金九字講


「なんだと、鳩? 鳩だぁ?!」


 俺は喚いた。雪之丞が馬鹿げた話を持ってきたからだ。天蓋のある魍魎街では音声はひどく反響する。耳を塞ぎながら雪之丞は呆れたように首を振った。


「そうだ。鳩だよ。地下四階層で鳩を生け捕りにして献上するんだ」

「誰にだよ?」俺は不機嫌を露わに問いかえした。

「おいらたちにゃ知る必要もないって言われたよ。お上の偉い方がご所望らしい。なにしろ迷宮の鳩は丸々と太ってうまいらしいからな」

「馬鹿か。ありゃ太ったなんて代物じゃねえ。人間よかデケぇのだっている」

「ああ、しかし所詮は鳩だろう」


 どこぞの馬鹿が迷宮に持ち込んだ鳩は野生化し、迷宮の瘴気の影響か、食い物のせいか巨大になった。飛ぶ空もないのに鳥がいるなどまったく条理に合わぬ世界である。


「そういう問題じゃねえのさ。俺はな、この世で一番鳩がきれぇなんだ。あの動きといい玉虫色の首元といい。気色悪くて仕方がねえ。しかもとんでもなくでかいと来てる。俺はやだぜ。そんなもんを相手にしたくなんかねえ」

「でもよ、おいらたちには先立つものがねえ。迷宮を攻略するには強さも経験も必要だが、なんたって銭も必要だろう。依頼をこなしてまずは懐を温めねえと」

「依頼なら他のだってあんだろうがよ」

「こいつが一番実入りがいいのさ」


 だったら、と御守が小馬鹿にした顔つきで言った。

「伍長は留守番しててくださいよ。四人で平気ですから」

「何言ってんだ。俺はいなくてどうする。迷宮をナメてんなよ」

「どっちが。さぁ、あんなのに構ってる暇ないですよ。目標は三羽。皆殺しにしたって構わないと隠宮奉行は言ってましたよ」


 絡繰りを着こんだ御守は厳めしい。全身を覆う機械の鎧はまさに鉄のような剛健さを期待させてくれる。


「わはは。鳩ぽっぽにびびってよう出られへんのんか。ほんまに笑わすわ」


 御守と違って三浦は軽装である。前もって用意しておいた大量の符を懐に仕込んであるはずだ。筆と墨壺も腰から下げてある。前衛に出ないとはいえ、一抹の不安をおぼえさせる身軽さだった。薊野は帷子と具足を着こんでいる。呪禁仕もまた後衛を任せられることがほとんどだ。先日よりの訓練によって定まった戦陣はこうであった。


 御守

 樋口

 三浦

 雪之丞

 薊野


 この順番で基本行動するが、迷宮の通路の広さによっては三浦と雪之丞が横並びになることもある。また場合によっては前衛の御守と樋口が拡がって左右の挟撃から仲間を守るということもあり得る。臨機応変に陣形を変えていく必要があるのだ。こういった訓練は頭より身体に叩き込む必要があるのだが、信じがたいことに伍長である俺が一番下手であった。


「伍長はん、下がりすぎや」

「馬鹿野郎、刀の長さをわかってんのか。敵を斬ることより、味方を斬らないことを考えろ」

「才能ありませんね。皆無です」

「……ふぅ」

 薊野の最後のため息が一番ずっしりと堪えた。


 ここへ来てはじめて認識したのだったが、俺は他人と足並みを揃えて行動するのが途方もなく向かないのであった。この残酷な事実は落雷の如く俺を打ちのめした。そこへ来て苦手な鳩退治の依頼である。ただでさえ荒んでいた俺の心はますます暗く落ち込んだ。


「どうやら迷宮の鳩は大きな広間の天井付近に巣を作っているらしい」

「真上からの襲撃には陣形が意味をなしませんね雪之丞様」

「それに広間は鳩たちのフンだらけだ、踏んだら滑るよ」

「こういう時こそ、符術仕の浮身符が役に立ちます。符は呪法と違って一度貼れば一定の時間効果が続きますから便利です。迷宮で絵ばかりを描いていた絵師もようやく伍に貢献できる目途が立ちましたね。伍長の方はあれですけど」


 あれ、たぁなんだよ。伍長をそっちのけで御守と雪之丞が作戦なんぞをこれみよがしに練ってやがるのが気に食わねえ。腹に据えかねた俺はよせばいいのに長唄なんぞを大声で披露してみた。もちろんすこぶる評判は悪い。


「あちらへ行きましょう雪之丞様、耳が腐ります」

「樋口さん。……いや、いい」雪之丞は憐憫の情が滲ませて言葉を切った。

「なんだい? 終いまで言いやがれ! こら!」

 去り行く二人に罵声を浴びせるが、やつらの背中は無情にも小さくなるばかりである。


「ええなぁ。ほんまええわ。あんた、どうしようもないわ」


 そんなやり取りを三浦はこっそりと和紙に描いていた。戯画というのだろうか、剽軽な筆さばきで俺や御守たちを写し取っている。画面の余白にある西瓜の絵は薊野であろうか。とうとう西瓜頭の薊野は、手足を失くし、ただの西瓜として描かれてしまっている。


「三浦のおっさんよぉ、あんたの絵の技巧がすげえのに間違いはないが、どうもよくねえな。あんたの絵は人の心をざわつかせやがる」

「そらそうや。そんために描いとるんやからな」

「こうもっと、安らいだ気持ちになる絵はねえのかい」

「阿保か。そんなもん海でも空でも眺めとけや。ええ心地になるわ。せやろがい。絵ェちゅうもんわな。嵐のように魂を揺さぶらなあかん。汚いも醜いもみんな曝け出してこその美やで」


 ――きれいはきたない、きたないはきれい。


 雲外鏡と戦っている時にそんな声を聴いた。あれはなんであったのだろう。たぶん、三浦は同じことを言っているのだろう。そういえばあの呉女の面は恐ろしくてもどうしても捨てられなかった。あれは俺が結縁を結んだ女神に似ているだけではない。たぶん、月の兎を思い出させるのだ。だから捨てられぬ。


「ほら、またええ顔になったで。妄執塗れの愚図愚図した、ええ面構えや」

「なぁ三浦さんよ、俺の面はよ、あんたの絵ほど醜いのかい?」

「なんの、もっともっと不細工やで。これでもまだ美化しすぎや。わしも修行が足りひん」

「けっ!」俺は旅籠の椅子を蹴って魍魎街の往来へ飛び出した。


 酒を飲むにも女を買うにも金がない。金を稼ぐには鳩しかない。なんというどん詰まりだろう。気勢を上げて伍を結成したのはいいが、あっという間にこの有り様とは、先が思いやられる。まったく面白くないことこの上ない。


「やっぱ酒だ。酒を飲もう」

 俺はなけなしの銭を握りしめた。馴染みの居酒屋に入ると店主が気まずい顔で頭を下げた。きょろりとした愚鈍な目付きが鳩に見えてしまう。むかむかとしてくる。


「すいません、樋口さん、今日は貸し切りで」

「なんでぇ、酒屋が酒を出さねえとはどんな料簡だ」


 俺は咄嗟に食ってかかった。今日はとにかく虫の居所が悪い。元の旅籠に戻っても三浦の馬鹿に画のおかずにされるだけである。俺は絶対にここで酒を飲むこと決めた。一滴も身体に入れずにおめおめと退散することはまかりならんと自分に言い聞かせた。


「金九字の頭領が迷宮深くからお宝を持ち帰ったそうで、縁のある方たちを集めて酒宴を開かれるのです」

「いいじゃねえか、ひとりぐらいよそ者が混じってても。隅っこで大人しく飲んでるからよ。黙って酒持って来やがれ」

「どうか。ご勘弁を。今日のところはお引き取りください」


 ぺこぺこと卑屈な店主に俺はますます苛立ちが募る。


「やだね」俺はずいずいと店の奥へと乗り込んだ。

 まったく質の悪い客である。即刻、出入り禁止にすべきであろう。


「なんだい揉め事かい?」

 やってきたのは優男であった。着流しの袖から見える片腕がそっくり絡繰りにすげ代わっている。柔かい温顔とは裏腹に底知れぬ呪力を感じた。しかし、腰に刀を差しているところを見るとこの男も俺と同じ呪剣仕かもしれぬ。


「いえ、常連さんなんですがね」と店主はきまり悪そうにする。


「言葉の行違いならよくあることだ。馴染みの客との間に角が立つのはいけないね。どれ、私からお願いしようか。ねえ、剣士さん、悪いけれど、今日は特別な日なんだ、済まないが出直してくれないかね」


 なんだか知らないが、どうにもいけ好かない野郎である。


「俺はこっちの店主と話してんだ。澄ました顔でしゃしゃり出てくんじゃねえよ。鳩のことで俺は機嫌が悪いんだ」


「鳩?」優男はぽかんとした顔になった。


「そうだ鳩さ。鳩を捕まえなきゃいけねえのに俺は鳩が苦手なんだよ。このままじゃ伍長の俺が置いてきぼりになっちまう。なにしろ鳩の前じゃ俺は赤子同然だからな!」

 なにやら威張ったような物言いになった。


「事情はまったく飲み込めないが。あなたと鳩との雪解けを祈ろう」

「馬鹿かてめえは。なんで俺と鳩が――っていうか誰だ?」

凪本漁なぎもといさり。金九字講のしがない足軽さ」


 足軽なんてとんでもない、と店主は青ざめながら嘴を突っ込む。嘴なんて言うと店主の顔が余計に鳥めいて見えていけない。


「なんでえ、こいつは大物なのか?」

「そうでもない。それより君は?」

「大江戸大迷惑の樋口ってもんだ。てめえらの伍が老舗かなんか知らねえがよ。そのうち俺らの後塵を拝すことになるぜ。だはは」


 根拠もなく俺は威張った。


「頼もしいな」とあくまで凪本は余裕であった。


 その時、矢音がして、俺の一物を矢じりが掠めた。股の間の地面に矢が突き刺さり、肝を冷やした俺は「ぬな」と情けない声を漏らすことしかできない。


「凪本、貧相な破落戸に構ってんじゃないよ。もうすぐ頭領の余興がはじまるよ」


 声高く凪本を呼ばわったついでに俺を罵ってくれたのは、一目で癇癪持ちとわかる女であった。座敷にまで弓矢を持ち込むとは念の入った気配りである。


「わかったよ。そういうことだから酒は別のところでよろしく」


 凪本は悠然とそれだけを言い残して去りかけた。

 が、俺はそれを許さない。


 乱暴に肩を掴んで「てめえも、あの女もタダじゃおかねえ」と挑みかかったのだが――俺の開戦の合図は奴らにとっては終戦の潮時でしかなかった――すでに勝敗は決していた。女の放った矢の突き刺さったあたりから、むくむくと色鮮やかな茸がせり出して俺の下半身をすっかり飲み込んでいたのだ。


 さらには凪本の肩を掴んだ右手の先から抵抗できない硬直が全身に拡がる。いや、それはむしろ脱力感かもしれぬ。それがわからぬほど己の体感を狂わされていた。


「他人の身体に気安く触れるものじゃない」と凪本。


 おそらく女は符弓仕であろう。符術と弓術の両者を収めた異能の持主である。矢の先に符を取り付けることで発した矢に様々な効果を及ぼすことができる。さすが名高い隊伍・金九字講だと言うほかない。俺の力量ではまったく相手にならぬ。


「茸に食われたくなければ、一言詫びるんだ。で、その不細工な面を引っ込めてどこぞへ消えな。おい凪本、そいつの伍はなんといった?」

「大江戸大迷惑だとさ」

「確かに迷惑だね。あんたら聞いたことあるかい?」


 すでにほどよく酔いの回った客たちは「知らねえよ、どこの田舎もんだ」と囃し立て、嘲笑した。屈辱である。俺は眼を見開いてこの場にいる全員の顔を記憶しようと努めた。いつかまとめて、いやひとりずつでもいい、くびり殺してやる。


 久しぶりに俺は人斬りの顔に戻ったであろう。


「おぼえたぜ。噂に聞く五烈のひとつ金九字講だったな」


 俺は殺気を漲らせて言った。詫びなどするものか。茸め、俺を飲み込むならやってみろ。


「――かっかかかかか」

(禍渦応雷)

 呪言を唱え、印を組もうにも、舌は回らぬし指は動かない。しかし、それでも球電は小ぶりながら発生した。ためらいなく俺は電撃を自分の身体ごと茸にぶつけた。茸は焦げ臭い臭いを発散させつつ縮んで、ついには消失した。


「へぇ、呪言なしで術を起こすとは」凪本は本音を漏らした。

「感心してる場合かい。もうすぐ頭領が――」


 そう、台所の暖簾をくぐって現れたのは、


 ――とてつもない巨躯であった。


 褌ひとつの裸体に力士のごとく太い四肢にたっぷりとした筋肉と脂がまとわりつている。人懐っこい顔つきだが、眼光鋭く、口元から覗く歯は貪欲な獣を思わせる。


「聞こえたぜ。五烈がどうとかって誰かがほざいてたな」


「頭領。馬鹿が紛れ込んだだけで。すいません」飄々とした凪本であっても緊張を隠せない。それだけの威厳をその巨漢はまとっていた。


 とうとう言ったな馬鹿と。


「嫌いなのだよ、その呼び名がな。血狼煙。あんな筋目の立たねえ無法者どもといっしょくたに並べられちゃ大迷惑さ」


 この男が金九字講の頭領。脊川黙雷せがわもくらい


 俺ですらその名くらいは知っていた。八つの象意すべての呪法を極めた万能の呪禁仕。数々の苦行に自ら挑み、とてつもない呪力と験力を得た元山伏。俺は寺田やラーフラともまた違った畏怖を目の前の男から感じた。かの役行者や神通自在の傑僧・泰澄に並び称されるほどの人物である。


 五烈と称される隊伍の内でも血狼煙と金九字講は犬猿の仲で知られた。だから同じ五烈とくくられるのが黙雷は腹立たしいのであろう。低く憎々しげに罵った。


「次に迷宮の底で出くわしたなら容赦はしねえ。あの生まれ損ないの畜生共は皆殺しだ。迷宮にシミにしてくれよう」


(呪法はもとより、たとえ力任せの喧嘩であってもこいつに勝てる気がしねえ)


「にしても、なんだこの臭いは? せっかくの祝いに興が削がれるじゃないか」

「そこの男が曲輪くるわ姐さんの茸を焼いたんですよ」と凪本。

「これがか? どうしてかかしみたいに突っ立ったまま動かない?」


 黙雷はぎろりと俺をねめつけた。己の電撃のためばかりじゃない。俺としたことが竦み上がって身じろぎもできなかったのである。


「恥じることはないよ。小便ちびらないだけ見どころがある」符弓仕の曲輪がせせら笑った。「追い出そうとしたのだけれど、居座っちまってこの男が」


「だったら存分に見て行けばいいだろう。うちの酒宴は豪勢だからな」


 俺は木偶のように硬直したまま、背川黙雷が褌一丁で披露する裸踊りを見物する羽目になった。


 ――頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい


 手を叩きながらの掛け声に場は熱狂した。誰もが、黙雷の気に当てられて、どんちゃん騒ぎを通り越した狂乱の舞を舞う。


 身体の自由を取り戻した後も俺は黙雷の踊りに心を奪われていた。洗練された踊りではないが、何か強烈に惹きつけるものがある。ただの踊りであっても、その一挙手一投足に呪力が漲っているためにこんなにも人に作用するのである。踊りを通して最強の伍の上に立つ人間の凄味を垣間見た気がした。


 ――頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい


 しがない居酒屋に熱狂の渦ができる。傾いた木造が震えるさまは一個の心臓の如くである。どくどくと脈打っている。


(これが金九字の黙雷か。へっ噂以上の代物だぜ)


 ひとり場違いな俺は店内を練り歩く黙雷にぴしゃりと背を叩かれた。まるで瀑布に打たれたかのような衝撃である。全身の骨が砕けたかと思われた。俺は言葉を失った。


「おい、客人。飲んでるか? なんだ。口が聞けないのかい。おまえには忌まわしい気が纏わりついているな。いい具合だ。地上ではどうか知らぬが、迷宮ではそれくらいで丁度いい。せいぜい気張るのだな」

「あ、ああ……酒は食らった。じゃ、ここらで失礼する」


 飲み代を置いて出ようとすると「おごりだ。決まってるだろうが」と黙雷が怖い顔で睨んできたから、面食らった俺は転げるように店を飛び出した。


 昼夜の明るさに変化のない魍魎街。ここは永遠の黄昏。俺は薄暗がりを千鳥足で、ふらふらとそぞろ歩いた。やがて往来にばたりとへたり込んだ俺を拾ったのは散歩中の薊野だった。


「なんで迷宮に潜ってもいねえのにうちの伍長は打ちのめされてんだ?」

 旅籠に戻ると雪之丞は呆れて言った。


「こいつは始終打ちのめされてるやろが」と三浦。「しかし、なんや、ごっつ恐ろしいものを見たような顔してんなぁ。んで、下半身は茸まみれや。イチモツがどれやようわからんで」


「ちっ、仕方ない。むしり取ってやるか。本物は千切るなよ!」


 ――頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい頂礼ちょうらい


 俺の耳にはあの掛け声と手拍子がこびりついて離れなかった。




 

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