第2話 - JOKER & STRENGTH
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「はあ……」
校庭の隅に据えられたベンチに座って、焼きそばパンの袋を剥す。
牛乳と一緒にパンを食いながら携帯電話を弄った。
スマホに映されているのは昨日インストールしたアプリだ。名前は『M.I.P.S』。
‘Murderer Information Provide System(殺人者情報提供システム)’の頭文字を取ってそう呼ばれるらしい。
アプリケーションは千桜市の地図が表示されている。『M.I.P.S』は現在地に存在する相手を確認、または追跡する役割を担当する……とデミウルゴスが言ってたっけ。今は僕がいる墨ヶ丘学院を中心に見せていた。
スマホを弄って設定情報をタッチする。するとスマホの画面は‘参加者リスト’という文字が出力されている。
《参加者リスト》
1.Justice
2.The Magician
3.The Sun
4.Death
5.The Chariot
6.The Tower
7.The Hanged Man
8.The High Priestess
9.Strength
10.The Emperor
11.The Moon
12.The Wheel of Fate
13.???(Joker)
リストの13番目は僕だが、疑問符で表示しているのは隠れカードとしてのメリットだろう。ジョーカーの名は、白い文字で描かれていて他の物は全て灰色だった。カードを選んだ後、デミウルゴスからM.I.P.Sについて聞くには、直接相手に会わないと相手の基本情報以外はアップデートされないという。試しに適当にカードの名前をタッチしてみた。
『STRENGTH』
持ち主: 未確認。
性別: 未確認。
能力系列: 内在能力系。
基本情報: 純粋なる力。圧倒的なまでの腕力、脚力などの強化。
詳細情報: 未確認。
ストレングスの情報はタロットカードのイラストとそれだけが書かれていた。
なんか、こうみるとただのゲームをしているようで、これが殺すか殺されるかのサバイバルとは到底思えない。殺戮戦という現実感が、全く沸かなかった。
これから僕はどうすればいいんだろう。流れに乗って、警察に捕まえられたくないから殺人ゲームに参加したけど、さすがに心は不安になるばかりだ。
学校は何も変わってない。自分が殺した加害者の存在がいなくなったことを除けば……いつも通りだ。
その様をみると空しい気持ちだけが残っていた。あんなに苦しんだのに、こんなにあっさりとやつの存在が消えてしまうなんて、まるで今までの出来事が全部白昼夢にまで思われる。だがそれは空想に過ぎない。加害者はいなくなっても、被害者は残る。その事実だけはどこにも消えはしない。そして、被害者の僕が誰かを殺したという事実も。そのときの感覚は、僕の手のひらに強く刻み込まれている。否定しようとしてもできない感覚が。苦笑しながらため息をつく。同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、僕が力なく腰を動かした。
太陽はビルの森の向こうに沈んで行き、下校道を歩いてる最中だった。
携帯の受信音が鳴り始めて慌てて電話に出る。
お母さんだ。
「もしもし? あ……うん。買い物?」
母さんは結構大手雑誌社の編集長に努めている。夜勤が多く、家にいない日が多いけれど、たまに帰ったら直接料理とかをしくれた。今回もそのための買い物を頼んでいる。
「……いいよ、何が要る?」
電話を切り、必要な食材をスマホのメモ帳に書いた後家に向かっていた歩みを近くのデパートに運ぶ。たぶん今日食品コーナーがセールをしているはずだ。
風は涼しく、5月の黄昏は美しい。夕焼けに満たされた街を歩きながら僕は耳にイヤホンを挿した。5分ぐらい経ってデパートに着く。平日だけど、この時間帯はさすがに人が多い。慣れた手さばきでカートを手に持ち、頼まれたものを探しにお肉コーナーへ進む。
途中で食品メーカーの新しい冷凍餃子を試食してみたけど、なかなかのものだった。買おうかと迷ったが、余計なものを買ってしまうと母さんに小言を言われるのでやめることにした。
「何だっけ。豚ミンチと木綿豆腐。玉ねぎとネギ……あ、麻婆のつもりか」
自分なりにお母さんが作ろうとしてるメニューを予想しながら食品コーナーを回る。その時、いきなりが携帯が振動しながら鳴り始めた。首をかしげながらポケットから携帯を取り出す。
スマホの画面には、大きくWARNINGという文字が表示されていた。
嫌な予感がする。一気に不安になって携帯を弄り始めると新しいメッセージが浮き上がる。
‘500メトール以内で敵の存在が確認されました’
本能的に回りを見回す。怪しいと思われる人はいなかったが、それでも近くに敵がいることは違いない。
どうしよう。どうすればいいんだ? 戦うべきか? こんな大勢の中で? もし戦うとしたら、それは100%で勝つと言えるのか?
頭が真っ白になる。思考が停止して、軋み始める。
「やつの、位置を、確認しないと……」
M.I.P.Sを操作してデパートの地図を確かめる。僕のいるところは一階の食品コーナーだ。確か昨日デミウルゴスが言うにはアプリの追跡範囲は敵を認識してからおよそ2km弱だったといったはず……と考えを回す最中に自分の目を疑ってしまう。
デパートを中心とした地図に僕の位置は白い丸で表示されている。そしてもうちょっと離れたところでは赤い丸が423mと下線が引かれたままこちらに向けて動いていた。間違いない。こいつは、僕を狙っている……!
逃げよう。勝率がない戦いには挑まない主義だ。もちろん切り札はあるが、切り札である分勝手に使うことはできない。
入口は一つだけれでも、まだ400m以上離れていたらはぐらかすことも無理ではないだろう。そう考えて駆け出した瞬間だった。
携帯のバイブに手がしびれる。画面を確認すると300m、250m、1秒が経つたびに相手との距離はものすごい勢いで縮まっていた。
『250m以内に敵接近中、情報を確認しました。対象は、』
M.I.P.Sの案内音声が響く。機械音は高低がない無機質的な声でその名を告げた。
『ストレングス(STRENGTH)です』
「なに、あんた?」
背後から朗々とした声が聞こえてくる。響きのいい女性の声はまだいわけない感を取っていた。多分、僕とあんまり年の違わない人だろう。
恐る恐る後ろを振り向く。
うまく整えた黒いボブカット。目が大きく、顎のラインが滑らかな曲線を描いている。リップスティックか、リップグロスかは分からないが、彼女の唇は薄いピンク色で艶めいていて、まるでさくらんぼのようだった。
黒い髪が息を吐く度に小さく揺れて、いたいけな白い首がちらっと見える。その様子がとっても艶やかで、一瞬でありながらもほんの少しだけ胸がどきめいた。
その目。おかしいと言わんばかりに僕を睨んでいるその目は、なぜか正直で堂々という印象を与えた。その剛直さと気概は彼女が誰よりも純粋なる力ということを証明している。
認めざるを得なかった。
僕はそんな彼女を見て、美しいと思ってしまったのだ。
それが、ストレングスという女の第一印象だった。
「うそ……でしょう?」
呆れて失笑さえ出てこない。とんでもない現実を疑う。
400mもなる距離をたかが10秒も経たないうちにに突破したのだ。そんなバカなこと、あり得るのか?
「もう一度聞く。あんたなに?」
突拍子もない質問に戸惑っていると、ストレングスは露骨的に鈍くて嫌だな、という表情を作った。
「250m以内だったら、M.I.P.Sによって自動的に相手がどのカードの持ち主が分かる。能力までは知らなくても、せめて相手がどんなカードなのかははっきりするとデミウルゴスは言ってた。でもあんたに対する情報はアプリに丸ごと表示されていない。名前、能力、どんな系列か、どんな性別か、ましてカードのイラストさえ表示されていない。どうして?」
周りの視線が感じられる。確かに食品コーナーで対立する変な二人組って、いい見物になるだろう。
「もう一度聞く、あんた……一体何の仕業をした? これは明らかにルール違反なのでは?」
「そこに答えるべきの義務など、ない」
「……そう?」
ストレングスの目が細くなり、にっこりと笑って見せた。 その微笑みから妙な寒気を感じて思わず足を引いてしまう。そして、彼女が土を踏むと共に激動が地面を走った。いきなりの振動、床に彼女の足が当たる瞬間ものすごい揺れがデパートを横切る。この国に住んでる人ならこれがどのようなことを意味するか知らないわけがない。
「地震だ!!」
彼女が叫んだその言葉に、デパートは修羅場になった。逃げ出す人たち。デパートの店員が慌てながら客を何とか案内しようとしている。デパートから人々が姿を消すのはあっという間だった。人目を引かせる彼女の戦略を僕は唖然と見つめるだけだった。
感嘆すると同時に、未知の力に対する圧倒的な恐怖が迫って来る。
思わず足を引く。が、うろたえたあまりに中心が取れず体の均衡が崩れた。慌てて腕が空を切る。その一瞬の隙間を彼女は見逃さない。気づくとストレングスはすでに目の前まで迫っていてその右腕を後ろに伸ばしていた。
殴られる。そのことを直感した。考えよりも体が反射的に動いて体を丸める。生きたいという願望がぎりぎりの差で後ろに伸ばした彼女の拳を避けさせる。そして、
暴風がすべてを引き裂いた。
看板、カート、食品コーナーのお肉や魚、全ての物事が、世界が引き裂かれる。ガラクタが飛び散る。巨大な力が何もかもを押しつぶす。
彼女が拳を一回振るだけで、ここは廃墟へと化した。壁の向こうには、大きい穴を作られ、5月の風が入って来る。
「ちっ、また失敗か。手加減をしたくてもできないなんて、もうちょっとだけ強弱を調節しないと……」
「う、うわああああああああああ!!」
本能に基づいて走り出す。
死ぬ、絶対に死ぬんだ。あいつと戦ってしまったら、僕は絶対に殺される…!
頭がうまく回らなかった。どうする? どうすればいい?
心臓が爆発しそうに高鳴る。息苦しい。脳に酸素が足りなくなっててくらくらしてきた。
足を止めて息を整える。
「5階……」
頭が悪いのにもほどがある。上の階に逃げてどうするんだ? どうせM.I.P.Sの追跡範囲は認識されてから2㎞弱だ。僕が上の階に逃げ回っても、結局は袋のネズミに過ぎない。
くそ、ストレングスの超能力を見たら、パニックになっちゃって……。
何なんだよ、いったい。あいつはワンパンXXか? 拳を振るだけで大地を切るんだと?
いい加減にしろよ、いくらなんだと言ってもこれは行き過ぎじゃねえか。
超能力だから結局現実の常識を覆すものだろうと思ってはいた。けど、まさかこれぐらいだとは。このゲームの能力は本当に極限まで引き上げられた力の生粋だ。
店内の騒がしさが増して行く。デパートは異常事態への避難警告をアナウンスしていた。
エスカレータ付近で逃げ出す人波を遡る。足は止まらない。 どうしようと考えながら、上へ上がっていく。そして、屋上のテラスラウンジに辿り着いた。
屋上のカフェに人の姿は残っていなかった。夕暮れが赤く世界を照らしていて、その景色だけは一階の散らかれた廃墟とは対照的に美しかった。
解決策を、探さなきゃ……。ゲームをあきらめるしかないか?
諦めたら、どうなる。僕はSNSを含むすべてのマスコミに個人情報が知らされる。そして、クラスメイトを殺した犯人として警察に捕まれてしまうはずだ。
そしてその責任は……たぶん母さんが負われるようになる。それだけはいけない。自分の息子が誰かを殺した人殺しということを知らせたくない。だったら僕は、
「逃げるのは終わった?」
後ろからストレングスの澄み透った声が聞こえてきた。
「頭悪いね、あんた。デパートの屋上に逃げるなんて、最悪の選択だと思うけど。空を飛べる能力でも持ってるの?」
悔しいけど、彼女のいうことは認めざるを得ない。僕の判断は完全に間違った。もっと冷静になって、じっくりと考えるべきだった。
「最後に残す言葉はある? 遺言ぐらいは聞いてあげる。それぐらいの人間味は持ってるから」
遺言か。虚しさに笑いが出てくる。最悪の状況だ。しかし、この状況は結局僕の選択によってできたものだ。責任はすべて僕にある。
だから、
最後ぐらいは、
精一杯もがかないと。
「ストレングスと言ったよな?」
僕は振り返って彼女と向き合う。オレンジに染まった世界の中で、彼女の姿が僕の目に刻まれる。
「君に提案を一つしよう」
「提案?」
疑わしいと言わんばかりに眉を八文字にしかめる彼女を見ながら話を続ける。これは確率の低い賭けだが、うまく成功したら僕はこの戦いから優位が占められるかも知らない。
「僕とペアを組むのはどうだ?」
「はあ?」
「君に協力する。二人でこのサバイバルゲームを立ち向かうんだ。予め言って置くけど、僕の能力は君にとって絶対的な切り札になるはずよ」
「……それは私が判断するものよ。それにあのね、絶対的とか切り札とかそんなこと言ってもちゃんと伝わらないわよ? もっとうまくアピールすれば?」
「ええっと、言われてみれば確かに」
「じゃ、言えよ。あんたのどんなカードの持ち主で、どんな能力を持ってるの?」
ストレングスの言葉に僕は何も言わない。ただ、ちょっとだけ微笑みを返すだけだった。
「ちっ、余裕のある表情しやがって……。 昨日デミウルゴスはゲーム参加者が自分のカードについて騙すことはできないと言ってた。能力を混同させて不要にゲームが複雑になるのを防ぐためだと」
「知ってる。僕も君と同じくその場で聞いたから」
「なら話が早いね。今あんたがどうやってM.I.P.Sのアプリから能力を隠しているかはわかんないけど、それもここまでよ。ルール上、自分の能力を隠すことはできない。だからきちんと明かしてよ。あんたはどのカードの持ち主なの?」
口をつぐんで、何も言わない。僕のそういう行動は彼女をより焦らせた。
「あんたはいったい……」
「じゃあ、逆に聞こう。そういう君こそどのカードの持ち主なんだ?」
「あんたバカなの? 何も言ってくれない相手に私だけ口を開くはずが―――メジャーアルカナNum.8、内在能力系列、『STRENGHTH』カードの持ち主、小野田麗音おのだりね、正位置は力と勇気を、逆位置は本性と自慢を意味する……く、口が勝手に!?」
「これ個人の意思は関係なく、自動的になるもんか」
「た、淡白に感嘆するんじゃないの!」
「あ、す、すいません、つい」
「こいつムカつく……」
ストレングスは口をとがらせながらぶつぶつした。相当悔しいようだ。
「ちょっと! これおかしいでしょう! 何で私だけしゃべらなきゃいけないの!?」
「そ、それは……僕のカードがそういう能力だから」
僕の言葉にストレングスの目が細くなる。彼女の目にどういうこと? と問い詰められ、落ち着いた口調答える。
「僕の能力は、このゲームで唯一自分の能力に対して嘘がつけられるんだ」
ストレングスの目が丸くなり何回も瞬く。まるでウサギのようだ。
「バカなこと言わないで……ゲームの主催者が禁止させた行為なのよ? そんなことできるはずが……」
「これはその主催者から許されたカードの能力だ。実際に君も見たでしょう?」
「それは……」
彼女は何か文句を言いたかったが、確かに目の前で見た事実だったので何も言えなかった。ストレングスは頭を左右に振リ自分の胸に片手を置く。深い深呼吸を繰り返している彼女は、複雑な思いを自分なりに落ち着かせようとしてるんじゃないだろうか。
「言うことは分かった。でも、あんたの提案に何かのメリットがあるとは思えないね。ただ嘘をつく能力だけだったら私はあんたの提案に乗らないよ」
睨んでくる視線に、心臓が爆発思想になる。緊張、頭が限界までいっぱいに詰まる。でも、動揺してはいけない。何とか、うまく演技しないと。
彼女の言うとおりだ。同意しながら言葉を継ぐ。
「ぼ、僕の能力はその力を明かしたことだけでこのゲームを左右するほど大きい影響を与えるはずさ。能力の秘密を知っている人は僕の弱点を捉えたとも言えるだろう。だから、君からペアを組むという答えをもらえない以上、能力の詳細を明かすことは残念ながらできない」
「あんたね、私のことからかってるの?」
「か、からかってない! うう嘘はつけるけど、この場で君に嘘をついたって僕に何の得もないでしょう?」
「私はこの場であんたを殺すこともできる」
「むっ、話を聞けよ! 僕の能力はゲーム全体を左右する能力だと言ったはずよ。その能力が君なんかを殺せないと思うか?」
「度胸は気に入るね。私を挑発してるの?」
ストレングスが一歩踏み出す。がしっと音が響き出しながら、彼女が踏み出した地面が一気に凹んだ。彼女の能力に改めてぎくりとする。しかし、その怖さは仮面の後ろに隠したまま交渉を続ける。怖がっている場合じゃない。この交渉を成功させなかったら僕は死ぬ。勇気を絞れ。前へ踏み出せ。心を蝕むすべてを乗り越えろ。
彼女のように一歩踏み出し、膝を曲げて、顔を近づける。目線を合わせた。にやりとした余裕の笑顔を被る。
「さて、どうだろう。僕の言葉が嘘か否かを判断するのは君だ。これは僕にとっても、君にとっても大きい賭けになる。でも利害関係が一致するなら、僕は君に賭けてみることを悪くはないと判断してる。君はどうだ?」
ストレングスの表情に不愉快な気配が滲んで行く。この後、彼女の答えによって僕の行動は決められる。
先に彼女を‘殺す’か、彼女に‘殺される’か。
温い風が吹いた。二人の間に微妙な緊張感が漂う。
ふと横を見つめた。少し離れたところに、ビルの森が広がれている。そして、隣のビルで何かが輝いてる気がした。
「危ない!!」
その一言に、ストレングスが首を傾ける。ぎりぎりの差で彼女のこめかみを何かが通り抜ける。地面に差し込まれたそれは、痕跡から一見しても分かるほどの大きい銃弾だった。
「……狙撃!?」
「ぼうっとしてるんじゃない、バカ!!」
「えっ、ちょっ、うわあああああ!?」
ストレングスに荒く胸倉を捕まえられる。そのまま体がぶんと浮いて、一瞬にデパートと屋上テラスを繋ぐ建物の後ろに身を隠した。
次の瞬間乱射が始まった。一気に浴びせられる銃弾の雨。狙った攻撃ではなく、すべてを打ち消すための乱暴で無差別な爆撃が迫ってくる。
「う、うそでしょう!? 日本は法治国家だぞ! 内戦中の国でもないし、重火器ってアリかよ!」
一瞬も止まらぬ銃弾の暴雨。身を隠している建物は乱暴な射撃により壁の面がだんだん削られて行く。このままじゃ蜂の巣になるのは時間の問題だ。
どうしよう? どうすればいいんだ?
「そ、そう! お前、壁を壊すことはできるだろう? それで地面に穴を掘るのはどうだ?」
「バカなこと言わないで。あんた、先のこと忘れた? 私はまだ手加減ができない状態よ。地面を穿つってことはこの建物の軸を揺らすってことよ? それで大きな事故に繋がればどうなるの? 明日の朝日新聞にデパート崩壊という記事が載せたいわけ?」
「それは……」
彼女の言う通りだ。マーダラーゲームの参加者はその行為に対して世界線の修正を受ける。つまり、何をやっててもなかったことになるのだ。しかし修正不可能の領域に至れば修正対象から外されて、能力を使ったことは現実として残される。もしそうなると、最悪の場合警察や自衛隊などの追撃を受けるかも知らない。
「で、でも、このままじゃ……!」
「しっ!」
ストレングスが自分の口に人差し指を当てる。無言の言葉に従った。沈黙。二人の視線が交わされる。
「止まった?」
彼女の言葉が耳を通るその瞬間、単語ひとつが雷のように頭の中を横切る。
「再装填!」
三音節の言葉をすべて聞くよりも早く、先に力ストレングスが動いた。
彼女は身を隠していた建物の下に自分の手を差し込んだまま一気に、
「くぅっ――――――――!!」
差し込まれた壁にヒビが入る。割れる音が聞こえた。デパートと屋上を繋ぐ建物がそのまま彼女の手に持ち上げられ、
「ううっ、あああああああああああああ――――――!!!」
猛烈な勢いを帯びて放り投げられる。その姿はさながらバリスタのようだった。
「そこ!」
「えっ、はい!?」
「またぼうっとしてる! 行くよ!」
「行くって、えっ? えっ? えええええええぇっ!?」
ストレングスの片手に持ち上げられ、そのままお姫様抱っこになっちゃう。えっと、ちょっと、恥ずかしいですけど?
「ま、待って! 何するつもりだ、お前!」
「飛ぶ!」
「どうやって!?」
僕を抱いたストレングスの手に力が入る。彼女二歩ぐらい後ろに下がった後、格好良く微笑んだ。その笑顔にぞっとするのは何でだろう。
「待って、言っとくけど、やめた方がいい。それはやめよう。いや、やめましょう、やめてくださいお願いします!」
後ろから轟音が聞こえる。発射の音。銃弾とは違う性質だ。
そして、
少女は、
土を駆けた。
跳躍した後を怪物のような爆発音が追ってくる。爆発の波動が僕らの背中を呑み込もうとしていた。
ストレングスに抱かれたまま、生まれ育った町を俯瞰する。それはものすごくきれいで、とんでもないほどまぶしい一瞬だった。
俯瞰した風景が転倒する。空気が落下する体を食い尽くす。彼女は肉体能力が限界まで引き上げられているが、僕は違う。落下の衝撃から完全に逃れることはできないはずだ。
地面が目の前に迫ってくる。僕は諦めて、目を瞑った。
ドカンと音がした。体を打つと思った衝撃は時間が経っても迫ってこない。目を開いたとき、彼女は疾風になって車道を走っていた。
「アホ」
ストレングスがにやりと笑う。
「何の備えもせずに落ちるわけないでしょう?」
「どうやって……」
「落ちる前にもう一度空気を駆けただけよ」
「できるのかよ、そんなこと」
ほっとした言葉に、ストレングスが微笑む。
その微笑みはとても頼もしくて、同時に年頃に少女のように可愛かった。
時間は夕暮れの終わりを告げていた。
暗くなった公園の隅で僕とストレングスは息を入れる。彼女はベンチに腰を下ろしてぐったりした。
「もう、疲れた……」
「死ぬかと思ったよ……驚いた、怖かった、そしてほんの少しだけ漏らした……」
「よくもしゃべてるね」
苦笑いを見せながら、彼女は汗で額にべとべとに付いた前髪を整う。その姿を少し離れたところで眺めながら素直に礼を伝える。ストレングスは僕の礼に首を横に振るだけだった。
「別にいいよ。あの時、あんたが危ないと言ってくれなかったらやられたはずだったし。私はただ借りがあるのが嫌なだけよ」
ストレングスの言葉を最後に二人の間に沈黙が訪れる。妙な空気が漂った。ちょっと、気まずい。さてと、どうしようか。
「小野田、でしょう? 君の名前」
僕の呼びかけに小野田が少しだけ驚く。
「一回聞いただけなのに覚えてるね」
「まあな。んで、どうする? 僕とペアを組むか?」
小野田の眉がまたしかめられる。でも最初よりはちょっとだけ、和らげたように感じられた。小野田は少し長い間僕を睨んでは諦めたように深くため息をついた。
「いいよ。信用はできないけど、私にとって得になるなら何でも使うつもりだから」
意地悪そうに笑う小野田の瞳が沈んだ夕暮れに輝いた。僕は肩を一度すくめてはスマホを取り出す。画面を何回弄って表示された画像を見せる。
「これからよろしく。はい、約束通り僕が所有したカードよ」
表示されているのはM.I.P.Sのアプリ。そして、ジョーカーのイラストだった。小野田はそれを見て口に手を出したまま信じがたいと言葉を漏らす。
「メジャーアルカナ対象外。固有能力系列、『JOKER』カードの持ち主、矛院守優也。一枚だけのトランプカード、表象と象徴は欺瞞者を表す―――」
台詞は考えていなかったが、言葉を迷わず出てきた。小野田は僕とジョーカーとして描かれたデミウルゴスのイラストに交互に目を配っては額に手を付ける。
「対象外ってふざけないで……何なんだよ、いったい。それで、そのカードの能力は?」
小野田の問いに周りを見回る。二人きりだということを再び確認するうちに彼女が答えを促した。
「何よ、焦らせないで早く言って。あんたの能力って何なの?」
「僕の能力はこのゲームを左右するほど大きい影響力を持つと言ったよな?」
「ええ、それは聞いてる。それで?」
「僕はこのゲームのプレイヤーを最小限に3人以上は殺せる」
「……? いや、あんたの決心は分かったから、能力を言ってと言っ……」
「必ずよ、小野田」
「だから、私が知りたいのは……」
「必ず、殺せるんだ」
小野田と目線が交わされる。二人の呼吸がはっきりと聞こえた。言葉の重さが加重する。小野田の動きが止まった。
「うそ……」
「いや、君が思うとおりだ、小野田」
彼女が複雑な考えをまとめるうちに僕はそんな小野田に絶対的な切り札を再び明かした。
「僕の能力は、絶対殺人権を持つことで最大3人まで対象のゲーム資格を剥奪することだ」
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