第58話 過去編 姉と妹 3


 あの日から。

 夏目楓は変貌していった。

 自分の存在価値を両親に。そして、姉に勝って自分が残る為に。

 そうしなければ、消えてしまう。

 だから、楓は今までしてこなかった事。勉強、本を読む事を始めた。


「楓ちゃん! 遊ぼうよ!」


「いいよ」


「……あれ? 大丈夫? 何だか顔色悪いけど?」


「別に、何でもないよ」


 友達の誘いも素っ気なく返す楓。

 小学生の表情とは思えない。

 暗く、何かに絶望している。

 終わりの見えない道。闇の中に閉じこめられている感覚。

 体が縛られているかのように。拘束されて抜け出せない。


 いつもと違う楓の雰囲気に友達も一歩下がりながら怯える。

 だけど、楓は断る事はなくその友達の後ろ姿を見ていた。

 元気に駆けずり回るその友達。自分も、あんな風に無邪気に遊んでいたのに。


 取り残された楓は、小学生が読まないであろう本を読み続ける。

 こうでもしなければ、姉には追い付けない。両親に認めさせる為に。

 辛いけど頑張れる。段々と知識が頭の中に染み込んでいる気がした。


 ただ、同時に大切なものも失っている事に楓は気が付いていたのか。


 もう、あの元気と健気さがあった楓は影を潜めていた。


 休みの日。楓はいつもは友達と遊ぶ為に外出するのが当たり前となっていた。

 でも、楓は自室に引き籠り、勉強をしていた。

 元々要領が良かった楓。スポンジのように吸い込んでいく。

 それが朝から晩まで続く。最初は苦しかった。だけど、人間の慣れというものは怖い。


 むしろ、新しい発見が出来たりする事が新鮮で面白かった。


 同時に楓の中に黒い感情が生まれた。


 今まで楓は何も知らなかった。だけど、色々な本を読んで知識を深めていくにつれて。


(……あれ、私って今まで何してたんだろ? もしかして、無駄な事してたのかな?)


 机の上で鉛筆をはしらせ問題を解きながら。楓は表情を険しくしてそんな事を考える。

 確かに、遊ぶ時間を勉強などに費やしておけば。今回の事のようにならなかっただろう。

 自分がしっかりしてれば、姉があんな苦しむ想いはしない。

 呑気に裏の事情も知らないまま、自分は本当の意味で馬鹿だ。


 ――――そうだ。これからは、もう迷わない。無駄な事は無駄と切り捨てる。


 楓がそう決意すると、まるで自分の見ている世界が変わっていったような感じがした。


「ねぇねぇ、楓ちゃん! 今日も学校が終わった後、遊ぼうよ!」


 いつものように楓の友達が誘ってくる。

 しかし、ここ最近は夜遅くまで勉強していたのか。

 楓の睡眠時間は削られていた。

 ただ、そんな事情など誰にも話していない。

 いや、正確には打ち明けられないのが正解だろう。


 決して努力している所を誰かに知られたりしてはいけない。

 自分は元々出来る子。今までは力を出し切っていなかっただけ。

 両親にそれを見せつけられれば、優秀な姉も超えられる。


 友人の誘いに何も反応も示さない楓。

 しかし、無邪気な友人は楓に引っ付きながら強引に誘おうとする。


「どうしたの? それにしてもさ、楓……最近、元気がないんじゃない?」


「……」


「顔色も悪くて、ちゃんと寝てる? 大丈夫?」


 普段の絡みなのに。楓はとても嫌悪感を感じた。

 こんなにも自分は過酷な状況なのに。

 どうして、こんなに呑気なのだろうか。

 思わず、楓は友達を押してしまう。

 唐突な行動に楓の友人は廊下の床に尻餅を着いてしまう。


「か、楓ちゃん!? ど、どうしたの急に」


 怯えながら楓の表情を見つめる。

 見た事がない雰囲気に楓の友達は体を震わせていた。


「やめてよ、うざいよ」


「え……」


「いつも思っていたんだけど、そういうのやめてよ」


「わ、私!? 楓ちゃんに酷い事したっけ? 心当たりがないけど、気に障るような事をしたらごめん」


 必死に謝り続ける。楓は何だか惨めに思えてしまった。

 それは友達に対してなのか。それとも自分自身に対してなのか。

 楓は氷のように冷たい視線を向けながら。


「違うよ、そもそも……無駄な時間だったんだよ」


「む、無駄な時間……?」


「気付いたの、こんな風に遊んでいるより勉強したり自分を磨いた方がいいと思ったの、だから、もう貴方とは遊べない」


 容赦なく楓は友達に言い放つ。

 自分が何を言っているのか。分からなかった。けど、止まらない。

 鬱憤を晴らしているかと思うとそうかもしれない。

 誰からも褒められず終わりが見えない。


 だから、苛立ちを隠せず当たってしまった。


 目の前で大切な友達が泣きそうにしているのに。


「一緒にいても私の為にならない、一緒にいても私に何も得がない」


「そ、そんなの! 私は楓ちゃんとそんな関係じゃなくて! 大切な友達だと」


「だったら、私と変わってくれる? 大切だと思うなら私と……変わってよ」


「ど、どういう、っ! か、楓ちゃん!?」


 気が付けば楓は涙を流していた。

 大粒の涙を流しながら楓は下を俯く。

 最悪である。両親を認めさせるまで。姉に勝つまでは絶対にどんなことがあろうと泣かないと決めたのに。

 楓は手で涙を拭いながら。


「そうだよね、無理だよね! あははは……」


「け、けど! 楓ちゃんは大事な友達だから! だから、力になりたいと思っているよ」


「そんなの、無理だよ」


「どうしてそう決めつけるの! 楓ちゃん、お願いこっちを向いて」


 もう楓にとって全てが嘘に聞こえてしまう。

 泣き終わり、楓は罪悪感を感じながら。


「黙って、もういいよ、一緒にいても私の為にならないし」


「そ、そんな……」


 差し伸べる手を振り切って楓は友達を無視して歩き続ける。

 その瞳に光はない。進む続ける先は自分が生き残る為の道。

 幼きながらこの頃から楓はもう染まっていた。


(ちょっと本性が出ちゃったか、面倒な事になりそうだ、そうだ!)


 楓は振り返り放心状態の友達を見る。

 邪魔な者は切り捨てる。そして、弱い者はこの残酷な世界では生きれない。

 本に書いてあった極端な例だが、影響の受けやすい楓はそれがとても印象が強かった。


 あんな風に、自分はなりたくない。人というのは他者に必要とされなくなったら終わりだ。


 いい反面教師になったと思う。そして、同時に楓の中に新たな感情が生まれる。


 ――――自分も父親や母親に必要されていない。そういう存在は切り捨てられる。


 壊しても構わない。むしろ、踏み台にすべきだ。


 楓は泣いている友達を見ながら黒い笑みを浮かべていた。

 それは小学生の楓が思いつくには恐ろしい程に。

 歪んだ解答だった。




「凄い! 楓ちゃん! また百点だね! 最近、よく頑張ってるね」


 ある日の、テストの答案返し。楓は担任から頭を撫でられながら褒められる。

 薄い笑みを浮かべながら。満点の答案用紙を見つめる。

 今まで、勉強は得意ではなかった楓。小学生のテストながらあまり良い点ではなかった。

 ただ、真実を知って、寝る間も惜しんで努力した結果。


(はぁ、つまらない、もう中学生の範囲までいっているんだけどな)


 溜息をつきながら楓は周りを見つめる。拍手されて羨望の眼差しを向けられる。

 今まではこんな事なかったのに。

 感じた事のない体験に楓は全身が身震いする。

 なるほどと、楓は答案用紙を両手に持ちながら自分の席に戻る。


 そして、休み時間。楓の周りにはたくさんの人が集まる。


「楓ちゃん! 凄いね」


「すっげーな 夏目!」


 元々、顔も可愛いくて華があった為か。人気がある事は間違いなかった。

 しかし、楓は照れる事なく当たり前の結果だと確信していた。

 そして、適当に流していると。


「ねぇ、何点だったの?」


「……え?」


 目についたのは楓の友達。ビクビクと机に自分の答案用紙を隠している。

 きっと見せたくないのだろう。

 その友達は楓とテストの点数で競っていた存在。

 だけど、今はもう立場が違う。

 楓はすっと立ち上がり、その友達に近付いていく。

 周りの視線が集まる中でも楓は気にしない。


「見せてよ」


「ご、ごめん! か、楓ちゃんと違って点数……良くないから」


「何で? 前は見せ合っていたじゃない?」


「そ、それは! 楓ちゃんと……同じレベルだったからだよ」


「へぇー? 酷いな、私達、友達だよね?」


 クラスに聞こえるように楓は友達を追い込んでいく。

 そして、それは連鎖していく。


「そうだ、見せろ!」


「隠す必要なんないだろ! どうせ、大した点数じゃねえし!」


「そら、奪い取れ!」


 一人の男子生徒が奪い取る。奪い取った答案用紙には40点と書かれていた。


「うわ、ひっく!」


「恥ずかしい点数だよな! きゃははは!」


「私だったら……親に見せられないわ」


 楓はそれを見てこう思う。

 前だったら一緒に頑張ろうとかそういう言葉をかけていただろう。

 でも、今の楓は違う。


「あーあーばっかだね、勉強してなかったの」


「あ、あぁ、楓ちゃん……は、凄いね! わ、私と違って、少し勉強しただけでそんな点数とれるんだから」


「当たり前だろ! お前と夏目じゃ違うんだよ!」


 汚い言葉が浴びせられる。

 けど、楓は気にしなかった。それ所かゾクゾクしていた。

 自分は変わりつつある。いや、確実に変わっている。

 だからこそ、優越感に浸っている。


「残念ね、もう友達ではいられないわね」


「そ、そんなぁ」


「じゃあね、私は……もう一緒いられないから」


 もう楓にとって眼中になかった。

 そして、それからというものの。


「ねぇ、あの子さ、無視しない?」


 何気ない楓の一言。それはその友達にとって地獄の始まりだった。




「あらあら、楓! やっぱり、私は出来る子だったわね! ううん、私は信じていたわ」


 家に帰ると母親の手の平返しが凄かった。

 この間まで自分の事を腫物扱いしていたのに。

 ただ、素直に褒められると楓も気分がいい。

 学校でも家でも自分は必要とされている。


 しかし、同時に期待されているという新たな重荷が楓を襲う。


 結果を出し続けなければこの甘い状態は終わってしまう。

 そうなればまた昔の惨めな自分に戻ってしまう。


(もう、何も怖くない、後は……頑張るだけ)


 気分が悪い。家の廊下を歩きながら、思わずよろけてしまう。

 寝不足、ここの所食事もまともにとっていなかった。

 でも、踏ん張って何とか立ち上がろうとする。

 その時だった。


「楓!? どうしたの?」


 すると姉で陽菜が異常な状態の楓を発見して駆け寄って来る。

 しかし、楓は。


「来ないで!」


 大声で楓は叫ぶ。悲痛のそれに思わず陽菜は足を止めてしまう。

 怒号は静けさがある廊下に響き渡る。

 陽菜は伸ばした手を引いてしまう。

 助けようとしているのに。何故、拒否しているのか陽菜には理解が出来なかった。


 そして、楓は壁に手を付けながら。


「お姉ちゃん……の助けはもう借りなくていいの」


「ど、どうしてそんな事! それに目に隈が出来て……絶対に危ないって」


 珍しく声を荒げて陽菜は楓を叱ろうとする。

 いや、楓の事を思って言っている。

 だが、そんな陽菜の想いは届かない。

 楓は遂に禁断の地へ足を踏み入れるかのように。


「そんな事……お姉ちゃんに関係ないでしょ! どうせ、赤の他人なのに」


「え、そ、それって」


「もう、全部知ってるよ……あの日、パパとお姉ちゃんで話し合っていた事、全部聞いたから」


 楓は睨み付ける。陽菜はあまりの怖さに言葉を詰まらせる。

 同時に、表情を青ざめながら陽菜は体を震わせる。

 聞かれていた。というよりも、楓に全て知られてしまった。

 その事実が陽菜の胸を抉る。癒えない傷を負ってしまわせた。


「あれは、違うの……あれは」


「じゃあ、今までどうして隠していたの?」


「それは楓の事を思って!」


「嘘、どうせ自分がこの場所から消えるのが怖かっただけでしょ? でも、それはもうないと思うよ」


 陽菜は何も答えられなかった。半分嘘で半分真実。

 楓の為でもあるが、自分の為でもある。

 どうしてもそれらを天秤にかけた時。どちらかに大きく傾く事はなかった。

 だから、楓は陽菜を睨み付けながら。


「負けない、絶対に私がパパとママに認められてここに残る」


 それだけ宣言して楓はまた自分の部屋へと戻っていく。

 陽菜は口に手を当てる。腹痛と吐き気を感じた。

 それぐらいにこの出来事はショックだった。

 いや、ここで止めていれば、楓を何とかしてあげれば。


 今後の悲惨な出来事に繋がっていなかったのかしれない。


 これ以降、楓の一方的な思い込みはあった。

 しかし、成長速度は異常で見る見ると姉を超えていった。


 だが、その過程で犠牲になった人もいた。


 その中に楓が信じていた姉も含まれていた。






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