Submerge ~沈み込む世界~
七条麗朱夜
第1話 帰郷
「あの娘はもうおらんよ」
老人は彼を見上げ、億劫そうに答えたのだった。
「いなくなった……?」
若者は一瞬言葉を失いそうになったが、喉の奥からなんとか掠れた声を絞り出した。
「いなくなったというのは……誘拐とかそういった類いのものですか?」
「忽然と姿を消したのだよ。いついなくなったのか、誰かに連れ去られたのか、この村の誰に聞いても分からんのだ。もともと存在すらしなかったかのようにな」
「そのような事があり得るでしょうか?あり得るのだとしたら、それは神の御業としか言いようがありません」
「或いはそうかもしれん。或いは、お前さんの言うとおり、盗賊に誘拐されたのかもしれん。あの器量良しを欲する連中など、ごまんと居よう。何しろこんな世の中だ、物騒な出来事が起こっても、不思議ではない」
老人は頭を振り、濁った目で若者を見つめた。
やがて、皺だらけの手を古びたテーブルに置き、緩慢に立ち上がった。
「見よ、この惨状を。お前さんが十字軍へ行っている間、村は盗賊どもに襲われ、大半の家は焼け落ちた。もう元には戻らんだろう。これが、今の世の中なのだよ。他の村も、同じような状態だと聞く。以前のような秩序は、すっかり失われてしまった。何も戦場だけが地獄絵図なのではない」
家の中を見渡すと、古びてガタがきている調度品ばかりだった。
老人が座っていた椅子も、目の前のテーブルも、きしんだ音を立てていた。
この老人は村長だった。
だが、かつての家の面影は全く無く、掘っ立て小屋のようだったし、老人ももはや死を待っているだけのような、陰気な雰囲気を纏っていた。
「想像は出来ます。私が異教徒の地へ行っている間、村は再生が不可能な程に悲惨な出来事を経験したのでしょう。避け難き困難が、この村に襲いかかったのでしょう。この惨状を目にすれば、自ずと明らかです」
「すっかり失望しただろう?この村ももう終わりだ。お前さんはどこか別の村に住んだほうが良いぞ」
「私はどこかに定住する気はありません。もうだいぶ前に両親を失いましたし、レナータも……」
「……あの娘を捜しに行くと言うのかね?」
「はい。どこかで必ず生きていると、信じています」
若者は決然と村長に告げた。
老人は、一つため息をついた。
「止めはせんよ。だが、この国はかつてのような安全な場所ではなくなった。気を付けたほうが良い。尤も、十字軍帰りのお前さんなら、盗賊などものともしないかもしれんが」
「ご心配、ありがとうございます。必ず、見つけ出してみせます。村長、あなたもお気を付けて、日々をお過ごし下さい」
一礼し、若者は村長の家を後にした。
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