第51話 町の風景


 春になり恭子さまは五年生の始業式を迎えた。

 恭子さまが学校から帰ってくるまでに私は去年恭子さまから頂いたスカートを履いて三階のヒルトマンさまの部屋に上がった。

 毎日のように掃除をしている部屋の大きな窓から朝の光が差している。

 窓を開けると暖かな春の空気が部屋の中に優しく流れ込む。

 これは私の好きな時間。とても大切な時間。

「見てください、ヒルトマサンさま、桜がきれいですよ」私は誰ともなく言った。

 邸宅の庭の小道を満開の桜が着飾っている。

 植木屋の上田さんはどうして庭の方に桜の木を植えずに小道に木を植えたのか疑問に思っていたようだが、こうして三階の部屋から見ればわかる。眼下の庭よりもその向こうの小道の方が角度的に桜がきれいに見える。

 桜は花見をするために植樹されたものではない、こうして三階から眺めるためにあの位置に植えたのだろう。

 門に続く小道に真っ直ぐ縦に並んだ桜の木が薄紅色の花を満開に咲かせている。

 私の視線は桜の小道の向こうへと延びた。

「ヒルトマンさま、今日は空気も澄んでますから、遠くまでよく見えます」

 ああっ・・

 その時、私は小さく叫んでいたのかもしれない。

 邸宅の向こうに天井川が横たわり、その先にある神園家の庭の小道を覆う藤棚が薄紫の色を一面に出していた。

 この家の桜の小道と神園家の藤棚の道が縦につながって一直線に結ばれているように見える。

 桜と藤の花の見事な饗宴だった。

 遥か昔、日本の人々は桜と藤の花の饗宴を見るために春が来るのを待ち望んだという。

 春になり人々が桜と藤の花との間を行き来しながら美しい風景を祝った。後に日本を訪れた遥か異国の人たちはその光景に見惚れた。

 由希子さまは「夢は、ずれてしまうもの・・」と言っていた。

 あくまでも私の想像だが、彼は小説の主人公ギャツビーのようにこの地に桜の小道を作り自分の元を去っていった由希子さまのことを待とうとしていたのかもしれない。

 だが彼はここに来る前に亡くなった。

 その一方、由希子さまは神園家から離れない決心の藤棚を作った。

 だが、神園家に由希子さまはもういない。

 運命とは本当に皮肉なものだ。

 この風景を見ることができたのは私だけだ。

 けれどいつかは恭子さまが気づく。

 そして恭子さまは母親が決意の証として作った藤棚の意味を知ることになるだろう。

 由希子さまが心の底でそう願ったように。

 けれど、そのような現実とは別に、こうやって美しく絢爛たる藤棚を見ていると、あの藤の花言葉の意味は「決してこの場所を離れない」よりも「外国人を歓迎する」「あなたを迎える」の解釈の方がこの風景には合っているように思えるから不思議だ。

 この風景をもっと早くヒルトマンさまが見ていたら・・

 いや、ヒルトマンさまはおそらく知っていたのだと思う。

 由希子さまが自分の所にはもう帰ってはこないことを。

 そして同じように由希子さまの方も戻らないと決意したのだと思う。


「そうですよね?・・ヒルトマンさま・・」

 私は眼下の桜を見ながら呟いた。

 それに、ヒルトマンさま・・

 みんな、あなたのことが好きだったのですよ。

 由希子さま、多香子さまやお嬢さまも。

 そして、もちろん、私、遠野静子も・・

 ずるいですよ、そんな人が一番早く天国に行ってしまうなんて・・

 私は桜から目を離すとその上の太陽に手のひらをかざした。


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