復讐少女と、正義に焦がれた吸血鬼
現実逃避丸
第1話 雨夜の白
屋敷の廊下に敷かれた、恐ろしく長い血のような色の絨毯。その上を歩く少女の表情は硬く引き締められていて、広くも狭くもない歩幅は恐れと焦燥、ふたつの感情でできていた。
気丈に細められた瞳が同行者を睨みつける。となりを歩く男は三十にもなっていない見た目で、見るからに高級そうな暗く光を反射する燕尾服を着ていた。
屋敷に着き「主がお待ちです」ただそれだけ言って以来、男は一度も口をひらかない。
男は少女の速度にぴったりと合わせてとなりを歩く。逃がさないと監視するかのように。
長く広い廊下を何度も曲がり、やがて地下に続く階段を下りたさきに巨大な両開きの扉が聳え立つ。
来るまでに数回見た他の扉と違い目の前のものには丁寧に装飾が施され、どこの国のいつの物か、深く金色に輝く取手は素人目にも高価な物だと一目でわかる。
この向こうには、屋敷の主がそれだけ手を込めて保管する大事な何かがあるのだろう。
力を込め、燕尾服の男は外開きの扉の口を開ける。重々しくひらかれる。
白。おびただしい数の白があった。雑多な人たちを象った、大理石胸像が並び立っていた。
扉の向こうは広大で一切の遮りがない。所狭しと並べられた胸像は数百以上あるだろう。
「カネシロ・ユウヒさんだね。待っていたよ」
手を広げ、笑みを浮かべて歓迎を示す外国人は、やたらと豪奢な服を着た長髪の男だった。
その男の正体を、少女は知っていた。
少女は警戒を露にする。隠そうともせず、深く男を睨みつける。
真逆の態度で向き合う二人。男はそんな態度を取られても表情一つ変えることはない。むしろより一層、どろっとした粘度の高い笑みを浮かべる。
隣にいたはずの燕尾服の男が消えていた。少女はそのことにも気付かない。
長髪の男は順に並べられた胸像を、愛おしさに溢れる手付きで撫でていく。
「みんなは、どこ?」
「すこし待って」
少女の問いに男は明確に答えを返さない。すぐにわかるよと、楽しげに部屋を歩く。
やがて端にたどり着く。純白の
それは、三体分の胸像を隠すのに、適していそうな大きさの薄布で。
少女の頭が理解を拒む。浮かぶ想像を追いやっていく。
追いやったはずなのに、眼を覆う液の水嵩がましていく。
「うそ……」
「ふふっ。理解がはやい。でも見たら、もっと驚くよ」
子供にプレゼントを渡す直前の大人のような顔をして、そのくせ少年のように無邪気な笑みまで浮かべて、男は指をかけた。
「さぁ、ご覧ッ!」
薄布が剥がされる。
父と母と――妹がいた。
「……あ」
滑らかだが皮膚とは違う大理石で出来た家族の似姿は胸から上だけ作られていて、胸像は、確かに家族の顔だった。
半年前から連絡が取れなくなっていた、戻ってくるからといって家を出ていった。
両親と妹と同じ姿をした胸像が三人分、鎮座していた。
「どうだい、我ながら上出来さ。さすがに時間がかかってしまってね。君に見せるのが遅れてしまったことは、ここにお詫びしておこう」
男は像を指差していく。「ここが上手く出来たんだっ」そんな風に口を動かす。
きもちわるい。
「あぁぁぁぁっぁぁぁ!!」
褒めてと輝く男の眼を見て、少女は駆けた。
ひたすらに走って、なにも聞こえなくなるまで走った。
気付いたとき、少女は自動販売機の陰に浸っていた。
どうやってここまで来たのかわからない。座り込み、酷く重い体を硬い機械に預ける。生暖かな温度と駆動音が、うっとうしく体目掛けて広がった。
雨がふりはじめる。夏の雨がまぶたの上を伝っていく。
視界はひらけているはずで、自動販売機の明かりは灯っている。それでも眼に映るなにもかもが真っ暗にしか見えなかった。
その暗闇を裂くようにして、珍しい白い蜘蛛が視界の端を走り去る。
虫ですら雨から逃げようとしているのに、少女は動こうともしない。自動販売機と体が縫い合わさってしまったかのようだった。
雨が絶望に染まる少女を殴打する。冷たいのか温かいのかすらわからない。
打たれるたび、少女は暗く沈んでいった。
吐き気が絶え間なく波打つ。溢れでる寸前で去っていく。
髪が濡れる。服が濡れる。水がねとねとと粘つく錯覚を覚えた。
どれほど身体が主張しようとも、辺りが変わろうとも、少女の表情は変わらなかった。
心が動こうとしなかった。
だらりと、ついに少女の腕が地面に落ちた。アスファルトの上に跳ね、手の甲が濡れた。涙も流せず、なにかを考えることもできない。
流れていく水に流れ出た赤が混じっていった。
「ねえ、悔しくない?」
そのとき影が少女の体を覆った。目の前に立つ誰かが、上から覗き込んでいた。
影は、見知らぬ男。フードを被った恐らく少年。
「ねぇ、僕に力を貸してみない?」
顔は見えず、首元から、ちいさな袋がぶら下がっている。
「君にその気があるのなら、僕が復讐の力をあげるよ」
「…………」
はじめて少女は顔を上げた。少年を見上げる。
少年の口元からは、一本の牙が覗いていた。
少女の眼が見開かれる。細く雨に濡れる喉元を、音が静かに膨らませていく。
張り付いていた気道を、感情がゆっくりと押し広げていく。
「なんだって、してやるから」
段々と、細かった声は大きさを増していく。
「あんたの餌にだってなってやるから」
男の正体を理解して。
「だから、力を寄越しなさい……」
「いいよ」
少年の顔が、少女の首元に迫る。
大きく開かれた口。白い牙。
「あんた、何なの?」
「――悪者、だよ」
ずぶり、真っ白な牙が沈んだ。
雨を裂く悲痛な声は、泣き声のようだった。
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