結晶の浜

O3

結晶の浜

 浜に打ちつける波が朝日を反射して輝く。ただ一人歩く砂浜には、波のさざめきしか聞こえない。

 雲がいくつか浮かぶ空の元、いつもと変哲もない浜をぽつぽつと僕は歩いていた。

 この浜辺に僕以外の者が訪れることはあるのだろうか。皆この砂浜の存在など忘れてしまっているのかもしれない。

 皆といったが、この世界にまだ自分以外の人間がどのくらい生きてるのかもわからない。

 遠くに、霞んで見える縦に長くそびえ立つ先人たちの産物の群れに大きな船が後部部分を突き立てて刺さっている。霞んでいるのはあそこ一体の大気が淀んでいるからだろう。きっとあそこにはもう誰もいない。

 偉大で素晴らしかった文明はまた、偉大で素晴らしかった別の文明とぶつかり合い、弾けて、崩壊した。

 僕が知っているのはそれだけでありどのような文明で、人々がどのように生活していたのかまでは知らない。

 どうしてか知りたいとも思わなかった。

 たった一瞬で崩れ去って灰のようになった文明を呆れてなのだろうか。それとも単純にそういうことに興味を示さない性格なだけなのか。

 ぼうっとして、空を舞う鳥を眺める。二羽の鳥が互いに話すかのように鳴きながら舞っている。

 数が減ったのは人間だけで他の生き物たちはいたって普通であるのかもしれない。

 かれこれ最後に人にあったのはいつだったのか思い出せなくなっていた。それとも本当にもう僕しか人間はいないのか?

 そんなくだらないことを考えながら波に沿って歩いていけば目的地はすぐそこだ。

 ゴツゴツと力強い岩場。穏やかな波でも岩にぶつかるたびに白く飛沫を散らす。飛び散る度に海水の臭いも辺りに沸き立つ。

 さらに歩けば、高く、海に細長く突き出した岬が姿を現す。

 その下でさらに大きく潮が舞い散る。それは浜の波と同じように日を反射するが、僕はこの自然の強大さを感じられる飛沫のほうを好んでいた。

 飛沫を眺めるのはほどほどにして、僕はそこに広がる岩石群を見渡した。岬の周りに広がる岩石群は、先ほどの岩場とは異なり、断面に美しい重なりを見ることができる。大地が作った美術品とでも言えよう。

 その中でも上へ大きく伸びた巨大な岩の模様を眺めながら、僕は砂とともに軽く小石を蹴った。

 赤く、火を灯したような色の小石は輝く砂を巻き上げて宙を飛び、やがて落ちた。

 小石が落ちた先にさらに、青く輝く小石、蜂蜜をそのまま閉じ込めたような黄の石など、色彩溢れる大地の結晶たちが転がっていた。

 先人はこのように美しい色を持つ石を「宝石」と呼んだ。

 僕は毎朝、ここで生れた宝石たちを広い集めるのが日課になっていた。

 この浜はどうやらよく宝石が産出するみたいだ。日に日に違う結晶を見つけることができる。

 最初に蹴飛ばした石を拾い上げ、日に翳す。

 この深みのある赤は一見ルビーのように見えるが、ルビーの紅よりもさらに深い。さらに結晶が、人工物と見間違えるほどの見事な十二面体であることからこれは柘榴石ざくろいしだとわかる。

 柘榴石の硬度は七。劈開へきかいも無いことより加工がしやすい。僕のお気に入りの石の一つでもあった。

 僕は柘榴石を持ってきた布切れで丁寧に包み、鞄に入れた。

 劈開がないといっても割れることはあるので、毎回石を持ち帰るときは布にくるんでいる。さっきの石を蹴り飛ばしたのもあまりよろしくない。反省。

 僕は次に、黄色の半透明の石に手を伸ばした。

 僕はまじまじと石を眺めたり、日にかざしたりして、ううんと唸った。太陽の光でより黄が強調される。

 初め、僕は結晶の色から、少し大ぶりのイエローダイヤモンドかクリソベリル、あるいは緑柱石りょくちゅうせきの一種であるヘリオドールのどれかと思っていた。

 しかし、結晶の構造が僕の知っているその中のどれとも当てはまらなかった。ヘリオドールの結晶形とはよく似ているものの、この形は六角錐だ。

 珍しい。これはシトリンか。と、ただ僕は感嘆の声をあげた。

 水晶及び石英はよく産出する石の一つだが、少量の鉄分を内包することによってできるシトリンは天然で産出することは滅多にない。

 僕はいくつかシトリンの結晶を持っているが、あれは僕自身がアメシストを加熱して造ったものだ。天然物は見たことすらなかった。

 自然の営みによって産み出された、美しい蜂蜜色の結晶に巡り会えた喜びに近い興奮を覚えながらも、ゆっくりと優しく布で包み鞄の中へ入れた。石英も劈開がないので布でくるめば大丈夫だろう。

 そばに落ちている青い宝石はサファイアで間違いないと思う。

 サファイアはコランダム属の鉱物で、硬度は九。コランダムは赤色を主にルビー、それ以外の色はサファイア扱いになる。

 もし、装飾品として宝石を身に付けるならば僕は、コランダム属をお勧めするだろう。

 見た目も美しく、耐久面も問題ない。

 ダイヤモンド属も、光を強く分散させて美しく輝き硬度は最高の10であるため、よく装飾品に使われてきたと聞いたことがあるが、ダイヤモンドには明瞭な劈開がある。

 強い衝撃には弱い面がある。僕も一度ダイヤモンドの結晶を落としてしまい割ってしまったことがある。

 なので普段身に付けるならばタフなコランダムだと僕は思っている。ただ、僕自身が宝石を身に付けることはないだろうけど。

 改めて僕は落ちている青い結晶を眺めた。サファイアなら、この前いいものを拾ったばかりだ。まだ、その加工も終わっていないので今回はいい。

 僕はサファイアはそのままにしておくことにした。

 浜辺にはこのような宝石以外にも、いろいろな産物が打ち上げられる。

 僕は靴を脱ぎ、ズボンの裾を折って海へ足を踏み入れた。

 膝下まで浸かる辺りのところで、何かがぷかぷかと浮いているのを見つけた。僕は浮いているものを手に取る。

 細長くて軽い。何かの容器のようだが口の少し前辺りから徐々に狭まり、親指がちょうど入るくらいの入り口しかない。

 このような形状の容器はよく流れ着いて打ち上げられるものの一つだ。その、蓋らしき小さく短い円形のものと同じく。

 液体状の物をいれておくのにぴったりで、加工も簡単だし、熱で溶かして再び固めれば他の物も作れる。ガラクタの中でも特に有能なガラクタだった。

 僕はそのガラクタの容器の水気や汚れを軽く拭き取って、鞄に入れた。

 他にも二、三本ほど浮いていたが今は必要ない。家にもまだ未使用のものが残ってたはずだ。

 ふと、後ろで何かがパラパラと降ってくる音が聞こえた。

 振り返るとあの上へ伸びた岩の一部がパキン、と砕けて降ってきた。地についた所で小さく砂埃がわき上がる。

 僕は砂埃を掻き分け、さっき生れたばかりの大地の結晶に手を伸ばした。

 落ちたときに割れてしまったようで細かい破片が辺りに散っている。僕はその中でも大きな結晶を拾い上げた。

 僕はその色に息を飲んだ。

 なんと美しい。

 海の浅瀬をそのまま押し固めて、結晶を作ったかのと思えるほど澄みきった薄荷色だ。

 こんなに美しい石があったのかと、僕はこの石を初めて見た。

 僕は軽く辺りを見回して、ひっそりと落ちていた八面体の結晶を手に取った。

 このフローライトも未知の石とよく似た色をしているが、鮮やかさが違った。

 僕はあの石をフローライトで試しに引っ掻いてみた。

 カリっと小さく音がする。フローライトには傷はつかなかった。

 あ、と僕は声をあげた。

 傷がつくどころか、あの結晶が、パリンと砕けてしまったのだ。

 引っ掻っかいただけなのにな。僕はただ砕けた欠片を見ていた。細かい破片が風で舞い上がり砂と混じる。その光景も僕は美しいと思えた。

 この薄荷色の結晶の硬度はおそらく4以下。さらに、恐ろしいほどもろい。あれほどの力で割れてしまうのなら装飾品にはまず向かないだろう。

 こんなに美しいのにもったいないと、僕は残った結晶を拾い集めた。

 簡単に砕けて粉になり、砂と混じってしまえば誰にも見つけてもらえないのだろう。

 そこから感じる儚さもまた、この石の魅力であり僕にとっては愛しいものだった。


 ***


 日はすっかり落ちて、丘の上にある小屋はろうそくの小さな灯火が申し訳ない程度にゆらゆらと辺りを照らしていた。

 石を削るコツコツという音以外はなにもしない。

 家に帰るなりずっと部屋の隅にある作業台に向かっていた。

 僕は今朝拾った柘榴石を磨いて単純なラウンドカットに仕上げた。

 鳥や花をモチーフにしたオブジェクトに加工することもあるのだが、この深紅の石はこれが一番合っていると思った。

 シトリンはただ表面を洗って軽く磨いただけだ。クォーツ特有の結晶自体の形も十分に美しい。

 シトリンをしばらく眺めた後、僕はあの浅瀬の宝石へと目を移した。

 この石はただ表面を洗っただけだ。あの脆さでは磨くのも難しいだろう。それに、傷まみれの見た目もこの石の良さだろうとそのままを選んだ。

 ぼちぼちと、まだ仕上がってなかったサファイアの加工を終え、道具を作業台の引き出しにしまった。

 僕は加工したサファイアを手に取り、1つだけある窓の脇にある棚に並べた。その棚にはすでに数多くの結晶が鎮座している。

 弱々しいろうそくの光を柔らかく反射して闇をわずかに照らしている。

 今日見つけた宝石たちもすでにここに並んでいる。

 すべてあの浜で拾ったものだ。もう棚がいっぱいになりそうだなと、宝石の上に薄く積もった埃を丁寧にはたき落とした。

 もうどのくらい毎日浜へ出かける生活をしているのかも忘れてしまった。

 たとえ同じ種類の宝石を見つけて、同じ形に加工しても決して同じにはならない。どんな結晶であれその存在は絶対なのである。

 それゆえここまで美しく僕を魅了し続け、あの浜へと誘うのだろう。

 明日もそんないいものに出会えるだろうか。そう願い、ろうそくの火を吹き消した。

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