第3話 笑うに笑えぬそのようなこと


 だます方が悪いのか、だまされる方が悪いのか。

 この問題、いつも、私の中で、堂々巡りをしているのです。


 と言うのも、私たちの中に、だまされたいと言う欲求があるからだと思っているからです。


 例えば、マジック。

 私も下手の横好きで、いくつかのマジックのタネを持っているのです。

 もちろん、誰かをだますために持つと言うわけではありません。私の不器用な指先では、人を驚愕させるマジックを演じることはできません。 

 だから、人を手業でだますマジシャンへの憧れが、そうしたタネを求めてきたのだと思っているのです。


 マジシャンの巧妙な手業を見ることは、何よりも素晴らしいことです。

 だって、そこには、だまされたいと言う欲求を、現実にしてくれるすべてがあるからなのです。


 シドニーのサーキュラキーをそぞろ歩いていた時でした。


 マジシャンが通りで、マジックを披露していました。周りは人だかり、私は少しづつ人ごみをわけて、しまいには最前列で、その方のマジックを憧れの視線でながめていたのです。

 すると、そのマジシャン、私を呼んで、私にマジックをさせるではないですか。


 私、見事に、マジシャンにおもちゃにされ、衆目環視の中で笑われたのです。


 でも、それを失敬だとは思いませんでした。

 それより何より光栄なことだと思って、そのマジシャンに感謝したのです。


 だって、だまされたいと言う本能をまさぐってくれたのですから。


 ホノルルでも、マジックショーのあるレストランで、私は舞台に上がりました。

 よほど、物欲しそうな顔をしていたに違いありません。

 日系のマジシャンで、アメリカで活躍している有名な方です。


 その時、私は箱に入れらたのです。

 小さな声で、ここに入ったら、指示に従ってなどと小声で言われ、どこから出てきたのか助手の指示に従って、私は箱の裏からそっと出ていったのです。

 客席から喝采が起こりました。

 私が消えたからです。

 で、私はと言うと、ここにスポットライトが当たるまで黙って座っていてと言われ、客席の端のテーブル席につかされたのです。

 そして、スポットライトが眩しいほどにあたり、私は、もろ手を挙げて、ここにいると。


 拍手喝采を受けて、私は自席に戻り、興奮気味で食事を続けたのです。


 でも、いまだに、あの時、どこをどう歩いて、あの席に着いたのか今もわからないでいるのです。


 先だって、SNSでアメリカの財務大臣を名乗る男からアクセスがあり、いつも通り、そのアクセスを受け止めて、連絡を行いました。

 来るものを拒まずというのが、私のSNSでのスタンスです。

 だから、そっと去るものも追うことはしません。

 所詮、ネット空間で、袖が多少とも触れ合った、そんな関係なのですから、私、そう割り切っているんです。


 しかし、私からの返事が、その財務長官に届くと、彼から、凄まじい勢いで、連絡が来たのです。

 

 私は、すぐに、これは何か一癖あるって、勘づいたのです。


 日本も、アメリカも、財務大臣というのは、おかしな奴が多いと思いながらも、当座、だまされてやろうと思って、しばらくやり取りを続けることにしたのです。


 いい歳をした、それも、アメリカでは超一流の大学をでた財務大臣が、自分のことを「I」と言わずに、若者たちが使う「i」なんて書くのですから、もはやバレバレです。


 今日は、妻とニューヨークのレストランで食事をするから、戻ってきたら、また、連絡をするとか、ワシントンに早朝から行かなくてはいけないので、今日はこの辺でとか、それなりに、大臣ぶった口調ではありますが、魂胆も見え見えです。


 さて、いつ、尻尾を出すのかと興味深く思っていると、彼はあらぬところで、尻尾を、私に掴まれてしまうのです。


 その日、大統領の一般教書演説が行われ、日本のテレビでも実況中継されることになっていました。

 まさか、異国で、ライブで演説中継がなされるとは、思っていなかったのでしょう。


 その中継の始まる五分前、彼からチャットがありました。

 今週末、韓国に出張だと言うのです。

 何のための出張かと問いますと、自分が手がける学校を作るためだと、返事が返ってきました。

 そりゃ、忙しいことだと、私、言葉を送りました。

 それにしても、今、あなたは大統領の側にいなくてはならないのではないかと思いつつ、まもなく、大統領のスピーチが始まりますねって、そうタイプして、続けざまに送ったのです。


 その後、しばらく、彼からのチャットは来ませんでした。

 五分を切って、慌てて、議会の階段を上がっているのかしら、それとも、大統領そんな演説するのかって調べているのかもしれません。


 私、ソファーの前に座り、テレビのスイッチをつけました。

 共和、民主の議員たちが、左右に分かれて座っている、その一番手前に、私とチャットをしている財務大臣が、にこやかにテレビ画面に映し出されました。


 その時です。

 私は、テレビで、議会に座る財務大臣を見ながら、それを名乗る男からのチャットを受けたのです。


 私をだまし、翻弄したあのマジシャンたちの巧みな手さばきとは異なり、この男のだましのテクニックは稚拙でありました。


 そうなると、私の中にある種の不満が生まれてくるのです。

 財務大臣を名乗る男、もう少し、夢のあるだましのテクニックを使えなかったものかという不満です。


 狂言に「末広」と題する演目があります。


 天下泰平の時代。果報者が、宴席を設けて、年寄りに扇を贈ろうと考えます。

 そこで、太郎冠者を呼び、「末広」という扇を買ってきておくれと頼みます。


 太郎冠者、「末広」がなんたるかも知らず、安請け合いをします。

 町辻に出て、「末広なるものを買いたい」と叫びます。


 すると、男が出てきて、これが末広だと言って唐傘を売りつけてきます。


 果報者は確か「良質な地紙で骨に磨きがかかり、絵が描かれている」と言っていたが、男が差し出した唐傘には「絵」がないではないかと男に言います。

 すると、男は、「それは、絵ではなくて、枝のことだ」と言いくるめます。


 そうかそうか、「絵」ではなくて、「枝」のことかとすっかりだまされます。

 大金をはたいてそれを買い求めると、その男、言います。


 もし、その果報者が不機嫌になったらと、太郎冠者に一つの歌を覚えさせたのでした。


 戻ると、案の定、果報者はこれは違う、とおかんむりです。

 で、太郎冠者は歌い、そして、舞います。


 『傘を差すなる春日山、これも神の誓いとて、人が傘を差すなら、われも傘を差そうよ』

 すると、果報者も一緒に舞って、めでたしめでたしとなる話です。


 なぜ、めでたいのかって、それは春日山の「かす」が「貸す」にかけられて、大明神が雨や日差しから人々を守ってくれる。神様がそうしてくれるんだから自分もこの唐傘をそう思うよって、そんな歌で、扇が傘に化けたこともすっかり忘れての、狂言らしい、終い方なのです。 


 日本人は、だます方にも洒落っ気をもたし、だまされる方にもそれを持たして、しゃれてきたのですから、これって、いい文化だと思っているのです。 


 ですから、なおのこと、財務長官をかたるあの男の不粋が情けないのです。


 ましてや、若い連中が、年寄りから金をせびり取るなどもってのほかです。

 しかし、ここで怒りを爆発させては、日本古来の狂言の笑いに対して、不粋になりますから、あえて、こう締めくくろうと思っているのです。


 笑うに笑われぬそんなようなことは、するなかれ、させるにまかせるなって。

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