第19話 去年の授業参観
◇
結局、恭子さまの授業参観は私が行くことになった。授業参観の日は朝、恭子さまをお送りした後、一度邸宅の方に戻り仕事を済ませてから又学校の方に行く。
校門の前に車を止めるわけにはいかないので校舎の奥の来客用の駐車場に止めた。
少し、時間より遅れて四年二組の教室に入る。
教室の後部にいる保護者の母親たちも私が恭子さまの母親の代理だと知っているから気を使って恭子さまがよく見える位置を譲ってくれる。お互いにあまりいい気持ちもしない譲りあいだ。
私は「すみません、すみません」と何度も頭を下げてせっかく空けてくれている場所に立つ。背筋を伸ばして立っているが、誰がどう見ても私は小学四年生の子供の母親には見えないと思う。背丈もこの中で一番高いから、恭子さまのボディガードに見えるかもしれない。
恭子さまはちらと私の方を一度見た後すぐに前を向いた。
やはり気になるのかしら?
朝、恭子さまを学校まで送った際に「私があとで行きます」と言ったけれど、万が一母親が来るとか、そんな可能性を期待していたのだろうか?
いくら多香子さまが家にほとんどおられなくても、恭子さまに冷たくても、継母であっても・・あの人は恭子さまの母親だ。
私には母親の役割をすることができない。
小学四年生にもなると参観日の授業内容は普通の教科だ。
二年生の時は今の奥さまが一度行かれたらしい。それ以降は私の仕事になった。
私は恭子さまの授業参観の一つ一つを憶えている。
恭子さまが三年生の時、実の父親である長田ヒルトマン氏の病状が悪化してご自宅での静養は無理になり病院に入院することになった頃。
その日の授業参観は作文を書いていってみんなの前で読むという内容だった。
私は授業参観の教科の内容を知らずに行った。
長田家に入ったばかりで仕事をやっとこなせるようになった頃だ。仕方ないと言えば仕方なかった。
奥さまが電話で「しっかり頼んだわよ」とおっしゃるので何の予備知識もなく教室に入った。その日は午前中、業者とのやり取りが長引き十分も遅刻してしまった。
教室に入ると先に来ていた父兄の人たちが揃って私を見た。その理由はすぐにわかった。
教室のたくさん並んだ机の中、その海の中に一人の女の子が立っているからだ。
誰か、すぐにわかる綺麗なブロンド・・恭子さまだ。
教室がざわついている。
恭子さまはお立ちになっているけれど何も読んでいなかった。
それはおそらく白紙。
私は前の黒板を見た。チョークで大きく書かれている。
作文の主題は「私の家族」だった。
後ろからなので恭子さまの顔が見えない。ひょっとして泣かれているの?
「長田さん、書いてこなかったの?」
女の教師の問いかけに恭子さまはこくりと頷いた。
こんな時、私はどうすればいいの?
あとで何か言ってあげるべきなの?・・言葉が見つからない。
恭子さまは俯いたまま立っている。
教師は教室の後ろに目をやり「長田さん、せっかく、お母さんが・・」と言いかけ口を止めた。教師は奥さまの顔は知っていたと思う、父兄の中に私の顔を見つけるとすぐに来ていないことに気づいて口ごもった。
私の顔は恭子さまの送迎などで見られているから誰もが知っている。
そして、これは明らかにこの教師の失態だ。先に母親がいないことを確認してから言うべきだ。
だが教師以上に私たち、奥さまも含めて長田家の方にも問題がある。
奥さまがダメなら叔父のグストフ氏が何とか都合をつけて来てくれればいい。
だが、それがダメなのが今の長田家の現状だ。
ばつが悪くなった教師は恭子さまに「長田さん、座っていいわ」と言ったあと、別の子を指名して作文を読ませた。
教師は指名し終わった時に私の方を見て丁寧にお辞儀をした。私も軽く一礼する。
次に立ち上がった女の子が作文を読み始めた。母親たちは一心に聞いている。
読み上げる中「お母さん」「お父さん」「お姉ちゃん」「ありがとう」「ごめんなさい」とか同じ単語が何度も出る。
私は小さな怒りが込み上げるのを感じた。
こんな授業、なくていい。参観日などもなくていい。なんて残酷なシステムを学校は当たり前のように行っているの?
恭子さまのお顔を見たい。今、どんなお顔をなさっているの?
どうして参観日を見るのは後ろからなの?
他の子が作文を読んでいるのを聞きながら、私は初めて気づいた。気づくのが少し遅すぎたのかもしれない。
恭子さまはひどく孤独だったのだ。
それまで恭子さまの母親代わりだった島本さんがいなくなり、交替で入った私が家政婦の仕事を覚えることの方に注意がいっていて恭子さまのことを考えることを疎かにしていた。
恭子さまには、その心を考えてあげられる人が誰もいない状態になっていた。
これでは私の家庭教師としての仕事の怠慢だ。いや、家政婦としても失格だ。
少なくとも授業参観の前日に授業の内容を聞いて作文があるならちゃんと指導するべきだった。
作文のテーマが恭子さまにとってどんなにつらい内容であっても書いてもらうべきだった。やはりこれは私の仕事だ。家政婦とか、家庭教師とか関係ない。
今の恭子さまには私しかいない。
恭子さま、ご安心して下さい。今日のようなことは二度とないように、これからは、この遠野静子が恭子さまにきっちりと指導していきます・・
私がそう決意したのが恭子さまの三年生の参観日だった。
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