第32話 祭りの日②

 どーんっ、と大きな音が神社の向こうの公園でした。その後に続けてバチバチッと弾けるような花火の音がした。花火の準備をしているようだった。

 七時くらいから花火大会が始まる。もうすぐだ。

 神社の脇の広場にたくさんの段ボール箱が積まれだした。駄菓子やサイダーの詰まった箱だ。

「陽ちゃん、あれがそう?」叔母さんは積まれた箱を指差して言った。

「そうやけど、たくさんありそうやから、走らんでもいけそうや」僕がそう答えると「ほんまやね」と呟き叔母さんは少し詰まらなさそうにした。叔母さんは走りたかったのかな?

 ところが段ボール箱が積まれだすと人の群れがもうそこに集まりだした。

 一体どこにこれだけの人がいたのだろうと思われるくらいの人の数だった。花火の準備を見ていた人たちも箱の方に向かい集まってきた。

「陽ちゃん、あれってちょとピンチやない?」

 あれだとお菓子もサイダーも先に取られて無くなってしまう。

「ピンチどころか、無理かもしれん。お姉ちゃん、僕、先に走っていってもらってくる」 僕は叔母さんを残して人の群れの方に駆け出した。

 箱の周りでは子供の父親のような人たちが人ごみをかき分けるように前に進み駄菓子やサイダーを手にしている。

 走ろうとしても人が多すぎて前に進めない。人にぶつかりながら前に進む。

 ダメだ。こんなに大勢いたら、もう小川さんたちも。

「村上っ、こっちや!」

 人ごみのずっと向こう側で僕を呼ぶ大きな声がした。聞き慣れた声だ。

 修二と文哉くんだ。いつのまにか仲良くしてたんだ。

 あの時、文哉くんのこと修二に話しといてよかった。

「裏手からまわるんやっ!」

 なるほど正面からだと人が多すぎて前に進めなさそうだが裏側に回れば人の数が半分以下だった。

 なんとか裏手に回ると修二と文哉くんが「こっち、こっち」と言いながら手招きしている。

 二人とも、もうそれぞれサイダーと駄菓子を手にしていた。

 田中くん、いや苗字の変わった山中くんもいた。

 大人たちの体がどんと僕の体に当たる。その度によろけそうになる。

 すごい人の熱気だ。大勢の人が一度に集まるとこんなにも暑い。また銭湯の時みたいに倒れそうになるのだろうか?

「陽ちゃん!」

 叔母さんだった。

 僕の横をすっと通り過ぎ僕の前に現れたかと思うと、しっかりと僕の手をとった。

 叔母さん、やっぱり駆けるのが早いんだ。

「お姉ちゃんの手、しっかり持っとき!」

 叔母さんは周りの人たちに「すみません、すみません」と謝りながら僕の手をひいてどんどん進む。

 人ごみの中、サンダル履きで、それも浴衣で歩きにくそうなのに叔母さんはそんなこと気にもせずを僕を連れてていく。

 僕の目の前を叔母さんの浴衣の朝顔が揺れていた。

 僕は叔母さんの後姿を見て思い出していた。

 そう言えば僕が今よりもっと幼かった頃、こうやってよく叔母さんに手をひいてもらっていた気がする。あれはどこだったんだろう?

 いつのまにか空が暗くなり星が見え始めている。

「はい、暑い中、ご苦労さん」お祭りの係りの男の人が僕と叔母さんににサイダーを二本ずつ渡し「お菓子は好きなのをこの中から取って」と言った。

 叔母さんが「どれにしよ・・」と迷っているので僕は叔母さんの好きそうな駄菓子を箱の中から取った。

「陽ちゃん、なんで私の好きなのわかるん?」叔母さんは不思議そうな顔をしている。

 僕が「お姉ちゃんの好きなものくらい、わかる」と言いかけた時、

「村上くん!」

 そう僕を呼ぶ女の子の声が聞こえた。

 少し離れたところにサイダーとお菓子を持った二人の少女がいた。

 香山さんと小川さんだ。僕はこんな女の子たちと知り合いなんだ、と改めて思う。

 こんな大勢の人がいる中、僕の知っている限りおそらく誰よりも幸せなはずの女の子たちだった。

 二人はいつのまにか僕にとって特別な存在になっている。

「文哉くんと修二くんに言われて、仁美ちゃんと、ここにいたの」

 香山さんと小川さんは神社でお参りをすませると、修二たちに会って一緒にこの場所でお菓子の箱が置かれるのを待っていたのだ。

「走ってんけど、間に合わんかった」

 しばらくして松下くんがひいひいと息を切らしながら現れた。

 サイダーの箱の中はもうとっくに空っぽになっていた。

「おい、松下、これ一本やるよ」

 文哉くんが二本のサイダーのうち一本を松下くんに渡した。

「え、ええんか? 文哉くん」

「かまへん、松下の店で買ったテレビ、よう映るしな」

 そう言いながら、なぜか文哉くんは照れ顔だ。

「文哉くんにはお世話になりっぱなしやな」

 二人が笑い、修二も一緒になって笑っていた。

 文哉くんはそれからもう二度と小川さんのことを「妾の子」と言わなくなった。


「悠子っ!」

 突然、背後で大きな女の人の声がした。

 振り返ると小川さんのお母さんが怖い顔をして仁王立ちしていた。今日はちゃんと服を着ている。

「敏男に聞いてきたんや、香山の娘と一緒のところ見たって」

 最悪の状況だ・・

「お母さん!」

 小川さんの顔が引き攣り今にも泣き崩れそうだった。

「お母さん、違うのっ、私の話を聞いてっ」

 香山さんはギュッと小川さんの手を握り締めている。

「ほら、陽ちゃんの出番よ」

 叔母さんはそう言うと僕の背中をトンと押した。

 嘘やろ、なんでここで僕が出なあかんねん。

「あの、小川さんのお母さん・・」

 叔母さんに突き動かされるように前に出た僕は恐る恐る言った。

「なんや、あんたか。友達と親戚と一緒や言うとったの嘘やったやないか」

 怖い顔だ。なんでこの人、こんな怖い顔が出来るのだろう?

「嘘やありません。友達と親戚が一緒です」

 僕は修二たちを指して語気を強めて言った。

「親戚なんておらへんやないか。ええ加減にせえっ」

 周囲の人も僕たちに気づきだして様子を見ている。

「悠子のお母さん、ちょっと言い過ぎや思いますけど」

 香山さんが我慢できなくなったように割って入る。

「あんたは黙っとけ!」

 小川さんのお母さんの凄まじいまでの口調に香山さん怯んでしまう。

「ぼ、僕の叔母さんがいます」そう言った自分の声が震えているのがわかった。

「どこにやっ」

 僕は叔母さんを指差した。

「あんた、ほんまに、この子の叔母さんか?」

 これで小川さんのお母さんも納得してくれるだろう。

「姉です・・」

 叔母さんは落ち着いた口調で静かに言った。

 えっ、叔母さん、何を言うてるんや?

 修二たちも互いに顔を見合わせている。

「嘘や、似てへんやないか」小川さんのお母さんは不信顔だ。

 似てないはずだ。お姉さんではなく叔母さんやから。

「よく言われます」叔母さんはそう続けた。

 けれど、僕と叔母さんはどうして似てないんだろう。

「でもこの子たちはすごく似てます。どこからどう見ても姉妹やいうの一目見てわかります」

 叔母さん、それを言ったらあかん。

 香山さんの顔を恐る恐る見ると体中がガタガタと痙攣しているようだった。

 小川さんの顔はもうそれを通り越してしまっているような顔をしている。

 ただ、それ以上に小川さんのお母さんがダメージを受けているように見えた。

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