第42話 アーシュ・シリアム

朝、起きて着替えていると、マイマと一緒にアーシュがメイドの恰好で入ってきた。


「あれ、その子……」


「はい。動けるようになったので、


リハビリも兼ねてメイドの仕事を手伝ってもらってるんです」


アーシュはぎこちなく頭を下げた。


アーシュは父、ジェリー前国王の護衛だった。


ジェリーが事故で死んだ際、守れなかった罰として自ら拷問を受けた。


死ぬ寸前で俺が止めさせ、すぐに医術師モルトに診させたが、


身体と心に受けた傷は大きく、回復までに長い時間を要した。


一応喋れるようにはなったらしい。


ちなみに同じ拷問を受けていた男2人の方は、


既に軍で新兵訓練に参加している。


・・・・・・しかしまぁ、見違えるほどきれいになったな。


顔のあざや傷は消え、後ろでまとめた長い髪も艶が戻り光っている。




その日、俺はなんとなく気になったので【千里眼】でアーシュを見ていた。


部屋の掃除をしている時、シーツを抱えて転んだ。体力がないらしい。


そういえば手足が細い。頭をぶつけたりもしていた。


洗濯の時は石鹸をお湯の中に何度も落としていた。細かい作業は苦手なのか? 


そして力が足りないので水が絞り切れていない。びちゃびちゃだ。


皿洗いはほとんど銀食器なので割ることはないが、


そうじゃなければ何枚も割っていただろう手つきだった。


初日だからなのか、細かい作業が苦手なのか。


どっちか分からないが苦戦しているようだ。




昼前に皆より早く休憩を貰ったらしい。


その辺の配慮が出来るマイマはやはり優秀だ。


アーシュは食堂に向かわず、中庭の端に向かった。


何をするかと思ったら、木の枝を短刀に見立てて近接格闘術の練習を始めた。


メイド仕事とは打って変わって、切れのある動きだ。


恐ろしく速いナイフ捌き。俺でなきゃ見逃しちゃうね。


そんなレベル。だがやはり体力が戻っていないのか、膝に手を付き荒い呼吸になった。


そして急に泣き出し、一人で塀に寄りかかって座ってしまった。


俺はアーシュの元に向かった。



「やあ、アーシュ」


「……ッ! オオオオスカー様!」


「あ、いいよ立たなくて」


俺は人2人分の距離を取って隣に座った。


「なんで泣いてるの?」


「え? あ、いや……やっぱり、わわわたしなんか、


い生きてていいのかとおおお思いまして」


まだうまく人と喋れないみたいだ。キョドり具合が半端ない。


以前は普通に喋れていた訳だから、


ラムレスやバルバレスがこの変わりようにショックを受けたというのも頷ける。


「そうか……王家に忠誠心はある?」


「は、はい。もももちろんです」


「ならば悩むな。俺のために生きてくれ」


一瞬目が合ったがすぐに逸らされてしまった。


「……わ、私はあなたの……おおおお父さんを、守れなかったんですよ? 


に、憎くはないんですか……?」


「父とはほとんど面識はなかった。だから何とも思わない。


……それよりいつまでも自分を攻めている君の方が憎い」


言い過ぎかな? 


アーシュはハっとした顔をして「……ごごめんなさい」と呟いた。


そして泣いてしまった。ごめんね。そして情緒が不安定らしい。


「二人とは、前にす、進もうと、約束したんです……


で、でもうううまく心の中が整理でき……なくて」


言葉に詰まって泣いていたが、お腹が鳴って恥ずかしそうに慌てた。


かわいい。


「厨房に行こう。俺が何か作るよ」



厨房には誰もいなかった。もう食堂の方に移動したらしい。


灰の中を掻き出すと炭を見つけた。薪を入れて火を大きくする。


棚には豚のバラ肉があった。うーん、ミラノ風カツレツにしようかな。


……勝手に使ってマイヤーに怒られないかな? いや、試作と言えばいいか。


「座って待ってて」


端のイスにアーシュは座った。緊張して目が泳いでいる。


豚のブロックを数枚に薄くスライスして一枚ずつ塩、コショウを振る。


にんにくの欠片が転がっていたのでこれもすりおろして塗った。


そして粉チーズもまんべんなくかける。


バラ肉を重ねて成形。薄く延ばして軽く叩く。


小麦粉、卵、パン粉を付けて、油で炒め揚げる。


同時にトマトをダイスカットして小鍋で煮込む。


塩、はちみつ、パダキノコの濃厚な戻し汁を入れ、とろみがつくまで放置。


油を切るとカラカラっといい音がした。


ザクザクと切って盛り付ける。


野菜のピクルスと余っていたポテトフライを添えて完成。


ミラノ風カツレツ ミルフィーユ仕立て。ドヤッ


食べる直前にレモンを絞るのも忘れずに。


「お、美味しい……」


一口食べたアーシュは目をキラキラさせた。表情が明るくなる。


「どうして、つつ作って下さったん……ですか?」


「ちょっと二人きりで話をしたくてね。アーシュの事を聞かせてくれ」


「? ど、どんなこと……ですか?」


「なんでもいい。家族の事、ググルカ族の事」


アーシュはたどたどしく話し始めた。





か、家族は、妹が2人、兄が1人。……は、母が一人で育てて、くれました。


……父と兄は、キ、キトゥルセン軍に入っていました。……父は……100人隊長、でした。


二人とも、南のここ国境紛争の、時に……死にました。


……むむむ村は、山のちゅ中腹にあって、


私たちにしか、見つけられない道を、と通って行きます。


鶏と、犬と、山羊が、通りを歩いて……いて、トト、トウモロコシと、


芋を栽培していて……えと、それから……


それから、毎日組手をします……しました。……ググルカ体術です。


それで……10歳になると、し試練があります。


……剣一本持って、隣の山に行って、ひひ一人で、熊猿を倒してくる、


そういう、試練です。


せせ成功すれば、大人の仲間入り、です。




「アーシュも倒した?」


「はい。……これがその時の、です」


アーシュは胸元から首飾りを引き出した。


大きな牙だった。




……成功するのは、2人に1人。……妹は、2人とも、しし死にました……。


つ強い事が、生きる事の、条件。……私の一族の、むむ昔からの、おお、教えです。


小さい時、いい妹と、3人で獣用の、わ、罠に、落ちた事が、ありました。


くく暗くて、怖かったけど、星をみみ見ながら、一晩を……過ごしました。


……小さな命が、私を頼ってるって思うと、ち、力が、湧きました。


私は、今でもあの時の、妹たちの……感触を、わわ忘れることが出来ません……。


……ググルカ族は、む昔から、傭兵業で生きてきた、で伝統が、あります。


仕事に、失敗すれば、ひょ、評判が下がり、他のググルカ族の人に、迷惑がかかります。


……なので、その時は、じじ自害、するよう教わります。……それが掟、です。




「それは俺が禁ずる。村に手紙も送った。了承してくれたぞ」


「……二人から聞きました。も、もう一度、機会を、下さり……ありがとうございます」


ぺこりと小さな頭を下げる。


「俺はさ、人生をかけて鍛錬してきた技術を、


まともに使う間もなく自ら命を絶つなんて、


それこそググルカ族の名折れじゃないのか? って思うよ。


そんなことを続けていれば、


戦争が起こったらググルカ族はあっという間に自殺者ばかりで滅んでしまうぞ。


ある意味、平和な時代でしか通用しない、不完全な掟だな」


口を真一文字に結んでいる。怒ったか?


「……一族のこと、どうか、わ、悪く言わないで、下さい……」


「自分の一族に誇りを持っているか?」


アーシュはこくんと頷く。


「そうか。ならその想いを、伝統や文化を、次の世代に繋いでいくことも立派な役割だ」


アーシュは考え込んだ。


「君たちはあの拷問を受けて、一度死んだんだ。


あれは、死ぬ以上に辛いものだったはずだ。……十分、掟は守ったと俺は思うぞ」


アーシュは身体をふるふると震わせた。


堪えていたものが崩壊するように、アーシュは声を上げて泣いた。


子供の頃の教えは、大人になっても心に根強く残っているものだ。


いい事も、悪い事も。教育って言い方を変えれば、ある意味洗脳や刷り込みだもんな。


だから、考えを変えるって意外と難しい。


ていうか今誰かに見られたら、俺が泣かしたみたいに思われるんじゃない?


いや、間違ってないけどさ。


その後も、アーシュは子供のように泣き続けた。


食べかけのカツレツが刺さったフォークを持ったまま。


口の端にトマトソースをつけたまま。

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