第49話 誕生日


―恭子さん、いったいどうしたの? 恭子さんの方から電話をかけてくるなんて・・珍しいこともあるものねえ・・明日は大雨になるのかしら?・・え?・・ええ、別に忙しくないわよ・・ただ、こっち・・東京にいるだけよ・・居心地?・・そうねえ・・でもたまには神戸が恋しい時があるわねえ・・

 そうそう、私のことより、恭子さん、ピアノコンクールで審査員特別賞とったんですって、遠野さんから聞いたわよ・・おめでとう、恭子さん・・えっ・・変?・・私の言い方が?・・そうかしら?・・ありがとうって・・えっ、ドレスのことだって・・ああっ・・遠野さんから聞いたのね・・それにしても遠野さん、ひどいわね、ドレスのこと恭子さんには黙っておくように口止めしておいたのに、すぐに言っちゃったみたいね・・えっ、雨で汚した?・・ドレスを着てお外に行ったりしたの?・・え、ああ、そう・・来年も着てくれるのね・・そう・・

 えっ、ごめんね、って・・ああ、この前のこと?・・あの言葉、仕事の知り合いに言ったわよ、うちの娘が不良娘になりました、って・・えっ、もっとすごい言葉が漫画の本に載っている?・・一体どんな漫画なの?・・漫画は遠野さんが買ってきたって?・・それはちょっとまた遠野さんに文句を言わないといけないわね・・えっ、恭子さんが買ってくるように頼んだの?・・ふーん・・そう・・

 えっ、聞きたいことがある?・・この先、遠野さんが・・どういうケイヤク?・・ああ、雇用契約のことね・・恭子さん、難しい言葉を知っているのねえ。



 恭子さまはテラスの丸テーブルの向かいに両脚をきちんと揃えられてティーカップを手にしている。

 これは私の好きな時間。とても大切な時間。

 穏やかな時間がいつものように過ぎていく。

 けれど、今日は少し違った。恭子さまの脇には大きな箱があった。

「静子さん、お誕生日、おめでとう」

 恭子さまはプレゼント包装の箱を差し出した。

「あ、あの中身は何でしょう?」私は大きな箱を受け取り訊ねる。

「スカートよ・・お小遣いで買ったのだから、気にしなくていいわよ」

「そんなっ、私のためにお小遣いをお使いになるなんて・・」

「静子さん、大げさだわ・・本当にそんなに高いものじゃないの」

 私は恭子さまの了承を得て包みを開けた。中からシンプルなデザインの黒のスカートが出てきた。

「あの、これは恭子さまがお選びに?」

「静子さんらしいデザインのものを選んだわ・・でも、本当のことを言うと島本さんと電話で相談して買ったの」

 恭子さまが誰かに電話をかけるなんて、なんて珍しいこともあるのだろう。

「ありがとうございます、恭子さま、ありがとうございます!・・」

 私は箱を抱えて何度も繰り返した。

「でも静子さんは仕事の時はやっぱりズボンね」

「ええ、そうなります・・スカートは休日・・そ、その・・心の休日に使わせてもらいます・・でも、恭子さま・・私のサイズの方はどのようにしてわかったのでしょう?」

「あら、この前、測ったわよ・・ピアノコンクールの日に・・」

 恭子さまは悪戯っぽい瞳を見せながら言った。

「はあ・・そうでしたっけ?」私は首を傾げる。

「当てずっぽうで計ったから、合わなかったら仕立て屋を呼ぶわ」

 私が不思議に思っていると恭子さまの表情が変わった。

「静子さん、それと・・お願いがあるの・・」

 凛とした表情だった。

 この表情を何度か見た。一度目は私の採用面接の時、二度目は奥さまに口答えをした時。

「はいはい、何でしょうか?」私はスカートの入った箱を膝の上に置いて訊ねた。

「あと十年は静子さんにここにいて欲しいの・・」

 恭子さまの青い瞳が私を見据える。この瞳に私は弱い。

「は、はあ?・・」

「これから先、十年間は、あの人が静子さんを責任をもって雇うと約束してくれたわ」

 多香子さまがそんな先までのことを?

 それに恭子さまが「あの人」と呼んでいる多香子さまとお約束を?

「その先は・・十年後は・・私が静子さんを雇う・・」

「え?・・」

 十年後、恭子さまが私を?

「静子さんがずっとここにいられるように、私が二十歳になったら、私が静子さんを雇いたいの」

 私は理解した。

 恭子さまが言いたいこと、私は恭子さまのお気持ちを十分に理解した。

「だから、静子さん、それまで私のそばにいて・・」

 けれど、そんな言葉は恭子さまに言わせてはいけない。

 ・・でも、嬉しい。

「は、はい・・恭子さまっ」

 そう答えて頭を下げると膝の箱の上に涙が落ちた。

「でも静子さんがこの先、恋をして結婚したら話は別ね」

 凛とした表情が少ししょげたような表情になってしまった。

「恭子さま、それなら、ご安心ください・・私の恋はもう終わりましたから」

 私の恋は東京の邸宅にいた頃、あの場所、あの庭の芝生の上で終わっている。

「ひょっとして、その相手って・・私のお父さま?」

「なっ・・」

 私は両手をひろげてぶんぶんと振り「違います、違いますよ」と全否定した。

 それにしても、やはり恭子さまはすごいお嬢さまだ。

 私は恭子さまの成長していくこの先が楽しみだ。

「静子さん、顔、真っ赤よ・・」

 そして、やっぱり私はまだまだダメだ。

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