なメンバーは大手の企業に就職が内定し中には卒業優先と云う人もいたが佐藤会長によれば先輩達は上々である。私たちも勇気をもらった。会長らしい発言であった。私たちは、時田聖書研究会に出ていた.聖研では、会長選の話にもなりそれは九月の頃に遡るが、新一は会長として夏の合宿も経験しすっかり会長らしくなり、先輩たちに指導されて法律用語で話すことも無くなった。時田聖研は、その都度聖書のこの箇所を読むというのでなく、それぞれが聖書の心に残った箇所について各自コメントするのである。わたしの番になり9月の会長選に触れ副会長にと云う話が有った。悩み抜いたがゼミと副会長の兼任は無理と判断してこのカト学は祈りと黙想に従事して毎日今迄通り仲間とキャンパスライフを楽しみたいと言ってその時『神よ、深い淵から嘆き祈る私の祈りを聞き届けてください。神が悪に目をとめられるのなら誰があなたの前に立ちえよう。しかしあなたの許しのためにわたしはあなたを恐れ尊ぶ。」と云う個所を祈る。すると、斉藤由紀子が君らしい祈りね。私はみんなが仲良くひとりの落ちこぼれもなく卒業してその後も仲良しでいたいと祈った。パウロの「喜ぶ人と共に喜び泣くひとと共に泣け」と云うパウロの手紙を心に刻んだわ。伊藤努は「俺は生命科学を研究しているから祈りはミサの時だけ。心に残る福音は放蕩息子の神の無限の許しに感動した。」時田先生はみな聖書をよく読んでいる。繰り言になるが基本は福音書のイエスの言葉だ

皆、時田神父に心酔していた。時田先生も我々をかわいく思い、出来のよくない学生ほど単位をくれる先生、時田先生が声をかけると追試をしてくれる時田先生の神父仲間が結構いた。イエズス会師たちであった。

考えてみると、あれほど強硬であった佐藤も懐柔され角が取れたようである。

わたしも輪の中に入りわだかまりのない学生生活であった。ただわたしのゼミのハードさは変わらなかった。

わたしは一会員、キリスト者として生きたいという思いで一杯であった。私の立場は率先して会を統率するというより側面から援助する、いわば縁の下の力持ち的立ち位置に変わっていった。自分の野心は呑み込みカト学のために祈り続けるそんな役割になっていった。

第八章「就活」十二月、ゼミも講義も最後の追い込みであった。アキレス腱は独語であったが予習復習に二時間弱を充てて臨むしかない前期はそんなに悪くなかった八割くらいであった。分からないところをいじくるのでなくわかるところを増やすという精神で欠席だけはするまいという態度を堅持した。あとの専門科目は経済原論や日経新聞の延長である。そこを読んでなければ、難しいが読んで入れば理解は容易であった。日経新聞の大きな記事やトピックになっている話題を教授が指摘して大概の話は類推可能であった。日経新聞のスクラップ帳を作成していればどこか当たる中心は経済原論の知識が応用できれば大丈夫であった。それでも四年に四科目残すことになるが,四年も講義が有るが、最後まで学問を修めたく急に就活だけでゼミだけ履修と云うのは、それだけ優秀と云う事ではあるが私には考えられない事であった、自由に学べるのが四年だと思うのが自分のやり方であった。評価の厳しい「リーダシップ論」心理学科の「性格心理学」そして「国際経済学」勿論ゼミなど出席が前提の科目であと二つ滑り止めのつもりで「経済学史」と「欧州経済史」は講義を把握していれば出席はこだわらない教授の科目であった。この頃は学ぶ喜びで一杯であった。コクヨの先輩訪問もしたし、親せき縁者にコネになってくれるように四月に頼み込んだら上智でそこまでやっているなら力を貸そうと言ってくれた。あとは同業他社に先輩周りをしてこれ以上考えられない就活なはずであった。

問題はリクルートスーツを着て暑い中会社回りは、今までとは違う世界であった。

 「就活は絶好調とは言えなかった。

第一志望は、内定はとれず会社訪問の面接のとき公平に選ぶというものであった。自分に脈が有ったら会社は学生を囲い込むはずである。仲間と違う明らかに苦戦である。わたしにはどうしたら好転するか分からなかった

就職解禁日になって謎が解けた。わたしの人物素行、家族状況を調べるのに時間が必要であったので、表面は当たり障りなくわが社に興味が有るなら来てください。と内定とは取れない勧誘をしていたのである。実情は私の家族状況に問題あり。私には、障害者の兄がいて障害者施設に入居していて社会性の観点から内定は出せなかったのである。就職担当者は、非常に遺憾に思う。粘り強く他社者を回るしかない。他社を回りなさいと言われプランが崩れ他社も結局同じであると思えてならなかった。

そんなときD社に行ってみろと就職指導室の室長から言われ藁をもつかむ思いで訪問したところあっけなく内定が取れたのである。

D社について知っているのは会社季報で基幹産業大手でMグループの一員デアル。第一志望の会社より会社の格は上である。何を自分に期待しているかが不明ではあったが、正常な学生生活に戻りたいからその一心で承諾して就職活動は終わった。

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