第十一の頁:春の骨をとむらう
私は炭焼をしている。
祖父から父に、父から私に引継がれてきた職だ。人郷離れた小屋で日がな一日炭を焼き、時々郷に降りて、炭を売りにいく。
朝一に郷へと降りても、帰りは大抵日が暮れる。
郷と小屋を結ぶ峠の途上には大桜がある。千年も昔から此処に根をおろしているというだけあって、隆々たる幹のうねりからは悠久の刻を感じられた。夏は葉が絶えず青嵐のように騒めき、秋には
だが春だけは行きも帰りも視線をふせて通り過ぎるため、桜の咲いているところをみたことはついぞなかった。
昔は祖父の言っていたことをさほど熱心には信じてはいなかった。
だが私が十五になったある春。
父が死んだのだ。
郷にいったきり帰らなかった。捜せど捜せど何処にもおらず、桜の散り終わる季節になって、あの大桜の根かたで息絶えているところを祖父が見つけた。だからいったのに……と祖父が悔しそうにつぶやいたのを憶えている。
それきり、私は春に桜の側を通り掛かるときには頭をさげ、なるべく荷車の車輪と轍だけを睨んで進むことにしていた。
されどその晩は、浮かれていた。
郷の庄屋さんが私の焼いた炭をいたく気にいって納屋にあるだけ全部欲しいといってくださったのだ。これで暫くは食い
私は些か胸を張って、峠を進んでいた。例の大桜に差し掛かったことに気づきもせずに。
日の暮れた峠道のさきが、ぽうと明るんでいた。誘われるように林を抜けたのがさきか、満々と咲き誇る桜が視界一面に拡がった。
息をのむ。
眩むほどに白い桜にこころを奪われた、のではなく――私の視線は桜吹雪のなかで舞い続けるひとりの娘にひき寄せられていた。
春がみせた夢のように綺麗な娘だった。年の頃は十七程か。純白の
華やかな友禅の袖がひらひらと蝶のごとく。細い脚が着物のすそからわずかに覗いた。桜を欺くほどに白い
彼女の舞は静かだった。何処か鎮魂めいた想いを感じ、続けて胸をひきしぼられるような孤独感が押し寄せてきた。
気がつけば、私は涙をこぼしていた。
娘が緩やかに振りかえる。娘までは遠い。それなのに、視線が重なったのがわかった。
娘は微笑み、月のひかりを指に絡めるように袖を振った。
ああ、誘われているのだ。
私は
「そなた、なにゆえに涙する」
娘は莟が綻ぶように唇を割り、訊ねてきた。
私は解らないと
「そうか……哀しそうかや。いたずらに
愁いをにじませて、彼女は睫毛をふせた。
「そなた、昔話を聴いてはくれまいか」
聴くだけでよいのならば。私が頷けば、娘は詠うように語りだした。
「この地には
いつしか、かのじょは桜の姫御と称されるようになった」
言いえて妙だと私は思った。
桜の根かたでは草は育たない。桜の葉から滴る毒が、他の草花を侵すからだ。
「ひと度でも桜の姫御と袖振りおうた男は、憑かれでもしたようにかのじょを欲した。
あるとき、豪商が金銀に珊瑚に翡翠とあらんかぎりの財をもって、
だが姫の
男親は姫をたいそう可愛がっておった。桜の枝を手折ったのも――
その後も姫を巡っては夥しい血が流された。
姫は嘆き、ついにある春の晩、桜の根かたで命を絶った」
そこまで語ってから、娘はほ……と細い息をこぼした。晩霜のような睫毛を
「奇妙なものよ。骨になれば、誰も妾のことなど欲しがらぬ」
桜の根かたにはまだ、彼女の骨が眠っているのだろうか。私の愁いを知ってか知らずか、桜吹雪に腕を拡げ、娘は大桜をふり仰ぐ。
「されども、こうして咲き誇る桜が"境"をぼかす春の宵は――妾の幻に誘われた男が寄ってくる。ひと度でも欲望に憑りつかれれば、この境から帰れず、桜に命を吸われ息絶える……だが、そなたは帰れるはず」
帰れと娘はいった。
「
おまえさんは帰らないのかと私はいった。
娘はただ笑った。疲れたように。
「轍を踏むまで振りかえるでなきぞ」
私は帰り道に向き、歩きだす。はてこんなに遠かっただろうかと想うほどに歩を進め続け、やっと私は轍に抜けた。荷車を確かめてから、振りむけば後にはただ大桜が月に潤むように咲き誇っているばかりだった。
…………
……
春が終わって、私は桜の根かたを訪れた。
そこには時を感じさせないほどに白い骨が硬い木の根を枕に横たわっていた。土を掘り、娘の骨を埋葬する。せめて雨に晒されぬように、風に凍えぬように。誰の
私のしたことが娘の慰めになったかは解らない。ただ春が
だが、それでよいのだ。咲かぬ桜ならば、二度とは誰かに手折られることもないのだから。
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※ 額縁 桜
桜の幹に物語が彫られているので額縁はない
枝にはぴかぴか光る春のいちばん星が結ばれている
なにかを賞でも もらったのだろうか
紙 桜の幹に彫られている
誰かに愛され、読まれた形跡がある
(「#新匿名短編コンテスト・四季の宴」に寄稿させていただき、
春の部の受賞作に選ばれました)
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