第21話 今年の授業参観②


 他の生徒みたいに発表を終えたという達成感も緊張が解きほぐれたという感じもない。

 恭子さまの班以外の班の子供たちがざわつき始める。

「本当?」「それはないよ」「つめたいなあ」とかの短い言葉が飛び交う。

 教師が両手を大きく叩いて「はい、みんな、静かにして!」と言うと「二班のみんなの意見は、長田さんが発表したのでいいのね?」と訊いた。

 他の三人が「はい、先生!」と声を揃えて応える。

「それじゃあ、次は三班の番よ!」

 男子生徒が立ち上がると「私たちの意見は二班と違って・・」と大きく語りだした。

 三班は主人公はそれでも親友を助けるという答えだった。

 それについて恭子さまがどうお考えになっているか私にはわからない。

 わかることはこのグループ学習で恭子さまはクラスの生徒たちとまた少し心が遠のいたということだ。

 全ての班の発表が終わると私が最初した予想よりも「助ける」と発表した班が多く9割、「助けない」と発表した班が残りの1割。班は全部で10班、助けないと答えたのは恭子さまの班だけだった。

 その後、教師は道徳の話を順を追って話し始めた。

「人を思いやる心」と「社会の規律」に挟まれた場合の決断力の段階について語りだす。

 この話以外の他のケースの場合も取り出して説明する。

 生徒や父兄は深く頷きながら聞いている。この教室の中では教師が一番正しいと思っている。

 私にはこのグループ学習のやり方が正しいとは到底思えないし子供たちの今後の人生にどれだけ役に立つのかもわからない。

 去年の参観日同様、こんな授業はいらないと思う。

 私が小学校の時にも似たようなことを授業でしたことがある。

 もしかするとその授業の時にも同じようなことがあったかもしれない。みんなで話す輪の中に入れない子供がいたかもしれない。

 そんな誰かが教室の片隅で一人で悲しい思いをしていたかもしれない。

 私はその時気づいていなかっただけだ。ここにいる教師や生徒たちと同じように。


 授業が終ると、私は急いで車を停めてある学校の裏の駐車場に回った。

 いつもは校門の前で待つのだけれど、今日は恭子さまから「お掃除当番があるから、駐車場で待っていてちょうだい、後で行くわ」と言われたので駐車場の車の横で待つことにした。

 駐車場には車は20台ほど留めてある。

 その中で私のように車の横に立って待っていれば人の目を引く。辺りの子供たちがちらちらと見ていく。そして私以上に目立つのがこのドイツ製の大きな高級車だ。

 三十分ほど経つと恭子さまが校舎から出てくるのが見えた。

 校舎の裏側、銀杏の木が連なった小道を恭子さまがこちらに向って歩いてくる。

 他にも生徒たちがまだ大勢いる。数人でおしゃべりしながら下校する子、放課後なのに校舎の裏でまだボール遊びを続けている子、ハーモニカの練習をしている子。

 いくら子供がたくさいても恭子さまのお姿はすぐにわかる。今まで何度も何度も恭子さまの髪の色を見つけた。

 私が手を振って場所を示さなくても車が目立つので恭子さまはすぐにこの場所を見つけたようだ。

 ブロンドの髪が秋の風に静かに揺れている。

 そのお姿が泣いているように感じられるのは秋という季節が私を感傷的にさせているせいなのか。

 歩くのがいつもより遅い、と感じた。

 それにあんなに小さかっただろうか?いつもテラスで紅茶をご一緒する時にはエレガントな雰囲気を持っていてもっと大人びて見えたのに。同年齢の女の子の中でも背丈が高いはずなのに。こんな小さな姿をはじめて見た。

 まだ恭子さまは小学四年生の女の子だ。親がたっぷりと愛情を注ぎ込んであげなければならない年頃の女の子だ。

 こんな時、私はどう恭子さまに声をおかけしたらいいのだろうか?

 そのお姿を見ながら私は思う。

 今の恭子さまには父親がいない、母親もあの状態ではいないのと同じ。

 そして愚痴を言ったり、悩みを打ち明けあったり、楽しいことがあれば笑いあったりするような友達もいない。

 私では恭子さまにお友達を作ってあげることはできない。

 私には無理だ。家政婦の立場の私ではどうしようもできない領域がある。

 恭子さまが来ると私は「お疲れさまです」と言って車のドアを静かに開けた。

 いつも通り「静子さん、ありがとう」と言い車の中に小さな体を入れる。

 この車はどこを走っても恥ずかしくない立派過ぎるほどの高級車だ。誰もが羨ましがり、 普通の人はこれに乗ることは夢だけに終わってしまう。

 けれど今日はその車が恭子さまを閉じ込めるための冷たい鉄の檻に見える。

 恭子さまの体が車の中に入ったことを確認すると私はその檻の蓋のようなドアを閉める。

 檻の中に入っても恭子さまは決して文句を言うことなどない。

 運転しながら私は「恭子さま、難しい問題でしたね。最近の課題は難しくて私にもよくわかりませんね」と恭子さまに話しかけた。

 私は恭子さまがみんなと出したあの答が正しいと言うことができない。

 私の中には小学校の問題の答すらない。

 恭子さまは「そうね・・」と言った後、何かを言いかけたようだが、それっきり黙ってしまった。

 恭子さまは私の方を見ずに窓の外の移りゆく景色を見ている。

「本当に・・難しくて・・私にはよくわかりません・・」

 私は恭子さまの発表した内容には触れずにそう繰り返した。

 私は目の奥がツンとして自分の声が震えだしたのに気づいてそれ以上は言葉を続けられなかった。


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