第57話 お誘い
「お姉ちゃん、定期演奏会って行くの? 」
「行くよ、そりゃ。 OB枠あるし」
「そうだったの!? 大地からチケットを2枚もらったんだけど、お姉ちゃんいらないよね」
「そうね。 菊野くんOB枠のこと知らないのかな。 せっかくだし、お母さんに聞いてみれば? 」
「うーん、忙しそうだけど、一応聞いてみようかな」
ということで、珍しく週末に休みだったお母さんに聞いてみた。
「お母さん、お姉ちゃんがやってたうちの吹奏楽部の演奏会とか行く? 13日だから平日なんだけど」
「そうねぇ。 ちょっと待ってよ。 うーん、その日は夜に会食が入ってるわね。 何時頃かしら」
「5時から7時くらいまでみたい」
「ちょっと難しいかしらね。 美桜も出ないんでしょ? 」
「そうだね。 お姉ちゃんは行くとは言ってたけど」
「それなら二人で行ってくればいいんじゃない」
「うん、そうしよっかな」
お母さんは仕事関係の予定が既に入っているようで、それよりも優先するような用事ではないわけだから仕方がない。 大地からもらったチケットは一枚無駄になっちゃうけど、仕方がないよね。
ナツとかを誘ってもいいんだけど、いることがバレたらそれだけで騒ぎになっちゃいそうだし、何よりナツと一緒にいたらあたしの正体もバレかねない。 人は大勢来るんだろうし、そんな危険は冒せない。
学年末の試験も終わったこともあって、しばらくは勉強に追われることはない。 読みたい本溜まってるわけでもないし、こういう時は美容と健康のためにも早く寝よう。
そうして起きた翌朝、朝の挨拶に続くお母さんからの言葉は意外なものだった。
「美咲、やっぱり演奏会行くわ。 仕事先から直接行くから今のうちにチケット預かっていい? 」
「うん、もちろん」
部屋に戻って、コメちゃんからチケットを一枚返してもらい、お母さんに手渡した。
「どしたの、急に」
「去年と同じホールなら、仕事先からも会食会場からも近いと思ってね」
「そうそう。 私と美咲は一緒に行って、現地で落ちあえばいいでしょ」
「そうだね。 それじゃ当日はそんな感じで」
お母さんが急に方針転換した理由はいまいち釈然としなかったけど、もらったチケットを無駄にすることもなくなって、少しだけ肩の荷が下りたような気がした。
終業式も間近に迫り、授業も復習がメインでどこか気が抜けたような感じ。 そんな中、さらに午後の授業が自習になってしまったものだから、教室は無秩序の状態になっていた。
図書室なら移動してもいいとのことだったから、あたしは本を物色しに図書室へ向かった。
図書館は静かだし、この本の匂いが好き。 普段は授業中だから開いていない時間帯だけど、今は図書委員の子が一緒に来てくれたから貸し出しもしてくれるみたい。
ちょっと読んでみたかった和食の黄金率の本と、学芸員の資格に関する本を借りることにした。 こういう勉強とかテストを考えなくていい時期に、将来のことを考える時間を確保したい。
教室に戻って腰を据えて読もうと、貸し出しの手続きを終えて図書室を出たところで、意外な人物に呼び止められた。
「よう、春山さん」
――春山
警戒レベルが一気に最高にまで引き上げられる。 何と言っても、話しかけてきたのは中山くんだったから。 しかも今までなら春山と呼び捨てだったのに急に
「なに? 」
「えっ、いやいや、そんな警戒しないでよ。 春山さんってさ、今度の土曜日って暇だったりしない? 」
「なんで? 」
「えっと、軽音でさミニライブやるんだけど、興味ないかなって思って」
「あたしがヒマでもナツは連れて行かないよ? 」
「いいのいいの、それで。 そういうつもりじゃないから。 で、どうなの? 」
「土日は、あたしダンスのレッスンがあるから」
「マジで!? 春山さんダンスやってんの。 すげーな。 普段の印象と随分違う」
「地味で悪かったわね」
「そういう意味じゃないって。 怒んないでよ」
「じゃ、どういう意味かしら」
返答がどうしてもトゲトゲしくなってしまうけど、仕方がないよね。 でも中山くんは気にした様子もなく話しかけてくるから、それはそれで鬱陶しいことこの上ない。
「うーん、じゃ率直に言うとな、俺とデートしてくんない? 」
「いやよ。 暇じゃないし」
「俺って、割とモテる方だと思ったんだけどな」
「それじゃその寄ってくる人たちとデートしたらいいじゃない。 じゃ」
「ちょちょちょちょーっと待ってよ。 そのつれない感じがなんとも気になってしょうがないんだよねー。 それじゃあと1つだけ、ね? 」
「1つね」
「ひゅー厳しい。 彼氏がいるわけじゃないんでしょ? 春山さんの、男のタイプは? 」
大地からもそんなこと聞かれたことあったな。 そう、クリスマスの時。
あの時は、大地に『千春』と自分を選ばせて自爆したんだった。 あの憂鬱を思い出して、さらにイライラが募る。
「――はぁ。 何でそんなこと言わなきゃならないのよ」
「1つなら良いって言ったじゃん」
そんなつもりは毛頭なかったのだけど、言わなきゃ気が済まないのなら……。
菊野くんよ、って言えたらどんなに楽だろう。 さて、こういう場合に自分が一番されて嫌だったのは、あれか。
『俺は、岬千春狙いだから』
あの時、あたしは素の自分が相手にされていないことを悟ったんだった。 中山くんが本気で自分を気に入ってくれているようには思えないけど、万が一を考えたらこれか。
「そうね、typhoonのアキラさんかな」
「お、俺ってよく似てるって言われるよ! 」
「そう」
どこまでポジティブなの、この男。 いつぞやの芸人さんだってここまでポジティブじゃなかった。 あ、でも当のアキラさんはこんな感じだったかも。
全く効き目がなかったようで、げんなりした気分に陥った。 そしてそんなことお構い無しの中山くんは上機嫌だった。
――もしかして大地もそんなに深く考えてなかったとか?
「なあ、それじゃ13日の夜とかはどうよ」
「1つじゃなかったの。 でもまあオマケ。 13日はコンサートで予約済みよ」
なお食い下がろうとする中山くんにそこまで言って、振り返りもせずに教室に戻った。 疲れることこの上ない。
ぐったりしたまま教室に戻ると、私の隣の席では安らかな寝息を立てて、幸せそうに寝ている男がいた。
――まったく、人の気も知らないで。
そんなことを思いながらも、さっきまでの怒りの気持ちは霧散していた。
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